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第60話 欺瞞の崩壊とミランダの確信

 その頃――軍港イーストフォークに到着した諜報騎士団の部下、『あ』ことミランダとその一行は、港町の様子を目にした瞬間、揃って言葉を失った。 明るすぎる。 かつてレキシントン提督が統治していた頃のイーストフォークは、もっと重苦しい空気に満ちていたはずだ。海軍による威圧的な検問。市民を睨みつける軍人たち。港に停泊する艦艇群が放つ、無言の圧力。


 ――それが、ない。 露店の呼び声が響き、荷を運ぶ港湾労働者の足取りは軽い。人々は立ち止まり、笑い、無駄話すらしている。 (……解放された街、という顔だ) 海軍は艦艇と人員の大量消失により、物理的に手が回っていないのだろう。加えて、レキシントンの後任として臨時に指揮を執っているガンビア大将が、穏健な再建派であることも、この空気を後押ししていた。秩序はあるが、恐怖はない。統治の失敗と、皮肉な平穏。


 ミランダは小さく息を吐くと、同僚たちに目配せをし、そのまま諜報騎士団イーストフォーク支部へと足を向けた。目的は一つ。――アズマ一行の動向確認。


***


 支部長との面会は、あまりにもあっさりと始まった。


「イノカワ団長より特命で参上しました、コードネーム『あ』です」


「おお、これはこれは。ようこそイーストフォークへ」


 支部長は柔らかく微笑み、まるで地方視察の客人でも迎えるかのような態度だった。


(……軽い) 胸の奥で、違和感が小さく鳴る。


「こちらからの報告は、すでに本部へお送りしておりますが……何か問題でも?」


「問題? 大ありです!」 ミランダは一切遠慮しなかった。


「レキシントン艦隊失踪事件。現在の調査状況を説明してください」


「不明点が多く、支部の諜報員を総動員して調査中です。お察しの通り……海軍も非協力的でしてな」


 言葉は丁寧だが、焦りがない。失態を恐れていない者の態度だ。


「報告書、拝見しました。人魚族の反王国組織が首謀者――とありますね」


「ええ」


「ですが人魚族は長年行方不明、事実上絶滅したとされていた存在です。矛盾していませんか?」


 一瞬だけ、支部長の視線が泳いだ。だが、それはすぐに“説明する者の顔”へと戻る。


「実は……レキシントン閣下が、人魚族を強制収容していたようでしてな。保護という名の支配です。その恨みが――」


「……そんな重大情報を、なぜ今まで把握していなかったのです?」


「調査の過程で浮上した新情報です」


 都合が良すぎる。ミランダは畳みかける。


「もう一つ。本部指定の重要監視対象――冒険者アズマとダークエルフについては?」


「ああ、あの一行ですか」 支部長は、まるで興味のない話題のように肩をすくめた。


「観光地を十分に楽しんだ後、隣国ブルーランドへ出国したようですぞ」


「……なんですって?」 思わず声が跳ねる。


「今回の海軍重大事件と、無関係だと?」


「ええ。報告書にもその旨を書いたはずですが?」


「潜入捜査官『わ』――ノワールからの直接連絡は?」


 支部長は溜息混じりにデスクの引き出しを開け、数枚の魔法写真を並べた。そこに映っていたのは、観光地で無邪気にピースサインをするアズマ少年。寄り添うイリスと仲間たち。あまりにも、平和すぎる光景。


「『わ』からの報告と一緒に送られてきました。これ以上、何を報告できましょう?」


 ミランダの背中を、冷たい汗が伝った。 (……出来すぎている) 写真が偽物とは思わない。だが――真実の切り取り方が歪んでいる。 (この支部長……おかしい)


***


 その後、ミランダと『か』から『こ』までの諜報員たちは、支部内の作戦会議室に籠り、即座に独自調査を開始した。


「支部長。今ある情報、すべて提出してください。即時精査します」


「それから『わ』に連絡を。こちらへ出頭するよう魔導通信を」


「了解しました。しかし……彼女の通信機は圏外でしょうな。定期便の手紙から辿るしか――」


「それでは遅い!」 机を叩きかけ、ミランダは歯を噛み締めた。


「ブルーランド潜入中の諜報員を即時稼働させてください!」


「それはイノカワ団長の裁可が必要では?」


「……っ」 


 引き下がった。だが、その瞬間――疑惑は、確信へと変わった。 (この支部長は……操られている) 洗脳魔法か、強制催眠魔法か。どちらにせよ、内部侵食は成立している。 (――それでも、信じたかった。だが) ミランダは即座に『か』たちを呼び戻し、数名で支部長を取り囲む。


「支部長・・あなたを二重スパイとして拘束します」


「なっ……『あ』くん? 何をする!」


「あなたは何者かに操られている。解呪専門魔導師を手配しました。それまで地下牢へ」


「馬鹿な! 私は正常だ! 権限逸脱だぞ!訴えてやるからな!」


「ご自由になさって下さい」


 そう言い切った瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。これは命令ではない。判断だ。そして――判断を下した責任は、すべて自分に返ってくる。 (間違っていたらどうなる?) 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。だが、ミランダはそれを切り捨てた。疑うことをやめた諜報員は、ただの駒だ。その思考は、冷え切っていた。


***


 解呪の結果、支部長は「何も思い出せない」状態に陥った。事件の核心には、もはや触れられない。支部長の瞳からは、かつてあったはずの鋭さが消えていた。


「……私は、何を……?」


 問いは、誰にも届かなかった。忠誠も、恐怖も、記憶も――きれいに削ぎ落とされた抜け殻。


 ミランダは拳を握りしめる。真実に近づいたはずなのに、手応えがない。正解を選んだはずなのに、何も残らない。 (これが……敵のやり方か) だが――


「『あ』よ……これは不味いな」 同僚の『か』が、険しい表情で言う。


「支部長を篭絡したのがアズマとダークエルフなら……」


「我が騎士団の大失態ですね」 ミランダは即答した。迷いは、もうない。


「とにかく追跡だ。『わ』が機能していない以上、直接会って命令するしかない」


「ブルーランドは?」


「ブラフだ。人魚諸島が本命」


 冷静で、冷酷な判断。感情を排したつもりだったが、胸の奥には確かな熱が残っている。


「海軍に潜入のための船を要請する。潜り込めば接触できる。――アズマは、そこで終わらせる」


 ミランダは窓の外――穏やかな港町を一瞥した。この平和が、誰の犠牲で成り立っているのか。誰が、どこで、嘘をついたのか。 (……見つけ出す) それは任務ではなく、誓いだった。その時、確かに王国によるアズマ一行への追及が始まった。


 その一方で……いまだ僕らはこの不穏な影が迫っていることを知る由もないのだった。

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