ノールの霧1
貿易都市ノール——この街はログロースから東に位置しており、幾つかの村を越えた先にある。単騎で馬を走らせても数日かかるほどの距離で、服装や装飾もログロースとは異なる。ロロノアとの国境に最も近い街とあって貿易は盛んで、朝から晩まで人の波が途切れることはない。他国との境界だけに、警備する憲兵の数もログロースより遥かに多い。
ログロースを出てから三日、第一騎士団はノールへと到着する。街へ到着したソニアは、馬車から転がり落ちてくる。
「うへぇ〜、酔った〜……」
「大丈夫?」
セラは優雅に馬車から降り立ち、ソニアの心配は他所に辺りを見回す。城門の前には騎士が並び、街の中からも荷馬車が出てくる。御者へ合図を送る騎士の外套には、第一騎士団とは違う紋章が縫い込まれていた。
「第四騎士団ね……」
セラの呟きに、ソニアは思わずその外套を見つめた。ノール地方は、第四騎士団の管轄だとジュリアンから聞いている。同じ騎士でも、エレナの下で働く人達なのだと思うと、少しだけ親しみが湧いた。
「結局その大きい外套にしたのね」
「うん」
黒地に白金の縁取り、肩には交差する双剣。アイラに渡された時から、ソニアはこの大きな外套を気に入っている。
「ソニア殿、忘れ物なきよう」
ロジェが馬車の中を確かめ、ソニアへ荷物を渡した。セラが袋の下へ手を添える。三日あれば準備は出来ると思ったが、実際にはセラへ聞かなければ分からない物ばかりだった。母親への手紙を書き終えたのも、出発の前日だ。
クララには、騎士団の任務でノールへ行くと伝えてきた。怪我をしたら、大丈夫だと思っても診てもらうこと。それだけは守ってね、と念を押された。ソニアは笑って頷いたが、今、目の前の騎士達を見ると、その言葉が急にずしりと重くなる。
「ソニアー、にもつ、もってくれるんでしょー?」
ルミエラが右腕の包帯を押さえ、左手で袋を上げた。ソニアは自分の荷物を下ろしてから受け取る。
城門を潜ると、通りには更に多くの騎士がいた。道の端では、子どもを抱いた母親が荷車へ乗るところだった。普段の買い物にしては、荷物が多い。車の後ろに立つ男の靴は泥だらけで、石畳のノールの道にはあっていなかった。
「あの人達……」
「村から来た者達だ、こちらへ移ってもらっている」
ジュリアンが後ろから答えた。ソニアは即座に姿勢を正す。団長に声を掛けられると、やはり背中が棒のようになる。
「霧が出た村の人達を避難させた。今は団員達に避難所の設営と誘導をさせている」
そう言うと、近くの部隊の団員に指示を出す。
「アラン、受け入れた人数を第四騎士団の担当者と照合してくれ。家族が別の車に乗っていないかも確かめてくれ」
「承知しました!」
後ろの騎士が返事をして、荷車の方へ走った。訓練場でグリットと一緒にいた騎士だと、ソニアも覚えている。
「ロジェの部隊には主戦力として動いてもらう。長旅の後だ。今は街の把握と休息を優先させるといい」
ジュリアンはそう言うと、次の指示を出すために他の部隊のところへと歩いて行く。
「あ、あの……ソニア・エヴァークレストさんですか?」
急に後ろから声をかけられる。振り向くと、第四騎士団の団員が数名、ソニアの顔を伺いながら立っている。ソニアもいい加減慣れてきて、これは多分ドラゴン討伐のことを聞かれるなと勘繰る。
「はい、そうですが……」
団員の顔がみるみる明るくなる。
「やっぱり!エレナ様を守ってくださりありがとうございます!」
「はい?」
てっきり称賛か謗りが来ると思ったら、感謝だった。団員はソニアの手を握り締め、泣きながら迫る。
「エレナ様は不意を突かれたところ、ソニアさんが助けてくれたというじゃありませんか!あのお綺麗なエレナ様に、何かあったらと考えると発狂しそうです!あの美しいお髪、お顔、お身体、全てが完璧です!にも関わらず、魔術や剣術にも長けている。エレナ様こそが、最上!あの方の美貌に並ぶ者はおりません!」
「は、はあ……」
ソニアは一気に捲し立てられて呆然としている。セラは、最大の嫌悪が顔に出ている。
「おい、ちょっと待て!」
呆然としたまま振り向くと、別の騎士団員が数名いた。外套は第一、第四騎士団のものではなく、第三騎士団のものだった。
「最上がエレナ団長だと?ふざけるな!最上はなぁ、アルエ様なんだよ!あの体躯からは想像できないほどの優しさ、全てを包み込んでくれる母性。にも関わらず、片手で大剣を振り回す剛力。柔と剛を兼ね備えたアルエ様が最上なんだよ!」
ソニアはそっと握られた手を解くと、同じグループと見られないように、何も言わずに静かに2、3歩下がる。どうやら、第三騎士団と第四騎士団の間には、二人の美貌を巡る軋轢があるようだ。アーケイン家は生粋の、人を惑わす魅力をもつ一家なのだろう。
「何だと!エレナ様のあの美貌こそが最上だ!」
団員たちはどんどんヒートアップしていく。額を突き合わせるような睨み合いだ。
「はんっ!エレナ団長はただの美しいだけの御人よ!アルエ様は美貌だけでなく、包容力が凄いんだ!エレナ団長は、細っ細の棒っきれだろうが!」
「何だと!エレナ様の透き通るようなあの肌!聖女とはまさにエレナ様のためにあるようなもの!アルエ様はただの怪力な大男だろうが!」
「もう我慢ならねぇ!」
今にも両者が剣を抜こうとしたその時——向かい合う団員の方がそれぞれ叩かれる。団員が振り向くと、そこにはアルエとエレナがいた。
「細っ細の棒切れです」
「怪力の大男です」
その声の主は、第三騎士団長アルエと第四騎士団長エレナだった。二人はとびきりの笑顔で言う。その笑顔を見るなり、団員達の血の気が一気に引いていく。
「ひぃぃぃぃ!すいませんでしたー!」
団員たちは、一目散に逃げていった。
「全く……仕事もせずに、何を言っているのかしら」
アルエは溜息をつくと、ソニアとセラに向き直る。長身の赤髪、パフスリーブの軍服に前開きのスカートにロングブーツ。青髪の細身、グラデーションの綺麗な外套に濃紺のロングブーツ。ソニアは、遠方の地で知った顔に出会えたことに、自然と表情が明るくなる。
「アルエさん!エレナさん!お久しぶりです!ソニアです!」
「ソニアさん!お久しぶりです」
アルエとエレナがログロースの皆の元へやってくる。ロジェとルミエラは腕を後ろに組み敬礼をする。そして、肉親のセラさえも敬礼をしていた。
「えっ!ちょ!ちょっと、す、すいません!」
そうだ、忘れてた!二人は私の上司だ!失礼すぎるっ!
ソニアは慌てて姿勢を正し、敬礼をする。
「あははっ!良いのさ!ソニア、君のおかげで僕は命があるんだ。命の恩人さ!第四騎士団の団員には、全員君の武勇伝を聴かせてやったよ!」
「あはは……ありがとうございます」
ソニアは、更なる「英雄ソニア」の広まりに額に汗が伝う。
「そうよぉ、ソニアさん。私たちは、あなたの力に助けられたのですわ。どうぞ、普段通りに接してくださいまし」
団長二人がソニアに感謝を述べ、普通に接してくれとお願いする。その様を見た、ロジェやルミエラ、周りにいた団員達は一同、驚きを隠せない。
「すげぇ、団長二人から感謝されてるぞ……」
「やっぱり、噂は本当だったんだ」
団員の囁き声が聞こえてくる。ソニアは、少しバツが悪そうにしている。
「あははっ!セラちゃんも普段通りでいいのに」
「そう言う訳にはいきません。ソニアはともかく、私がしたら公私混同です」
「うふふっ、さすがお堅いですわね。母似のセラは」
セラは、「ふんっ!」と言うと、再度姿勢を正す。
「あら、第一の外套ですわね!随分と立派に……って、ちょっと大きくないです?これ」
アルエがソニアの外套の両端を持ち上げる。
「大きいんですが、私的に気に入っているんです」
ソニアはちょっと照れながら言う。
「あははっ!フードの中にはいつものヒヨコちゃんだね」
エレナはフードの縁を摘んでアナスタシアを確認する。
「そうそう、ソニアさんはこのピヨピヨがいれば百人力ですものね」
アルエは、ドラゴン討伐の時のことを思い出しながら笑う。皆の前でアナスタシアと入れ替わったなんて言えず、ソニアは苦笑いをする。当然、ロジェとルミエラは、何のことを言っているのか分からない様子だ。
「お二人は、もうお怪我は大丈夫ですか?」
「ええ。心配してくれて、ありがとう」
「あははっ!ソニアのおかげさ!」
アルエの微笑みを見て、ソニアも笑った。アル・ヘレナでは、二人ともひどく消耗していた。元気な姿を見られただけで、胸の奥に残っていた心配がほどけていく。
「まぁ、お二人は、丈夫が取り柄ですので」
セラは、畏まりながらも嫌味を言う。
「おや、部下が失礼極まりないことを言っていますわね?」
「いいえ、称賛の極みです」
セラは目も合わせずに、仏頂面で言う。3人のやり取りを可笑しく思うソニアが笑うと、アルエとエレナも笑う。ソニアは、この緊張した街の空気が少し和らいだように感じた。ここでも皆無事でいて欲しいと、ソニアは心から思った。




