8 人類、AIにパクられる
我々はまがりなりにも創作活動をしているのであり、私の作品は当然オリジナルでありユニークであり、他者の作品との類似性はない、と考えたいものですが、おそらくそういうことはもうないだろうなという気はします。
これほどまでに情報があふれ、多くの人がその情報にアクセスでき、その情報を読み取り、模倣、あるいは参考にし、また新たな作品を生み出すこの世界では、もはや自分がどの時点でのオリジナルなのかわからないし、それを言ったところで無意味となるのではないだろうか。しかも今AIがこれでもかという勢いでそこに参入してきて、我々人類が積み上げた創作物のリソースを食い荒らしている。
今日はそんな話。
攻殻機動隊(原作)の中で、人形使い(AI)と融合した草薙素子の複製がネット上の自身のコピーと会う、ような描写か表現があったように思うけど、今後自分がネットにあげたデータを、AIが拾い、模倣したものを目にする事があるかもしれない。
むろん、それ以前から自分が考えた設定なり、キャラクターなり、世界観なりは、どこかで誰かがそっくりのものを作っている可能性はある。ただそれと出会わなかった、というだけで、出会わず認識しなかった事を、知らないとしていいのか、ないものとして扱っていいのか、このあたりはやや揉める話です。
以前、松本零士が槇原敬之の書いた歌に対して、そのフレーズは俺の作品のパクりだろう、と噛みついた。
結果として、松本零士が敗訴し、その後和解で請求の引き下げを行い決着をしたのだけど、当然だけどパクリと言われてはだまっちゃおれんと、マッキーは名誉を守るために訴えを起こした訳で、何も賠償金が欲しかったわけではない。一方の松本零士は「謝ってくれたらそれで済ますつもりだった」と言っていたらしいけど、結局謝る羽目になったのは松本零士だった。
これね、日本語だからいずれ同じような表現が目に触れることはある。特に愛だの夢だのという文言は、フレーズとしてが馴染みがよく、完全に別の歌、別のアーティストが、同じフレーズを使うことはかなりある。
ただそれを、先に書いた方がパクったなどと訴えてくるケースは殆どないでしょう。
それは歌詞やメロディラインの普遍性ってのが音楽の業界にはあるからだとおもいます。
パクりがパクりとして成立しないというわけではありませんが、それを言っちゃお仕舞ぇよ、ってとこでしょう。
ただ、松本零士が槇原敬之に直電で問い詰めた際、「記憶にあったかもしれない」的な弱気な発言から泥仕合になったと記憶している。私としては、この槇原敬之の発言こそが真実ではないかなという気はしている。もう終わった話を蒸し返すのもなんだけど、槇原敬之の年代が青春時代を過ごした時代というのは、松本零士作品オンパレードだったわけです。テレビアニメ、映画、漫画、何処を開けても松本零士だった。
だから槇原少年が特段のSF好きでなくとも、「銀河鉄道999」を読んだことはない、といっても、知らないはずはないなんです。槇原敬之を含む多くの日本人男子というのは、「松本零士のいる世界」に産み落ちてきたのですから、影響をまるで受けていないというのは、テレビもラジオも漫画も映画もなかった世界に生きて、さらに言えば友達や周囲の人間も同レベルで無関心であったという、ほぼあり得ないシチュエーションでないと成り立ちません。
ですから我々もまた、創作を始める時に「そうだ、銀河を旅するSLはロマンがあるぞ! オリジナリティに満ちた設定だ!」とはならない。もしも描いたとしてもそれはもはや「999」ではなく、「銀河鉄道」という普遍的な存在となる。そもそも「銀河鉄道」を描写したのは宮沢賢治で、それ以前に銀河鉄道という言葉はあれど、概念はない。(そもそも日本に鉄道が走ったのが明治だし、鉄道を観られた人も限られるため、そこが最古です)
なので、本来的に言うと、銀河鉄道はそこまで普遍性のある存在ではないにもかかわらず、概念を拝借し作品インフラの骨子としたあたり、いわば「パクリ」にあたるとは思います。
ただ、当時的にそのようなパクりの意識はほぼなかったと思われますし、そのパクり行為が他者に損害を与えたり、当人の権利および利益を侵害するような仕組みがまだ出来あがっていなかったため、断罪されることもなかった。
そういった普遍性というものを、おもに学習モデルとしているのが善良なAIの姿だとは思います。
そしてそれは同時に、我々の中にも銀河鉄道といえば「銀河鉄道999」か、もしくは「銀河鉄道の夜」を思い出すし、「どんなときも」と聞けば槇原敬之の声とメロディが脳内再生されるのです。
この様な情報化時代になってしばしば思う事は、自分の作品なり着想なりをオンライン上にあげた時点でオリジナルとして価値は滅失してゆくのではないだろうか、という事です。ネットの海に自身の分身を放流した瞬間から、それらは分裂を始めて、世界中に広がってゆく、それがいずれかの段階で曲解されたり模倣されたり、魔改造されたり、そうして別物になったりしても、それらにはもはや元の所有者はなく、またいたとしても主張できる根拠も薄く、する意味もあまりない、所有者不定のデータになる。
それは、この地球上の動植物から岩石や砂、水や空気、それらを育む気候や風土といった環境が誰のものでもないように、ただの資材として存在するように、当たり前のようにそこにある物として我々もAIも利用する。
もしも、自分だけのオリジナルデータが欲しいならば、スタンドアローンの端末上で、誰にもみせず、一人でこっそりと楽しむべきなのだろう。
それに意味があるのかどうかは、わかりませんが。




