アナスタシア、初めての登校
ソニア・エヴァークレスト、中等部3年、地方の貴族として生まれる。平民からすれば幾分裕福だが、ログロースに通わせる程の財はない。それでも、両親は、教師になりたいというソニアを応援してくれるた。勉強に勉強を重ね、6年前にログロース学院に入学した。無理を言ったソニアを快く送り出してくれた両親に喜んでもらいたくて、ソニアは小学部から人一倍学習や魔術に取り組んだ。頭の回転は早く無いが、こつこつと努力をするタイプで、学業の成績は上位に位置する。しかし、魔術に関してはどんなに練習をしても、なかなか上手く扱うことが出来なかった。魔術陣は描けても、詠唱を長々と唱えないと魔術を発現させるための魔力が整えられなかった。そもそも、人に内在する魔力は可視化出来ず、友達にどの様にしたら魔術が上手く扱えるのか助言を求めても、感覚的な言葉しか返って来なかった。つまり、今日に至っても、初級魔術に四苦八苦している。
――ジリリリッッ!
目覚まし時計が、6時を知らせる。ソニアは、寝返りついでに目指し時計に一撃を食らわす。
…………。
「おはよう、ご主人様。今日はいい天気だ、絶好の登校日和だよ」
アナスタシアが窓辺に座って、こちらを見ている。すごい微笑みを見せてくる。昨日の出来事は、全て夢であってほしいと少し思っていたが、依然として、ヒヨコのぬいぐるみは絶好調に喋る。
「おはよう……アナスタシア」
ソニアは落胆の色を隠せず、暗い挨拶を返す。何故なら、昨日の夜……。
「サークルエンド!……って、あれ?」
これで時魔術を何回目だろうか。何とかアナスタシアを元の姿、時代に戻してあげようとソニアは時魔術を何度も唱えているが成功しない。
「ご主人様よ、まぁ、今日はその辺にしたらどうだい?」
窓の外から現代の街並みを見ていたアナスタシアは、自分を元に戻そうと頑張るソニアに止めるように促す。
「あのぉ、あなたの為にやっているのよ」
ソニアはムッとして言うが、アナスタシアはどこ吹く風だ。
「本当に私、時魔術なんてできたの?誰も成功してないんでしょ?」
「僕だって見てはいないからね、どちらかというと僕の方が信じられない気持ちだよ。何せ僕が長年研究しても、ついぞ使えなかった魔法なのだからね。しかし、今のこの状況は時魔法でしか説明できないのも確かさ。そして、その魔法を唱えた可能性があるのは、ご主人様だけって訳だ」
すると、アナスタシアがハッとした表情で、何か良いことを思いついたかのように言う。
「そうだ、ご主人様よ!明日は、まさか学校がある日かい?」
とても興味津々で嬉々とした表情だ。
「そ、そうだけど……何?」
急に話題を変えるので、ソニアは怪しみながら答える。
「何って、初の学校生活だぞ!僕は生まれてこの方、学校というところにいった事がないんだ。楽しみでしょうがないよ!」
「えぇ!アナスタシアも学校に行こうとしてるの!」
ソニアはあからさまに嫌そうな顔をするが、アナスタシアは全然その表情を読み取らない。
「当たり前だろう?人生は楽しまないと。何せ、僕はこの時代に連れてこられたんだ」
「うっ、いきなり罪悪感を突くことを……」
ソニアは、そのように言われるとどうも言い返せない。
「はははっ、嘘だよ、嘘さ。すまないね、ご主人様よ。でも、せっかくこの未来に来れたんだ。お願いだよ、連れていっておくれ」
アナスタシアは、可愛らしくヒヨコのお尻をふりふりしながらお願いする。
「……うぅ、わかったわよ、その代わり、今日みたいに魔術を他人に対して使ったりしないでよね。本当に静かにね!」
ソニアは、そこはかとない不安を大いに抱きながらアナスタシアの同行を了承した。
「はぁぁぁぁ……」
ソニアは昨日のことを思い出して、大きなため息をつく。
「朝からため息とは、どうしたんだい?体調でも、悪いのかい」
アナスタシアは、ため息の原因が自分だとは気付かず、ソニアの体調を案じる。
「ごめん、ごめん、大丈夫。さっ、早く準備をしないと」
ソニアは、気を取り直して登校の支度に取りかかる。洗顔や朝食、身だしなみを整えて、制服に着替える。ソニアは、几帳面に身の回りのことを速やかにこなしていく。
「えらいもんだね、ご主人様は。朝早くから、身支度を無駄なくすることができるとは。僕は朝にはめっぽう弱いものでね、全く感心するよ」
どうやら、アナスタシアが快調なのは、学校が楽しみだかららしい。何より「ご主人様」と言いながらも、この上からの目線、さらにその外見がヒヨコのぬいぐるみだからなんとも素直に受け取れない。
「ありがとうございます」
しかし、朝の忙しい時間、ソニアは適当にあしらった。
「さぁ、ピヨ……じゃなくて、アナスタシア。学院に行くんでしょう?早くフードに入って」
そう、ヒヨコのぬいぐるみは私の宝物。小さい頃に両親からもらった、大切な大切なぬいぐるみ。とても偉そうだけど、やっぱり一緒にいたい。私の思い描くピヨのイメージとは、かなりかけ離れているけど。
ソニアは、クローゼットから外套を取り出して纏う。アナスタシアも、一晩でぬいぐるみの動きにも慣れたのか、てててっとソニアの前まで歩いてくる。
「歩くの上手ね」
ソニアが、少し笑みを浮かべて言う。
「意外と難しい物だね、でも、慣れたらこんなものさ」
偉そうで太々しいヒヨコを取り上げ肩に乗せると、外套のフードに飛び入った。ソニアはフードの中にヒヨコのぬいぐるみがいるのを確認して、アナスタシアに忠告した。
「くれぐれも、邪魔をしないでよ」
「もちろんだとも!本当に楽しみだ。さぁ、早く出発しよう!」
ふんすっと気合いの入った声が聞こえる。すっごい不安だけど……でも、1人にしておいてもそれはそれでもっと不安でしょうがない。
「行ってきます!行くよ、アナスタシア」
ソニアは誰もいない部屋でも、挨拶をして行く。
「イエッサー!」
アナスタシアは、その短い手をくいっと曲げて、敬礼のポーズを取ろうとする。
敬礼できてないじゃない。信用ならないなあ……。
不安なソニアと、興味津々なアナスタシア、両極端の二人はログロース学院へと向かう。
ウィンフォード朝エルドブリッジ王国、4つの州からなる君主制国家だ。エルドブリッジ王国は、魔法を体系化したアーケイン家を元に発展した、魔術の盛んな国である。様々な国から魔術を学ぶために、また魔術に関する品を仕入れるために多くの人々がこの国に訪れる。そして、この王国の首都のあるログロースは、この国の最大の規模を誇る大都市だ。主に魔術産業が盛んで、それを生かした商人ギルド、そこからの仕事を受注する冒険者ギルドが発達している。
その首都名を冠するログロース学院は、ソニアの学生寮から徒歩で10分ほどの所に位置している。広大な敷地を持っていて、小学部、中等部、高等部を集めた学院で、学科も歴史や考古学、兵法などの学問や魔術、剣術など様々である。赤レンガで作られた校舎、礼拝堂、講堂、学生・教員用の宿舎などがあり、この国がいかに教育に力を入れているのかが窺い知れる。その広い敷地を、楽しそうに友達と歩く人、ベンチに座り本を読む人、広場で何か鍛錬をしている人など、たくさんの生徒達が朝の時間を過ごしている。
「おおー、立派なもんだね、ログロース学院は。皆が生き生きとしているね」
「ふふっ、アナスタシアは学生生活が初めてって言ってたけど、アナスタシアの時代はなかったの?」
「そうだね、僕の時代は511年、今から1356年前さ。当時は、このような学校などなかったね」
「1356年前!すっごい昔から来たのね。アナスタシアは、どんな人だったの?」
アナスタシアのいた時代があまりに昔だったので、ソニアはびっくりした。
「僕は人よりも魔力があったから、小さい時から国王からの命で、魔術の研究をさせられていたり、戦争に生かされたりさ。全くつまらない人生だよ」
アナスタシアは、自分の人生に不満があったのか、あまり話したくは無さそうだ。
「すごいじゃない。私とは大違い」
ソニアは、自虐的に笑う。
「ご主人様は、魔法が苦手なのかい?でも、時魔法が使えたんだ、僕よりもすごいじゃないか」
「何それ、馬鹿にしてるでしょ!」
ソニアは、自分の魔術下手は重々承知しているので、馬鹿にされていても冗談で変えすことができる。
「そんなことはないんだけどな。お、なんだか魔力を感じる生徒達がたくさんいるね」
アナスタシアは、通り過ぎる生徒を見て言う。
「あの人たちは、高等部の人だよ。外套のラインを見ると分かるの。何科までは分からないんだけど、多分魔術科なんじゃないかな」
「ほー、魔術科があるんだね。今の時代は、こんなにも魔術を使える人がいるんだね。で、ソニアは何科なんだい?」
「私も、いちおう……魔術科です……」
ソニアは、魔術下手なのに魔術科と言わなければいけないことに、少し顔を赤らめた。
「おはよう!」
すると、後ろから声が聞こえる。そちらを振り返ると、女学生が小走りで追いついてくる。
「あ、クララ。おはよう」
クララと呼ばれた女の子は、ソニアの同級生だ。ソニアよりも濃い茶色の髪の毛で、髪は半分で分けられ2つの三つ編みをしている。目尻が下がっていて、とても優しい印象を受ける。
「ソニアのご学友かい?」
アナスタシアが尋ねると、クララに悟られないよう口元を隠して小声で答える。
「そう、私の1番の親友。同じ魔術科だけど、専攻は回復魔法なの」
「友達か、いいね。実に学生らしい」
アナスタシアがほっこりしていると、クララがアナスタシアに顔を近づけてくる。普段ならば気にもならないことだが、今日はピヨはアナスタシアなので、ソニアはどきっとした。しかし、クララはそんなことは知らないので、笑顔でヒヨコの頭をつんつんと優しくつつく。
「今日もビヨは良い黄色だね」
「な、何それ、いつもと同じだよ」
ソニアは、どきどきしながらも笑顔で突っ込む。
良かった、いきなりアナスタシアの事がバレたのかと思った。クララに秘密を作るのは気が引けるけど、私が時魔法を使ってしまって、別の人の精神を連れてきたなんて、絶対に信じないだろう。
「そ、そうだ、今日はエドマンド先生の歴史のあるから、寝ないようにしないとね」
ソニアはヒヨコから意識を遠ざけるために、適当な話題を振る。
「本当だよ、エドマンド先生の話は、親父ギャグばかりでつまらないから寝ないように気をつけないとね」
クララはその話題に乗っかり、先生の悪口を言い出した。少し申し訳なさを感じていると、アナスタシアが意気揚々と語りかけてくる。
「そんなにその先生の授業はつまらないんだね。むしろ興味が出て来たよ」
アナスタシアとクララと個々に対応しながら話すのは疲れるなと思っていると、学院の鐘が鳴る。
ゴーン、ゴーン――
「やばっ!ソニア、急ごっか」
敷地に入って5分は歩いただろうか、中等部の大きな校舎が見えてきた。2人の少女は、足早に校舎の入り口に入っていく。
午前は数学、体育、実践魔術が行われた。1限の数学では、ソニアは真剣にノートを取り、その解法も完璧だった。あれだけ興味のあったアナスタシアは、開始数分で興味をなくして、フードでうつらうつらとしている。
「なによ、楽しみって。寝てるじゃない」
ソニアは、アナスタシアを見て笑顔になる。
2限の体育では、ソニアは数学と打って変わって芳しく無い。走るのも、投げるのも、身体の動かし方が分かっていないようで、アナスタシアは見るに耐えなかった。
「ぐへぇー」
ソニアは、校庭の芝生に倒れ込む。
「うーん、これは酷いな」
3限の実践魔術でも、体育と変わらずだった。アナスタシアが授業を見学して学んだことは、現代では魔法とは呼ばずに魔術と呼び、魔術杖という杖を使用して、魔術陣と詠唱を経て魔術の行使となること。もしくは、魔珠という道具に魔術そのものを封じ、それを錫杖にはめて、無詠唱で魔術を行使するようだ。アナスタシアの時代は、詠唱などというものは存在せず、魔法は一部の能力者が使用出来るものだったため、なんとも目新しかった。
「一部の者が魔法を使えるのではなく、多くの人が行使できるように般化したのだね。誰がこのように魔法を体系化したのかは分からないが、たいしたものだ」
アナスタシアが思いを巡らせている間、ソニアは炎の初級魔法を一生懸命唱えてはいるが、威力はイマイチだ。
「ご主人様よ、周りを見ると皆、随分派手に魔法を使っているが、本当に魔法が苦手なのかい?」
ソニアがじと目でアナスタシアを見る。
「これが全力です!」
「そ、そうかい。まだ、若いんだ。焦る必要はないさ」
「…………そんな、時間はないのよ」
ソニアは、音にはならないような声で自分に言い聞かせるように言った。
「やっとお昼だー。アナスタシア、今からクララを迎えに行ってランチにするよ」
ソニアは、授業が終わると廊下にある自分のロッカーから、小さな手提げを取り出して食堂へと向かう。途中でクララと落ち合い、2人はサンドウィッチと紅茶を購入して、空いているテーブルに座る。アナスタシアは、テーブルに座らされた。
「ねぇ、聞いた?」
クララは席につくと唐突に、サンドウィッチを口にもせずに話を始めた。ソニアは紅茶で、口を潤しながら、続きを待つ。
「昨日の夜さ、プロムストリートでログロースの生徒が大喧嘩したらしいよ」
「ぶふぅぅ!」
ソニアは、思わず紅茶を吹き出して「ゲホッ!ゲホッ!」と咽せる。
「ちょっと、辞めてよ!そんな驚かなくてもいいでしょ」
クララは、自分の切り出した話題が思いもよらず反応が良かったので、笑顔で言う。
「でさ、それがなんと、1人は生徒会のセラなんだって。でも、もう1人はまだ分からないらしいの」
「そ、そうなんだ……」
大事になってる!やっぱりあの人、生徒会のセラだったんだ。見つかったら退学って、どうしよう。絶対に見つからないように、これ以上目立たないようにしないと……。
「ソニア、聞いてる?」
ソニアが、深く考え込んでいたのでクララは手をソニアの目の前で振りながら言う。びっくりしたソニアは、無言でコクコク頷いて応える。それを見て、クララは興奮気味に話を続ける。
「すごいのはここからなんだよ。大男を10人を相手に、そのログロースの生徒は、魔術一閃、炎や氷、風、雷とあらゆる魔術を駆使して倒したらしいのよ!その大男は病院送りになって、半年は出てこられないみい」
盛られまくってる!アナスタシア、本当に何をやってくれてるのよ!
ソニアは、アナスタシアを睨むが、アナスタシアは何事もなかったようにすんっとしている。
もぉ!私じゃないのに、全部私がしたことになってるよ!
ソニアは、自分のしたことが、あまりに大事になっていて、テーブルに突っ伏した。
「ソニア、どうしたの!」
「クララ……私、もしかしたら、もしかしたらだけど、ダメかも」
「何よそれー」
クララは訳も分からずに笑っている。他愛もない、会話。最もソニアにとっては重大ではあるが。そんな噂話で、日常の昼食を過ごしている様は、アナスタシアには何とも朗らかに見えた。サンドウィッチを頬張っては、先生の話や勉強の話、何もかもが瑣末なことだが、全てがかけがいのないものに映った。そんな、楽しい昼食終わりの時に、甲高い威勢の良い声が食堂に響き渡る。
「あっ!ソニアだ!きゃはは!」
食堂の皆は、一瞬声がした方へ意識が向く。そこには、一人の女子生徒を中心とした5人のグループがいた。
「マリアンだ……」
クララは、あからさまに嫌な顔をして、手で口元を隠しながら小声で呟く。ソニアはサッとアナスタシアをテーブルから取り上げると、隠すように握る。
髪はブロンドで前髪を星型のピンで留めている。目はイヤらしく笑っている。そして、外套から同学年と分かる。
何かを察したのか、周囲の人は普段通りに戻る。
マリアンはソニアの前までやってくると、ソニアの隣の席に座り脚を組む。そして、俯くソニアの顔を覗き込み、ニヤニヤしながら話し始める。
「ねぇ、ソニア、午後の歴史の授業、私たちの分もノートとってくれる?マジで歴史の授業はつまらないの。ね、お願い!」
マリアンは、ソニアに代筆の願いを立ててくる。可愛らしくお願いはしているが、先程の笑顔はない。それが無語の圧力である事は明白だ。ソニアは、アナスタシアを強く握った。
「ぐっふぅ」
アナスタシアは、1人苦しむ。ソニアは、一拍置いて作り笑いを浮べる。
「うん、分かったよ」
マリアンは、またいやらしい笑顔に戻る。
マリアン達は、その命令としか受け取れない願いを伝えると、グループのメンバーがノートを投げる様にテーブルに置いていった。ソニアは、乱雑に置かれたノートを、じっと見ている。
「何?何か文句でもあんの?」
マリアンは、何も言わずにノートを見つめるソニアに威圧的に確認する。
「……ありません」
「ソニアは本当に使えるなぁ!魔法はクソなのに、勉強だけは誰よりもすごいもんな!きゃはは!」
マリアン達は、用事だけを済ませると食堂を出て行く。周囲はマリアンのグループを避ける様に道を開けていく。そして、マリアン達が食堂を出て行くと、またいつもの食堂の雰囲気に戻る。
――――――。
「ソニア、ごめんね」
「私こそ、ごめんね」
謝らせてしまったクララに申し訳ないと、ソニアは謝る。
「なぜ、2人とも謝るんだい?」
アナスタシアは、素直に思った事を口にする。ソニアは、それには答えず、ノートを整えて席を立つ。
「私、次の準備があるから、行くね」
食堂を逃げる様にでると、ソニアは1人廊下を歩く。
「なぁ、あの女はなんなんだい?ご主人様を、バカにしていたじゃないか!ご主人様は、なぜあんな要望を聞き入れるんだい?僕なら、あんな召使いの様な扱いは我慢ならないが」
ソニアは急に脚を止めた。アナスタシアは、フードに入っているため表情は見えない。ソニアは、深呼吸を2度ほどして、言葉を一つ一つ絞り出す。
「それが……できないから……だよ」
アナスタシアは、それ以上何も言わなかった。アナスタシアが興味を持った、つまらないと噂のエドマンド先生の歴史は、本当につまらなかった。




