第25話 風が変わるとき
その朝、村の広場では風がやけに強く吹いていた。
洗濯物が大きくなびき、軒先の藁束が音を立てて揺れる。
空は雲ひとつなく晴れているのに、木々がざわめき、どこか落ち着かない空気が流れていた。
「風が変わってきたな」
鍬を手に畑から戻ってきた年配の男が、空を見上げてつぶやく。
それに応えるように、別の女が首を傾げた。
「この村にも“風の道”が来るって、ほんとうだったんだろうかねぇ」
話の輪には加わらず、クラリスは静かに水瓶を運んでいた。
──風の道。
クラリスはその言葉に、王都を出てからの道のりを思い出していた。
“風の道”と呼ばれるという、心地よい風のこと、旅の途中でセラヴィアが見せた加護のこと。決して歓迎されてこの村に迎えられたわけではなかったが。今ではここでの生活にも慣れ、村人たちもクラリスに後ろ指を指すようなことも無くなっていた。
「クラリスさん」
少女がひとり、籠を抱えて駆けてきた。
中には摘んだばかりの花や薬草が入っている。
「これ、使って。セラヴィアさんが“喉にいい”って教えてくれたの」
「ありがとう。……すごくきれいな色ね」
「ふふっ。あたし、いつか“加護師”になるの。クラリスさんみたいに」
そう言って少女は走り去っていった。
クラリスは、小さな背中を見送りながら、ふっと息を吐いた。
「……私みたいに、か」
以前の自分なら、そんな言葉に戸惑っていたかもしれない。
けれど今は、少しだけ誇らしく思えた。
なんでもない日々の積み重ねが、誰かの未来に影を落とすこともあれば、光をもたらすこともある。
あの、少女の未来は──
その日の昼下がり、旅の商人が村を訪れた。
王都からの香辛料や布を売るついでに、噂話をいくつか置いていくのが常だった。
「おう、こんな話は知ってるか? 最近、王都じゃ“加護の枯れ”が起きてるってよ」
「加護の……枯れ?」
「そう。光が薄いだの、神殿の祈りが届かないだの。そんな話が広まっててな。聖女が表に顔を出すことも少なくなってきてるらしい」
村人たちがざわめく。
「そういえば、あたしがまだ王都にいたころ、そんな話があったかねえ」
「あれは、すぐに収まったって話じゃねえか。どうせ加護の名を借りて儲けようとしてるんだろうよ。これでまた教会の財布が肥えるってわけさ」
「何言ってんだい、加護は限りあるもんだよ。いつも、教会の人が言ってるじゃないか」
「そもそも、それが信じられるのかって言ってるんだよ」
「教会も躍起になって調べてるみたいでよ。……ここだけの話、“加護”が、王都から離れたどこかに流れ出てるって話もあるぜ」
村人に混じって商品を眺めていたクラリスは、その内容に驚きを隠せないでいた。
──加護が、王都から離れたどこかに。
「クラリス、君も加護師なのだろう?」
「はい、リオネル様」
「君たち加護師が扱う加護の力は、この世界そのものだ。だからこそ我々で管理せねばならない──」
まだ、クラリスが王宮に上がったばかりの頃、リオネルが話してくれたことがあった。
加護の力は教会が管理している。
加護の力の流れる大地は、緑にあふれ、生き物たちも健やかに育つ。
加護師は、この加護の力を癒しの力として利用できる存在であった。
クラリスたちが生まれるよりもはるか昔、加護を際限なく使っていた頃、一度この地より加護の力が失われ、大地が枯れようとしたことがあるという。
これは村人が言っていたように、加護は限りあるものであることを示していた。
「──二度とそんなことが起こらないよう、また一部の者だけが利を得ることの無いよう、代々の王が、つまり僕が、教会に命じて加護を管理させているんだよ」
リオネルはそう誇らしげに語っていた。
結果、当然のように加護の力は、王都を中心として、国内の要所にいきわたるよう管理され、そうして王国は栄えてきたのだ。
──この村のように、見放された場所を除いて。
クラリスは、静かに村人たちの輪から離れるように、村の外へと歩き出した。
私はもう王都の者ではない。ましてや“聖女”でもない。
ただこの村で、ひとりの“加護師”として生きているだけなのだ。
それでも、風は穏やかに吹いている。いつもと変わらない光景。けれど、風向きが変わるように、何かが変わってきているのかもしれない。
もし、本当に加護が王都からなくなってしまうのなら、王都もこの村のようになるのだろうか──
空を見上げると、うっすらとした雲が流れていく。
それはどこか遠く、加護の流れの果てまで、広がっていくように思えた。
「──リュシアや、セラドさんが困らなければいいのだけれど」
クラリスは、両手を拡げ、大きく伸びをすると、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。




