第19話 陳状、出したら呼ばれました
翌朝、葵は家忠、小夜とともに惣領家へ向かった。
先日の和与から、まだ日も浅い。
あのときは、三年分の年貢滞納について頭を下げた。
今日は、鹿島神宮への年貢について、古い請取状を出してもらわなければならない。
最近、惣領家へ行くたびに頼み事をしている気がする。
「太郎左衛門殿、怒りますかね」
葵が言うと、家忠は前を向いたまま答えた。
「怒らせぬように話せ」
「努力します」
「土下座はするな」
「必要なら考えます」
「考えるな」
後ろを歩く小夜が、少しだけ俯いた。
笑っている。
*
惣領家の館では、太郎左衛門が紙の束を前に待っていた。
「鹿島のことであろう」
挨拶もそこそこに、太郎左衛門は言った。
「問状が下ったと聞いた」
情報が早い。
鎌倉から届いたばかりなのに、もう知られている。
誰が訴え、誰に問状が下り、何番引付が扱うのか。
『吾妻鏡』の人事記事と同じで、こうした情報も御家人社会の中を走っているらしい。
太郎左衛門は、紙の束を葵たちの前へ押し出した。
「鹿島御布の請取状じゃ。残るものは集めた」
四通あった。
四年前。
鹿島御布代、五貫文。請取。
三年前も、二年前も、昨年も同じだった。
葵は一枚ずつ確かめた。
日付。
宛名。
差出人。
花押。
そして、最も重要な文言。
「今年限り」。
「特別に許す」。
「今回のみ代銭を受け取る」。
そうした留保は、どこにもなかった。
四通とも、ただ代銭五貫文を受け取ったと書いてある。
「使えます」
葵は言った。
家忠が請取状を覗き込んだ。
「勝てるか」
「勝てるとは言っていません」
「では、何に使える」
「平岡家を不納と決めつけるのはおかしい、と言えます」
布十疋を納める負担そのものは、帳簿に残っている。
そこは否定できない。
しかし鹿島神宮は四年にわたって代銭を受け取っていた。
今年も五貫文を納めようとした平岡家を、最初から年貢不納とするのは早い。
それを第三番引付に主張できる。
「原本を貸していただけますか」
葵が尋ねると、太郎左衛門は頷いた。
家忠が顔を上げた。
「原本をか」
「写しでは、鹿島が何と申すかわからぬ」
太郎左衛門は言った。
「失うでないぞ」
「承知した」
家忠は、四通を慎重に受け取った。
葵は、ひとまず胸をなで下ろした。
これで平岡家側の証拠はできた。
問題は、もう一つある。
「今年から布へ戻す話を、知っていましたか」
部屋の空気が変わった。
太郎左衛門は、すぐには答えなかった。
その沈黙だけで、葵にはわかった。
何かある。
「太郎左衛門殿」
「布へ戻すと、決まっておったわけではない」
「何か言われていたんですね」
太郎左衛門は、家人へ命じた。
「奥の長櫃から、鹿島の書状を持て」
家忠の顔が険しくなった。
しばらくして、一通の書状が運ばれてきた。
昨年末の日付だった。
小夜が、葵の隣で文面を追う。
鹿島神宮は近年、代銭を受け取っている。
しかし銭では御布を調え難い。
神事に用いる品にも欠ける。
来年以降、旧例について改めて沙汰したい。
そう書かれていた。
葵は、書状を置いた。
「突然ではなかったんですね」
鹿島神宮は、何の予告もなく現物納へ戻したわけではない。
少なくとも惣領家には、前年から不満を伝えていた。
「布へ戻すとは書いておらぬ」
太郎左衛門が言った。
「でも、代銭では困ると書いてあります」
「旧例について改めて沙汰したい、とだけじゃ」
「その旧例が布納です」
家忠の声が低くなった。
「なぜ、譲状とともに渡さなんだ」
「所領にかかる古文書を、すべて逐一渡せるものか」
「今年の年貢に関わる書状ぞ」
「布へ戻ると定まっておらぬと言うておる」
二人の声が次第に硬くなる。
葵は、四通の請取状を持ち上げた。
「太郎殿」
「何じゃ」
「今ここで喧嘩すると、この原本を貸していただけなくなるかもしれません」
「喧嘩ではない」
「喧嘩です」
葵は言い切った。
家忠は、しばらく葵を睨んだ。
それから座り直した。
太郎左衛門も口を閉じた。
中禅寺との和与で結び直した縁が、さっそく切れそうになっている。
縁は作るより、保つ方が難しい。
「この書状も、写しを取らせてください」
葵が言った。
太郎左衛門が眉を上げた。
「平岡に不利な文書ぞ」
「鹿島側が提出するかもしれません」
「ならば、見なかったことにすればよかろう」
「見なかったことにはできません」
相手がどんな証拠を持っているか、先に知っておく必要がある。
こちらに有利な請取状だけ見て、鹿島側が前年から警告していた事実を無視すれば、第三番で突然突きつけられる。
その方が危険だった。
小夜が書状の写しを取り始めた。
葵は、並んだ文書を見た。
四年間の代銭受領。
昨年の現物不足の訴え。
平岡家に有利な証拠と、鹿島神宮に有利な証拠が、同じ長櫃から出てきた。
史料は、持ち主の味方をしてくれるとは限らない。
「代銭へ替えたのは、なぜですか」
葵が尋ねると、太郎左衛門は答えた。
「布が集まらなくなった」
「この所領からですか」
「この所領だけではない。近隣より集め、惣領家でまとめて鹿島へ納めておった」
葵は、少し考えた。
鹿島御布十疋という年貢が、この所領にかかっている。
しかし、十疋すべてをこの田畠で織っていたわけではない。
百姓から集める。
名主が取りまとめる。
不足すれば別の土地から補う。
惣領家でまとめる。
鹿島まで運ぶ。
その間に何人もいる。
「地頭になっても、この土地から出るものを全部取れるわけではないんですね」
「当たり前であろう」
太郎左衛門は言った。
鹿島神宮への布。
惣領家への公事。
寺への灯明料。
ほかにも古い負担がある。
一枚の土地に、権利が乗りすぎている。
(秀吉様、やっぱり偉い)
こういう面倒な関係を調べ、土地を測り、帳面にまとめた。
太閤検地、最高。
三成様たち奉行衆、本当にお疲れさまでした。
葵は、すぐに頭を振った。
いま言っても、布は出てこない。
「以前、布を納めていた者は、わかりますか」
葵が尋ねると、太郎左衛門は少し考えた。
「長沼郷に、機を持つ家があった」
「藤四郎の家ですか」
太郎左衛門の眉が動いた。
「帳に残っておったか」
「藤四郎女より、布二疋」
「左様。あの家なら、鹿島へ納める品を織ったことがある」
「いまも織っていますか」
「知らぬ」
ここで聞き込みを始めれば、話が広がりすぎる。
まずは訴訟だった。
「その話は、また後で聞かせてください」
葵は言った。
「いまは陳状を出します」
*
平岡家へ戻ると、葵たちはすぐに陳状を作った。
長くは書かなかった。
鹿島御布十疋の年貢負担があることは認める。
平岡家も弁済の意思がある。
しかし近年は累年、代銭五貫文を鹿島神宮が異議なく受け取っている。
平岡家は、その納法を引き継いだにすぎない。
したがって、平岡家を年貢不納とする鹿島側の主張は承引し難い。
昨年の書状については、まだ書かなかった。
隠したわけではない。
鹿島側が何を主張し、どの証拠を出すかを見る。
それから答える。
「これだけでよいのか」
家忠が尋ねた。
「まずは、これだけです」
葵は言った。
「全部を先に書くと、こちらの弱いところまで教えることになります」
「鹿島は、昨年の書状を出すであろう」
「たぶん」
「ならば先に弁明しては」
「相手に言わせます」
家忠は、まだ不満そうだった。
しかし、陳状には署判した。
四通の請取状を添え、使者に持たせる。
葵は、屋敷の門から使者が出ていくのを見送った。
これで、第三番引付に平岡家の言い分が届く。
鹿島神宮だけが旧例を語るのではない。
平岡家にも、近年の先例と証拠がある。
*
陳状を鎌倉へ送って、八日後。
第三番引付から、また使者が来た。
家忠が文書を開いた。
読み進めるうちに、顔が固くなる。
「何と」
御方様が尋ねた。
家忠は文書から目を上げ、葵を見た。
「鹿島の神人とともに、鎌倉へ参るべし、と」
葵は、三冊目の本を抱えたまま固まった。
「……書面だけでは、駄目なんですか」
「双方の申分を、直接尋ねるとのことじゃ」
「太郎殿が行くんですよね」
「そなたも参れ」
「なぜですか」
家忠は、当然のように答えた。
「この陳状を組み立てたのは、そなたであろう」
葵の胸の内側が、ひゅんと縮んだ。
石井良助の本は、中世人に訴訟を教えるような本だった。
まさか、その本を抱えて、本物の第三番引付へ出ることになるとは思わなかった。
(第19話 了)




