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【3日目―夢】
「あきらめないね、お前も」
語りかける声は、言葉の内容とは裏腹に優しさを含んでいた。
一方で書き物の手を止める様子もないことに、背後に立つ人物が苛立った声を上げた。
「あきらめないのはどちらです。俺は忠告しましたよ、吉さん」
吉さん、と呼ばれた人物-滝本吉嗣は、目を細め、放たれた部屋の向こう、境内の桜を見やった。
「今年の桜は見事だな。山の桜もそろそろ満開だろう。・・・支度は、もううできたのかい?」
「・・・何の話です?」
七之助の纏う空気が変わる。
これが殺気、というのだろうか。
そういうものには対峙したことがないから分からないが。
漸く筆を置いた吉嗣が、振り返って七之助に視線を向ける。
後の時代に結城尚と名乗る男の顔が、そこにあった。
「なあ、七之助。少し散歩でもしながら話そうか」
玉砂利が敷かれた境内は、二人が歩くたびにじゃらじゃらと音を立てる。
石段の近くまで来ると、七之助は挑発的に笑った。
「この一番上から落ちたら、流石に助かりませんよ。吉さん・・・くれぐれも背後には気をつけて」
吉継はそれには答えず、七之助、と呼び掛けた。
「私の出した答えを聞いてくれるかな?」
七之助は、険しい顔で無言で吉嗣を見つめている。
「桜狼は、お前だ」
「・・・違う」
低く掠れた声で、短く反論する。
「だがお前は誰も殺していない。守ってくれたのだろう。むしろ、皆を」
「違う」
「古い記録を調べれば分かることだ。風や倒木の被害は大きいが、死者はずっと出ていない。この時期の自然災害から身を守るように伝えられた童歌を、お前は利用したんだろう。真実を隠すために」
「違うって言ってるだろう!」
七之助が吉嗣に掴みかかり、自分の方を振り向かせる。
黒かったはずの七之助の髪そして瞳が、人のものではありえない銀色の光を放っていた。
その喉の奥からは獣のような唸り声が聞こえる。
それでもなお、吉嗣は穏やかであった。
「私が調べた限り、死人が出たのは一度のみ。室町の世、この地を束ねていた地頭と嫡男が死んだ。しかしそれは物の怪に恐怖を感じた家来たちの謀反と言われている。・・・そしてその物の怪は桜狼ではない」
殺気を漂わせていた七之助が、その言葉にびくりと身を震わせた。
「その時に暴れたのは桜の木のもとで斬殺された庭師の娘。深い恨みで桜に囚われ、妖となった娘の枝葉が村中をはい回り、田畑や家を押しつぶした。それでも地主の家以外に被害が出なかったのは、お前が娘を止めたからじゃないのか」
「・・・」
吉嗣の襟首を掴んだまま、七之助は驚きで言葉を失っていた。
「庭師の娘-うたは、お百度参りを行っていた。その際に奉納された組紐に拙い字で名が書き残されていたよ。きっと自分の名前を教わって必死に書いたんだろうね。お前は知らないだろうが、うちの神社は村人からの奉納物は全て残してあるし、当主は代々その供養を続けているんだ。だから私は、うたという娘のことは、ずっと前から知っていた。・・・私が調べた桜の妖の記録。弑逆されたはずの地頭家で唯一行方知れずとされた次男。それから長い年月を経て、人ならざる気配を持ち突然現れた七之助。しかもお前は桜狼を調べる私を警戒している。全てをあわせて考えて、私が辿り着いた答えはひとつだ。七之助・・・お前は、地頭家次男の宗次郎だね?」
「・・・!!」
愕然としたその表情が、すべてを物語っていた。
吉嗣は、静かに笑みを浮かべた。
「長い間、一人でよく頑張って来たな・・・宗次郎」
そして自分にしがみつく七之助をそっと遠ざける。
動揺し項垂れた相手は、まだ自分の意図に気づいていない。
音を立てないように後ろにそっと一歩下がる。
その先に石段があるのは分かっていた。
「お前を救ってやりたいと思ったが、あいにく私にはそこまでの才がない」
また一歩。
動きに気付いた七之助が眉を顰める。
「・・・吉さん?」
「私は知りすぎた。お前は娘を守るため、知りすぎたものを生かしてはおけないのだろう。あの忠告は、お前の優しさだ。そしてその優しさがお前を苦しめている。・・・私はお前を人殺しはさせないよ」
そう言うと同時に、一番上の石段を敢えて踏み外した。
吉嗣の視界に最期に映ったのは、必死に手を伸ばす宗次郎の顔。
そして、青く澄んだ空-。




