第20話 届かぬ光
丘を越え、谷を渡る。
陽光は柔らかく、爽やかな風が草花を揺らす。近くを流れる川の流れる音が心地いい。
手の入った道や、石造りの橋なども見かけるようになり、人の住むにおいが感じられる。
荷馬車がいくつめかの集落を通りがかった時、クラリスは目の前の光景にはっとなった。
窓辺に干された布はくすんで見え、道を行く人々は足元だけを見て歩く。
すれ違う荷馬車に目をやる者もいたが、その視線もどこか冷たい。
彼らの周りに漂う、ずっと沈んだままのような重い空気が、周りの風景とは対照的だった。
「あんまり気にしない方がいいよ」
バルバラがクラリスに声をかけた。
「これが普通なのさ。この辺りじゃね」
そういうと、鞭を軽く振り馬車の歩を速めた。
しばらく行くと、通り沿いの小さな小屋の前に、やせた女が座っていた。
クラリスはふと、その女の足元にあった籠に目を止める。
布をかぶせた籠の中からは、赤子のものと思われる、かすれた咳がかすかに聞こえた。
女は籠をゆっくりと揺らしながら、心配そうな表情でそれを見つめている。
「ねえ、バルバラさん……あの人……」
バルバラは手綱を引かず、横目にちらと見るとため息まじりに答えた。
「加護師なんて来やしないよ。ここらじゃ、赤子に何かあれば運を天に任せるしかない」
「そんな……教会は、国は……?」
「……金も力もない場所には、光も差し込まない。それがこの国さ」
バルバラの言葉に、クラリスは言葉を詰まらせた。
王宮では、何かあれば加護師がすぐに呼ばれていた。
聖堂には絶えず香が焚かれ、誰かが祈っていた。
──それが当然だと思っていた。
「……止まってもらっても、いいですか」
クラリスの声に、バルバラが振り返る。
「いいけど──まさか!?」
クラリスは小さくうなずいた。
荷馬車を降りると、クラリスは小屋の女に声をかけた。
女は顔を上げ、見るからに警戒した表情を浮かべている。
「……すみません。あの……私は……加護師です。もしよかったら、その子を見せてもらってもいいですか」
「はぁ……!? 加護師、だって……? あんた、こんな辺境まで何の用で──」
そこまで言うと、女は俯いた。
「それに……こっちは加護師に払える物なんてないんだよ!」
「大丈夫です。何も頂きませんから、お願いします」
女は驚いたようにクラリスを見上げた。まだその目には疑いが浮かんでいたが、咳をする子の声を聞き、やがて深くため息をついて籠を指した。
籠の中の赤子は、顔を真っ赤にし、呼吸も浅く、虚ろな目をしている。
クラリスは、その場にそっと膝をついた。
掌をその子の額に当て、
深く息を吸う。
「……どうか、届いて……」
女やバルバラたちの見つめる中、クラリスの指先から、じんわりと淡い光がにじむ。
光は少女の額から喉、胸へと流れていき、呼吸の乱れが次第に穏やかになっていく。
やがて、赤子はゆったりとした表情をすると、小さく寝息を立てていた。
「……よかった」
その瞬間、クラリスの肩がかすかに震えた。
「う……うわ……ああぁ……」
女は子供が起きないよう、必死に嗚咽をこらえていた。
「へえ、やるじゃないか」
バルバラがクラリスの背中を叩きながら言う。
「やっぱり、聖女様みたいだ」
その言葉は周囲の喧騒にかき消され聞こえなかったのか、クラリスは振り返ることなく、安らかな赤子の顔に目を細めていた。
やがて、女が静かに口を開いた。
「……あんた、ありがとう。……けど」
女は、クラリスの姿をじっと見ると続けた。
「本当に加護師なの? 加護師の証も出さなければ、身なりもそれらしくない。……あんた、何者?」
クラリスは答えに詰まった。
自分は、いったい何者なのだろう。
王太子妃という肩書きは、数日前に失った。
──では、今の私は……
「私は……ただ、人を癒したいだけです」
女はしばらく黙ってから、ぽつりと漏らすように言った。
「……ごめんね。余計な事を聞いちゃった、かな。とにかく、ありがとう」
その言葉にクラリスが顔を上げると、女はクラリスに頭を下げていた。
馬車に戻ると、セラヴィアが荷車の脇で腕を組んで立っていた。
何か言われるかと思い、小さくお辞儀をすると、そのまま顔を合わせないようにクラリスは馬車に乗り込む。
「……加護、ちゃんと使えるじゃない」
クラリスの背中に、小さくつぶやいたセラヴィアのその目は、わずかに笑っているようだった。




