初めての第一騎士団(前編)
その日の朝、ソニアは家を出るとログロースとは逆の方向へと歩き出した。足取りはまるで鉛の枷でも付けられているように重い。首を下げ、両手はだらりと力なく垂れ下がり、手には手紙が握られている。
「ご主人様よ。昨日の夜から変だったが、学院は真逆だぞ。一体、何があったんだい?」
アナスタシアが、フードから頭をちょこんと出して尋ねる。
昨日、学院から帰宅した時に一通の手紙がドアの下に挟まれていた。その手紙を見た途端、ソニアは大急ぎで内容を確認した。その後の行動は、まるでゾンビのようだった。お風呂に入り、簡単な食事を済ませると、いつもよりだいぶ早いうちに寝床についた。ただ、眠れてはいないようだった。ソニアは無言で、アナスタシアに文面が見えるように、肩の高さまで手紙を持ち上げる。
「ソニア・エヴァークレスト
第一騎士団詰所への登庁期日は既に過ぎている
翌日の鐘が鳴る前に、登庁するように」
その手紙は、第一騎士団からの督促の令状だった。エルドブリッジ王国には、仕事の始まりを知らせる「朝の鐘」がある。それは、ログロース学院の始業の鐘と同時刻であり、つまりはそれまでに絶対に来いという命令だ。魔術学科を希望したが騎士科へ編入されて、しかも騎士団の頂点、第一騎士団に所属すると言われたのは、もう何日も前のことだ。だが、ヨシュアの事件など次々と大変なことが起こり、第一騎士団へ正式に顔を出す機会はなかった。ソニアは令状を見せると、目から滝のような涙が流れだす。
「これ、絶対に怒られるやつ!」
「まぁ、時代が変わっても。それは、怒られるやつだね」
ソニアはアナスタシアを掴むと、目の前まで持ってくる。
「だって、しょうがないじゃない!ヨシュアさんに嵌められるは、先生を任されるは、クララを探しに行くわ、私結構頑張っていたと思うけどなぁ!」
「もちろん、ご主人様は頑張っていたさ。だから、今の言葉を、騎士団の団長さんにでも言えばいい」
ソニアは、無意識に声が大きくなる。周囲の人々にはアナスタシアの声が聞こえていないため、ただ学生がヒヨコのぬいぐるみに怒鳴っているようにしか見えない。
「私が言えると思う?」
「ヨシュアには言っていたじゃないか」
「うっ!」
ソニアは顔を赤くする。
「マリアンにも、子供達にも、ロネア先生にも、ご主人様は自分の意思をビシッと伝えていたと思うがね?」
「違うんだよなー、あれは、そう、全く違うんだよなぁ……」
「全く分からないな……」
「とにかく、私には言えません!」
「そんな、自虐的なことを凄まれてもねぇ……」
アナスタシアに自分の気持ちを吐露していると、後ろからセラの声が聞こえる。
「おはよう、ソニア。あなたも詰所へ行くのね。でも、アナスタシアとの会話は気を付けないと、ただの変人よ?」
「あっ、ごめん!そうだった!」
ソニアは周囲を見ながら、恥ずかしそうに挨拶をする。
「あれ、セラ。その外套……って、まさか!」
「まさかって何よ?騎士団の外套だけど?あなたこそ、何故外套を纏っていないの?」
ソニアは道に崩れ落ちる。
「…………裏切り者」
「えっ?」
「裏切り者ぉー!」
ソニアはショックのあまり、セラにしがみつく。
細っ!そして、すごく良い匂い!髪もふわふわしてて気持ちいい。顔も、人形と言われたら信じちゃいそう……。
ソニアは恨めしい気持ちでセラに縋りついたものの、セラの美貌にうっとりしてしまうと、セラの冷めた目と合う。
「その目、アルエと同じよ……」
ソニアはすぐにセラから離れる。
「あはは……ご、ごめん、ごめん」
顔を赤くして謝るソニアを無視して、セラは髪と服を整えると、何事もなかったかのように前を向いた。
エルドブリッジ王国の騎士団は第七騎士団まであり、それぞれ各地域の防衛に当たっている。第一騎士団はエルドブリッジ王国の中枢都市ログロースを管轄する。防衛という性質上、詰所は都市の防壁に位置しているため、都市の中心地区にあるログロース学院からは離れている。
「そう、あなた、まだ詰所に行ってないのね」
「なんで誘ってくれないのよー。せっかく一緒の騎士団だっていうのにー」
ソニアは頬を膨らまして、セラをじとりと見る。
「遊びじゃないんだから……あなた、魔術の訓練の後、疲れてすぐに帰ってしまうじゃないの。私は、あなたの帰った後で詰所に出向いたわ」
「うっ……それは……もう本当、いつもありがとう」
ソニアは、放課後にアナスタシアとセラに魔術の特訓を受けている恩があるため、全く言い返すことができない。
「別に、まだ何も始まっていないわ。私もこの外套の採寸をして、詰所内を案内されただけよ」
「じゃあ、怒られたりしないかな?」
「するわけないでしょ」
「これでも?」
ソニアは歩きを止めてセラに回り込んで、手に持っている令状を見せる。セラは令状をじっと見つめると、何事もなかったかのように歩き出す。
「まぁ……場合によっては、あり得るわね」
「やっぱり!」
ソニアは再度崩れ落ちる。
「あーはっはっ!ご主人様は、本当に愉快だなぁ。全く飽きないよ」
「うるさい!」
◇
第一騎士団詰所。ログロース学院と違い、ただ実務を行う、つまり都市防衛を目的としたためだけの建物。無駄な装飾などは一切なく、無骨な外観をしている。その飾り気の無い様は、むしろ今のソニアには計り知れない圧力となった。高い石壁に囲まれた本部の正門には、エルドブリッジ王国と第一騎士団の旗が掲げられ、早朝にも関わらず多くの騎士達が出入りしていた。
この前、私は改めて教師になりたいと心に誓ったはず……。でも、今いる場所はこの国最高峰の第一騎士団詰所……。教師になりたいのに、何でどんどん騎士の道へ進んでいるのだろう?
「私、やっぱり行く場所を間違えてないかな?」
ソニアは、まだ自分の気持ちに折り合いがいかずに弱音を吐く。
「この前、ロネアからも無鉄砲と言われていたじゃないか。騎士には向いているかもしれないよ」
「向いてないよ!剣だって全然使えないし、魔術だってアナスタシアがいないと初級魔術で失敗するんだから!」
「胸を張って言うことではないね」
アナスタシアは、けらけらと笑う。
「ソニア、あなたいい加減しなさいよ。見苦しいわ」
「はい……」
セラは、苛立ちながら注意する。セラの気を使わない言い方に、ソニアは身が引き締まる。
「ごめん。うん、よし、行こう!」
ソニアは両手で顔をぱんっと叩き、アナスタシアに忠告する。
「いい?絶対に、勝手に出てきたりしないでよ。アナスタシアのことが知られたら、大変なことになるんだから」
「僕はいつでも、ただの愛らしいヒヨコさ」
「喋らなければね!」
フードの中から返事はない。もうっ、絶対に分かってない!
ソニアとアナスタシアのやり取りがひと段落したのを見届けると、セラは正門を入っていく。まだ、正門をくぐったばかりだというのに、向こうから剣と剣がぶつかる硬い音が聞こえる。騎士達の号令、馬の嘶き、石畳を蹴る靴音。それは学院の訓練場にもある音のはずなのに、ソニアには全く違うものに聞こえた。学院の試験で失敗しても、叱られるか成績が下がるだけだ。だが、ここにいる騎士達の失敗は、誰かの命に関わるのかもしれない。
「本当の騎士だ……」
ソニアは、自然と思ったことを口にする。すると、近くを通りすぎる若い騎士達の何人かが、こちらへ顔を向けた。
「あれが、今年の首席か?」
「ドラゴンを討伐したという生徒だろう」
「コレポルトの嫡男まで排除したらしいな」
「しかし、随分と小さいな」
ひそひそと話す声が、嫌でも耳に入る。ソニアは学院で聞くたびに後ろめたくなる『英雄』という言葉が、こんな所にまで追いかけてきたことに顔を青ざめさせる。
マリアン、レオンくん、ミアちゃん……みんな思い通りに何ていってなかった。でも、一歩踏み出したんだよね。私、偉そうに言っておいて、自分の事となると全然ダメダメで……って、また卑屈になってきてる!
ソニアは何かを振り払うように大きく息を吐くと、顔を上げる。
「辞めた!」
「えっ、騎士団を辞めるのかい?」
アナスタシアは驚いて顔を出す。
「違うよ!もう、心を決めたの!うん、怒られよう!」
「随分と後ろ向きな、前向きだね」
「いいのっ!っていうか、ここで話しかけないでちょうだい!」
アナスタシアは、すんっとフードの中へと入っていく。
「セラ、行こう!団長さんの部屋へ!そして、怒られよう!」
「……そうね、行きましょう」
セラは、ソニアのテンションについていけずに、呆れて歩き始める。詰所は主に、訓練所、寮、本部と分かれている。訓練所を抜けると、正面には執務を行う本部棟が見えてくる。二人はその中へと入り、一番奥にある団長室に向かう。
コン、コン、コン。
扉をセラがノックすると、中から声がする。
「入ってくれ」
扉の向こうから、抑揚のない事務的な声を聞こえ、ソニアは背筋がぞくりと痺れる。感情のない声は時として、人に恐怖を与える。
「セラ・アーケイン入ります」
「ソ、ソニア・エヴァークレスト入りましゅ!」
ソニアの噛みもなかったかのように、セラはドアを開ける。
ジュリアン・ハーコート。三十手前と見える男だった。切れ長の目、すっと通った鼻、黒髪のオールバックで前髪はセンターで分かれて整えられている。外套は近くのポールハンガーに掛けてある。座ったままでも分かる鍛え上げられた体つきに、無駄のない所作。机の上には整然と書類が積まれ、壁には団の紋章が掲げられている。ジュリアンは、書類から顔を上げると、ソニアとセラを順に見た。
「エルドブリッジ王国第一騎士団団長、ジュリアン・ハーコートだ」
「ログロース学院高等部騎士科1年、ソニア・エヴァークレストです!出頭が遅れて、申し訳ありませんでした!」
「ぶふぅ!出頭!」
フードの中からアナスタシアが噴き出す音が聞こえる。セラも、顔を背けて笑いを堪えているようだ。ソニアは、アナスタシアに苛立ちながら、自分の失言に悔やむ。
「ち、違います!しゅ、出陣?いや、しゅつ……しゅつ……」
「落ち着きなさい」
ジュリアンは、冷静な顔で息を整えるよう促す。
「はぁ、はぁ……すみません。怒られると思うと、ちょっと力が入りまして……」
「怒られるとは、一体どういうことだい?」
ソニアは手に持った令状をジュリアンに差し出す。ジュリアンはその令状に眼を通す。
「ふむ……実に面白い人だ、ソニア」
ジュリアンは、口角の端を少し上げる。
「えっ?」
「アルエ騎士団長から聞いている。色付きを倒しただけでなく、色付きよりも更に強いモンスターも倒したそうじゃないか。さらに、ヨシュアの専横も潰したと聞く」
ジュリアンは、ソニアを真っ直ぐ見つめる。ソニアは、正しっぱなしの背筋を更に伸ばそうとする。
「どんな人物かと思えば、このような愛嬌のある女生徒だったとは思わなんだ」
「は、はぁ……」
と、とりあえず、怒っては無いよね……?
褒められているのか、判断のつかないソニアは、同じくなんとも言えない返事をする。
「どうやら、要らぬ心配をさせてしまったようだ。事務には、ソニアを早急に呼んでほしいと伝えただけだったのだが、申し訳ない」
「そ、そんなこと、ありません!」
「本日、君を呼んだのは、騎士団の任務に参加してもらいたかったからだ。それも、アルベリック宰相直々の命令でだ」
ジュリアンの眼に力が入るのが分かる。会った時から真顔だが、その威圧感は更に増して、ソニアは伸びに伸びた背筋は凍りつく。セラは一歩前に出てジュリアンに伺う。
「アルベリック宰相からですか?」
「あぁ、そうだ。ちょうどいい、セラにも後程伝える予定だった」
ジュリアンはそう言うと、ソニアとセラを見ながら話し始める。
「君たちも知っていると思うが、ドラゴンの出現以前から、エルドブリッジ王国では野生のモンスターとしては片付けられない被害が上がっている。他国の侵入とするならば、国境付近に見られるはずが、中枢部であるアル・ヘレナ、ましてやログロースでさえ確認されている」
「他国の攻撃、ではないと……?」
セラが尋ねると、ジュリアンは小さく頷いた。
「現状、他国からの攻撃とは判断がつかない。だからこそ、こちらとしても二の手を踏みにくい」
ソニアは、思わず息を呑んだ。
「その中で、エルドブリッジ王国とロロノア帝国の国境、第四騎士団管轄ノール地方で新たなモンスターが確認された。小さな村の村長の進言で、初めて分かったことだ。村人の報告では、霧を撒き散らし、手足が凍るほどの冷気を操るという」
霧、冷気――その言葉に、ソニアは凍りついた背筋から寒気を感じる。
「前回の色付きでは団長であるアルエとエレナでも持て余した。そのため、今回は第一騎士団と第三、第四騎士団をもってあたる。団長を集中させるのは国防の面でリスクはあるが、短期決戦にできるというメリットもある」
ジュリアンは、そこで一度言葉を切り、ソニアとセラを順に見た。
「……ソニア、セラ。君たち二人はドラゴン討伐の経験がある。実戦に出ても良い、と私は判断する。だが、まだ学生だ。断っても、騎士団の素質なしとは見なさない。決めるのは、君たちだ」
「やります」
セラは二つ返事で答える。
「面白そうじゃないか!ぜひ対戦してみたいものだね!」
フードから飛び出てきたアナスタシアを、ソニアは見えないようにフードに突っ込んで戻す。
私の力ではないことは百も承知している。このままアナスタシアの力を借り続ければ、どんどん後戻りは出来なくなる。でも、実際に被害が出ている。あのフロリアのように……。あの時は、まだ実感なんてなかったけど、ドラゴンが現れた時のあの村の人たちの恐怖は同じだ。アナスタシアさえいれば、助けられる命がある……。
ソニアは、唾を飲み込むとゆっくりと答える。
「私も行きます。村の人たちを助けたいです」
ソニアの言葉を聞くと、ジュリアンは笑顔を見せた後直ぐに真剣な顔になる。
「承知した。君たちは、ロジェ・ルーチェとルミエラ・ララルーラの部隊に加わってもらう。聞いての通り、3騎士団とログロース学院の精鋭を集めている。必ずや当該モンスターの駆逐を成功させよう」
ジュリアンは、椅子から立ち上がると外套を羽織る。
「ソニア、君は騎士団の外套の支給がまだだろう。セラ、ソニアに騎士団の詰所の案内してあげてくれ。諸々の手続きも一緒に済ませるといい」
二人は団長の部屋を後にする。
「はぁ〜緊張した」
「あら、そう?」
セラはいつも通りだ。
「いいなぁ、セラは」
「どこがいいのよ?さぁ、行くわよ」
セラが歩き出すと、ソニアはその後をいそいそと続いていく。




