ノールの霧5
ロジェ部隊から、モンスター討伐と該当モンスターは召喚獣であることの報が伝えられる。もう一方の召喚獣も、騎士達の連携によって動きを止められていた。ジュリアンは前へ出ず、部隊の位置を調整しながら攻撃を集中させている。
「よし。一体が片付いたそうだ。ギルバート隊、エドガー隊、陽動から転じ、討伐せよ」
ロジェ部隊との分断による各個撃破を避けるため、こちらの二部隊はモンスターの注意を引きつつ戦っていた。そして、ジュリアンから攻撃の指示が出ると、一斉に騎士団が襲いかかる。
「西の第四、市壁手前で交戦中!」
「北の第三、2体のモンスター、食い止めています!」
各所から伝令が飛んでくる。届く報告は悪くない。一体も街へ入れていない。だが、ジュリアンは地図へ視線を落とした。北の二体は、昨日、第三騎士団が回ると決めた方向にいる。西の一体は、第四騎士団の担当。南東の二体は、第一騎士団の進路を塞いでいる。敵の配置は、あまりにも昨日の作戦へ噛み合っていた。
「好都合、か……」
ジュリアンが低く呟く。確かに、戦力は綺麗に分けられた。綺麗すぎるほどに。その時だった。ジュリアンは街の方から、高い魔力を感じる。
「な、何故だ……これほどの魔力……」
ジュリアンが考えを整えようとした時、街の中から轟音が響いた。地面が震え、ノールの屋根の向こうへ青白い光が走る。
「市街地で落雷!」
門から駆けてきた伝令が叫んだ。
「違う、これは魔術だ」
ジュリアンはぼそりと言う。
「団長!ノールで召喚獣が現れましたぞ!」
ロジェがジュリアンの元へ駆けつける。
「ロジェ、お前分かるのか?」
ジュリアンは、微かに目を見開く。
「いえ、魔力の探知に長けているソニアからの進言です」
セラの嘘が、広がっていく。
いや、何にも長けてないんですが……。
ソニアは息を切らせて、追いつくと膝に手をつき整える。そこに、息が全く乱れていないセラが付け加える。
「団長、ソニアが探知した情報だと、ノールに現れた召喚獣は、以前アルエ団長が遭遇した甲冑レベルだとの事です」
「何だって!!」
ジュリアンの部隊から驚きの声があがる。ジュリアンに驚きの表情は無く、徐にソニアを見る。
「ソニア、ドラゴン以上の強さである事は間違いないか?」
やっと息が整ったソニアは顔を上げる。
「はい、間違いありません。もう直ぐ、召喚が完成してしまいます!」
ソニアの顔からは、その場の誰もが妄言ではないと感じられた。その時、またノールの街に轟音が響く。
「北三区の倉庫から、巨大なモンスターが出現しました!!」
伝令が、到着を待たずにこちらに走りながら叫んだ。
「各部隊、突破されていません!外周を馬で確認しましたが、何処にも侵入した形跡はありませんでした!」
ジュリアンの表情が変わった。ソニアが言うように、最初から中にあった。騎士団がノールから、いなくなるのを知っていたかのように。
◇
始まりは、倉庫の床に浮かんだ光だった。それは、積み重なる荷に、隠されるかのように描かれていた。荷を運んでいた団員が異変に気づいた時には、木箱の隙間から紫色の線が伸び、円を描いていた。幾重にも重なった魔術陣が、床板の下から滲み出る。召喚魔術を知らない者でも、この魔術陣は危険だと本能的に理解できるものだった。団員の顔がみるみると青ざめる。
「全員、外へ出ろ!何かの魔術陣だ!」
団員が叫ぶ。魔術陣の中央に、最初は薄い輪郭だけが浮かび上がった。次に、輪郭の内側へ魔力が集まる。黒く濁った光の塊が膨らみ、巨大な球体を形作っていく。表面へ硬い外殻が一枚ずつ重なり、その後方から節状の長い構造が伸びた。脚はない。頭もない。女王蟻の腹部だけを、何倍にも膨らませたような形だった。
球体の前面では、顔の代わりに奇妙な器官が形成されていく。左右対称に枝分かれしたそれは、王冠にも、古い紋章にも、見知らぬ宗教の印にも見えた。生き物のようで、生き物ではない。人工物のようで、誰かが作った物にも見えない。最後に外殻が閉じる。
異形の召喚獣は、地面から僅かに浮かび上がった。音もなく前へ滑る。次の瞬間、倉庫の壁が青白く染まった。雷は、異形から一本だけ放たれたのではない。壁。梁。積まれた鉄具。濡れた石畳。離れた複数の場所で同時に生まれ、枝分かれしながら倉庫の外へ走った。悲鳴が上がる。雷は看板の金具へ移り、そこから水溜まりへ落ち、逃げる人々の足元まで追いかけた。
◇
「ギルバート、エドガー。あいつはお前達でやれるか?」
ジュリアンが部隊長二人に確認すると、二人は「お任せください」と意気込んだ。
「頼んだ。我ら部隊とロジェ部隊で、ノールの街へ向かい召喚獣を討伐する。情報は、現時点では雷を使う事くらいだ。市民へ被害が広がる前に叩くぞ」
ジュリアンはロジェ達を見渡し、ノールの方へ目をやる。即座の決断だった。
「御意」
「討伐後は、第一班は外周を哨戒。第二班は——」
言葉が止まる。背中に大きな魔力を感じる。今、召喚獣と戦っているさらに奥。畑の向こうから、白い霧が流れてきた。朝日に照らされても消えない霧が、地面を覆い、戦闘中の騎士達の膝まで這い上がってくる。
「退却!」
ジュリアンの声が平地に響き渡る。しかし、霧は騎士達を包み込む。微かに巨大な影が動いたように見えた。
——雪のように白い体毛。煙のように揺れる輪郭。血に濡れた口元。白い巨大狼が、霧の中から姿を現した。
「ふむ、まるで古い伝承に出てくる霧の魔狼のようだな。召喚獣というのは、どうやら伝説の生物も呼べるようだ」
「伝説の生物……」
ソニアは、レッドドラゴンや甲冑を思い出す。
「しかし、あの霧は魔力さえも包み込むようだ。この距離まで何も感じることが出来なかった」
ジュリアンは顎に手を置き、霧の狼の動きを観察する。霧の狼も、ジュリアンを目の前にして動きを止める。
「最悪のタイミングね。今まで動かなかったのに……」
「作戦変更だ。我が部隊は霧の狼ともう一体の召喚獣を叩く。ロジェ隊は、ここで援護。霧の狼を叩いた後、ノールへと向かう」
ジュリアンは霧の狼から目を離さず告げる。今、この場の主戦力はジュリアンとロジェの部隊だ。ここを空ければ、霧の狼と外周の召喚獣がそのままノールへ雪崩れ込む可能性がある。一方で、未知の上位召喚獣がいる市街へロジェ部隊だけを向かわせれば、無駄死にさせかねない。ならば、まずここを確実に抑え、その後に全力で市街へ向かう。指揮官としては合理的な判断だった。ただ一つ、その間にも街の人々が危険に晒されるという一点を除いて。
「それだと、街の人に被害が及びます!」
異を唱えたのはソニアだった。
「避難してきた人達は、私たちを頼って来たんです!でも、不安で……でも、感謝してくれて……」
ソニアはジュリアンと目が合うと逸らしてしまうが、その言葉を止めなかった。
「街の人たちを、放ってはおけません!」
ソニアのその言葉を聞いた時、ジュリアンの長槍を握る手に、僅かな遅れが生まれた。霧の狼は、その一瞬を見逃さない。地面を蹴ると、一度の跳躍で騎士達を飛び越え距離を詰め、鋭い爪を振り下ろす。ジュリアンは素早く長槍を抜くと、柄で爪を受けて穂先を返して狼の肩を突く。寸前で交わした霧の狼は霧へ沈むように姿を消した。
「団長!」
ロジェが声をかける。
「問題ない」
ジュリアンはロジェを制する。霧に隠れた霧の狼は、索敵が難しい。周囲に気を張ったままソニアに指導する。
「ノールの不確定要素が多い中、お前達を行かせるわけにはいかない。市民ももちろん大切だ。だが、団員の命も同じく重いものだ。簡単に行かせるわけには行かない」
上に立つものの責任、誰もが納得した。だが、ソニアはその意見に反した。
「絶対……」
その場にいた皆、その言葉を聞いて振り向いた。ジュリアンを除いて。
「絶対に大丈夫です。ノールの召喚獣は私達だけで倒せます。誰一人として、死なせません」
ソニアの声は、とても静かな落ち着いたものだった。
皆の注意が疎かになった時、霧から白く鋭い閃光が走る。ジュリアンが長槍を横に薙ぎ、霧の狼の突進を捌く。
「絶対に……」
ジュリアンは、霧の狼の後を追いながら言う。口に出してから、ソニアは少しだけ後悔した。
絶対——
どうして、絶対なんて言ってしまったのだろう。昨日までなら、根拠もないのにそんなことを言うのは無責任だと、きっと飲み込んでいた。けれど、今は違う。安心させるためだけの言葉ではない。言ったからには、自分がその言葉を本当にする。だから、引っ込めるつもりはなかった。
「ロジェよ、聞いたな」
ロジェが霧の狼の気配を探りながらも頷く。
「誰一人として、見捨てないそうだ。召喚獣の討伐、避難民の誘導、できるな?」
その問いには、「いいえ」はなかった。
「皆の者、ノールへ行くぞ!」
ロジェは腕を高く上げる。
「我に続けぇ!」
「はい」
「ぎょーい」
「はい!」
ソニア達は、ノールの街へ向けて走り出す。




