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桜狼伝  作者: 水鳥川 陸
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【2日目―夢】


「真っ赤な、桜?」

すぐ近くからあの少女の声がする。

昨日の夢より幾年成長したのか、大人びた声だった。

そして視界が回る。

目の前に立つのは、彼女の父親だ。

「ああ、地頭様が近頃懇意にされている祈祷師が、奥方様の病に効くと、そうおっしゃったそうだ」

彼女も庭師である父に学び、相当の草花の知識を持っている。

真っ赤な桜など見たことがない。

「もちろんそう申し上げた。・・・だがな、これは命令なんだ」

地頭様からの命令は、果たせなければ死があるのみだ。

震える声で、少女が尋ねる。

「刻限は・・・?」

「次の桜の時期まで」

あと半年もない、あまりに短すぎる。


少女は必死で父親に言いつのった。

「噂を聞きました。村の皆が言ってます。祈祷師は地頭様に取り入り、自分の意のままに政を操っていると。誰かがお諌めしなければ」

うた、と強い口調で父親が諫める。

これまで彼が娘にこのように声を荒げたことは一度も無かった。

「そんなことは二度と口にするな。誰にも聞かれるな。俺はこのまま旅に出て、赤い桜について調べてくる。春を迎えるまでには必ず帰る」

だからお前は、これかも一人で生きていく覚悟をしておくように。

そう言って旅立つ父を見送り、その夜から少女はお百度参りをはじめた。


お百度参りとは、神社への願掛けである。

一つの願いをただひたすら神に参拝し祈る。

雨の日も風の日も、一晩も欠かすことなく百日間。

そして併せて、彼女は野菜汁のほか一切を断った。

頬はこけ、きらきらと輝いていた瞳は暗く光を失っていた。

水瓶の水に映ったうたの顔に、昔の面影は少しも残されていなかった。

これまでの父娘の実直な生き方を知る村人たちは皆、大層心配した。

しかし、支配者である地頭の機嫌を損ねることを恐れ、誰も何もできなかった。


そんな日が続いたある夜-。

参拝の印として自分で編んだ組紐を供えたうたは、背後で微かに鳴った玉砂利の音に息を呑んだ。

誰だろうか?

「うた」

小さく密やかにかけられた声に、瞬時に理解した。

振り向いて駆け出したくなる自分を必死に抑える。

父が地頭様の命を受けて以来、ずっと会えなくて、会いたかった人。

会ってはいけなかった人。

「宗次郎様。こんな夜更けに出歩かれてはお体に触ります。どうぞお早くお戻りを」

それでも背後の人物は近づいてくるようだった。

こらえきれずに声を張り上げる。

「来ないでください」

漸く足音が止まった。

自分の声は震えていないだろうか。

この人に心配をかけないように、ちゃんと声を出せているだろうか。

歯を食いしばり、自分を励まし、言葉をつなぐ。

「お百度参りは誰にも見られてはならないと聞いております。私は振り返りません。あなたは今夜ここには来なかった。どうかそのまま戻られて、そして私のことはお忘れください。・・・お体にお気をつけて」


だがしかし、一瞬の静寂の後、足音は再び近づき、そして震える少女の体にふわりと何かがかけられた。振り返らずに、肩口に見えた布地の模様。

ああこれは、宗次郎様がよくお召しになっていた羽織だ。

そう思った瞬間、羽織ごと、後ろからそっと抱きしめられた。

そして一言のささやき。

「守れなくてすまない」


足音が消え去った後、うたはその場に崩れこんで泣いた。

羽織に残る温もりが辛かった。

いつから自分は、こんなにも宗次郎様をお慕いしていたのだろう。

この気持ちは、父が殺された時、憎しみに変わってしまうのだろうか。

その答えが分かる時が刻一刻と近づいてくるのが、恐ろしかった。


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