ヒヨコの魔女
「終の唄、理は我らの枷、因果は我らを閉ざす檻。我はその円環を断ち、終わりと始まりの永遠を繋ぐ者。世界に等しき時を流し、幾千の因果を越え、閉ざされし時に、手を差し伸べん。理よ沈黙せよ、因果よ裂けよ、重なりし円環のその終端をここに示す。我が名はソニア・エヴァークレスト。解き放つ――サークルエンド!」
「うーん、何ぃ?うるさいなぁ」
ものすごい風の音にソニアは、目を覚ます。まるでハリケーンでも襲来したかのような音だった。
「すごい風の音ねぇ」
ソニアは、自分がうたた寝でもしていたと思っているのか、独り言を言いながら起きあがろうとする。手を着こうとすると、感触が机ではなく布のように柔らかかった。
「おわぁあ!」
ソニアは、バランスを崩して転がると、まるでハンモックのように支えられた。一気に目が覚めたソニアは辺りを見渡すと、一面黒い何かに覆われていた。
「何これ、布?ていうか、ここどこ?私、確か机で勉強をしていたと思ったんだけど……」
大きな布に包まれている感じがした。そして、人肌に温かい。上を見上げると、何やら隙間があったので、ソニアはとりあえずそこをすいすいと登っていく。
「これって、まだ夢の中?」
ソニアは自分がまだ寝ているのではないかと思いながら、その隙間から顔を覗かせると、男達がものすごい強風で圧縮されてぎゅうぎゅう詰めにされている。ソニアが状況を飲み込めずにいると、ログロースの制服を着た女の子が声をかけてくる。
「あなた……今、何をしたの?」
あっ、この人……と思ったと同時に、目線が合わず自分に話しかけられていないことに気付いたソニアは、彼女の目線の方を見る。
「ん?私?」
何と、そこには16年一緒に過ごしてきたソニアがいた。
えっ、それじゃあ、私は誰なの?
ソニアは、自分の手を見ると黄色いふわふわしたものだった。ソニアは嫌な予感がして後ろを見てみると、自分が今まで寝ていたのはいつもヒヨコを入れているフードで、今は本来自分であるソニアの肩に乗っている事に気付いた。ソニアはさーっと青ざめていく。そして、短い手で胴体を触りながら感触を確かめてみる。
この愛着のある黄色い質感、綿が適度に詰められた柔らかいお腹、バランスの悪い大きな頭、そして視野の中に嫌でも入る出っ張ったクチバシ。これは長年の愛玩、ヒヨコのピヨだ!私、ヒヨコのぬいぐるみになってる!
「ぎぃやぁぁぁーーー!」
これどう言う状況?夢なの?夢だよね?何で私が勝手に動いているの?そして、私は何故ヒヨコなの!
ソニアは、自分の身体が勝手に動いていて、さらに自分がヒヨコのぬいぐるみになっているという、この夢か現か分からない状況で狼狽している。
「びっくりした!なんだい、この叫び声は?」
勝手に喋ってるし!そう、これは、夢ね。夢に違いないわ!
ソニアが都合のいいように夢と決めつけていると、突然、偽ソニアにがっと掴まれて身動きが取れない状態になる。
ちょっと、何するの!苦しいじゃない!
ソニアは、必死に抵抗して手足をばたつかせるが、何せコットン100%素材なので全く無意味だった。偽ソニアはソニアの抵抗を他所に、ヒヨコのソニアをまじまじと見ると非常に驚いた様子で、何故だか辺りを見回している。
「君は何者だい?」
私は誰かって、ソ・ニ・アだよ!あなたよ、あなた!というか、自分に君は誰だって何よ!
「そ、それは私のセリフよ!あなたこそ何者なの!」
ソニアは、ヒヨコである自分を目の前にしながら知らんぷりの、この不遜な偽ソニアに苛立ち始めてきた。しかし、この偽ソニアは、ソニアの訴えもそっちのけで何か考えているみたいだ。
「とにかく、私の身体を返しなさい!」
「私の身体?」
もう、あったまに来たわ!
ヒヨコのソニアは、思いっきり短い体を目一杯膨らませて、ありったけの声で叫ぶ。
「この、偽ソニアー!」
すると突然、偽ソニアがぐいっと顔を近づけてくる。
うっ!な、何よ、ちょっと言いすぎたけど……。
いくら自分と言えど、じっと睨まれると、気の弱いソニアはついひよってしまう。
「う、る、さ、い!」
偽ソニアは、ヒヨコのソニアに向かって指を突き立てようとする。
ちょ、ちょっと待って!ごめんなさーい!
そんなことを思うのも束の間、ぶすりと可愛らしいクチバシに指が突き立てられる。
「ぶへぇぇ……」
ソニアは、刺されただろう鼻周辺を撫で回す。
「痛たたぁ……って痛くない!」
ソニアは、てっきり指で刺されたものだと思ったが、全く痛くは無かった。
「あれ?さっきよりも視界が開けたような……。ん?」
ソニアの目線の先には、ヒヨコのぬいぐるみが落ちていた。すかさずに、ソニアは自分の手を見た。
「あっ、黄色のふわふわじゃない!」
ソニアは、顔や髪を触っていつもの自分に戻っていることを確かめる。
「やったー!やっと自分の身体に戻れたー!もう、何だったのあの夢、本当に悪い夢だったわ!」
ソニアは覚めたからか、戻れたからか、もうごっちゃになって喜ぶ。
「さてと、今は何時か……な?…………へっ?」
夢だと決めつけていたソニアは、夢から覚めててっきり自分の部屋にいると思ったのだろう。いざ冷静に周りに目をやると、そこは観衆のど真ん中だった。そして、目の前には偽ソニアに話しかけていた女の子が、呆れた顔で立っている。そんなたくさんの人前で、一人でテンションを上げて独り言を言っていたのだ。ソニアは顔がみるみる赤くなり、制服の外套を頭から被り、顔を隠して丸くなる。
「おい、あの子はどうしたんだ?さっきまであんなに堂々としていたのに、急に丸くなっちまったぞ」
観衆からは、ソニアの様子が一変したことに戸惑いの声が聞こえてくる。
「あなた、ふざけているの?さっきから訳のわからないことを言って、私の質問に早く答えなさい!」
彼女にしてみれば、散々答えを要求しているにも関わらず、無視されたり訳の分からない言動をされたりするのだ。怒りで語気が強くなってもしようがない。
怒ってる?そう言われてみれば、確かに偽ソニアに何か聞いていたようだけど……。今まで自分のことでいっぱいいっぱいだったから、全く気にして無かった。
「すいません!し、し、質問ですか?ごめんなさい、何のことでしょうか?」
その場を収めたいソニアは、ばっと顔を上げて謝罪するが、どうやら逆効果のようだ。彼女の顔もみるみる赤くなっていく。もちろん、ソニアとは違い羞恥で赤くなったのではなく、怒りでだ。
「バカにしてるの!」
彼女が怒りに任せて声を上げたとき、遠くから笛の音が聞こえる。
ピピーッ!ピピーッ!
そこにいた全員が、そちらの方へ振り向く。
「おいっ、お前達!そこで何をしている!全員そのまま動くな!」
人混みの向こうから、男の人の大声が聞こえてきた。
「ちっ、まずいわ、憲兵がきたわ。あなた、その制服で捕まったら、退学じゃ済まされないわよ」
憲兵の登場で我に返った彼女は、ソニアに向かって逃げるように忠告する。
「えっ?今度は何?」
ソニアのずれた感じに苛立ちを見せると、彼女はじとっとした目で告げる。
「あなた、街中であれだけ派手に魔術を使っておいて。憲兵沙汰にならないとでも思ったわけ?」
「まじゅつ……?あっ!」
あれが夢でないとすると、さっき見た男の人たちって……風魔術で……。あの偽ソニアがやったというの?
「私はもう行くわ。あなた、今日の事は必ず説明してもらうから」
ソニアが信じられない表情で固まっていると、女の子はそう言って走り去っていった。
「そうだ!逃げないと!」
ソニアは、彼女が逃げていくのを見て今は悠長にしている場合ではないことに気付く。彼女の姿は、既に人混みに紛れて見えなくなっている。今まで静観していた観衆も巻き添えで捕まってはかなわないと、辺りは騒然となっている。急に街中で我に返ったものだから、ソニアは今自分がどこにいるか分からなかった。
どちらへ逃げればいいの?とにかく、憲兵さんと逆へ逃げないと!
ソニアが逃げようとした時、下の方から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「おいおい、ログロースの少女よ。僕を忘れているよ」
ソニアは声が聞こえる方を見ると、その声の主はヒヨコのぬいぐるみだった。
「えっ、ピヨちゃん喋ってる!でも、今はそれどころじゃない!」
ソニアは、喋るヒヨコのぬいぐるみを取り上げ逃げようとする。
「おい、学生さん。こっちに逃げな!みんな、あのごろつきどもには困っていたんだ」
すると、観衆の数人が、ソニアを逃がしてくれようと手招きしている。ソニアは皆に感謝を述べると、手招きされた方へ逃げていく。とにかく、自分に起こっている状況が分からず、ソニアはただただ早く自分の部屋まで戻りたい一心で走った。そして、そこで魔女アナスタシアとの出会いを果たす。
◇
「では、落ち着いたところで、質問しよう。君の名や身分を知りたい」
ヒヨコのぬいぐるみが喋る。現実ではあり得ない事だが、少女はもう驚きもせずに答えた。
「ソニア・エヴァークレストです。ログロース学院中等部3年、16歳です」
ヒヨコのぬいぐるみは机の縁に腰かけて、短い足を組み、如何にも尊大な態度に見える。一方、ソニアはその机の椅子に腰掛け、両手を膝の上に乗せ、俯きながらヒヨコのぬいぐるみをチラチラ見ている。まるで、悪事を働いて親に反省を促されている子供のようである。
私、何でこんな事になっているの?部屋に帰ってくるや否や「そこに座りたまえ」って、偉そうに。まぁ、座った私も私だけど……。
「ふむ、いい名前だね。ではソニア、君は時魔法が使えるのかい?」
「そんなっ、時魔術なんて使えません。試しというか……ちょっと挑戦してみようかなと……」
嘘ではない。けれど、本当でもなかった。
ソニアは初等部の頃から、魔術がまるで駄目だった。詠唱は誰よりも長く、灯る火は誰よりも小さい。それでも教師になりたかった。なりたいと、両親に言ってしまった。
だから今夜、寮の床に見よう見まねの陣を描いたのだ。震える手で、書き写した紙を何度も確かめながら。
――一度でいい。一度だけでいいから、何かが起きてほしかった。
「ふむ……」
ヒヨコは一人考え始める。手こそ短く届いてはいないが、腕を組もうとはしている。
――――――気まずい。何か言わないと……。
「あの……あなたは……」
ソニアがヒヨコに質問するも、全く無視される。
「今日僕が体験したことと、ソニアの言葉から仮説を立てると、つまり僕の精神は、一時的に君の身体に定着した訳だ。それも、この僕でさえ使えない時魔法をソニア、君が使ってだ」
ヒヨコは短い手でソニアを指しながら、確認するかのようにこつこつと述べた。
「えーと、えーっと、まぁ……はい、使ったのかなぁ?と……すみません……」
ソニアは、時魔術を使えたのかよくは分からないが、このヒヨコの言う通りにしておいた方がいいだろうと、困惑しながら歯切れ悪く答えた。
「つまり、僕が君の身体に入った時には、君がこのヒヨコのぬいぐるみに入っていた。そして、今は本人である君が自身の身体に戻り、僕がヒヨコのぬいぐるみに入っているということだよ。何故だか分かるかい?」
この畳み掛けられる口調に、ソニアは先程から主導権を握られている。
「……分かりません。何故でしょう……すみません」
「何故、君の精神は本体に還り、僕の精神はヒヨコのぬいぐるみなのだ。僕の本当の身体には還らずに」
「……すみません、自分だけ元通りで……」
「時空を飛び越えて精神が入れ替わるか……仮定こそしてみたが、そんな事ありえるのか?」
また、ヒヨコは一人考え始める。やはり、手こそ短く届いてはいないが、腕を組もうとはしている。
私、時魔術を使ったの?使ったことにされてるけど。試しはしてみたけど……魔術が発動した実感は、全くないんだよなぁ。何より、このヒヨコが言うように「時魔術」で精神だけが入れ替わることなんてあるの?でも、実際入れ替わっていたしなぁ……うーん……。
ソニアも同じように考え込んでいる。ヒヨコのぬいぐるみと椅子に座った女子学生が、じっと考え込んでいるという、何とも不思議な時間が流れる。すると、突然ヒヨコのぬいぐるみが立ち上がった。そして、口こそ動いていないが、嬉々とした声で言う。
「面白いじゃないか!この際、解決できないことは一旦置いておこう!僕は自分の人生に飽き飽きしていたところだ。ソニア、君は僕に新しい楽しみをくれた。今から、君は僕のご主人様だ!」
もう、頭が痛い。私が大切にしてきたヒヨコのぬいぐるみが喋ったと思ったら、時魔法とか訳わからないこと言って、そして今度は私に感謝を述べているし。しかも、私を「ご主人様」などと呼び始めた。
「あ、あの……ヒヨコの中にいる方?」
「ん、なんだい?」
「あなたは、一体どちら様なのでしょうか?」
一拍間を置いて、ヒヨコは驚く。
「そうだった、申し訳ない。自己紹介がまだだったね」
ヒヨコは、すくっと机の上に立ち、挨拶をした。手は全く届いてはいないが、カーテシーのように手を広げて挨拶をしてくれているようだ。
「僕は、アナスタシア・ウィリンガム。ご主人様が使用した時魔法で、別の時間軸からここへ連れてこられたのだと思うよ。こんな身なりはしているけれど、僕の時代では、なかなか有名な魔女だったんだ」
ソニアはヒヨコが、魔女、女性であることに安堵した。
そっか、「僕」と言っていたから、てっきり男性かと思った。良かった、一時的だとしても男性に身体を預けるのは何となく嫌だもの。
「じゃあ、私が時魔術を失敗したばかりにアナスタシアは、この時代に来てしまったのね」
同性と聞いて安堵したソニアの口調が緩む。
「失敗?使用できた事が既に大成功さ!ここに来たのは、まあ、本意ではないがね。でも、結果は頗る良好だよ」
アナスタシアは、胸を張ってご機嫌をアピールする。ソニアは「ふふふっ」と笑みを浮かべた。
「面白い人ね、アナスタシア。私があなたを連れてきてしまったのなら、あなたを元の時代に戻せるよう、頑張るわ」
「適当によろしくお願いするよ、ご主人様」
ここに、二人の奇妙な関係が出来上がった。




