ヒヨコのスイッチ
マリアン・コレポルトは、生徒会長のヨシュアの妹で、アーケインと同じく公爵の爵位を持つ家柄の生徒である。さらに、学院にも多額の寄付金をしていることも相まって、他の生徒はもちろん、教員でさえも強く出る事が出来ない。マリアンのグループは、その爵位貴族で構成されていて、傲慢な振る舞いは学院の一部では有名だ。一方、ソニアは地主貴族で、平民よりかは身分があるが、爵位貴族とのは資産、権力は雲泥の差がある。ソニアに対するいじめは、あるきっかけから中等部になって始まった。そのいじめは、ノート作成、使いっ走り、暴力等だった。周りの生徒も、その行いに口出しする事はできず、だんだんとソニアから友達は離れていき、残ったのは初等部からの幼なじみのクララだけだった。
アナスタシアの初投稿から数日が経った。
「はい、これ」
ソニアが午後の講義に向かおうと廊下を歩いていたとき、今日もマリアンがノートを押し付けてくる。ソニアは何も言わずにノートを受け取ると、マリアンの怒声が返ってくる。
「なんとか言えよ!」
どうやら、マリアンは今日、機嫌が悪いみたいだ。
「……分かりました」
ソニアは足早でその場から離れる。
「ふんっ、クズが。勉強しか出来ないんだから、そのくらい自分で取りにこいよ」
背中に罵りを浴びながら歩くソニアの手は強く握りしめられていた。フードに入っているアナスタシアは、マリアンにあっかんべをした。でも、手は届かないので、つもりだ。
ソニアが教室に入り、空いている席に座ると、アナスタシアがフードから飛び出してくる。
「全くあいつめ、本っ当にタダじゃ済まないからな!」
アナスタシアは、ぷんすかと怒っている。しかし、ソニアはこの件については、何も言わなかった。アナスタシアもため息を一つつくと、話題を変える。
「そういえば、ご主人様よ、今日は題材が魔法史だそうじゃないか。とても面白そうじゃないか。僕も魔法を研究していた者として、どの様にこの現代に魔法が普及したのか興味があるよ」
エドマンド先生の今日の講義は「魔法史」だったため、アナスタシアはテンションが上がっている。
「ふふっ、そんな事いいながら、どうせすぐに寝るんでしょう。アナスタシア、エドマンド先生の講義、最後まで聞いたことないでしょう」
ソニアも何も嫌なことなんてなかったかのように、嫌味を言ってくる。
「痛いところをつくね。でも、今日は本当さ」
アナスタシアも、先ほどの怒りはどこ吹く風、机の上で威張るように胸を張っている。
学科の違うクララとは基本別になってしまうため、授業ではソニアはいつも1人だった。でも、アナスタシアがこの時代に来て5日目、授業前にアナスタシアと他愛もない会話をする事は、ソニアにとって今までにない楽しい時間だった。周りからしてみたら独り言なので、ソニアはとても小さな声で話す。エドマンド先生が教室に入ってくると、ソニアとアナスタシアはおしゃべりを辞め、たくさんのノートを開く。そんなソニアに驚くことが、まさかのエドマンド先生の講義で判明した。それは、「魔法史」の講義の初めに知らされた。
「現代魔法の祖、アナスタシア・ウィリンガム。彼女は、長年の魔法研究により、現代の四属性魔法だけでなく、重力、回復など多岐にわたる成果を残した。また、さらに彼女をすごたらしめるのは、今皆さんが魔術杖や魔法陣、詠唱など用いずとも、それら魔法を行使できたとされています。まさに思うがままに魔法を操ったのです。その力を称して、当時の人々は彼女のことをザ・スペルウィーバーと呼びました。まさに、千の魔法を紡いだのです。現代では、魔術の根幹を構築した者として、『恒久の四傑』の1人に数えられています」
アナスタシア・ウィリンガム?確かに、この世界の人なら、一度は聞いたことがある昔話だけど……。違う時代から来た……そして、自分のことを有名な魔法使いと呼んでいたよね。
ソニアは、アナスタシアをじっと見つめる。
いくら名のある魔法使いだったとしても、まさかあのアナスタシアじゃあないよね?
疑いながらも、ソニアは確認しようとする。
「アナスタシア?」
「……ん?な、何だい?」
どうやら、眠りかけていたみたいだ。
「今のエドマンド先生の話、もしかしてあなただったりするの?」
眠そうな目をシパシパさせながら(雰囲気)、アナスタシは講義の内容を板書を見て確認する。
「ほぉ、恒久の四傑か、現代ではこんなふうに呼ばれているんだね。ザ・スペルウィーバー、僕の時代ではそう呼ばれていたね。まあ、称賛と妬み半分の呼び名さ」
「うそぉ!」
ソニアは、机から立ち上がり思いがけず大声を出していまう。
「そこ、ソニアさん。私語は慎みなさい」
エドマンド先生は、ギロリとソニアを睨みつけ低い声で注意する。
「す、すいません!」
滅多に注意などされないソニアは、慌てて謝罪をする。しかし、ソニアの興味心は収まらず、アナスタシアに問いかける。
「私って、本当に時魔法を使えたんだ。信じられないけど」
「だから、ご主人様の部屋で見た時は驚いたよ。まさか、僕の研究を引き継いでかは知らないが、コーデクス、書にまとめる輩がいるとはね」
アナスタシアは、感心しながら腕を組む素振りをしている。
「でも、何より驚いた事は、ご主人様が時魔法を使えたことさ。だから、僕は本当にご主人様を尊敬しているんだよ」
アナスタシアは素直にソニアのことを称賛する。
「ふふっ、ありがとう。アナスタシアだけが、私の魔術を褒めてくれるのね」
「褒めてはいないさ、ただ事実は事実と認識して、自分に劣等感を抱く必要はないと分かってくれればいいのさ」
アナスタシアなりの、励ましなのだろうか、ソニアはとてもその言葉を嬉しく感じた。
「優しいね、アナスタシアは」
ソニアは、笑みを浮かべる。
「でもさ、結局、私が使った「現在と過去を繋ぐ魔術」って何だったんだろう?私はてっきり過去の時間に戻れる魔術だと勝手に思っていたけど」
「うーむ、僕の理に叶う考えは、多次元空間を作り出したのではないかということさ。何処かで聞いたことがあるとは思うが、人間世界は縦、横、高さの3次元世界だろう。そこにソニアの使用した時魔法『サークルエンド』は、そこに『時間』というベクトルを追加したのさ。時間が移動可能になるということは、つまり、人がただの器のような役割になり、人間の精神は身体から自由に動き回れるということさ。まぁ、あくまで仮定なのだがね、でも結構いい線行っていると思うんだ」
アナスタシアは、出来るだけ分かりやすく説明してくれようとしているが、ソニアは頭から煙が出ている。
「何で、時間が移動できると、精神は自由になるのさー。うぅ〜、何だか頭が痛くなるー!」
アナスタシアは、ふんっと笑い息を吐くと、今の自分の状況を楽観視する。
「まぁ、せっかく時を越えたんだ、僕は学院生活や時魔法の研究にでも精を出すとしようかね」
「アナスタシアは、前向きだねぇ。今って言うの?昔の自分が心配にならないの?アナスタシア本体には、魂が入っていないようなものなのでしょう?」
「もう、何百年も生きたからね。あまり未練はないよ」
ソニアはアナスタシアの言葉にぎょっとする。
「えっ!何百年もって、アナスタシア、あなた何歳なの?人間なの?」
「ご主人様は、酷いね。僕は354歳だよ。もちろん、人間だ。今はこんなヒヨコだけど」
何もかもが規格外のアナスタシアのことは、ソニアにとってとても可笑しいものだった。魔術が下手で不甲斐ない自分、マリアン達に虐められて上手くいかない学院生活、全て忘れさせてくれる楽しい話だった。しかし、そんな楽しい話を急に断ち切って、アナスタシアがソニアに諭し出す。
「おい、ご主人様!やばいぞ!」
「え、何?」
「多分だけど、ご主人様、怒られるぞ」
ソニアは、はっとして横を向くと、そこには怒りの表情に満ちたエドマンド先生が立っている。ソニアの顔から、血の気が引いていくのが分かる。アナスタシアは心の中で、信じもしていない神に祈りを捧げた。
「ソニアさん!!」
エドマンド先生は、ソニアの頭目掛けて講義に使用している歴史書を振り下ろす。
「あいたぁ!」
ソニアの頭に、小さなタンコブが出来た。
講義の後、教室に一人残ったソニアは脂汗をかいている。
どうしよう、アナスタシアとお話ししていたら、完璧にノートを取り忘れるちゃった。マリアン達になんて言おう。とにかく謝らないと!
ソニアは、ヒヨコのぬいぐるみを取り上げ、両手で握りしめる。そして、マリアン達のグループがよく集まっている校舎裏のひっそりとした広場までくると、マリアン達が見えた。ソニアは、見つけるや否や、声をかけようとする。
「あ、あのマリアン……」
仲間達と談笑していたマリアンは、上機嫌でソニアに向くと上辺だけの謝辞を述べる。
「おー、ソニア!いつもありがとうね、ノート」
マリアンは、ソニアからノートを取り上げる。ソニアは、しどろもどろで答える。
「ご、ごめんなさい、さっきの講義……ちょっと寝ちゃって……」
「えっ?なに?聞こえないんだけど」
マリアンから笑顔が消える。
「ごめんなさい!ノート取れてません!」
ソニアは、意を決して伝えた。
「え、何それ?ありえないんだけど。私、ノートを取れって言ったよね?」
「ごめんなさい!昨日そんな寝てなくて」
「言い訳はいいんだよ!誰かに頼んででも、早くノートを持ってこいよ!」
「そ、それは、そうだけど……」
マリアンは、魔法杖を取り出すと、座った眼でソニアに凄む。
「ねぇ、ここで燃やされたいわけ?あんたが、どうなろうが私の力で揉み消せるのよ?」
「ご、ごめんなさい!次はきちんと取ります!」
ソニアは、許しを請うが、マリアンは無慈悲に謝罪を要求する。また、あの嫌味な笑みになる。
「じゃあ、土下座しなさいよ。おでこを地面につけて、『申し訳ありません』てさ」
マリアン達の行いに、他の生徒は気まずそうな雰囲気を感じ、その場を離れたり、少し距離を取り何事もなかったように過ごしたりしている。少し声を落とし、動作にも音が出ないように無意識に気を使っている。まさに、見て見ぬ振りだ。
「くだらない……実にくだらない。非生産的極まりないね」
アナスタシアは、この数日でこのグループとの関係が分かってきた。
…………分かってる、そんなこと分かってる。だけど、どうしようもない。私が何か気に入らないことをしてしまったのだろう。向こうは複数人だし、何より身分が違いすぎるし、もうどうしようもない…………。
ソニアは、ゆっくりとしゃがんで膝をつき、おでこを地面につけて謝った。
「すいませんでした。次は気をつけます」
ソニアは、心を押し潰したかのように表情はない。
「……きゃはは!惨めすぎでしょ」
マリアンの仲間はにやにやと、土下座をしているソニアを見て爆笑している。
「ご主人様。僕はもう見るに耐えない!一切非がないにも関わらず、何故謝るんだい?」
アナスタシアは、ソニアの手の中で怒り心頭だ。だが、ソニアはそんなアナスタシアを制する。
「黙っていて」
ソニアは、小声で呟いた。自分の感情を殺して、理不尽全てに諦めて。左手には、その気持ちを支えるかの様にヒヨコのぬいぐるみが握りしめられている。
「いつまで、頭下げてんだよ!気持ち悪いヒヨコなんか持ってさ!」
マリアンは、素直に謝るところも気に入らないらしい。詰まるところ、何をしても許されることはなく、マリアンの気が済むか否かの問題である。そんなマリアンは、苛立ちを抑えられずソニアの顔に向かって蹴り上げる。
――――!
余程の力だったのか、ソニアは倒れ込んだ。ヒヨコは、ソニアの手から離れ床に転がった。あまりの光景に、周囲の学生も凍りつく。
「お前ら、何見てんだよ!マリアンに何か文句でもあるのかよ!」
取り巻きの1人が凄んだ言葉に、誰も答えずにソニアから目を背ける。ソニアは、ゆっくりと床に転がったヒヨコを手に取る。
「ご主人様……」
ソニアは胸の前でヒヨコを握りしめた。何かに祈るように、耐えるように。クチバシが握力で、ヒヨコの顔にめり込むほどに。
「おい、ご主人様、痛い!痛いぞ!……ぐっふぅ」
ふと、周囲は自分たちの空気が変わったように感じた。今までの重々しい空気感が、さらに重鈍になったかのような。まるでこの場から動けないように足を何かに掴まれてるようだった。
ソニアはヒヨコをフードに戻し、ゆっくりと俯いたまま立ち上がる。周囲はこちらこそ見ていないが、横目でこちらの様子を伺っているようだ。ソニアは、自分の手足を確認している。それを見たマリアンは、語気を強めて言う。
「本当、お前、イラつくわ!私に文句でもあんの?」
――――。ソニアは、全く答えない。その態度が気に障ったのか、マリアンはさらに詰める。
「何とか言えよ、コラァ!」
マリアンは、持っていたノートを投げつけた。
周囲がざわつく、ノートをソニアに向けて投げたからではない。ノートが、ソニアの寸前で弾かれたからだ。
「な、何?」
マリアンが、状況が把握できずに驚く。すると、ソニアが高らかに笑い出した。
「あははははは!そうか、そうか!そういうことか!ご主人様は本当にすごいな!」
何故だか、ソニアとアナスタシアの精神が入れ替わっている。アナスタシアは腕を組み、人差し指を頬にリズムを刻みながら当てて、1人で何かを呟いている。
「なるほどな、ヒヨコのクチバシが精神の入れ替わるスイッチなのか……。ということは、今このヒヨコがご主人様なわけだな」
アナスタシアは、独り言を言いながら自分の考えを整理していく。マリアンは、初めこそ呆気に取られていたが、見下していた人間の理解できない行動に激怒する。
「おい、ソニア!ふざけてんのか!」
アナスタシアの呟きが止まる。やおら、マリアンに顔だけを向ける。その目は、感情が消え、冷徹な物だった。もちろん、マリアン達は二人が入れ替わっていることなど知る由もない。初めて見るソニアの視線に、マリアン達は明らかに動揺している。
「な、何よ!その目は、あんた私たちとやろうって言うの!」
ソニアはその言葉に、淡々と続ける。
「無事に帰れると思うなよ、女」
自分よりも下だと思っている人間に生意気な口を聞かれ、マリアンの顔がみるみる紅潮していく。そして、魔術杖を振り上げると、魔術陣を描きながら魔術を唱え出す。
「従属の証、炎帝の灯火を此処に束ねん。慈悲を焦がし、哀れみを灼き払う、我が意に従う紅蓮となれ。全ての逆らうものを灼き尽くせ、我が名はマリアン・コレポルト!」
マリアンはセラ程ではないが、その学年の中ではトップクラスの魔力と魔術の才能を持つ学生だった。そのため、詠唱も短く、魔術陣に集まる炎も威力も高そうだ。しかし、アナスタシアは一切止めには行かず、詠唱が終わるのを待つ。
「いつまで待てば、魔法が打てるんだい?お前は?」
マリアンの怒りは最高潮に達した。顔を見るからに紅潮し、髪が逆立つように見えるほどだった。
「うるさいんだよ!燃えろ、クソ雑魚がぁ!アインス・イグニス!」
マリアンは魔術陣に発現させた炎を、アナスタシアに向けて放つ。
「マリアン、殺すのは流石にまずいぞ!」
取り巻きの一人が今更マリアンを制するが、既に遅かった。放たれた炎は、アナスタシアに向かって飛んでいくが、アナスタシアはそのまま動かない。そして、着弾したと同時に爆発を起こした。
「きゃはははっ!ざまぁないわね!コレポルト家に歯向かうから、こうなるのよ」
マリアンは、ソニアの心配をするどころか、高笑いを浮かべる。その時、マリアンの仲間が指を刺して驚く。
「お、おい、あれ……」
指を刺した方は、ソニアがいる方だ。マリアンはどうせ倒れているだけだろうと目をやると、そこには傷一つついていない、服が少しも燃えてもいないアナスタシが立っていた。
「へっ?何で……?」
マリアンが驚いて呆然としていると、アナスタシアがマリアンに向けて指を刺して呟いた。
「燃えろ」
一閃――光のように何かが放たれる。それは、マリアンの魔術杖を撃ち抜いた。
「な、何?」
魔法杖が瞬時に消し炭となったことが、マリアン達には分からなかった。アナスタシアは、落ちているノートを取り上げて、マリアンに一歩くらいの距離まで近づく。そして、マリアンの顔に向けて指差して、低く重々しい口調で続ける。
「お前のような、クズは許されるべきではない。この僕が、成敗してくれよう」
指差した先にぽんっと爆発が起こる。マリアンは、びっくりしてその場で尻餅をついた。
「返すよ」
そう言うと、アナスタシアはマリアンの顔に向けて、ノートを投げつける。マリアンは、「きゃあ!」と手でノートが当たるのを防ぐ。周囲は今まで従順な態度をとっていたソニアが、急に反抗的な態度に出たのでざわめき立つ。
「公爵家の私に……よくもやってくれたなぁ!」
マリアンは怒りで手を振るわせて、倒れながら周囲の仲間に指示を出す。
「お前ら、ソニアをやっちまえ!」
取り巻きが、アナスタシアに向かって襲いかかろうとする。アナスタシアは、右掌を口元まで持ってきて蝋燭を消すかのように息を吐く。すると、一体の石畳が凍り、取り巻きの足元までも凍りつかせた。
「こ、凍った!動けない!魔術を唱えてもいないのに、なぜ氷が!」
取り巻き達は、足をどんなに動かそうとするも、全くその氷が砕けることはなかった。
「そのまま、その氷の温度を下げて足を壊死させてやるのもいいが、まぁソニアは喜ばないだろうね」
既に、周囲のざわつきは既に無くなっていた。ここにいる全ての人々がソニア、アナスタシアを見ている。
「ソニア、お前何をしたんだ?」
マリアンの仲間の一人が到底魔術としては理解できない現象に、アナスタシアに尋ねるが、無視して話し始める。
「取り巻きども。お前らはもういい」
アナスタシアは、人差し指を取り巻きの方へと向ける。すると、ソニアの周りに風の球体が4つでき、その球体が矢のように尖った
「風よ、貫け」
1点に集約された風の風圧は凄まじく、取り巻きの額を打ち抜くと、彼らは一瞬で意識を失い卒倒した。
マリアンは、驚きを隠せずいるが、格下のソニアに対してここで引くことは出来ないのだろう。自身の身分をもって脅しをかける。
「ソニア、お前、この私に歯向かってただで済むと思うのか!」
「何を言っているんだい?ただで済むかだと?このような理不尽が罷り通るなら、僕が全て退けてみせるよ。今までお前達がやってきた、「力」というものでね」
アナスタシアはマリアンの脅しには一切耳を貸さない。アナスタシアは、マリアンの前までゆっくりと歩いていく。
「どうしたんだい?今こそ攻撃するチャンスではないのかい?」
アナスタシアは、両手を広げアピールするが、マリアンは苦い顔をして何もしない。
「お前、公爵家に刃向かうことがどういうことか分かっているのか!」
「もう、その類の脅しは聞き飽きたんだよ。では、もう一度分かりやすく言おう。今から、お前は無事では帰れない。お前が心の底から謝るまで、僕は許さないよ。だから、よぉ〜く、考えてから発言するといい」
アナスタシアは、マリアンに向かって指を刺すと最後通告をする。
「では、頑張りたまえ。今から謝ってもらおうか」
アナスタシアは、マリアン指差すと一言告げる。
「重力、レベル3」
突如、急にマリアンに恐ろしい重力がのしかかる。そして、座って手で支持しながら座っていたマリアンは、それが出来なくなり頭を床に激しく打ち付ける。
「痛っ!何、頭が、身体が重い!」
マリアンは、急な自重の増大に突っ伏して、土下座のような態勢になる。アナスタシアは依然として一切の感情を表さずに、マリアンに語りかける。
「そこの女に問う。ソニアは、お前に何かをしたのか。何かお前の尊厳を傷つけるようなことをしたのか」
「魔術もろくに出来ないお前が、何で重力魔術なんて使えるんだ!」
マリアンは、ソニアの魔術下手を知っていたため、今の状況が信じられないようだ。しかし、アナスタシアは無慈悲にその重力魔法を強める。
「重力、レベル4」
マリアンに掛かる重力がさらに強くなり、地面に今にもめり込んでしまうかのようだ。みしりっ、みしりっと身体の軋む音が聞こえる。これは、今まで強がっていたマリアンも悲鳴をあげる。
「ぎぃやぁあぁぁ!頭が割れる!ごめんなさい!ソニア、許して!」
アナスタシアは、「はぁぁぁ」とため息混じりに諭す。
「だから、今は許す許さないじゃないんだよ。今は、僕の質問に答える時なんだ。理解ができていないならもう一度聞こう。いいかい、よく聞くんだ。何故ソニアを執拗に虐めた。複数人で。理不尽な要求をして。彼女の気持ちを考えないで。お前達はソニアに、同様のことをされたことがあるのか?」
「いや…………」
マリアンは、言い淀む。
「まだ、分からないようだね。では、レベルをさらに上げてみようか」
アナスタシアは、もう一度マリアンを指差す。
「ま、待って!な、何もしていない!ソニアは、何もしていない!身分が低くて、気の弱そうなあんたなら、言うことを聞いてくれえると思っただけよ!」
「そうか、ではお前らはそんな理由で、ソニアをあたかも下僕のように扱い、ソニアの尊厳を踏み躙ったんだね」
「そう!だから、ごめんなさい!もう絶対にあなたには何もしないから!この魔術を解いて!」
マリアンの顔は涙や鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「ふむ、やっと質問に答えてくれたようだね。そして、君のお願いに対しての答えは、ノーだ。この重力はまだ、このままだ。事情が分かった今、君は今からソニアに謝るんだ。だがしかし、お前は許されることはない。それは、理解しておくといい」
「い、嫌っ!許してください!今までのことはいくらでも謝るから!本当です!ごめんなさい!」
アナスタシアは、マリアンの前でしゃがむと、膝を支えに頬杖をつく。
「お前は、ソニアが謝って、許したことはあるのかい?」
――――!マリアンは、目を大きく開くと、アナスタシアの目線から顔を逸らす。
「そ、それは……」
「質問にはきちんと答えるように。では、もう一度……お前は、それでソニアを許したことはあるのかい?」
マリアンは、もう引くことも進むことも許されない。
「い、いえ、あ、ありません……」
アナスタシアは、すくっと立ち上がり、マリアンを見下して初めて笑った。
「そうか……では、僕もお前を許さない」
ソニアの微笑が、マリアンをさらに恐怖へと落とす。
「ゆ、許して!お願い!お金ならいくらでもあげるから!ねっ、お願い!」
アナスタシアから、笑顔が消える。
「嫌だね」
ソニアは地面に這いつくばるマリアンを指差す。
「僕の経験上、大抵の人間は3倍の重力をかけるとブラックアウトするんだ。でも、お前は4倍を耐えた。そこだけは、認めよう。では、特別に5倍だ」
「無理!無理です!ごめんなさい!ごめんなさい!お願いだか……」
「さようなら」
アナスタシアがそう呟くと、マリアンは更なる重力に推し潰されて、大の字になって意識を失い白目をむいた。アナスタシアは事の終わりを確認すると、すべての氷魔法と重力魔法を解いた。マリアン達は、依然として気を失っている。
「ソニアには僕がいる。もう、ソニアには近づかないことだね」
周囲の人々が息を吹き返したかのように、騒ぎ出す。
「ソニアが、マリアン達を返り討ちにしたぞ。ソニアってあんなに強かったか?」
「すごいなんてものじゃない!魔術陣も詠唱もなく、まるで手品かなんかか?」
「マリアン達、言い様だったな!」
周囲がアナスタシアの魔法に驚きを隠せない。口々にアナスタシアの魔法に、魔力について話し合っている。しかし、アナスタシアはそんな事に全く興味をもたず、フードのソニアに話しかける。
「ご主人様、終わったよ」
…………。
「おーい、ご主人様?今はヒヨコなんだろう?」
ヒヨコのソニアは、フードの中で何も答えない。
「まぁ、今は気分ではないのだね。では、ご主人様の代わりに、僕が次の講義を確認するとしよう」
アナスタシアが、その場から立ち去ろうとすると、セラが物陰から現れる。
「ねぇ、今の魔術は何?」
セラは、訝しげな表情でアナスタシアに質問をする。
「あぁ、君は先日の女の子。最近ソニアのことをよく見ていたけど、何かようなのかい?」
「そ、そう、気づいていたなら話が早いわ」
自分の尾行が気づかれていたことに、少し罰が悪い表情を見せたが、セラはそのまま話を続ける。
「あなた、普段は全然魔術が使えないように装っているけど、何故その力を隠しているの?」
アナスタシアは、腕を組んで頬杖を付く。
「貴方の魔術は、魔術陣を描かなければ詠唱もない。そう、貴方のそれはまるで魔法なの。一体どういうこと?」
セラは、アナスタシアの回答を待たずに話を続ける。
「魔法使いは、御伽話の中の存在だと思っていたけど……貴方の魔術は今の魔術では説明がつかないわ」
セラの言いたいことが終わったと判断すると、アナスタシアは質問には回答ぜすに、1つ質問をする。
「その前に、ちょっと聞かせてくれるかい?」
「何?」
「君は、ソニアと友達だったのかい?」
アナスタシアの話題からかけ離れた質問に、セラは少し苛立ちを見せる。
「貴方、何を訳の分からないことを行っているの。貴方だって知っているでしょう」
セラは語気が強くったが、アナスタシアは全く気にしないで続ける。
「そうかい、なら先程の質問には答えないでおこう。ご主人様のプライバシーってやつさ」
そう言うと、アナスタシアはセラの元から去ろうとする。
「ちょっと、待ちなさい!」
セラの静止には耳を貸さずに、去っていく。突如、セラは魔術杖を取り出し詠唱を始めた。
「契約の鍵、雷帝の依代、我穿つ、アインス・フルメン」
杖の先に魔術陣が発現し、稲妻がアナスタシアに向かって走る。しかし、その稲妻は、アナスタシアに当たる寸前に弾かれる。
「私の雷でも、効かないか」
セラは、当然かの如く呟く。
「貴方の秘密を必ず暴いてみせるわ!そして、貴方に勝ってみせる!」
セラはアナスタシアに言ったのか、自分への決意だったのかは分からない。どちらにせよ、アナスタシアはその言葉に振り向きもせずに立ち去って行く。
その日、アナスタシアが幾度か話しかけるも、ソニアは反応がなかった。アナスタシアは、講義を自分なりには聞き板書こそしたが、歴史以外は大体のことは既知のことばかりで、一人では何とも退屈なものだった。相変わらず、セラの視線は感じるものの、話しかけてもこないので気にしなかった。
下校時、アナスタシアは一人でログロース学院の校門を出ると、優しい陽の光に照らされる。アナスタシアは、そちらの方を見ると、西の海に太陽が沈もうとしている。海の水面に乱反射した陽の光は、街全体までもきらきらと輝かせている。
「おぉ、ご主人様よ、見てみるといい。街がとても綺麗だよ」
アナスタシアが、綺麗な情景に言葉が無意識に溢れると、フードの中から声が聞こえる。
「アナスタシア……今日はありがとう」
ソニアは小さな声で感謝の言葉を述べた。アナスタシアは、それがマリアンをやっつけたことか、セラの対応をしたことか、代わりに講義に出たことか、どちらに対しての感謝の言葉かは分からなかったが、敢えて聞き流した。
「落ち着いたかい?びっくりしただろう?また、ヒヨコに戻っているなんて」
アナスタシアは、それよりも身体が入れ替わっていることに興味があるようだ。身体と精神が入れ替わるなんて、聞き覚えがないことだから、当然と言え、今のソニアにってはあまり関心がない。
「ええ、まぁ、でも今はどうでもいいや」
「そんなこと言わずに聞いておくれよ。何故入れ替わったのかが分かったんだよ!」
ソニアの興味の無さに負けず、アナスタシアは自分の新しい発見を伝えたくてしょうがないようだ。
「ヒヨコのクチバシだったんだよ!ヒヨコのクチバシがご主人様と僕を繋ぐスイッチだったんだよ!」
「何それ、ヒヨコのくちばしって、信じられない」
ソニアは面倒臭そうに答えるも、アナスタシアは全く気にせず話を進める。先程まで落ち込んでいたソニアに、その発見をどうしても伝えたいらしい。
「本当さ、なぁ、一度試してみたいんだ?」
ソニアは、何だかアナスタシアと話していた方が気が紛れる感じた。要望を受け入れたソニアは、フードの中からひょいっと顔を覗かせ、肩まで上手に登ってくると、アナスタシアの手の上にジャンプする。
「それでは、押してみるよ」
アナスタシアは、ヒヨコのクチバシに徐々に力を込めていき、指がヒヨコの顔にめり込むんでいく。
「ちょ!痛い痛い痛い!押すなら、一気に押して!」
それを聞いたアナスタシアは、ぐっと押してみる。すると、不思議なことにソニアはソニアへ、アナスシアはヒヨコへと体が入れ替わる。
「えっ、本当だ。嘘みたい」
今まで興味を示さなかったソニアも、この現象には驚きを隠せない。
「もう一度押してみな。いいかい?指で確実にクチバシを押すんだ」
ソニアは、言われた通りにヒヨコのクチバシ、アナスタシアを思いっきり押す。
「ぶっへぇ」
アナスタシアは苦しがるが、そんなことよりもソニアの反応が気になって、鼻をさすりながら話しかける。
「どうだい、面白いもんだろう。これで、いつでも入れ替われるって話だ」
「私、本当に時魔術使えたんだ!すごい、すごい!この私がだよ!」
ソニアは気持ちが楽になったのか、言葉が明るくなる。
「その通りさ!ご主人様は、世紀の魔法使いだ!今、僕はわくわくしているんだ!時魔術、新しい時代、新しい文化、新しい生活、そして入れ替われる体、僕が初めてのことばかりだ。ソニア、本当にありがとう」
子供のように喜ぶ、自分自身を見て、ソニアはヒヨコながらに笑顔になる。
「私も、アナスタシアと話をしていると、落ち込んでいることが馬鹿らしくなるわ」
アナスタシアは、満面の笑みで返す。
「それはよかった、落ち込んでいてもいいことはないからね」
ソニアは手の中で、もう一度感謝をする。それは、一言では言い尽くせない、色々な「ありがとう」だった。
「アナスタシア、今日は本当にありがとう」




