宮崎・高千穂『天岩戸の迷子と、地鶏の炭火に舞う神話の軍師』
鹿児島の熱気を背に受け、二人がレンタカーで辿り着いたのは、宮崎県西臼杵郡。切り立った峡谷と神秘的な空気に包まれた神話の里、高千穂峡である。エメラルドグリーンに輝く川面と、名瀑「真名井の滝」が織りなす絶景。大自然の神々しさが、訪れる者を圧倒していた。
「……着いたぞ、亮! ここが天孫降臨の地、日向国や!」
湯達 直は、峡谷のマイナスイオンを胸いっぱいに吸い込み、営業エースらしい通る声で宣言した。彼の脳内では、日本書紀と戦国時代の島津・伊東氏の攻防が猛スピードで交差している。
「……見ろ、このV字谷の険しさ。古代の神々がこの地形をどうやって切り開いたのか、そして戦国武将たちがこの天然の要害をどうやって攻め落とそうとしたのか! 俺たちも今日は、神話のスケールで宮崎を食い尽くすぞ!」
直が意気揚々とボート乗り場の方へ振り返ると、相棒の安木 亮の姿がない。慌てて周囲を見渡すと、亮はボート乗り場とは完全に180度逆の方向、人っ子一人いない鬱蒼とした獣道へ向かって歩き出していた。その手には、いつも通りスマートフォンの地図アプリが握りしめられている。
「……あぁ、いとをかし……」
亮は、スマホの画面をタップしながら虚空に向かって呟いた。
「……直君、見てください。私の『おさんぽ・文学マップアプリ』が、この奥に『古事記』に登場する八百万の神々の集会所があると示しています。……おや、あの苔むした岩の隙間から、私を呼ぶ声が……」
ズルッ。亮の足が、獣道の脇にある雨水用の深い側溝の縁を捉え、見事にバランスを崩した。
「危なァァッ!!」
直が猛ダッシュで駆け寄り、亮の首根っこをガシッと掴んで強引に引き戻した。 「お前、神々をアプリで探しながらなんで『黄泉の国』へ直行しようとしとんねん! 側溝ドボン寸前やぞ! ボート乗り場は完全に真後ろや! マジで今日こそ、ホームセンターで犬用のGPS首輪買ってやるからな!!」
「……直君。……助かりました。……しかし、イザナギノミコトもまた、黄泉の国へと続く暗闇の坂道を……」
「お前はイザナギやない! ただの極度の方向音痴や! ええから俺の背中から1ミリも離れるな!」
直の徹底的なルート管理のもと、二人は天岩戸神社のさらに奥、八百万の神々が神議りを行ったとされる大洞窟、「天安河原」へと足を踏み入れた。無数の石が積まれた薄暗い洞窟内は、言葉を失うほどの静寂と神秘に包まれている。
「……亮、ここは神聖な場所や。勝手に変な方向に行くなよ。俺は少し、この空間のパワーを目に焼き付けてくる」
直が洞窟の全景を写真に収め、ふと振り返ると。
亮は、神社の関係者や地元の「夜神楽」保存会のおじいちゃんたち数人に、完全に囲まれていた。
「お兄ちゃん、ええ顔立ちしとるねぇ。こげん細くて、神様のお使いみたいじゃ。今年の夜神楽で、ちょっと舞ってみんかね?」
「ほら、これ持っていき内! 採れたての『日向夏』と『完熟マンゴー』じゃ!」
亮の腕の中には、高級な完熟マンゴーの箱と、大量の日向夏、そしてなぜか木彫りの「神楽のお面(天鈿女命:アメノウズメ)」が大事そうに抱えられていた。
「……かたじけない。……高千穂の神々が、私に豊穣の恵みと芸能の魂を授けてくださいました。……直君、見てください。このマンゴーの赤は、まさに天岩戸から覗く太陽の輝き……」
「……お前、洞窟に入って5分でなんで高級フルーツの詰め合わせと伝統工芸品もらってくんねん!!」
直は頭を抱えて天を仰いだ。この男の「愛され人たらし」スキルは、もはや神域に達している。ただボーッと立っているだけで、地元民が吸い寄せられ、貢物を置いていくのだ。
「……それは俺が責任持って宿まで運ぶ! そろそろ街に戻るぞ。今夜は、地鶏と焼酎が俺たちを待っとるんや!」
夜。高千穂の市街地にある、炭火の煙がモウモウと立ち込める活気ある居酒屋。
テーブルには、宮崎が全国に誇る最強の布陣が並んだ。炎を上げて焼き上げられた真っ黒な「地鶏の炭火焼き」、甘酢と濃厚なタルタルソースがたっぷりかかった「チキン南蛮」、そしてキンキンに冷えた郷土料理「冷や汁」。
「……亮、見ろ。これが太陽の国・宮崎のエネルギーや!」
直は、宮崎を代表する芋焼酎『黒霧島』のロックを注文。亮の前には、高千穂の地酒『千徳』のお猪口が置かれた。
乾杯!
カチャン!
亮が、お猪口に口をつけ、ほんの一舐めした瞬間。ポッ、と頬が染まるなんてものではない。顔面から耳、首筋に至るまで、一瞬にして見事な朱色に染まった。
「……直君。……このお酒。……高千穂の清らかな湧き水が、私の全身の細胞を浄化しています……」
亮はトロンとした目で、地鶏の炭火焼きを口に運んだ。そして、二口目のお酒をコクリと飲み込む。
「……あぁ、直君。……この地鶏の力強い弾力。……そして、炭火の黒さ。これはまさに、天照大御神が隠れた『天岩戸の暗闇』です……。……しかし、その横にあるチキン南蛮の、この純白のタルタルソース。……これぞ、世界を再び照らし出した太陽の光……。……あぁ、私の胃袋の中で今、壮大な岩戸開きが行われています……。いと、あはれ……」
「お前、二口目で完全に神話の語り部になっとるやないか! 胃袋の中で神事を執り行うな!」
直は完璧な営業スマイルをかなぐり捨て、豪快に笑いながら『黒霧島』のロックを一気に飲み干した。普段は理性と論理で生きている直だが、アルコールが入ると、彼の中の「情熱の蓋」が勢いよく吹き飛ぶ。
「……大将! 焼酎、次は『木挽BLUE』をピッチャーで持ってきてくれ! ……うまい! この芋の甘み、これぞ日向の国の生命力や!」
そして、直が三杯目のジョッキを空にした頃。ついに、理性のタガが完全に消滅し、神話のエネルギーが直に憑依した。
「……大将ォ!! このチキン南蛮、まさに『天孫降臨』の味がするわァ!!」
直が突然、神武天皇が東征に出発する前のような威厳と情熱に満ちた声で叫び始めた。
「……ええか亮! 瓊瓊杵尊はな、高天原からこの地に降り立ち、新しい世界を切り開いたんや! ……俺も今、既存の営業ルートを回ってる場合やない!! ゼロからイチを生み出す、圧倒的な新市場開拓が必要なんや!!」
その目は完全に「新天地を求める覇者」のそれになっている。周囲の客も「なんだこの熱量が高すぎるサラリーマン風の男は」とざわめき始めている。
「……俺はやるぞ! 100万円の資金を元手に、神話レベルのブレイクスルーを起こす人事コンサルと採用支援のビジネスを立ち上げる! 企業が抱える『岩戸(課題)』を、俺の戦略でこじ開けてみせる! 太陽の光を会社に差し込ませるんや! その時は亮! お前、俺の会社の初代・筆頭神官になれェ!!」
直が熱く、そして壮大なビジネスプラン(泥酔・神話混入版)を叫び続けている、その頃の亮は。
三口目のお酒を飲み干した亮は、丸メガネを少しずらし、アメノウズメの神楽面を撫でながら、八百万の神々もかくやという至福の微笑みを浮かべていた。
「……むにゃ……直君の……新しい会社には、……『古事記』の……初版を……置いて、くださいね……。……『あをによし…… 奈良の都は……』。……あぁ、いと、をかし……」
スウゥゥゥ……。
亮は、テーブルの上で、日向夏の爽やかな香りに包まれながらスヤスヤと平和な眠りについた。
「……って、なんで奈良の和歌詠んで寝とんねん!! ここ宮崎やぞ!! 俺の天孫降臨ピッチを聞けェ!!」
深夜。
すっかり酔い潰れて眠りこけた長身の亮(右腕には神楽面、左手には日向夏の入った袋をしっかり握りしめている)を、直が肩を貸して、フラフラと引きずるように歩いていた。
「……ったく、お前は神様に愛されすぎや。フルーツと面を持ったまま寝る奴がおるか」
直は、高千穂の冷涼な夜風に吹かれ、少しだけシラフに戻っていた。
見上げれば、都会では絶対に見られない、こぼれ落ちそうな満天の星空が広がっている。
「……むにゃ……直君。……あっちの……暗がりに、……天の岩戸が……」
寝ぼけた亮が、フラフラと道端の暗がり――またしても、水音が響く深い側溝の方へ吸い寄せられていく。
「アホ! そっちはドブや! 岩戸はこんな県道沿いにはないわ!!」
直は慌てて亮の首根っこを引っ張り、力強く安全な歩道へと引き戻す。
「……でもな、亮」
直は、寝息を立てる相棒の顔を見ながら、ふと小さく笑った。
「……お前みたいに、損得ゼロで神様やら古典やらに夢中になれる奴が隣におらんかったら、俺の『100万円で起業する』なんて夢も、ただの絵空事のままで終わってたかもしれんな。……お前のその果てしない『天然』が、俺のガチガチの『常識』に風穴を開けてくれるんや」
「……むにゃ……直君、……それは、……いと、をかし……な、岩戸開き……ですね……」
「……寝言で上手いこと言うな。ほら、ちゃんと歩け。マンゴー落とすなよ」
シラフの時は、完璧な常識人の営業マンと、絶望的迷子の司書。
酔った時は、神話憑依の熱血起業家と、3杯で幸せに眠るポエマー。
正反対の二人が織りなす凸凹な歩みは、高千穂の星空の下、完璧なバランスを保ちながら進んでいく。
神々の祝福を受けたその千鳥足は、まだまだ終わらない。
(シーズン2・第11話 宮崎・高千穂編 了)




