第26話 ノクテスペラ
クラリスは村外れの小高い丘にいた。
手には籠。中には日のあるうちに、村の子どもたちと摘んだ、薬草や果実の皮が収められている。
「この村の薬草は、月の出る夜、よく風にさらすことで、その効き目が上がる。変わってるでしょ?」
セラヴィアにそう言われ、初めてこの場に来たクラリスだったが、確かにここには、それらしき干し台が並べられていた。どれも長い間使われているようで、昔からこの村で薬を扱うものが、そうしてきたのであろうということを物語っていた。
あいにく、今日は風の無い夜だった。
あたりは、しんと静まり、ただ草の擦れる音と、地面を踏む音だけが鳴る。
ふと、クラリスの薬草を並べる手が止まった。
雲は無く、頭上にはいくつもの星が青白く瞬いている。
僅かに赤みを帯びた月が、その中に混じってひと際輝きを放つ。
しかし、彼女の目を惹いたのは別のものだった。
丘の斜面──月明かりの中で、淡く咲いているそれ。
ノクテスペラ。
夜にしか花を開かないという、不思議な草。
夜露を受けて薄紫に染まるその花は、まるで静かに光っているようだった。
「きれい……」
思わず声が、月のもとでこぼれた。
部屋に生けられたり、薬草としての利用価値もあると、この村では珍しくも無いごく普通の花だが、学者や、一儲けしようとした商人らが、何度か試みてはみたものの、どういうわけかこの地域でしか生育しないらしい。そのため、王都や他の地域では非常に高値で取引されるのだと、バルバラが言っていた。
確かに、これほどきれいな花であれば、王宮の庭にだってありそうなものだが、見たことがない。クラリスは仲よくしていた庭師が、この花に苦労している姿を想像すると、少し気の毒に思ってしまった。
「まあ、この村の特産品だね」
特に群生地には花を盗賊たちから守るための自警団もいると、誇らしげに語っていたことを思い出す。
「クラリスさん!」
背後から声がかかる。振り返ると、朝の少女がまたひとりで駆けて来る。
小さな手には、花を一輪、大事そうに握っていた。
それは目の前で咲く花だった。
「この花、闇待ち草っていうの。クラリスさんにあげる」
少女は、恥ずかしそうにクラリスの顔を見上げる。
「闇待ち草……?」
「夜になってから咲くからそう呼ぶんだって。よく眠るためのお薬にもなるんだよ」
「それもセラヴィアさんが?」
視線を合わせるように、クラリスは膝をつく。
「ううん。村のみんな知ってるよ。みんな頭の下に敷いて寝るの」
「へえ、そうなのね。ありがとう」
クラリスは、そっと少女の頭に手を置いた。
「えへへ。あとね……」
少女は少し周りの人を気にするように左右を見ると、囁くように言った。
「──この花はね、この村の近くにしか咲かないのよ。すごいでしょ」
村の子供までもが、この花を大切に思っているのだろうなと、クラリスは思う。
「でも、どうしてだか誰もわかんないけど」
少女はそう言うと微笑んだ。
クラリスは少し考える風に首をかしげると、
「……うーん……きっと、この村が好きなんじゃないかな。だって、私もこの村が好き──」
「あ、私も好き! そうかあ、そうかもしれないね」
少女はそう言うと、そっとその花をクラリスに差し出す。
「ふふ……ありがとう」
クラリスは受け取り、胸元に抱く。
そのまま、少女と並んで丘に座り、夜空を仰いだ。
──「私もこの村が好き」、どうしてそんなことを言ったのだろう……
この子のため? それとも……?
風が、少しだけ動き始めていた。
その流れの中で、クラリスはぽつりと独りごとのように呟く。
「本当にそれでいいの? クラリス妃?」
少女はいつの間にか眠っていた。
クラリスは、肩にまとっていた毛布を少女にもかけると、もう一度目の前に咲く花を見た。
ノクテスペラが月に照らされて揺れている。
闇待ち草。それはひっそりと、けれど、とても美しく咲いていた。
「ねえ? あなたはここが好き?」
返事はない。
風が少しだけ強くなる。
「私は──」
少女からもらったノクテスペラが、クラリスの手の中で小さく震えていた。




