ノールの霧4
翌朝。ノールの街に、警鐘が鳴り響いた。何度も鳴らされていて、いかに緊急なのかが否が応にも感じられる。ソニアはその気味の悪い警鐘に、寝台から飛び起きた。
「な、何、何?セラ、何の音!」
「緊急事態よ。早く準備をしましょう」
慌てふためくソニアを他所に、寝台から起き上がったセラは落ち着いていた。
「…………」
「何?どうして黙っているの?」
ソニアは、セラの脇を見て指をさす。そこには、可愛い犬のぬいぐるみが抱き抱えられている。
「それ……持ってきたの?」
セラの顔が急激に紅潮する。
「バカなこと言ってないで、早く準備をしなさい!」
「は、はい!」
セラの見当違いな怒りにソニアは驚き、せかせかと準備を始める。二人は、制服の上に第一騎士団の外套を羽織ると、すぐに部屋の外に出る。
「二人とも、急がれよ!軍議室だ!」
ちょうどその時、廊下にいたロジェが二人に声をかける。
「はい!」
「ソニア、あなた靴を履いていないわ!」
ロジェの元へ走り出そうとするソニアにセラが指摘する。
「あぁ!ごめん!」
ソニアは踵を返し靴を取り、踵を踏まないように足を通す。そして、大急ぎで部屋を出ようと駆け出す。
「おいおい、ご主人様よ、何事だい?騒がしいったらありゃしない」
サイドテーブルの上では、アナスタシアがハンカチで作った小さな寝床から、眠そうに身体を起こしていた。
「あぶなっ!また、忘れるところだった!」
ソニアは、うつらうつらしているアナスタシアを握りとり、フードの中へ放り込む。
「ぐっへぇ」
「アナスタシア、ごめん!」
ソニアは謝罪も適当に、ロジェに合流するために軍議室へ急ぐ。
軍議室には、既に団長たちが集まっていた。ソニアがそこへ加わると時を同じくして、伝令の騎士が報告するために入室してくる。
「急ぎのため、失礼します!」
「良い、報告を」
「北に二体!西街道に一体、南東に二体!それぞれ外周でモンスターを確認!確認されたのは五体です!」
伝令が矢継ぎ早に言うと、そこで一拍置いて息を整える。まだ、伝えるべきことがあることは、その表情から分かった。むしろ、この後の情報の方が大切だと言わんばかりだ。
「全てのモンスター……我々が見たことのない個体ばかりです」
伝令は敢えてか、ゆっくりと告げた。
「ご苦労だった」
ジュリアンは一言労うと、昨日の軍議で使用した地図に目を落とす。各村々を兵棋が囲んでいる。既にこの作戦が破綻していることは、ソニアにも分かった。その時、もう一人、伝令が軍議室に飛び込んでくる。
「モンスターが市街へ向かっています!我ら哨戒隊では、太刀打ちできません!応援を!」
「承知した」
ジュリアンは、兵棋を素早く再配置して地図を指し示す。
「好都合だ。村まで出向く手間が省けた。敵が街へ入る前に討つ。第三騎士団は北、第四騎士団は西。第一騎士団は南東へ回れ。また、未確認のモンスターは召喚魔術の可能性が大きい。各部隊、気を引き締めてかかれ」
三人の団長が、それぞれの部隊を率いて軍議室を出る。ロジェの部隊は第一騎士団と共に南東へ向かった。
街の門から街道へと出ると、哨戒隊の野営地がある。一人の団員がジュリアンに状況を報告する。
「ここから南へ1キロあたりです。スピード自体は早くはありませんが、私どもの攻撃では傷一つつけることはできなかったため、足止めはできておりません。あと10分ほどで門に到達する見込みです」
南東の街道は畑が広がっていて平地であるため見通しがよく、遠くにモンスターらしき影が見える。
「一体は岩を貼りつけたような外殻を持ちまるでアルマジロのようなモンスター、もう一体は四本の太い手脚の上に、甲冑を思わせる暗い殻を纏っている猿のようなモンスターです」
「甲冑……」
ソニアは前のドラゴン討伐の時のことを思い出す。
「前の甲冑よりも図体は大きいわね」
セラは、腕組みをしながら遠くのモンスターを見る。
「左様か。だが、並の剣では傷一つ付かないほど硬いことは、ゆめゆめ忘れることのなきよう」
「なに?ゆめゆめって?」
ルミエラはこの状況でも、場違いな発言をする。
「どうしよう、私、絶対に足手纏いになっちゃう……」
ソニアは、誰にも気づかれないようにフードのアナスタシアを手に取り、目の前まで持ってくる。その時、ルミエラが目の前に現れる。
「なになにー!かわいいー!それ、ひよこちゃんだー」
「うひゃぁ!びっくりした!」
ルミエラがあまりに近かったので、変な声が出る。
まずい、このままアナスタシアと入れ替わったら、ものすごく怪しまれる……。何とか、誤魔化さないと。
「あ、こ、これ?これは、ちょっとしたお守りみたいな物なんだ……あはは……」
しどろもどろで答えるも、ルミエラは全く気にしている素振りはない。アナスタシアも動かないように努める。
「わかる〜、かわいいものをみると落ち着くよね〜」
アナスタシアの鼻を押そうと指を伸ばすルミエラを、ソニアはさっと躱す。
「で、でしょ〜、さすがルミエラさん。分かってるな〜……」
全く思っていないことを言いながら、ソニアはアナスタシアから気を逸らそうとする。
「お主達!今がどんな時か分かっておるのか!」
ロジェの怒声。二人は肩を竦める。
「すみません!」
「はいはい、わかりました〜」
直ぐに謝るソニアと、臍を曲げて外方を向くルミエラと対照的だ。すると、ジュリアンから指示が飛んでくる。
「ギルバート隊とエドガー隊は右を抑えろ!左はロジェ隊へ任せる!全力で潰せ」
ジュリアンの指示と同時に、ロジェが剣を抜いた。ロジェ隊は猿のようなモンスターだ。
「気を引き締めて臨むぞ!我があやつを惹きつける。ソニア、セラ、ルミエラは後方より援護、攻撃せよ!」
「はい!」
ソニアとセラが返事をする。街への被害の軽減のため、なるべく街から遠くで戦いたいロジェ達は、モンスターへ向けて走り出す。
「早っ!もうあんなところまで!」
ロジェとの距離がどんどん離れていき、援護や攻撃どころではなかった。それでも、セラやルミエラは、後を追いつつ魔術陣を作り出す。
「契約の鍵、麒麟の霆行、我雷光とならん、アインス・フルメン・メ・ペルワーデ」
セラは、走りながらも魔術の詠唱を完成させる。両足に雷が宿り、セラの姿が一瞬で前方へと伸びた。
「流転の環 遊火の印 赤く弾け 弾けて踊り 全てを無に帰す刃と成れ アインス・イグニス・グラディウス」
続けてルミエラが詠唱を終える。ロジェの剣に炎が宿り、刀身が赤く輝く。セラは強化した速度のまま、瞬時にモンスターの後ろへと回った。
「ちょっと!待って!」
ソニアがモンスターまでの距離半分も行かないうちに、他の面々は会敵して臨戦体制に入っている。モンスターが頭を低くし、ロジェへ突進してくる。ロジェは正面から受けず、激突の寸前に半歩だけ身体をずらし、剣の腹を角の下へ滑り込ませる。巨体の向きが僅かに逸れ、そのまま地面へ肩から突っ込んだ。土が跳ねる。ロジェは追わず、立ち上がる瞬間を待った。
「確かに硬い。だが、ルミエラの炎を纏ったこの剣。そこらの物と同じと思うでないぞ」
ロジェは落ち着いていた。踏み込みと同時に、ロジェの残像が見える。次の瞬間、ロジェの剣がモンスターの左手付け根に突き刺さる。モンスターが吠え、もう片方の前足でロジェを薙ぎ払う。ロジェは剣で受け流し、押し戻された足で地面を踏み直した。
「契約の鍵、雷帝の依代、我穿つ、アインス・フルメン」
轟音と共に、モンスターの頭上に雷が落ちる。
「すごい連携……3人の力が合わさって、モンスターを圧倒しているよ」
「おい、ご主人様よ。今こそ、変わるチャンスなのではないかい?」
感心しているソニアに、アナスタシアが提案する。
「そ、そうだね!戦いに見入っちゃってた!」
ソニアがアナスタシアを取ろうとした時、セラの声が聞こえる。
「危ない!避けて!」
モンスターは両手を地面へ叩きつけた。太い指が土を深く抉り、石と土砂をまとめて持ち上げる。両腕の怪力でそれらを押し固めると、歪な岩塊のような塊を作り上げ、そのままソニアへ向けて投げつける。
「えぇ!何で私に!?」
「多分、ご主人様が一番弱いと判断したのだろう」
「解説なんか要らないよ!」
ソニアは丸く縮こまる。
「それではダメだ!ご主人様!」
「ソニア!」
セラの叫び声が聞こえた時、岩が轟音と共に砕け散る。ソニアの前には、投げつけられた岩よりも一回り以上大きい氷の壁がそびえていた。
「ソニアー。だいじょうぶ〜?」
ルミエラが魔術杖を向けている。ルミエラの氷属性の魔術が、モンスターの攻撃を防いだ。
「あ、ありがとう!ルミエラさん!」
「えへへ〜、どういたしまして〜」
ルミエラはにへらにへらと笑っている。
「ソニア、前へ出るべからず!お主は、そこから、援護を頼むぞ!」
「は、はい!」
「ルミエラ!右脚の下を凍らせられよ!」
「ほいよ〜」
ルミエラは軽く魔術陣を描き、魔術杖を地面へ向け、短く詠唱する。
「水神の息吹 這う霜の囁き 我が道を白銀に染めよ アインス・グラキエス!」
地面へ薄い氷が走った。モンスターが再び突進し、前脚を滑らせる。巨体が傾き、甲冑のない腹部が露わになった。
「そこなり!」
ロジェが踏み込む。剣先はモンスターの鳩尾と胸との継ぎ目へ突き立てられた。モンスターの体が大きく痙攣する。ロジェは剣を引き抜き、倒れた巨体の首元へ、迷いなく二撃目を突き下ろした。黒甲冑が砕け、内側から魔力の光が漏れる。そして、前回同様に青紫の光に輪郭が包まれると、空に向かうように消えていった。
「この光……やはり召喚魔術……」
セラは空に消えていく光を見ながら呟く。ロジェはそれを聞くと、数百メートル後ろに待機していた後方部隊に伝える。
「出現したモンスターは、見立て通り召喚獣なり!団長に速やかに伝えられよ!」
◇
西の街道では、第四騎士団が市壁の手前でモンスターを迎え撃っていた。四本の脚を持つモンスターは、剣先を避けるように街道の端へ寄ると、隊列の横を抜けようとする。右側の騎士達が、その動きに合わせて追いかけようとした。
「追わないで!前列はそのまま、二列目だけ門の前へ!」
エレナはレイピアを抜きながら指示を出す。西門を抜けた先では、左へ曲がる通りが避難所へ続いている。そこは荷車と徒歩の住民が合流する場所でもあった。門の前で戦いになれば、避難する人達まで止めてしまう。エレナは昨日整理した人の流れと、普段から見ている街道の幅を思い浮かべ、動かす人数をすぐに決めた。
「二人は誘導の騎士へ伝えて。門へ向かう人は、内側の角で止めてほしい。残りは間隔を詰めて、ここを抜かせないよ!」
団員達が走り出す。モンスターは門へ向き直ろうとしたが、先回りした騎士達の剣がその進路を塞いだ。追いかけて隊列を崩さずに済んだことで、街道の正面にも隙間はできていない。モンスターは唸り声を上げ、今度は外壁沿いの壁の方へ向かう。
エレナは、その前へ踏み込んだ。その踏み込みは、氷を滑るかのように音もなく速いものだった。瞬時にモンスターの正面に回り込み、モンスターが頭を下げるよりも早く、エレナの剣先が目の縁を穿った。モンスターは悲鳴を上げ、顔を背ける。エレナは深追いせず、剣を引き抜くと街道の方へ回り込んだ。
「あははっ!残念だったね。そう、そちらへ戻ってもらおうか。君は街に入ることは叶わないよ」
エレナはモンスターの向きを確かめ、団員達へ剣先で合図を送る。第四騎士団が左右から距離を詰めた。背後の門へ通じる道は塞いだまま、戦う場所だけを徐々に街から遠ざけていく。エレナは一度だけ門を振り返り、誘導の騎士が頷いたことを確かめると、魔術陣を展開した。
「あははっ!僕の氷は綺麗だから、ぜひお見せしようじゃないか!」
魔術陣の展開から、既に詠唱に入ろうとしている。見慣れた第四騎士団の者も、その早さと美しさに目を奪われる。足元へ這う冷気と魔力の流れが正面の進路を塞ぐように広がると、モンスターはそれを避けるように急に踵を返し、別の方向へ逃げて行こうとする。
「ちょ、ここで逃げるのかい!」
エレナは詠唱を止めて、慌ててモンスターの後を追う。
◇
北では、二体のモンスターが第三騎士団へ迫っていた。そのうちの一体は、騎士達の胸元ほどもある太い前脚で地面を踏みしめ、正面から隊列へ突っ込んでくる。前列の騎士が剣を構え直す。この突撃は少し難しいと判断したアルエは、大剣を持って騎士の前へ出た。
「私が受けますわ。皆さんは、もう一体から目を離さないでください」
アルエは大剣の柄へ両手を添え、腰を落とす。振り下ろされた前脚が刀身へぶつかり、重い音が響いた。アルエの靴底が土を削る。だが、後ろの騎士へ届く前に、その脚は止まっていた。モンスターがさらに体重をかける。アルエは肩を沈め、前に出した足へ力を込めた。ここで下がれば、後ろの騎士達まで押し込まれる。もう一体を抑えている部隊との間隔もなくなってしまう。アルエは刀身へ押しつけられた脚を見上げると、息を吐いた。
「……まあまあ重いですわね。でも、ここまでです」
アルエが大剣を押し上げる。前脚が浮き、モンスターの巨体が後ろへ傾いた。その瞬間、アルエは一歩踏み込み、持ち上げた大剣を振り下ろす。刃が肩口へ食い込み、モンスターが大きくよろめいた。アルエは大剣を引き抜きながら、背後へ声をかける。
「今です!左右から回ってください。正面は私が引き受けますわ!」
騎士達がアルエの両脇を駆け抜けた。モンスターは右へ首を振る。しかし、そこへ剣を構えた騎士が迫り、反対側にも別の騎士が回り込んでいる。後ろへ下がろうとしたモンスターへ、アルエはもう一度大剣を振った。巨体がさらに後退する。その分だけ、第三騎士団の前列も進んだ。
「慌てなくて大丈夫ですよ。一体ずつ、確実に抑えましょう」
アルエは後ろを確かめ、いつものように困り顔で穏やかに言う。ここではノールへの被害を抑えるのが最優先。即殲滅以上に、周囲の索敵、そして騎士団としての組織的防衛が必要不可欠となる。
もう一体を受け持つ部隊が並ぶまで歩幅を抑え、騎士達が追いつくと、アルエは再び大剣を持ち上げた。
◇
「すごい……みんな」
ソニアが見惚れていると、フードの奥からアナスタシアの声が響いた。
「おかしい。ご主人様、ノールの街で大きな魔力が……これは、以前の甲冑レベルだぞ!」
唐突な声に、ソニアとセラが同時に表情を変える。
「ええっ!何で!?」
「霧の狼?突破された?」
「いや、霧の狼はまだ動いていない」
ソニアは何気ない仕草を装ってフードの縁へ手を添える。アナスタシアの声は、その中から続いた。
「正確に言うなら、召喚獣は、まだ現れていないんだ。気が付かなかった、おそらく高位の召喚には時間がかかるのだろう。後、半刻ほどで、完成するぞ」
ソニアは、昨日出会った避難所の人々が脳裏によぎる。恐怖、不安、悲しみ。そして、自分が飲み込んだ言葉。
『もう大丈夫、安心してください』
ソニアは顔を上げ、ロジェに進言する。
「ロジェさん!街に召喚獣が現れます!」
「何、突破されたか?!」
「いえ、街の中で召喚が行われています!後、数分で完成してしまいます!」
ソニアの鬼気迫る顔つきに、ルミエラも真剣に聞いている。
「お主、何故そのようなことが分かるのだ?」
「えっ!そ、それは……」
ソニアは、急にしどろもどろになる。
「ソニアはログロースの首席です。魔力の探知は、団長以上のレベルです」
セラが平然と嘯く。ソニアは、あまりに堂々と嘘をつくので、セラをまじまじと見る。セラは、「何か文句でも?」と言いたげに、ちらりとソニアを一瞥する。
「ふむ……だとすると。街が危ないな。ここはもう大丈夫、後方部隊に任せて、我らが駆けつけるぞ」
ロジェは一度決心すると、猛進するきらいがある。そう言うと、突如走り出す。
「ソニアー、きみ、なにものー?」
ルミエラは、間延びした聞き取りにくい声で一言告げて走り出す。
「だるいー、まってー」
ソニアは街の方を見つめながら、フードの中のアナスタシアへそっと触れた。
「うん」
セラも走り出す。ソニアは皆の後に続く。
「アナスタシア、力を貸して」
ソニアは街の方を見つめながら、アナスタシアの頭を撫でた。




