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【4日目―白日夢】
一人の少女が桜の木の下に立っている。
真白の着物は、彼女の顔を一層白く際立たせた。
窶れ果てたてた少女-うたの眼前には、刀を構えた屈強な男。
そしてそれを見渡すように、少し離れた広間の中で豪華な羽織袴の男。
男は忌々し気に桜の下のうたを睨みつけた。
「お前の父は赤い桜を咲かせることすら出来ず、己が血で桜を染めおった」
あれはあれで一興であったがの、と禍々しく笑う主に、従者たちは形ばかりの笑みを浮かべ諂った。
ひどい仕打ちだと思いながらも、不興を買えば、次の矛先は自分に向くかもしれぬ。
それが恐ろしく動けない。
可哀そうに、あの娘。
「その後のこの有り様はどうじゃ。嫡男の千一郎は落馬で死に、妻は回復することなく死んだ。残ったのは役に立たん半人前の宗次郎のみ。村は流行病に侵され、働き手が減り年貢は治められず、儂は所領を減らされててしもうた。あれ以来凶事ばかりじゃ」
誠に腹立たしい、と述べる館主の横で、灰の布地で顔と全身を覆った人物が、ひっそりと喋りだした。
「主殿のお怒りはごもっとも。私の見立てによりますれば、あの娘の血こそが穢れを払う薬となりましょう。親の失態を娘が償う。哀れなものですなぁ」
言葉と裏腹に、肩を揺らしてくつくつと笑っている。
吐き気がするような嫌悪感が、その場にいる従者たちの中に渦巻いている。
と、黙って俯いていたうたが、まっすぐに顔をあげた。
その場に凛とした声が響く。
決して許さない、と。
それを聞いても地主の表情は変わらない。
そして無造作に告げた。
「斬れ」
「今日は何やら風が生ぬるいな」
黒い髪を風になびかせて、宗次郎がふとつぶやいた。
たまには外に出てお体を鍛えましょう、と。
馬での遠駆けに宗次郎を連れ出したのは自分だ。
7つほど歳の離れた宗次郎は、従者である自分によく懐いてくれた。
思い上がりも甚だしいのだが、自分にはまるで弟のように思えた。
甘やかしすぎて、主からは常々叱責されてきたが。
それでも、宗次郎のためならいくらでも耐えることはできた-叱責だけならば。
「どうかしたか、庄五郎?」
宗次郎がこちらを振り返る。
ついつい言葉少なとなる自分を心配してくれているのだ。
「何でもありませんよ」
笑って応えたつもりだが、果たして自分はきちんと笑えているだろうか。
「・・・それならいいけど」
納得しきらない表情のまま、宗次郎は再び前を向いてしばらく馬を歩かせた。
が、ふと思いついたようにその歩みを止める。
「なあ、庄五郎。具合が悪いのではないか。俺のことよりお前の体が心配だよ。やっぱり今日はもう戻ろう」
「・・・」
駄目だ、まだ終わっていない。
主からは、夕刻まで戻るなと命じられたではないか。
でも本当にそれでいいのか。
迷いが、手綱を持つ自分の手を小刻みに震わせる。
「おい、大丈夫か?」
堪えきれずに馬から飛び降り、地に頭をつけ平伏する。
自分を信じて、案じてくれる宗次郎を裏切ることは、どうしても自分にはできない。
「申し訳ありません。申し訳ありません、宗次郎様。・・・私には御父上をお止めすることができませんでした」
「庄、五郎・・・?」
「早くお戻りください、うたが!!」
己の呼吸と、行く手の枝葉が折れる音だけが聞こえる。
どの道を通ったのか記憶にない。
ひたすら愛馬を急かし、屋敷へと急いだ。
「早く、早く。急げ・・・頼む!」
間に合わなければ、うたはどうなる。
父は自分をわざと遠ざけたのだ、庄五郎を脅して。
あの優しい兄がわりの男は、どんな思いで自分を誘い出したのか。
焦りと怒りと悲しみで全身が弾けそうだ。
落ち着け、こんなに興奮しては駄目なのに-。
ドクンと心臓が大きな音を立てた。
直後急激な痛みに呼吸が出来なくなる。
「かっ・・・はっ」
発作だ。
こんな時に。
手綱を握る力が抜け、落馬した。
落ちた背中の激痛と心の臓の苦しさで気を失いそうだ。
「うた・・・」
それでも、胸を抑えて立ち上がる。
幸い、どこか骨が折れた様子もない。
横で心配そうに自分を見下ろす愛馬の腹を震える手で撫で、宗次郎は自力で走り始めた。
苦しい、うたの所に、屋敷にたどり着く前に死ぬかも知れない。
何度もよろけて倒れた。
神は何をしている、なぜ願いを聞き届けてくれないのか。
「早くしてくれ!・・・早く!」
-本当に、いいのか-
薄れかけた意識の中、耳元で問われた気がした。
迷う必要が、どこにあるか。
「うたを守れるのなら、俺は鬼にでも何にでもなる」
-お前の願い、しかと聞き届けた-
気づくと、胸の痛みも背中の痛みも消えていた。
体が異常に軽く感じられる。
凄まじい速さで、周りの景色が行き過ぎていく。
いや違う、自分が駆け抜けているのだ、と気づく。
視線を落とせば、銀色の毛で覆われた獣の足。
己の喉が発する唸り声。
ああ、自分は人外の妖になったのか。
それで充分だ、うたを守れるならば。
辿り着いた屋敷は、自分が出掛ける前とは変わり果てていた。
巨大な桜の木の枝が、家中を突き破っていた。
不気味なほど静まり返った屋敷の一室で、刺し殺された父を見つけた。
隣には、首のない死体。
この灰色の着物は、あの祈祷師のものだろう。
側に無造作に折れて投げ出された刀は、父が従者に与えたものだ。
父は見限られたのだ、と何の感慨もなく思う。
不満の芽はずっと育っていたのだ。
いつからか彼らが父を見る目に潜められた恐怖と侮蔑。
宗次郎はそうした人の心の揺れに敏感だった。
それより安心したのは、これがうたの仕業ではないこと。
うたはまだ人殺しじゃない。
彼女を鬼にはさせない。
うたは、どこだ?
ドクンドクンと聞こえているのは誰の鼓動?私、それとも桜?
斬られた瞬間、桜の声が聞こえた。
辛い、哀しい、憎い、にくい。
自分たちだけではなかった。
罪のない多くの者がこの桜の木の下で血を流した。
感情に任せた地頭の数々の暴挙。
桜はその血を吸い、憎み続けていたのだ。
可哀想な桜。
その言葉に桜が笑う。
可哀想なのはあなたよ、と。
一緒に憎みましょう、全てを。
ああ、心が憎しみで満たされる。
でも、どこか遠くで叫んでいる。
違う、全てじゃない。
あの人を憎みたいんじゃない。
憎い、憎い、にくい・・・たすけて




