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村長である本田幸三の家は予想以上に広かった。
全部で10部屋。
何でも、有事の際に人々が集まれるようにとのことで、集会室のような広間まである。
大学時代からワンルーム暮らしの南には、気後れするほどの広さだ。
「南さんの部屋はこちらで。好きに使ってください」
そうして案内された部屋は、8畳の和室だった。
小さい机もあり、気を使ってくれているのが分かる。
「ありがとうございます。5日間、お世話になります」
本田幸三は、穏やかな人であった。
村長としてはまだ若く、50代後半ということだ。
「親父の後を継がされただけですから、威厳も何もありゃしませんで」
そう笑う横で、妻の佳代子も朗らかに笑っていた。
「御馳走は出せんけど、量はなんぼでもあるから、好きなだけ食べて、うんと太って帰ってちょうだいね」
南くん、細すぎだから食べさせがいあるわ、と何だか嬉しそうだ。
「飯食いに来た訳じゃないだろうが。落ち着け。・・・すみませんね、若者が来て浮かれてるんですわ」
「ちょっと聞き捨てならないんですが・・・俺の存在はどこに?」
割って入ってきた結城に、本田氏はうんうんと頷き、手慣れた様子であしらう。
「もちろんそうだが、尚にはもう慣れてしまったわ。お前はもう息子みたいなもんだ」
「わ、嬉しい」
喜んではしゃぐ顔は、19歳にしては幼く見えた。
では何故先程は年上だと思ったのか。
だがその疑問は微かなもので、浮かんだ端から消えてしまった。
少ないながらも荷物を整理している最中、先ほどスルーしたスマホを思い出した。
電波は今も、少ないながら何とかつながっている。
時計を見れば昼を回ったところ。今頃は昼休みに入っているだろう。
春奈、と表示された画面で発信を押しかけて、その手を止めた。
そしてしばらく迷った挙句、メールにする。
-今取材で田舎に来ていて電波が悪い。4日後帰る。帰ったら、きちんと話そう―
何度か見直して、結局そのまま送信した。
たったそれだけの動作に、気疲れしてため息が漏れる。
「・・・もしかして、彼女さん?」
驚いてスマホを取り落としてしまった。
いつの間にか、結城が開け放した襖から顔を覗かせていた。
「ごめんなさい。驚かせちゃいましたね。・・・いや、随分真剣な顔だったから」
「あ、いや、いいんだけど」
そんなに真剣な顔をしていたのだろうか、自分は。
そこまで考えてもいなかったのに?
「・・・何ていうか、彼女っていうには今は正直微妙で。俺、何かこう、何につけ本気になれなくてさ、愛想尽かされちゃったみたい」
話しながら、なぜ自分が初対面の結城にこんな話を打ち明けているのかと、奇妙な感覚を覚える。
と同時に恥ずかしくなり、結城にも水を向けてみる。
「そういう結城君にはいないの、彼女?」
問われた結城は片方の眉を上げて少し考え込む様子を見せた後、ひらひらと手をふった。
「彼女がいたら、こんなとこでこんなことしてませんて」
ごもっともな話である。頷いてみせると、小さく笑った。
「でも好きな人はいるんですよね、ずっと」
「片思い、的な?」
「・・・そうですねぇ。でも、それで充分なんです。俺はね」
佳代子お手製の昼食を頂いた後、午後からは早速村内に取材に出ることにした。
「南さんが来る前に、ちょいちょい村の者にも聞いてみたんだけど、あんまりためになる話は無くってね。ただ、それからも考えてみてくれてるはずだから、挨拶がてら行ってみな」幸三はそう言うと何件か、特に高齢の村人が多い地区を教えてくれた。
丁寧にお礼を言って車に乗り込む。と、断りもなく結城が助手席に入り込んできた。
「え、どうした?」
「俺、助手に立候補します。だって面白そうだもん」
「南さんは仕事で来てんだからな。邪魔すんじゃないぞ、尚」
「了解で~す」
道すがら、自然と話は桜狼伝説についてとなる。
桜狼-サクロウと呼ばれていた、狼。現れる時期は決まって桜の咲く頃。
ただし出没する感覚は、よく分かっておらず、数十年とも数百年とも言われている。
その都度、この村には多くの被害が出たそうだ。
桜狼が現れる前、決まって村には嵐のような強風が吹き、人々は家の中で息を潜めてことが過ぎるのを待つ。怖いもの見たさで戸の隙間から外を除いた者は、銀色の毛並みの狼が荒れ狂ったように走り去るのを目撃したという。
そして村に静けさが戻った後、家々から出てきた村人が見たのは、一面に雪のように舞い散った桜の花びらであった。
「と、まあ、それが昔の新聞記事にあった内容なんだけど」
南が印刷してきたマイクロフイルムの記事を眺めていた結城は、感嘆の声をあげた。
「すごいなぁ。俺、ここに来て2年位経ちますけど、こんな話全然聞いたことないです」
そうだろうと思う。南も新聞社でこの記事を見つけて以来、地方紙や郷土史等あれこれ調べてみたが、それらしい資料は見つけられなかった。
村人ですら、きっとよく知らない話。それは結局つまり作り話なのかもしれない。
昔の記者にもなかなか遊び心がある奴がいたんだなぁ。南の取材内容を聞いた先輩は、笑ってそう言った。怪談話のひとつだとしてもいい。嘘なら嘘で、やるなら本気で調べてこいよ、と。自分を送り出してくれた。
「何かすごくいい先輩じゃないですか」
「そうなんだよ。だから俺も何とか形にしたい」
それが自分のためなのか先輩のためなのかは分からないけれど。
「・・・なら、調べましょうよ。徹底的に、真実を」
結城が面白そうに笑った。
結果的には結城が一緒に来てくれたのは大正解だった。この村ではほとんど全ての家の者が彼を見知っており、しかも知っているだけではなく息子や孫のような親密ぶりであった。南自身、初対面の人から悪印象を受けにくいタイプの人間だという自負が密かにあったものの、自分一人ではこう上手く皆が早々に打ち解けてくれたとは思えない。
だが、それをもってしても成果は得られなかった。
「本当に何もわかりませんでしたねぇ」
本田邸に戻る車の前方、オレンジ色の夕陽に目を細めながら、結城がため息交じりに呟いた。
桜狼の話を知る者は確かにいた。しかしいずれも、昔話の一つのような感じで、南が既に知りえた情報の域を出ないものばかり。むしろ、情報はないのに、方々で出された茶菓子で満腹状態になってしまった。
「結城君はいつもこんなでよく太らないね」
「その分動いてるんですよ。ここは皆、人使いが荒いんで、下手にぶらぶらそこらへん歩いてたら朝から晩まで畑仕事手伝わされて大変なんです」
そう言って笑った結城は、車の窓を開けた。前方に子供たちの集団が見える。先ほど遊んでいた子供たちの帰り道のようだ。スピードを落とし、彼らのそばで一旦車を停めると、早速子供たちが群がってきた。
今日は何してたの、という問いに、結城がもったいぶって答える。
「俺たちは現在、重要な事件を捜査中なんだよ。かっこいいだろ」
「・・・手がかりはゼロに近いけどね」
横から南がつけ加えると、子供の一人が、少し考えてこう言った。
「じゃあさ、図書館で調べなよ。あそこなら何でもわかるって、父ちゃんが言ってた」
「図書館があるの?」
聞けば学校の中に、地元の編纂資料等があるという。独立した図書館的なものは無いと聞いていたので驚いた。
「へぇ、そうなんだ。そっちに先に行っとけばよかったかな」
言って何気なく結城の顔を見やる。一瞬、沈黙したように見えた結城が、次の瞬間には申し訳なさそうにこちらを向いた。
「すみません、すっかり忘れてました。明日はそっちに行ってみましょう」




