第24話 届ける者
日が高くなるにつれて、村はにわかに賑やかさを増していた。
収穫の時期が近づいているのだろう。大人たちは畑に出て、子どもたちも手伝いながら村中総出で、泥にまみれていた。
その光景の片隅に、クラリスの姿があった。
袖をまくり、腰をかがめ、土にまみれた根菜をひとつひとつ丁寧に洗っている。
宮廷の香油の香りも、きらびやかなドレスも無い。
だが今の方が、自分はずっと“生きている”と感じられた。
老女が一人、クラリスのもとにふらりと寄ってきた。
「よくやってるねぇ。バルバラから聞いてるよ。あんたみたいなお嬢様には無理だろうと思っていたがね」
「こう見えて、小さい頃はここと似たような村で暮らしていたんですよ」
クラリスは顔をあげると笑顔で答えた。
「……こんな辺境にだって、”愉快”な話はすぐに届く。あんたが来た時期が時期だけにね、王都の“神託の騒ぎ”と無関係なはずがないと思ってたが──」
老女の視線は鋭いものだったが、クラリスには、もう何も隠すつもりは無かった。
「おっしゃる通りです……私は……王太子の婚約者でした。でも、その神託にある“聖の座を汚すもの”だと言われ、王都を追い出されてしまいました」
クラリスは苦笑すると視線を下げた。
「ふん。捨てられたってわけだ」
「……はい。でも、今はそれもよかったと思っています」
土を洗う手が止まる。
老女は、じっとその横顔を見つめたあと、小さくうなずいた。
「うん。そうさね。……あんたは“あんた”だ。畑仕事も様になってるよ」
クラリスは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます……」
「慰めなんかじゃないよ。それにさ──」
老女が顔を覗き込むように言う。
「あんた、加護師なんだって?」
「は、はい……」
身を強張らせるクラリス。老女が続ける。
「うちの孫が、「髪のきれいなおねえちゃんに指を治してもらった」って、大騒ぎでね」
「ああ……!」
クラリスは、泣きながら指の曲がった手を差し出した男の子の顔を思い出した、
「世話になったね」
「いえ、あまりにも痛そうだったのでつい……お父様には、勝手なことをするなと怒られてしまいました」
「そりゃ災難だったね。あの子も悪気はないんだ、許してやっておくれ。ああ、それでさ──」
そこまで言うと、老女は少し遠慮がちに声を低くする。
「今度、少しでいいんだ。私を見てくれないかい? 最近歩くたびに、脚の付け根のあたりが痛むのさ」
「え?」
クラリスの表情が一瞬固まる。
「もちろん、お代は何とかするよ……あまり大きな額は出せないけれど──」
老女が言い終わる前にクラリスはその手を取り言った。
「もちろんです! 私なんかでよければ!」
その手は、あの時握った小さな手と、同じ指の形をしていた。
クラリスには、老女の顔に、あの泣き顔が重なって見えた。
それからしばらくして、夕暮れが近づいたころ。
セラヴィアが村の薬草棚の前で、仕分けをしている姿を見つけた。
クラリスは、少し迷ったが、やがてためらいがちに声をかけた。
「……加護って、何のためにあると思いますか?」
セラヴィアは手を止めたが、顔は向けなかった。
「わたしは人を救うためなんて考えたことはないわね。ただ、“そこにあった”から使ってきただけね」
「私は……これまで、人を癒したり、救ったりなんてことが、私にできるとは思えなかったんです。でも、今は少しだけ……“届けたい”と思うんです」
クラリスが言い終わると、セラヴィアはゆっくりとクラリスの方に振り返った。
「あは……いいわ、それ。最初は絹に包まれた”お姫様”かと思ってたけど。今は──泥にまみれた、加護師」
言い終わると、セラヴィアはクラリスの頬についていた泥を指で拭いとり、また薬草棚へと向き直る。
クラリスが、頬をこすって汚れを確かめていると、やがてセラヴィアが小さくつぶやいた。
「“与える”者は選ばれる。“届ける”者は、自分で選ぶ」
──“その力を届ければいい、自分で選んだ誰かのために”
その夜、クラリスはひとりで納屋の外に出て、星を見上げた。
自分には、身分や、証も、称号もいらない。ただ、明日もまた誰かこの力を必要とする人たちのためになれれば、それでいい。
クラリスは、セラヴィアに言われた言葉を、繰り返した。
「“与える”者は選ばれる。“届ける”者は、自分で選ぶ──」
名もなき加護師として、彼女の祈りは、静かにこの地に小さな灯りをともし始めていた。




