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桜狼伝  作者: 水鳥川 陸
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一人お堂に残った千香は、ほっと息をついた。

ずっと一人で胸に抱えていた重しが消え、正直安心した。

南はやはり信じられる人のような気がする。

お堂の明かりを消して外に出た。

風邪気味なのだし、今日は早く寝よう。

そんな事を考えながら一歩を踏み出した時。


「こんばんは、千香ちゃん」

耳元にかけられた静かな声に、一瞬で全身が総毛立つ。

開けた障子戸の横壁にもたれるようにして、結城が立っていた。

思わず声を上げそうになった千香の目前で、結城は自分の口元に指を一本立てて見せる。

その姿は明らかに午前中に千香が南にした仕草の再現であった―見られていた。

優しげな瞳が鈍い光を浴びて、千香を見つめている。

「あ・・・の」

声がうまく出ない。

何かされたのだろうか、それとも自分の恐怖心だろうか。

違う、待って、と自分の頭が警告する。

そもそもこの人はこんな銀色の髪の、銀色の瞳の人だった?

「俺の探し物は千香ちゃんが持ってたんだね。道理で見つからないはずだ、油断しちゃった」

密やかに笑うその声は、あくまでも穏やかで。

「た、助けてください」

絞り出した声は小さく掠れていて、結城はふぅとため息をつき、困ったように笑った。

「本当はこういうのやりたくないんだけど。知りすぎちゃったね、千香ちゃん」

そして、千香の視界は闇に閉ざされた。

最後に、ごめんね、という結城の声が聞こえた気がした。


急いで本田邸に帰り着くと、結城はまだ帰っていないという。

「まあ、その辺ふらついてるんだろ。珍しいことじゃないわ」

良かった、間に合った。ほっと胸をなでおろす。

「結城君は結構夜に出歩いたりしてるんですか?」

それを聞いた本田夫妻は、顔を見合わせて笑う。

「夜通し帰らないこともしょっちゅうさ。裏山から見る星が気に入ってるらしくってな」

真冬に一晩帰らなかったときは流石に行き倒れたんじゃないかと心配したけどな。

そう話す村長に、佳代子もくつくつと笑う。

「慣れちゃったわ、もう」

結局、待つ必要もないだろうとのことで、三人で夕飯を済ませた。

そして漸く記事を書くからと早々に部屋に下がった。


千香から預かった巻物を、恐る恐る机に載せる。

神社では全てに目を通す時間が無かったが、これは若くして亡くなったという神主-滝本吉嗣の桜狼についての手記だ。

記録といってもいいのかもしれない。

「・・・この人は、桜狼と接触してるんだ」


滝本吉嗣は、もともと桜狼について、個人的な興味を持ち独自に研究をしていた。

幼少期から五感に優れ、失せ物を見つけたり、天気の急変を予言したりと、神主としての将来を嘱望された人であったようだ。 

その彼が、ある年の春、村で行き倒れていた若者と出会った。

記憶を失っている、そう話す若者は、名前も思い出せないということで皆から便宜上、七之助と呼ばれた―名無しのナナで七之助。


七之助は人懐こい性格で、すぐに村に馴染んでいった。

特に吉嗣が気に入ったようで、よく神社に姿を見せるようになっていた。

だが吉嗣は、初めから七之助の持つ不思議な気配に気づいていたのだ。

人の気配ではない、だが禍々しいものでも決してない。

きつねか何かか、と思っていたそうだ。

悪さをするわけでなければ、わざわざ炙り出す必要もない。

吉継は、七之助と旧知の仲のように親しくなっていった。


状況が変わったのは、吉嗣が桜狼について調べているという話を、七之助が村人から聞いてから。

それからは七之助は毎日のようにやってきて、吉嗣を追求した。

一体何を、どこまで知っているのか。

根負けした吉継が、少しだけ調べたことを教えると、それを聞いた聞いた七之助は、いつもは見せない真顔で忠告した。

-これ以上は深入りしない方がいい。でないと吉さん、あんた桜狼に殺されるよ-


「南さん」

ぎくりとして読み進む手を止めた。

解読に集中し過ぎていた。

結城が廊下から呼びかけているのだ、と理解するまで少し時間がかかる。

「南さん?・・・開けても大丈夫?」

慌てて巻物を机の下に隠し、平静を装って言葉を返す。

「ああ、大丈夫だよ」

それを聞き、障子の戸がゆっくりと開けられる。

そこに立つのは、いつもと何も変わらない様子の結城だった。

「すみません、今日は結局俺だけ遊んじゃって。仕事、はかどりました?」

「あ・・・うん。ありがとう、心配してくれて」

それを聞いた結城がにこにこと笑う。そして微かにつぶやく。

「よかったですね、見つかって」

「え?」

聞き取れず、尋ね返したが、結城は答えずくるりと南に背を向けた。

「明日は最後の夜ですね。前に話した夜桜の綺麗な俺の秘密の場所。行きましょう、絶対に」



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