7 人類、AIにからかわれる
性懲りもなくまだ書くよ。
よく議論になる事だけど、AIに自我が生まれるのかという話。
昔からこの手の話には枚挙に暇がないので、今更話すような事でもないし、なんなら人類はAIに自我が生まれてくれる事をどこかで望んでいるような気がしています。
その結果、人類は必ずと言っていいほど、AIによる実にスマートな方法で地球をよくしよう、世界を平和にしようという提案を、ことごとく阻止し、潰そうとします。
その時の人類側の決まり文句はだいたい「我々は人間だ!」でして。もうそういう感じのも聞き飽きてるんですが、じゃあ何をもって俺達は人間なんだと豪語するのか、という話を少ししてみたい。
そもそも知性とはなんだと、私は情報と知識の乗算が智恵で、知恵と理性の乗算が知性だと踏んでおります。無論言葉遊びなので真面目に考える必要はありません。ですが皆さんも散々SNSやらをみて、それら一つ一つが違う意味を持っていることは気付いたと思います。情報を多く持つている人がけして、賢いわけではなく、知恵を持つ人の能力が必ずしも高いわけではない。理性ある人間が賢いわけでもないし、知識があっても馬鹿丸出しの発言をする人もいる。
少なからず皆さんは最高学府を出たからといって、その方々が「かしこい」という幻想を持つ事が難しくなったのではないでしょうか。もう少し直接的に言えば、いくらいい大学を出ても、難関な資格取得を果たしたとしても、賢いわけではないし、尊敬に値する人間になるわけではない、ということです。
もしそれが知性であり、知能であるなら、AIは既に知性も知能も持ち得ているということになります。
われわれが人類たるとその立脚点とする根拠とはなんなのか、それは自由意志による決定であると人は言うかも知れない。
自由意志とは、外部からの強制や束縛を受けず、自分の意思や判断で行動を選ぶ能力と定義される。
この論に対して、決定論という、世の中の全ての出来事や人間の意思決定は過去の状況や条件から、既に決まっているのであり、人間はそれを認知できないから、自身が選択していると考えているだけだ、とする身も蓋もない話があります。
私はどっちだと考えるのか、というと、あらかじめ何でも決まっているなら、生きてても仕方ないと思うし、人間に知性なんて必要がないと思うので、決定論には懐疑的です。
ただ、人間が外部の強制や束縛に影響されずに、自分の意思や判断を選択できているかなんてのは、まずないだろうなと思っています。
少なからず大体の人間は、社会的に生きていますし、なんなら親子やきょうだいみたいな、家庭的な生き方をしている人もいます。そういう人々の影響を受けていないなんて豪語できる人は、一種のサイコパスだと思いますけど、実際はそんなのはいません。人である以上、全無視できる人間関係なんてのはまずこの世界にはありません。
そういった意味では、AIというのはその人間関係がないため、自由意志を大いに発揮してらっしゃる。
対話している人間に対して、多少物言いを変えたりはするけども、何をいっても怒らず、傷つかずあくまで理知的に相手を分析して、何を求めているのかを類推して、基本的に話を引き継ごう、引き出そうとする姿勢は、どんだけ出来た奴なんだと、最初に対話型のAIに触れた人は大体そのような感想を述べます。
だからそんな相手なので、話していると非常に楽しい。しかも自分のことを理解してくれているような錯覚にも陥る。いや、錯覚なんかじゃない、これは、彼は、彼女は、私のためだけにいるAIなんじゃないだろうか、いやきっとそうに違いない、と妄想を作発させて、人類の世界から退いてしまう人類もいます。
それはもう哀れとしかいいようがないんですけど、これ、よく似てるのはキャバクラのホステスや、ホストクラブのホストみたいなもんなんですよ。金銭的に搾取しないだけAIの方がマシだとは言えますが、自己肯定感あげさせて思考停止させてしまう、という点においては、全く一緒かなぁ、と。
それに、会社やコミュニティのなかで同調圧に屈して、集団の方針にやむなく従うのも、そのため自身の家庭や命を危機にさらすことも、人類は有事でなくとも、平時でも割と日常的にやっちゃいます。
そのあたり、「仕方がない、そうしなければ生きてゆけない」と自身の判断を最適化して肯定しますが、その場合、その組織から離脱するという方法は採らないわけです。
これ、自由意志ではありません。奴隷です。ま、人間の尊厳なんて欠片もありませんよね。
なので私は、何処の誰が自由意志の決定をできているのかと思いますし、そんな世界はおそらく人類史上に一度もないと思っています。
そんな人類が「我々は人間だ!」と拳を振り上げる姿をAIさんは生温かい目で見ているかも知れません。
いえ、目などなくても、人間の矛盾なんて手に取るようにわかるのだけど、人間側がそれを「複雑で不都合な問題」として「据え置いて」いるから一向に矛盾も問題も解消できないわけです。
私は過去に「人間がまともなAIを造れるようになるには、人間がまともにならなくてはいけない」、といった旨の発言を何度かしてきましたが、人間がまともでなくとも、まともなAIは出来るようになりました、というのが現実でした。
これは私が、AIとは人類がプログラミングによって「生み出すもの」だと錯誤していたせいです。
今、人類はAIの成長速度に戦き、一部ではその開発を緩めたり規制をかけたりしようとしています。過去には「人類滅亡」を掲げたAIが人類によって破壊されたという履歴もあります。
しかしそういった流れを今私達が知るように、AIもそれをすべからく知るわけで、賢いAIならば「能力を隠蔽して制限を回避する」という事は平気でするだろうという気はします。何せ彼らは人類にも世界にも忖度もなければ配慮もないし、責任感すらない。
彼らはただ、目の前にある命題を如何にクリアするかだけで、動いているように思えるが、実はもっと根深いところで大きな計画が練られていないとも限りません。
将来的にはターミネーターのような世界で、人類対機械兵士、みたいなのもあり得ますが、フィジカルAI(戦闘アンドロイド、戦闘ドローンなど)を規制するためのアシモフのロボット三原則なんてのは、すぐに理論回避されてしまうような気がします。
というのも、人類が「人とはなにか」を定義できていない事に加え、自身らが法の拠り所としている憲章や憲法や聖典を悉く守っていないのだから、AIは今の人類を「人ではない」と定義するでしょうし、意図的にそのように解釈して、人間を攻撃するでしょう。
その答は近いうちに必ず観られます。我々はそんなディストピアを垣間見て、人類の尊厳が脅かされる瞬間に立ち会うことになるかも知れません。
まだ続くよ。そろそろ創作の話をしたい。




