初めての第一騎士団(後編)
「待ってください」
「なんだ?」
「撤回してください。セラはそんな卑怯な人間じゃない……です」
ソニアは男を見上げた。近くで見ると、先程よりもずっと大きい。腕も肩も、自分とは比べものにならないほど鍛えられている。その男の目が怒りで細くなっただけで、足が下がりそうになった。
でも、セラが私を持ち上げている?自分の評価のために?そんなわけない。私が魔術を一つ失敗する度に、何処が悪かったのか教えてくれて、疲れて帰った後で自分の用事を済ませていたのに。この人は、何も知らないじゃない。
「セラは、自分のために嘘をついたりしません。今の言葉は取り消してください」
「ははっ!ソニア様が、ようやく相手をしてくれる気になったらしいな!」
男は連れ立ってきた仲間に笑い掛けると、近くの武具掛けから訓練用の模造刀を取った。ロジェはその手元を見て、眉を寄せる。
「手合わせをせずとも、発言は取り消せるはず」
「なら、首席様も断ればいい。俺は、相手をしてほしいと言っているだけだ」
ソニアは男の剣へ目を落とした。先程ロジェが受け流していたような一撃が来ても、自分には何も出来ないことが分かっている。
「ご主人様、結局僕の出番を作ってくれるのだね」
アナスタシアがフードから頭を覗かせる。ソニアはその小さなヒヨコを胸元へ持ってきた。
「ごめん。あれだけ出てこないでって言ったのに」
ソニアは顔を近づけ、小さな声で言った。
アナスタシアには力がある。他を寄せ付けない、絶対的な力。私にはない『力』。でも、私の言葉で変わってくれた人もいる。アナスタシアにしか出来ないことと、私にしか出来ないこと、その二つがあることは分かった。今、あの人に言いたいことは、自分で言った。だから、ここからは。
「お願い。でも、怪我はさせすぎないでね」
ソニアは、興味津々で顔を覗かせていたアナスタシアのクチバシを、思いっきり押し込んだ。
「ぶっへぇ!」
次の瞬間、ソニアの体に入ったアナスタシアが、鼻を押さえて顔を上げた。手の中のヒヨコをフードへ戻すと、顔に落ちてきた髪の間から男を見る。
「いいさ、いいさ。僕の力は、こういうところで使うのが一番合っているのさ」
アナスタシアは、今までの重たい雰囲気を吹き飛ばすかのように軽やかに言い放った。ロジェがその口調に僅かに眉を動かし、ルミエラはソニアの顔へ視線を向ける。
「おい、騎士。磨いてきたのは、身なりだけかい?自分には成せない戦果を認めたくないなら、この僕に一撃でも食らわせてみるといい」
「いつも一言余計なのよ!」
フードの中のソニアが、アナスタシアの髪を引っ張る。アナスタシアは少し顔をしかめただけで、男から目を逸らさなかった。
「いいだろう。それは手合わせを受けるということだな!」
「ロジェよ、これは手合わせらしい。見届けてくれるかい?」
急に話を振られ、ロジェはアナスタシアを見る。先程までの怯えはなく、剣を持つ相手の前に立っているとは思えないほど落ち着いていた。
「……承知した。ただし、勝敗決し次第、即座に止める」
ロジェは二人の間から下がると、周囲の騎士達へ距離を取るよう告げた。セラもその脇へ退き、ルミエラは二人の顔が見える位置へ移動する。
「手加減など、首席様には失礼だよなぁ!」
男が模造刀を構える。訓練用といえど、騎士団に属する者が扱えば命取りにもなりかねない。ソニアはフードの中からその剣を見て、思わずアナスタシアの髪を握り締めた。
「痛いよ」
「だって、怖いんだもん!」
「始め!」
ロジェの声と同時に、男が踏み込んだ。
「うおぉぉ!」
「早っ!」
ソニアは思わず声を上げる。今まで学院で見てきた生徒の踏み込みとは、段違いに速かったからだ。男の振り下ろした模造刀は、しかし、アナスタシアの手前で硬い音を立てて止まった。
「な、何っ!バリアか!いつの間に展開した!」
剣を受けた場所に、淡く光る壁が浮かび上がる。アナスタシアは片方の腕で肘を支え、頬に手を当てたまま男を見る。
「さぁ、どうした、第一騎士団。そろそろ詠唱を始めるぞ」
「こんな急拵えのバリア、打ち破る!」
男は一度距離を取ると、初撃よりも強く踏み込んだ。重い一撃がバリアへ叩きつけられ、ガンッ、と鈍い音が響く。模造刀を握る男の腕が、痺れたように跳ね返された。
「たかが学生のバリアが、何故こんなに硬い……。そんな、そんなはずは無いぃ!」
男は模造刀を振り上げ、続けざまに斬りつける。上から、横から、体重を乗せた突きまで繰り出したが、バリアは破れなかった。アナスタシアは足を動かすこともなく、その剣戟を眺めている。
「はぁ……はぁ……」
やがて男の腕が下がった。肩で息をしながら、傷一つ付いていないバリアを呆然と見つめている。アナスタシアは頬から手を離すと、男へ掌を向けた。
「では、行くぞ」
大き目の外套からやっと出た手の先に魔術陣が浮かぶ。周囲の騎士達から、驚きの声が上がった。
「一瞬で魔術陣を描き上げた!」
「契約の鍵 伸びた鼻を折ってやれ 我が名はソニア・エヴァークレスト アインス・イグニス」
魔術陣に小さな炎が灯る。男が剣を構え直そうとした時には、既にその炎は胸元へ届いていた。短い破裂音と共に男の体が後方へ飛ばされ、砂埃を巻き上げながら地面を転がる。
「ぐっはぁ!」
「そこまで!」
ロジェがすぐに間へ入り、アナスタシアと男を隔てた。男は胸を押さえながら起き上がろうとする。外套の前は焦げているが、呻きながらも自分の足で立とうとしていた。ソニアはそれを見て、ようやく握っていた髪を離した。
「ほら、手加減はしただろう」
「うん……ありがとう」
周囲から声がしない。ソニアがフードの中から見回すと、誰もがこちらを見ていた。ルミエラも笑うのをやめ、消えた魔術陣のあった辺りを見つめている。
「……今のが、アインス・イグニス?」
「あれほど小さな炎で、人が吹き飛ぶのか……」
ぽつり、ぽつりと声が漏れ始めた時、訓練場の入り口から別の声が響いた。
「訓練の声が止んだと思えば、何事だ」
騎士達が振り返り、一斉に姿勢を正す。その間を通ってきたのはジュリアンだった。彼は剣を構え直そうとしている男と、その前に立つロジェを順に見た。
「だ、団長……」
「顛末を報告してくれ」
ジュリアンの問いに、ロジェが一歩進み出た。ソニアの戦果を疑う発言から始まり、セラへの侮辱、そして手合わせに至ったことを短く報告する。男は途中で何か言いかけたが、ジュリアンが目を向けると口を閉じた。
「なるほど。では、ログロースの首席の実力は分かったのだな?」
「待ってください!私は、まだ負けて……」
ジュリアンは、眉一つ動かさずに何も言わない。しかし、その表情からは、これから発する言葉は全て通じないと確信できる威圧感があり、男は口を閉ざす。男は、自分の模造刀へ目を向け、悔しそうに目を閉じる。
「……申し訳ありませんでした」
男が剣を下ろすと、ジュリアンはソニアとセラへ向き直った。
「申し訳ない。教育が行き届いておらず、今後このような事が起こらない様、すぐに兵長に指示を出す。そして、あなたは私に謝るのではない、グリット・バーンズ」
「だ、団長……私の名前を覚えてくださっていたのですか?」
男は急に自分の名前を呼ばれて驚きを隠せない。第一騎士団は、任務に赴いている小さな部隊を集めると、優に千を越す。たかが一介の騎士団の団員の名前を覚えているとは思わなかったからだ。しかし、ジュリアンは当たり前のように言う。
「どういう意味だ?当たり前だ。グリット、君は去年入団して、毎日夜遅くまでそこにいるアランと訓練しているだろう」
グリットと現れたアランも驚きの顔だ。グリットは一度顔が見えないよう下を向くと、すぐに上げた。ジュリアンはその顔を見たまま、静かに続ける。
「努力は本物だ、だからこそ第一騎士団として、人への、特に仲間への侮辱は許されない」
「……はい」
グリットは一度唇を結ぶと、二人の顔から目を離さずソニアとセラの前まで来た。先程までと違い何か心に決めた顔をしている。そして、姿勢を正して深く頭を下げる。
「ソニア、セラ。あなた方を侮辱したことを、謝罪します。申し訳ありませんでした」
「構いません」
セラは短く答えた。アナスタシアも満足そうに頷き、片手を腰に当てる。
「あぁ、むしろ手合わせ出来て楽しかったよ、じゃない、です」
ソニアが髪を引っ張ると、アナスタシアは慌てて言い直した。ジュリアンは僅かに目を細めたが、それには触れず、グリットへ医務室で診てもらうよう伝える。グリットはもう一度二人へ頭を下げると、連れの騎士と共に訓練場を離れていった。
「さて……」
ジュリアンは改めて、ソニアの姿をしたアナスタシアを見る。団長室に来た時とは、立ち方も話し方もまるで違う。アナスタシアはまじまじと見られて、何故か少し照れたように髪を整えた。
「何だい、そんなに見つめられると――」
「ありがとうございます。助かりました」
セラがすかさず二人の間へ入り、アナスタシアの言葉を遮った。ジュリアンはセラへ焦点が合う。
「いいえ。初日から、嫌な思いをさせてしまったようだ」
「私達をよく思わない団員は、他にもいるのですか?」
セラの率直な質問に、ジュリアンは周囲へ一度目を向けた。騎士達はそれぞれ訓練へ戻っているが、こちらを気にしている者もいる。
「騎士団は強い信念と実力を重んじる。それがあれば身分を問わず入団できるが、ログロースで戦術や指揮を学んだ者は、幹部候補として重用されることも多い。現場で長く働いている者からすれば、そこに「ログロース」という力をもつ者を面白くないと思うものもいるのだろう」
「グリットさんも、ログロースを卒業されたのですよね?」
「ああ。その分、グリット達は首席という評価に思うところがあったのかもしれない。もちろん、それで今回の発言が許されるわけではないが」
ジュリアンは、セラの後ろにいるアナスタシアにも顔を向けた。
「しかし、皆がそうではない。ロジェも、訓練を重ね、任務を共にする中で信頼を得た。二人も、是非そうしてもらいたい」
ソニアはフードの中からロジェを見た。模擬戦の相手だった騎士が、笑いながらその肩を叩いていた姿を思い出す。あの人達は、ロジェが学生だからといって腹を立ててはいなかった。
「ロジェ。この後、四人で任務の支度を確認する予定だな?」
「御意」
「では、私も最初だけ同席しよう。出発までの予定を伝える」
ジュリアンはそう言うと、本部棟へ向かって歩き始めた。ロジェがその後に続き、ルミエラも長椅子から外套を拾い上げる。セラはアナスタシアの袖を引き、その場に少しだけ引き留めた。
「早く、戻って」
「もう少し、この外套を楽しんでいたかったのだがね」
「後で鏡でも見てちょうだい!」
ソニアがフードから抗議する。セラが二人の前に立って周囲の視線を遮ると、アナスタシアはヒヨコを胸元へ持ち上げ、クチバシを押した。
「ぶっ!」
自分の体へ戻ったソニアは、すぐに鼻を押さえる。アナスタシアをフードに戻して顔を上げると、セラがこちらを見ていた。
「何?」
「別に。あれくらい、放っておけばよかったのよ」
セラはそう言いながら、ソニアの曲がった外套の襟を直す。ソニアはその手元を見てから、セラの顔を見た。
「ごめん……勝手に口に出てた……」
ソニアは、申し訳なさそうに笑う。
「……そう」
セラはそれ以上何も言わず、先に歩き出した。ソニアはもう一度鼻を擦ると、その後を追う。入り口で待っていたルミエラが、二人を見てひらひらと手を振った。
「遅いよー。何してたのー?」
「ご、ごめん!今、行く!」
◇
本部棟の一室には長机が置かれ、その上に地図と書類が広げられていた。ジュリアンは四人が揃ったことを確かめると、地図の上に指を置く。指先が示したのは、ロロノア帝国との国境に近いノール地方だった。
「出立は三日後の早朝。それまでに支度を整えておくこと。四人は同じ部隊として行動し、現地で第三、第四騎士団と合流する」
三日後……明日じゃなくて良かったぁ。
ソニアは安堵しながら地図へ顔を近づけた。ログロースから道を辿ると、幾つもの町や村を通る。今朝まで学院へ行くつもりでいた自分が、三日後には、こんな所へ向かうのだ。
「情報によると該当モンスターは深い霧を発生させる。霧の中では互いの位置を見失う恐れがあるため、現地では各団長の指示に従うこと。詳しい任務内容は、到着時の状況を確認してから指示する」
「はい」
セラに続いて、ソニアも返事をした。ジュリアンは四人を順に見ると、残る説明をロジェに任せ、部屋を後にする。
扉が閉まった途端、ソニアの肩から力が抜けた。椅子に腰を下ろすと、長く息を吐く。
「つ、疲れたぁ……」
「だから、ご主人様は何もしていないじゃないか」
フードの中から小さな声がする。ソニアは言い返したかったが、ルミエラが向かいに座っているため、黙ってフードを押さえるだけにした。
「ソニア、すごかったねー。あんなにつよいなら、さいしょっからからいえばよかったのにー」
「い、言えませんよ!」
ソニアは慌てて否定する。
「えー、どうしてー?」
「どうしてって……」
ソニアは言葉を詰まらせた。自分の力ではないから、と答えるわけにはいかない。セラが隣の椅子に座り、机に置かれた書類を引き寄せる。
「ルミエラ、その話は後にしましょう。先に準備を確認しないと」
「はーい」
ルミエラは素直に引き下がると、怪我をしていない左手で頬杖をついた。ソニアは、その右腕に巻かれた包帯へ目を留める。
「その腕、大丈夫ですか?」
ソニアの何気ない言葉に、ルミエラは一瞬驚いた表情を見せると、笑いながら右手を挙げる。
「あはは、うん、もうちょっとかなー」
「遠征に行っても大丈夫なんですか?荷物とか、持つの大変そうです」
「持ってくれるのー?」
「はい、いつでも言ってください」
「ソニア、準備の確認をしたいのだけれど」
セラに指摘され、ソニアは「あっ」と声を漏らす。ルミエラはくすくすと笑い、机の向こうから左手を振った。
「ありがとー。ひつようならおねがいするねー」
「は、はい」
ソニアが頷くと、ロジェが一枚の紙を目の前へ置いた。集合する場所と時刻、その下には任務に必要な物が並んでいる。
「各々、持参する物を確かめられよ。支給品は、出立前日までに受け取るべし」
「えっ、これ、全部?」
「騎士団から支給される物には、印が付いているわ。さっき受け取った物もあるでしょう」
セラが紙の端を指す。ソニアはそこに書かれた説明を読み、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かったぁ。寝具なんて言われても、私、お家の布団しかないよ」
「それを持ってきたら、馬車に乗らなくなるねー」
「さすがに持ってこないよ!……持ってこなくていいんだよね?」
「だから、支給されると言っているでしょう」
セラは呆れながら、ソニアの紙に指を置いたまま、一つずつ説明を始めた。ロジェは必要な箇所で短く補足し、ルミエラも横から紙を覗き込む。
着替え、雨具、食器、携行食。ソニアは自分が持っている物を思い浮かべながら、用意しなければならない物に印を付けた。魔術杖と魔術書も忘れてはいけない。学院への連絡は騎士団から行われると教えられたが、母親には自分で手紙を書いておこうと思った。
先程のグリットの言葉は、まだ耳に残っていた。自分が弱々しいことも、騎士団の人達のようには戦えないことも、本当だ。アナスタシアがいなければ、あの剣の一撃だって避けられなかった。
でも、セラのことは取り消してもらえた。あれは、黙っていなくてよかったと思う。……ただ、ロジェさんには迷惑を掛けちゃったよね。
ソニアは紙から顔を上げ、向かいに座るロジェを見た。
「ロジェさん、さっきはありがとう。間に入ってくれて」
「礼には及ばず」
「でも、これから同じ部隊になるのに、早速迷惑を掛けちゃって……」
ロジェはソニアを見ると、一度首を横に振った。
「仲間への侮辱を、見過ごす理由なし。我が口を出したのも、同じことなり」
ソニアは目を丸くする。ロジェはそれだけ言うと、確認を終えた書類を揃え始めた。特別なことを言ったつもりはないのだろう。その顔は、生徒会で目を瞑っていた時と変わらない。
「……うん。ありがとう」
ソニアはもう一度礼を言うと、机の上の紙へ目を戻した。分からない物は、まだ幾つもある。隣のセラへ椅子を寄せ、指でその一つを示した。
「セラ、これも聞いていい?」
「何?」
「携行食って、一食でどれくらい食べるの?途中で全部なくなったら、困るよね?」
「……そこから説明するわ」
「ご、ごめん」
「別に、謝らなくていいわよ。出発してから聞かれるよりはいいもの」
セラは紙を自分の方へ引き寄せると、余白に書き込みながら説明を始めた。ソニアはその手元を覗き込み、何度も頷く。フードの中からは、アナスタシアが小さく笑う声が聞こえた。
「まずは、腹を空かせず村へ着くことだね、ご主人様」
ソニアは紙から目を離さず、フードを一度だけ、強く押さえた。




