第27話 回廊
雨が降っていた。
王都アルトラディアの空は灰色に濁り、朝から絶え間なく水の帳が町を包んでいる。
その中央、王宮の奥深く──謁見の間に続く回廊を一人の青年が歩いていた。
王太子リオネル・アルトラディア。
長身に白銀のマントをまとい、まるで何かを振り払うように、前髪を無造作にかき上げながら、重い足を進めていた。
空虚だった。
儀が終わってから、すでに幾日も過ぎた。
にもかかわらず、あの、しんとなった神託の間に響き渡った声が、耳から離れない。
むしろ時間がたつごとに、その声は耳の奥深くへと沈み、囁くようにリオネルの心をかき乱す──
「……どうして……!」
聖女ミラ・セレスタが読み上げた神託により、クラリスは聖なる座を汚す存在とされた。
だが、その神託の予言が示された後、実際に彼女を追放するよう命じたのはほかならぬ自分自身だ。
あの瞬間の彼女の瞳が、今も脳裏にこびりついている。
「……忘れろ」
リオネルの唇が微かに上下した。
国を治めるとはそういうことだ──
リオネルは立ちどまると、嘆息した。
「リオネル様、お戻りでしたか」
不意に、柔らかな声がかけられた。
振り向くと、純白の衣を纏ったミラが立っていた。
しとやかに髪を結い、頬にはかすかに赤みが差している。
目元は、潤んでいるようにも見えた。
「王宮の皆さまには、婚礼の儀でのことでご心労をおかけしてしまい……申し訳ありません」
その言葉に、リオネルは軽く首を振る。
「いや……君は悪くない。すべては、神託の導きによるものだ」
そう、神の言葉がそう定めたのだ。疑う余地などあるはずもない。
リオネルは安心させるように、ミラをじっと見つめ、微笑んだ。
だが、ミラがその潤んだ瞳でリオネルを見つめ返した時──
リオネルが僅かにその視線を逸らすのを──ミラは見逃さなかった。
「クラリスのこと……気にされているのですね」
リオネルはその声に、はっとしてミラを見た。
ミラがまるで、「どうかされましたか?」と、でもいうように小首をかしげ、リオネルに優しく微笑んでいる。
「……聖女様に隠し事はできないな」
リオネルは力なく笑うと、その場から離れるように、回廊の奥、玉座のある謁見の間へと歩みを進めて行く。
ミラは何も言わず、ただ微笑むと、そのやや後ろから、しずしずとついて行った。
クラリスのことは、口に出すことすら憚られる空気が、すでに王都全体に蔓延していた。
まるで、“最初から彼女がいなかった”かのように。
けれどリオネルは覚えている。
彼女が誰よりも、まっすぐで、誠実で──そして、誰よりも孤独に耐えていたことを。
玉座の前で足を止める。王が不在の今、その席には誰も座っていない。
だが、その玉座の脇にひっそりとたたずむクラリスの姿があった。
「なっ──!?」
驚いたリオネルがもう一度目をやるが、そこには誰もおらず、代わるようにして立っていた彫像と目が合う。
「……くそっ!」
思わず声を荒らげ、床を蹴るリオネルだったが、ミラはそんなリオネルの様子に身じろぎもせず、ずっと微笑みを浮かべていた。
リオネルは、振り返った先に微笑むミラを見つけると、気まずそうに笑顔を見せた。
「ご安心ください、殿下。私は、何も、見てはおりませんから……」
ミラの言葉に、リオネルは頷くと、玉座へと向き直る。
──わかりやすいお方。
ミラの笑顔が少し歪んだその時、リオネルはぽつりとつぶやいた。
「……もう、戻れないんだな」
その声を聞いたミラは、僅かに口の端を上げていた。




