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桜狼伝  作者: 水鳥川 陸
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【4日目-弐】


「・・・さん。南さん。起きてください、南さん」

はっと目が覚めた。

結城が上から覗き込んでいる。

「全く。遠目に見たら完全な行き倒れですよ、こんなとこで倒れて」

腕を取って引き起こされて、辺りを見回せば、場所は変わらずあの地蔵尊の目の前だった。ただし既に薄暗く、その顔もよく確認できない。

「こんな嵐の中、風邪ひきたいんですか」

「・・・なんで聞かないんだよ」

「何がです?」

「いい年した男がぶっ倒れてこんなに泣いてるの、おかしいだろ」

結城は困ったように笑った。

そして、ふと思いついたようにポケットからティッシュを取り出し、南に手渡す。

「大体想像がついてますから」


春とはいえ、強風で体感温度はかなり低い。

震えながら車に戻り暖房の設定を最大にし、併せて佳代子が用意してくれたお茶をすする。少しぬるくなったものの、冷え切った体を温める分には十分だった。

そんな南の様子を、しばし無言で眺めていた助手席の結城が、タイミングを見計らったように口を開く。

「このまま家に戻った方がいいんじゃないですか。この天気じゃ星も出ないかもしれないし」

帰らない、と即答した。

「佳代子さんにも話してきて、いろいろ準備もしてもらったから」

そう言って南が指さした後部座席のリュックに、結城は目を細めて笑った。

「まるで小学生の遠足みたいですね」

しかし南は笑わない。

結城をまっすぐに見つめて、乞う。

「連れて行ってくれよ。君の大事な、うたのところに」

結城は小さく鼻を荒らすと、突然ずいと身を乗り出し、南に顔を近づけた。

吐息がかかるほど近く、視線が正面からぶつかる。

逸らしては駄目だ、と南の中の何かが警告する。

「知りすぎましたね、あなたも、千香ちゃんも」

密やかに告げる声は、いつもの結城の明るい声ではない。

「千香ちゃんを、どうした」

「忘れてもらっただけですよ。長く生きるとね、無駄に色々なことができるようになるんです。時間だけは、吐き気がするほどありますからね」

そもそもおかしいと思いませんでしたか、と。

各所で失われた資料。

それを不審だと思わない村人。

村人の記憶から消えていく伝承。

「全部・・・君がやったのか」

「忘れてほしいんですよ、全部。・・・あなたが来るまでは上手く行ってたんです。俺はあなたに怒っているんですよ。あなたがうたや吉嗣の記憶に何を感じたかは知りませんが」

そこで言葉を区切ると、すっと体を離した。

そしてにこりと笑う。

屈託のない、いつもの笑顔。

「だからね、俺に殺される覚悟ができているんなら連れて行ってあげます。・・・さて、どうしますか、南さん?」


裏山には登山口がある。その場所に車を停めた。

開けた空き地には電灯がひとつ備え付けられており、その明かりの真下で、佳代子が用意してくれた防寒着を着込む。

いらないといった結城にも無理やり着せる。

「俺は寒さには強いんですが・・・てかお母さんですか、南さん」

「うるさい。俺は佳代子さんに頼まれたんだ」

尚をよろしくね、と言っていた佳代子。

息子のようだと、言っていた幸三。

そんな二人の顔が浮かぶ。

今の南は過去の人々だけではない、あの二人の思いも背負っているのだから。

そんな南の決意を感じたのか。

軽くため息をつくと、結城は諦めたように歩き出した。

「ここからは30分くらい歩きます。俺の後にちゃんとついてきてください」

夜目が利くのだろう結城はずんずんと進んでいくが、厚い雲に覆われ月明かりも無い今宵、南の頼りは小さな懐中電灯一つ。

「なぁ。これ・・・もしはぐれたらどうなるかな?」

「俺に殺される前に、自然界の厳しさに殺されるんじゃないですか。言っておきますけど、熊だとか猪なんかもいますからね、ここ」

「・・・なるほど」


どのくらい歩いたろうか。

先を行く結城の背に、意を決して南は声をかけた。

「結城君は、あれからずっと、一人で生きてきたのか?」

「・・・」

返される答えも無く、半ば諦めかけた時。

「寝てました」

予想外の答えに、目が点になる。

「は?」

「暴走するうたを止めるためには、俺も全力で向かわないといけないんです。それでもいつも満身創痍です」

でも、と続ける。

「俺はうたのためだけに存在してるから、彼女が力を失って眠りについたら、俺も眠って傷を癒します」

そうして時を経て、うたの桜の憎しみが再び高まると、それに呼応するように、結城もまた目覚めるというのだ。

南は言葉を失った。

ただ彼女を暴れさせ、抑えるためだけにある結城の存在。

そんなことを、ずっと一人で繰り返してきたのか。

「南さんが落ち込むことじゃないですよ。楽しいことだってあるから。・・・目覚める度に、驚くほど時代は変わってるんです。俺の方が必ずうたより早く目覚めるので、この国をあちこち見て回りました。だから結構物知りなんです、俺」

そう語る結城の声は笑いを含んでいるようだった。

「そうやって、これからも一人で生きていくつもりか?」

「そうですね、もちろん。・・・去年、うたが目覚めなかったのは予想外でした。俺たちの目覚めの差がそれほど開くことはなかったんです。怖かった。うたが目覚めないなら、俺には生きていく意味がないから」

「そんなことない!どうしてわからない?うたも吉嗣さんも庄五郎さんも皆、あんなに君の幸せを願っているのに」

さっき見た白日夢。

初めに見たのは、きっと当時あの場にいた従者たちの記憶だ。

恐怖、怒り、侮蔑-宗次郎が気づいていた通りの心情がそこにあった。

そして、庄五郎。

彼の宗次郎への思いは、痛いほどまっすぐで温かかった。

「・・・ついに庄五郎まで出てきましたか」

結城の笑いは、苦笑へとかわった。

「庄五郎は・・・あの日屋敷に戻り、そのまま自害しました。俺が行方知れずだと知らされ責任を感じたんでしょう。あいつはそういう男です。そして俺は、それを見殺しにした」

傷だらけの姿で屋敷に戻った桜狼は、荒れ果てた庭に坐した庄五郎が自害せんとする瞬間を見た。

それでも、自分はここだと伝えることはできなかった。どうしても。

「庄五郎も吉さんも、全く馬鹿が付くほどお人好しです。・・・こんなに自己中な俺なんかのために」

「・・・結城君」

さらに自嘲的に笑った結城は、それにしても、と敢えて声の調子を変えた。

「不思議なんですよね。俺にはなぜ南さんが次々とそんな夢を見るのか分からない。しかも俺の記憶まで、勝手にですよ。・・・初めにあなたから夢の話を聞いたときの俺の衝撃が分かりますか?」

「それは・・・痛っ」

答えようとしたが、急に立ち止まった結城の背に、勢い余って顔をぶつけてしまった。

「ちょっと、結城君」

「着きましたよ。・・・ようこそ、俺の秘密の場所へ」


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