喋るヒヨコが現れた!
アナスタシアが、部屋から出ると木造の廊下が続いていた。廊下にはいくつかの扉があり、共同住宅のような作りになっている。突き当たりに階段があり、4階ほど降りていくと建物の外に出ることができた。そこは、ある程度広い通りで、同じような高さの建物が立ち並んでいる。少女の家は街の少し高い場所にあるため、街の作りを景観からある程度把握することができた。
この街は海沿いにの丘陵地に位置していて、西は海で東は山、南北にかけて街道が伸びている。街全体の作りは、広場を中心に放射環状に作られている。また、南北は高い防壁で囲われていて、整然とした景観と要塞都市を兼ね合わせたような街だ。そして、王城がアナスタシアのいる場所よりも高いところに見える。アナスタシアは、点々と光を照らす街灯や街並みを興味深く観察しながら歩いていく。煉瓦造りのマンション、大きな庭のある豪邸、広い公園が見える。人通りはまばらだが、少女1人で歩いていても大丈夫な程だ。
綺麗だ……。僕の時代じゃ、夜の灯りは篝火だったのに、ここはまるで太陽に照らされている見たいだ。陽が落ちても、こんなにも人々で賑わっている。人々の服装も、きちんと仕立てられいて、豪奢なアクセサリーを身につけている。様式はそこまで変わってはいないが、裁縫技術の向上、庶民への普及率は格段に上がっている。アナスタシアが興味津々に辺りを見回っていると、街灯の下で作業を始めようとしている男性を見つける。その街灯は、火が灯っていなかったので、修理でも始めようとしているだろうか。その男性は、小さなステッキの先にチョークが取り付けらているものを取り出す。そして、その街灯を中心に、先程部屋で見たような円状の陣を書き、何やら呪文のような言葉を唱え出した。
「街路を守りし炎の精霊よ、汝に命ずる。沈みゆく陽に代わり、闇の帳を押し留め、帰る者には道を、迷う者には標を、怯える子らには安らぎを、勤め終えし者にはぬくもりを与えよ。風に耐え、雨に伏さず、夜が明けるまでその身を保ち、この鉄灯籠の芯に宿りて赤き炎を燃やせ。我が名はジョン・ミラー、灯れ、アインス・イグニス」
すると、円状の陣が仄かに赤く光始めて、中心にある街灯の上までつたっていくと、ぱっと灯りがついた。
「おぉ!なんとなんと、すごいではないか!未来では、魔法がこんな日常にまで広まっているとはなぁ」
アナスタシアは感嘆の声をあげながら、街灯をまじまじと見つめる。
「はははっ、ありがとう。お嬢さん。これで、夜道も怖くはないだろう?」
その男性は、笑顔で挨拶をすると手を振りながら去っていった。
「なるほど、今のは魔法を唱えるための陣と、魔法文みたいなものなのだな。よくできているものだ。僕の時代では、一部の能力を持つものしか扱えなかった魔法が、誰にでも扱えるように考えられているのだね。未来に連れてこられた甲斐があるね」
アナスタシアは、初めて見るものばかりで上機嫌だ。すると、何やら通りの向こうから、人々の喧騒が聞こえる。アナスタシアは、まだ見ぬ何かがあるのではないかと、ワクワクしながら向かう。角を曲がると、今まで歩いてきた道の3倍はあるだろう大通りにでた。看板を見ると、「プロムストリート」と書かれている。そこは、今までの通りよりも、さらに明るく眩しかった。その通りにはたくさんの人で溢れていた。色鮮やかな光る看板、たくさんの人がワインや麦酒を飲んでいる。
これは、祭りか?すごいな、この賑わいは。国王の戴冠式や軍隊の凱旋パレードのようだぞ。全く、人間の文明の進歩には驚かされるね。この街の歓楽街なのだろう。どれどれ、この未来の酒は美味しいのかね。
アナスタシアは、自分が今の見た目が少女である事を忘れて、賑わいを見せる一軒の酒場に意気揚々と入る。すると、先程までの賑わいが一瞬で止み、周囲がアナスタシアに向けられる。アナスタシアは人々の視線に慣れているのだろうか、そんな奇異の目には全く意を介さず、店主のいるカウンターに座った。
「主人よ、ワインの赤を1つお願いするよ」
酒場のマスターは、困惑の表情を浮かべる。アナスタシアは、その表情の意味がわからないので、ちょこんと首を傾げる。頭をかきながら、辺りの店員や客たちを見て、苦笑いで言う。
「制服で入店たぁ、えらい度胸だな。お嬢ちゃん、ログロースの学生だろう?」
アナスタシアは、そこで初めて自分が浮かれていることに気づく。
しまった、今僕は10代の年齢だった。
「あー……、すまないね、主人。失礼するよ」
その場を取り繕うおうと考えたが、特に思いつきもしなかったため、アナスタシアは何も言わずにそそくさと酒場を後にする。
酒場の外に出て、大きなウィンドウのある店先まで行き、改めて自分の姿を確認する。
映った姿は、やはり10代の少女だ。むしろ、10代の中でも幼く見立てられそうなくらいだ。落ち着いてよく見てみると、羽織っている外套にフードが着いていて、そこに小さなヒヨコのぬいぐるみが入っている。
随分と可愛らしい事をするね、この子は。うん、違う時代への興味で自分を見失っていたようだ。見失っているのは現在進行形なのだが。しかたがない、異文化への楽しみは明日以降にして、学生らしく部屋に戻りこの子の素性でも調べるとしよう。この子にも、10年の人生がある。それを知らずに僕が勝手に生活をしては、いろいろ支障が出るだろう。
アナスタシアは、歓楽街で楽しむことは諦めて、元の部屋に戻ろうと歩き始めた時、遠くから騒がしい声が聞こえる。声のする方を眺めてみると、大勢の人集りが見える。今しがた学生らしくと心を改めたにも関わらず、アナスタシアは人集りの興味への欲望に負けて、引き寄せられていく。人集りは何かを囲むように円状になっているのは分かるが、大人達が密集しているため、何が起こっているかは分からなかった。アナスタシアは、背の小さいことを利用して、人の間をするりするりとすり抜けて最前列まで出てきた。すると、そこにはアナスタシアと同じ制服を着ている、背の小さな女の子1人と5人の柄の悪い男達が対峙しているのが見えた。
これは良い、酒場のマスターは確かログローストいったか……同じ制服を着ているということは、あの子に聞けば何か僕のことを知っているかもしれないね。しかし、あの男どもと知ったらなんだ、黒い生地にも関わらず汚れが分かる黒いズボン、薄汚れた上着にシャツ。対して女の子の方はゴールドの瞳、綺麗な金色の巻いた髪でシワ1つない制服。甚だ偏見で、男どもには申し訳ないが、外見上関係性がある間柄とは思えないな。
男どものリーダーと思われる、1番大柄な男が女の子の間近まで顔を近づけ、なにやら言い合っている。そして、周囲の人からの、憂慮の声が聞こえてくる。
「あいつら、誰に話しかけてるか分かってるのか?」
「やめとけ、酔っ払ってるんだろ」
アナスタシアは「ふむ」と、様子を身も守る。
「嫌です。何故私が、あなた方に謝らなければいけないのかしら?」
女の子が、冷静に淡々と告げる。
「うるせぇ!てめぇ、俺にぶつかっておきながら、ただで素通りできると思うなよ!」
対して、ごろつきのリーダーはだいぶ酔っ払っているのだろう、大声で威勢のいい口調だ。
「私は立ち止まっていたわ、貴方が勝手に私にぶつかっただけよ。むしろ、謝るべきは貴方の方です」
自分よりも大きい男数人に迫られても、自分の意思をはっきりと伝えるなんて、あの子は強いね。しかも、毅然とした態度で、目を見ている。でも、経験上これは良くないね。
「何だと、てめぇ!ぶっ殺してやる!おい、お前らやっちまえ!」
絵に描いたような、奴らだな。あまりに想像通りで驚いたぞ。さて、ではあの子に僕のことを聞く前に、ごろつきどもを掃除するとしよう。
アナスタシアは、呆れながら女の子前へと歩き出して、男どもに向かって言い放つ。
「いつの世も変わらんものだな、未来ならばもう少し阿呆が減っていて欲しかったがね」
「なんだぁ、お前は?」
急に割って入って来た者が、同じ制服を着ている少女だったことに、男どもも周囲もざわめき立つ。
「おい、誰だあいつは?」
「やめておけって」
アナスタシアは周囲の言葉には気にも留めずに話を続ける。
「お前達は、この年端もいかない子に何を詰め寄っているんだい?」
「年端って……」
気の強い女の子は、アナスタシアを怪訝そうに上から下まで見る。
「兄貴、これは運がいいですぜ。ログロース学院のお嬢様が2人ですぜ。がっぽりと稼ぎましょうや」
子分と思われる男が、リーダーに告げた。その言葉を聞いたアナスタシアは、この因縁の理由に合点がいった。
「なるほどね、この制服は裕福な家の子供が通う学院の制服なんだね。教えてくれて礼を言うよ。つまり、お前達はこの子に言いがかりをつけて、金目の物をせしめるつもりっだったということかい?」
「あ、兄貴!全部見透かされてますぜ。さすが、お嬢様学校だ」
いかにも頭の悪そうなごろつきの一人が、リーダーに驚きながら言う。
「う、うるせぇ!黙ってろ!子供2人がなぁ、俺たちに叶うはずが無いんだってもんよ!」
矛先をアナスタシアに変えた男達は、今にも襲い掛かろうとしている。
「あなた、ログロースの人だろうけど、どちら様?」
少女も驚いた顔で、アナスタシアに尋ねる。
「そうか、君は僕のことは知らないのだね。まぁ、いいさ、さっさと片付けて帰るとしよう」
アナスタシアは、女の子の質問に答えずに男達に向かって言い捨てる。
「おい、お前ら、もう僕の用事は済んだ。早く帰るといい」
アナスタシアは、腕を組み頬杖をつく。その不遜な態度を見て、男たちの顔がみるみると紅潮していく。
「お嬢様からちょっとお小遣いをいただこうと思ったが、もう頭にきぜ。ただじゃ帰さねぇ!」
リーダーがアナスタシアに向かって拳を振り上げる。周囲から悲鳴が上がる。しかし、アナスタシはすんっと済ました顔で、微動だにしない。
「危ない!」
女の子が叫ぶと同時に、アナスタシアに拳が振り下ろされる。
――周囲が息を呑む。女の子も信じられない表情で、アナスタシアを見ている。
「止まった……?いつの間に、バリアが……いつ唱えたというの?」
女の子が驚くのはいつの間にか防御魔法のバリアが張られていたからだった。、男の振り下ろした拳が、アナスタシアの眼前数センチのところで止まったからだ。
「なんだ?これ以上行かねぇ!」
男は自分の拳がアナスタシアに触れることができないことに驚いている。異変に気付いたのか、周囲の男たちも次々にアナスタシアに襲い掛かる。次々とパンチやキックをアナスタシアに浴びせようとするも、全く攻撃は届かない。全てがすんでのところで弾かれてしまう。
「僕を狙う者は多い……多かったのでね。バリアをいつも使用しておくのが癖なんだ」
アナスタシアは同じ姿勢のまま、和かに説明する。すると、男どもの一人が、どこからかナイフを取り出した。凶器を持ち出すと、さらに周囲もざわめき立つ。
「くそがぁぁ!」
乱心した男は叫びながらアナスタシアに一直線に向かって行き、ナイフを突き刺そうとする。すると、アナスタシアは頬杖にしていた手で、その男を指差して呟く。
「燃えろ」
アナスタシアがそう言うと、指先から炎の光線が放たれ、男のナイフに直撃する。男の手から離れたナイフは、瞬時に液体となって地面に落ちた。
「ぎゃあぁ、手がぁ!」
男は手に火傷を負い、地面に転がりもんどり打っている。アナスタシアはその光景を眉ひとつ動かさず、男を見下ろしながら大きなため息をつく。
「はぁぁぁぁぁ……想像以上のくだらなさだな」
アナスタシアは、そう言いながら一度目を閉じて、ゆっくり目を開いた。それは、何も感情のない、冷たい目だ。ごろつきどもは、アナスタシアから数歩下がったところで驚き、萎縮している。今にも、後ずさって逃げ出さんばかりだ。そして、アナスタシアが言葉を吐く。
「跪け」
――ぐしゃぁ。
「ぐわぁ、なんだ体かうごかねぇ!」
男どもは、急に顔を地面に擦り付けるように倒れ出した。男どもが、アナスタシアの周りに倒れ込んでいる。
「何?どういうこと……?今、詠唱してなかった……」
女の子は、アナスタシアが魔術の詠唱無く、魔術をしようしたことに驚きを隠せない。
「お前たちには、退場してもらおう」
アナスタシアは指を夜空に向けて指すと、頭上に幾つもの球体が現れる。その球体はシュルシュルと風が吹き荒れる音を立てている。風を凝縮に凝縮を重ねた球体だ。
「束ねろ」
アナスタシアの言葉を引き金に、球体がものすごいスピードで放たれると、そのままごろつき達を取り込み、風の勢いで一点に集め圧縮した。ものすごい風音で、隣の人の会話ですら聞こえないくらいだ。そして、その威力は凄まじく、周りを取り巻く距離のある周囲の観衆ですら、その場から動けないようだ。
「く、苦しい……。息ができねぇ」
風による圧縮で息のできないごろつきは、悲鳴をあげている。しかし、その悲鳴も数秒後には止み、全員が気を失った。
「おやすみ」
アナスタシアがそう言うと、ごろつきを取り囲んでいた風は霧散した。周囲の人たちは、目の前で起こったことの整理がつかないのか、静まり帰っている。女の子は、驚きを隠せないようにな表情でアナスタシアの前に回り込んでくる。
「貴方……今、何をしたの?」
「何って……」
「ぎぃやぁぁぁーーー!」
アナスタシアは、あまりの大声に耳を塞いだ。
「びっくりした!なんだい、この叫び声は?」
「叫び声?そんなものは聞こえないわ。いいから、私の質問に答えてちょうだい」
「いや、絶対に聞こえたよ。あれは耳元で叫ばれたくらいの大声だ」
アナスタシアは女の子が問い詰めてくるも、声の主が気になるアナスタシアは応じずに辺りを見回す。その時、ふとアナスタシアはの肩に何か黄色い物が見えた。
何だ?その黄色い何かを掴み取ると、それは先程までフードに入っていたヒヨコのぬいぐるみだった。ぬいぐるみのヒヨコがしゃべった?誰かの魔法?攻撃?……というわけでもなさそうだ。
手の中でばたばたを暴れるヒヨコのぬいぐるみを放っておいて、周囲を警戒してみたものの、周りは先程と相変わらずだった。
「君は何者だい?」
アナスタシアは、女の子を放っておいてヒヨコのぬいぐるみに問いかける。
「それは私のセリフよ!貴方こそ何者なの!」
ヒヨコのぬいぐるみは、相当に取り乱している。
「あの、貴方は何故ぬいぐるみに話しかけているのかしら?」
女の子は少し苛立ちを見せながら、アナスタシアに尋ねる。
この声が聞こえていない?こんなに大きな声なのに……。どうやら、僕以外には、この声は聞こえていないらしい。
「とにかく、私の身体を返しなさい!」
「私の身体?」
ヒヨコのぬいぐるみは、手の中で騒ぎ出した。
「何とか言ったらどうなの!」
女の子も苛立ちを隠さず聞いてくる。アナスタシアは、この意味のわからない状況に徐々に苛立ちを募らせる。
「この、偽ソニアー!」
「言いなさい!」
アナスタシアがわなわなと震え出すと、ヒヨコのぬいぐるみを目の前数十センチまで持ってくる。
「う、る、さ、い!」
アナスタシアは、これ以上喋らないように、もう片方の人差し指でヒヨコのクチバシをぶすりと押した。




