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桜狼伝  作者: 水鳥川 陸
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【最終日】


南は、本田邸の布団で浅い眠りから覚めた。

家に戻った時には、既に空は白み始めていた。

あの瞬間、衝撃で意識を失った南が気づいた時。

桜の木からは全ての花びらが落ち、辺り一面に敷き詰められたように広がっていた。

結城の姿も、うたの姿も、もちろん狼の姿も見つからなかった。

しばらく待って、そして下山することにした。

しかし、帰り道がわからない。

途方に暮れかけた時、見上げた一本の木の枝に何かがついているのに気づいた。

よくみるとそれは和紙で作られたこよりで、登山口までの木々に等間隔で結ばれていた。

結城がやったものだろう。

でも、一緒に夜道を登る時には決してそんな動きはしていなかった。

そこではたと思い到る。

用事があると、日中姿を消していた結城。

彼は、1人残されるかもしれない南の心配までしていたのだろうか。

こよりを目印に、無事登山口の車まで戻ると、自然と涙が出てきた。

「よかったなぁ、宗次郎。・・・今度こそ、絶対に2人で幸せになれよ」


重い体を引きずるようにして布団から起き上がり、昨日から着続けて、そのまま寝てしまった服を着替える。

念のため、隣の結城の部屋を覗いてみたが、昨日と同じ状態で、部屋の主が帰った様子は無い。

本田夫妻は、突如消えた結城のことをどう思うだろう。

息子同然の彼が、幸せになったと分かれば喜んでくれるだろうか。

「でも言えないよなぁ」

ため息をついて、居間へと向かった。


「おはようございます」

「あら、おはよう南君。昨日遅かったんでしょう、大丈夫?」

いつもと変わらぬ佳代子の明るい声がした。

はい、と笑って見せるが、顔を上げづらく、何となく視線が下を向いてしまう。

茶碗を南の前に置きながら、佳代子はそんな南の様子に気づかず話し続けた。

「尚が無理させたんでしょう。毎日お仕事で疲れとるのに。ごめんなさいねぇ。・・・ほら、あんたもちゃんと謝りなさい、尚」

ぼんやりしながら手に取った箸が、滑り落ちた。

「あらあら、替えてあげるから。ほら、貸して」

佳代子の声が耳に入ってこない。

顔を上げた先、目の前に座っていたのは。

「おはようございます、南さん」

「結城、君。・・・なんで」

結城は苦笑いをして、声を潜めた。

「後でちゃんと話しますから。とりあえずご飯食べて。顔が死んでますよ」


「本当に、お世話になりました」

見送りに出てきてくれた本田夫妻に深々と頭を下げる。

朝食後、すっかり馴染んだ部屋を整理し、出発の準備を済ませたのだが。

結局その間も、結城は何も語らず、せっせと動き回る様をのんびりと眺めていた。

一刻も早く結城を問いただしたかった南だが、結局出発時間になってしまった。

「またいつでもおいで。今度は仕事じゃなく、休暇ででもさ」

幸三は優しくそう言ってくれた。

次の佳代子は泣いて言葉にならない位で、しっかりせいと幸三に宥められていた。

本当にいい人達だとしみじみと思う。

そしてその次の結城。

彼は、南と目が合うと、くるりと体を反転させて、南の横に立った。

「せっかくだから、も一度村を回って、ついでに村の入り口まで見送ってこようと思います。よろしいですか、南さん?」

「・・・ああ、頼むよ」


何度この車で結城と村を回ったろうか。

それももう、昨日で終わりだと思っていたのに。

「一つだけ、俺、最後まで南さんを騙してました」

開けた窓から流れ込む風に髪を揺らしながら、結城はすまなそうに言った。

「自分がうたと一緒に死ねない、いや、死なないこと、俺分かってたんです。そうしたのが、俺自身だから」

「・・・どういうこと?」

「お百度参りです。南さんは、うたのお百度参りの夢の話をしてましたが、それは現実の一部でしかないんです。・・・うたはお百度参りをやり遂げられなかった」


あの年の春は例年より随分早かった。予定を繰り上げて戻った父親は、娘の変貌に驚き、何としても彼女を止めようとした。

「父親はいわば植物の専門家ですからね、睡眠促進効果のある草葉を夕食に混ぜ、そして朝まで眠らせたのです。90日目の夜でした」

詳細に語る結城は、まるでその場を見ていたかのようだ。

そんな疑問が顔を出ていたのだろう。結城は小さく笑った。

「見てましたから、すべて。あの時お百度参りをやり遂げたのは、うたじゃなくて俺なんです」

うたのお百度参りは村中の話題になっていた。

それは屋敷に出入りする者を通じ宗次郎の耳にも入り彼もまたその日からお百度参りを始めたのだ。

うたに知られぬよう、毎夜境内の林に隠れ、彼女が来るのを待ち、その参拝を見届けてから、自分の願をかけた。

「南さんもご存じの通り、一度だけ我慢できなく声を掛けましたけど」

今なら完全にストーカーですよね、そう言って笑う。

うたが姿を見せなかった夜、不安になった宗次郎は彼女の家を訪ね、家の前で泣き崩れているうたの父を見つけた。

事の端末を語った父親は、自分のことは一片も願わず、ただひたすらに宗次郎に頭を下げた。

-娘を、何卒よろしくお願いいたします、宗次郎様-

父親の言葉を聞くまでもなく、宗次郎は彼女を守りたかった。

だからその後も一人、お百度参りを続けた。

「俺が願ったこと、わかりますか?・・・うたを守れる強さをくれと頼みました。そして奉納物として、自分自身を捧げたんです」

「自分、自身・・・?」

「そうです。そのためなら俺自身を鬼にでも化け物にでもくれてやる、そう願をかけたんです」


だから桜狼は生まれたのか。

神は宗次郎の願いを確かに聞き届けたのだ。

うたを守り続けるために、宗次郎自身を狼の姿に変えて。

「でも、それだけじゃ足りないのがわかったんです」

「・・・?」

「南さんも言ってた通り、昨年うたが目覚めなかった時、俺も確信しました。うたはもうすぐ、あの桜から解放されると。でも、そうしたら俺はもう彼女を守れない。それに、一度妖に堕ちたうたが本当に赦されるのかも分からなかった。だから」

彼女が目覚めるまでの間にもう一度、お百度参りをしました。

そう、結城は淡々と述べた。

「知っていますか?この国には狼を祀る神社が多いんです。俺は今や妖でしかありませんが、そこなら言葉も聞いてもらえるのではないかと」

その後を聞くのが怖い。だが、訊ねないわけにはいかなかった。

「そのお百度参りの願いと、奉納物は…?」

結城は、南をじっと見返すと、小さく笑った。

「願いは、うたがきちんと赦されて人間に還ること。そのために納めたものは・・・俺の幸せ全てです。だから、俺が人に還ることはもう決してない」


急ブレーキをかけて車を停めた。

「何やってんだよ、お前」

震える声で怒鳴りつける。

幸せになって欲しい、ただそれだけが、皆の願いだったのに。

「俺はもう、ただの化け物なんですよ」

あ、いや、と言った側から自ら否定する。

「ただの、ではないな。うたは俺に喰われる前に、ちゃんと人間としての自分の意識を取り戻していました。彼女は自分の力で桜の呪いに打ち勝った。だから、俺は、人に戻ったうたを殺した・・・人殺しの化け物なんですよ」

南の心臓が早く波打つ。

助けられなかった。

結城-宗次郎はうたを救ったが、自分は彼を救えなかった。

「いやだなぁ。・・・どうしてそんな悲しい顔をしてるんです」

そう言って笑った顔に、彼の後悔を示すものは微塵も無い。

「南さんには本当に感謝してるんですよ。あなたのおかげで、最後に、俺はちゃんとうたにさよならを言うことができましたから」

桜狼に興味を持った南は、うたの心に共鳴した。

あの運命の日からずっと、宗次郎は、うたの本来の姿を見ることができなかった。

想いが通じた南の力も借りて、きっとうたは最後に、自分の姿を取り戻すことができた。

結城はそう思っている。

「ほらほら、急がないと日が暮れちゃいますよ」


再び走り出した車の窓から、結城は時折身を乗り出した。

昨日の嵐の後片付けなのか、田畑には多くの村人が出てきていた。

そんな彼らが結城に気付くと、手伝ってくれとの声があちこちから聞こえた。

「後でねー!!」

明るく手を振って答える。

川辺の子供たちには遊ぼうと誘われ、そちらも笑顔で、後でね、と返す。


神社の側まで来た時に、先を歩く千香を先に見つけたのは結城だった。

「横でちょっと停めてください」

にこにこしながら結城が言う。

穏やかなのに逆らえない、そんな強さがあった。

車に気づいた千香が軽く頭を下げた。

「こんにちは、千香ちゃん。具合はもう大丈夫?」

「はい、元気です!こないだは結城さんに意地悪しちゃったけど、また遊びに来てくださいね。ー南さんも、今日帰るんでしょ?お元気で!」

うんうんと頷いてみせて、結城は行きましょうかと促す。

そして車が動き出した瞬間、結城が再度口を開いた。

微かな声。

恐らく千香には聞こえなかっただろう。

「こっちこそごめんね、千香ちゃん」

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