その手を離さない:後編
しばらくして、扉の鍵が開いた。入ってきたのは、三人の中で一番若い風貌の男だった。片手には水差しと二人分のパンを持っている。クララとロミオの目の前までくると、無造作にそれらを置く。
「ほら、食え」
男はそれだけ言うと、すぐに去ろうとする。
「この子の縄を解いて」
クララが言うと、男は険しい顔で振り向く。
「何をふざけたことを言っている?」
「足を診たいの。このままだと、もっと腫れるかもしれない」
クララはロミオの足を見て言う。
「そのくらいで死にはしない」
そう言いながら、男の視線はロミオの足へ向いていた。
「水を飲ませてあげたい。ならば、せめて私の片手だけでも解いて」
「逃げるつもりだろう」
「この奥まった部屋から、どうやってあなたたちの部屋を通って逃げられるというの?」
クララは窓やドアを見た後、最後に男の目を見て答えた。
「私は、ロミオの治療さえできればいい。疑わしいなら、そこで見ていて」
男はすぐには動かなかった。クララと少年を何度も見比べ、隣の部屋の様子を確かめる。
「妙なことをすれば、すぐに縛る」
「分かったわ」
男は短剣を抜き、クララの右手だけが動くように縄を切った。クララはすぐに水差しを手に取り、少年の口元へ運ぶ。
「一度に飲まないで。少しずつね」
少年が水を飲む間、男は扉の前から動かなかった。飲み終えたことを確認すると、クララは少年の靴を慎重に脱がせた。足首が赤く腫れ、少し触れるだけでも身体が強張る。
「今から回復魔法を使うね。痛みは少し楽になると思う。でも、無理に歩いたらまた悪くなるからね」
「ねぇ、あなた。私のポシェットから、魔術杖を出してくれる?」
「わ、分かった」
クララは男から魔術杖を取ってもらうと、魔術陣を描き出す。
「優しき光よ 傷つきし者に寄り添い その痛みを癒やせ 乱れし命の流れを結び あるべき姿へと還せ その御力を我が名をもって 顕現賜う ツヴァイ・サナティオ」
魔術陣から淡い緑色の光が溢れ出し、ロミオを包み込む。クララが足首へ優しく手を重ね、腫れた皮膚に回復魔術を施す。クララの回復魔術は、学生のレベルを脱してない。いくらツヴァイという中級魔術でも、応急的なものだ。折れた骨を元へ戻し、怪我を完全に治癒させることはできない。痛みを和らげ、怪我の悪化を抑える程度の魔術だった。それでも、少年の強張っていた表情が少しずつ和らいでいく。
「どう?」
「さっきより、痛くないです」
「よかったぁ」
クララは息を吐いた。一旦、クララの治療が終わったのを確認すると、扉の前に立っていた男は水差しを片付けようと拾おうとする。水差しを持とうと右手に力が入った瞬間、顔をしかめ、水差しを床へ落とす。
「あなたも、怪我してるの?見せてみて」
クララは呆れたように言う。
「何でもない」
男はすぐに右手を背中へ隠した。クララは、じーっと男を見るが、それ以上聞かなかった。
「そう」
「……な、何だ」
「何が?」
「それだけか?」
「何でもないって言ったから」
男は戸惑ったようにクララを見た。何かを見透かされ、追及されると思っていたのかもしれない。クララは何事もなかったように、またロミオの足を診ている。
「でも、診てほしくなったら言って。傷は放っておくと悪くなるから」
「なら、なぜ俺の怪我を気にする」
「怪我をしてるみたいだから」
クララは少年の足へ布を巻きながら答えた。
「お、俺は、お前達をさらった側だぞ?」
「知ってるよ。でも、あなた達がしたことと、怪我をそのままにするかは別でしょ」
「…………」
男は何も言わなかった。水差しを拾い直し、空になった器を持って部屋を出ていく。扉が開くとクララは、外の様子を窺った。そこには、人一人分程度の荷物と水袋が置かれていたのが見えた。
◇
若い男は、その後も何度か水を運んできた。二度目には、クララが頼んでいない布と、足を固定するために使えそうな細い板を持ってきた。
「これ、使えるか?」
「わぁ、ありがとう!」
クララの笑顔を見ると、男も嬉しそうな顔になる。
「倉庫に余っていただけだ」
男は、嬉しそうな顔を見られないよう素っ気なく答えた。クララは男の素っ気なさに興味を示さず、板を少年の足へ当て、治療に専念している。痛みが出ないように布を重ね、ずれないように固定していく。処置を終えた頃、少年は疲れたのか壁にもたれたまま眠っていた。呼吸は先ほどより落ち着いているが、額に触れると熱がある。
「熱が上がってる」
「まずいのか?」
心配そうに男が覗き込む。
「分からない。でも、このまま夜まで待つのはよくないと思う」
「ねぇ、この子だけでもどうにかならない?」
クララは、すぐ隣まで来ていた男に訴える。クララの顔があまりに近くに来たので、男は顔を赤らめて「うわぁ!」と尻餅をつく。
「っ……!」
男は、尻餅を付いた時に支えた右手を押さえた。布の下から血がにじんでいる。
「その手、見せて!」
それを見たクララは、語気を強める。
「必要ない!」
「ダメっ!」
クララは男を睨みつける。男はクララの視線から逃れるように顔を背ける。
「血が滲んで、水差しも持てないのよ?」
「…………」
クララは、ため息をつくと普段通りの口調に戻る。
「無理にとは言わない。でも、そのままだと、もっと痛くなると思う」
男は少年の寝顔を見た。それから、自分の手を見下ろす。しばらく迷った末、クララの前へ腰を下ろした。
「すまない」
「手を出して」
クララは男の手へ巻かれた汚れた布を外した。掌には深い切り傷があり、傷口の周囲が赤く腫れ始めている。
「いつ怪我したの?」
「荷車を用意していた時だ」
「ちゃんと洗った?」
「そんな暇はなかった」
「それは駄目だよ」
「す、すまない」
クララは呆れた声に、男は顔を赤らめる。水で傷を洗い、回復魔法をかける。淡い光が傷口へ吸い込まれると、開いていた皮膚に魔術がなじみ、傷口から流れていた血が止まった。
「傷口を塞ぐことは私にはできないわ。無理に動かさないでね」
「あ、ありがとう……」
男がちらちらとクララを見ていると、包帯の代わりの布を巻きながら言う。
「何?」
「俺が怖くないのか?」
「怖いよ。でも、今のあなたは私達を傷つけてない。それに、水も布も持ってきてくれた」
「俺も誘拐に加わった」
「うん。それは、なかったことにはならないと思う」
男の顔が強張る。クララは、ロミオを見て言う。
「でも、この子を助けることは、今からでもできるよ」
「助けたら、俺を許すのか?」
「それは私が決めることじゃないよ」
クララは布をしっかりと留めると、手を添えたまま男を見る。
「この子をさらったことも、私を捕まえたことも、ちゃんと責任を取らないといけない。でも、それと、この子をここで死なせるかどうかは別だと思う」
今日、ガイウス先生に何も言えなかった。あの時は、正しいと思うことを口にしても、『力』の前には無力だった。でも、私は、目の前にいる人に、自分の言葉で伝えるしかない!
「この子、ロミオが助かるかは、あなたにかかってるの。私には救えない……」
男は俯いてしばらく考え込むと、やがて低い声で話し始めた。
「身代金を受け取るまでは、ここから出せないんだ……」
「リーダーがいるのね。その人がそう言ったの?」
「ああ。俺は、こんなことになるとは聞いていなかった」
クララは黙って男を見る。
「金持ちの子供を少し預かるだけだと言われた。金を受け取れば帰す。誰も傷つけない仕事だと」
「そうだったんだ」
「信じるのか?」
「嘘なの?」
「う、嘘じゃない!」
男の顔には、責められることを覚悟していたような色が浮かんでいた。しかし、クララがそれ以上何も言わないと、少しずつ言葉を続けた。
「以前、店の使用人だったリーダーが、あの子の通る道を知っていた。薬屋をクビにされた仕返しがしたかったらしい。俺は荷車と、この倉庫を用意した。金さえ手に入れば、それで終わると思っていた」
「あの人、どうして魔術が使えるの?」
「さぁな。薬屋に雇われる前は、騎士団崩れだとか、魔術学院を除籍になったとか、色々噂を聞いたことはある。本当のところは、俺も知らない」
身代金目的の誘拐を、こんな情報だけでやろうと思ったの?
クララは、この男が言っていることが、あまりに漠然としていて気に掛かった。
「それ以外は?身代金は、どこで受け取るとか。」
「知らない……」
「逃げるための準備は?逃げる場所は?」
「それも首領しか知らない!金を受け取ったら、三人で王都を出るとだけ聞いている」
男は激しく首を横に振る。クララは部屋の外へ視線を向けた。そういえば、男が部屋を出る時、廊下に荷物が置かれているのが見えたわ。小さな鞄と、水袋が1つだけ。三人で逃げるためにしては、あまりにも少ない。
クララは、さらに追求する。
「みんなで逃げるのに、馬は何頭いるの?」
「だから、分からないんだよ!」
男の口調が強くなるが、クララは落ち着いていた。先程まで、震えるくらいに怖がっていたのに。
「一頭だと思うよ……」
「えっ?」
男は驚いた顔で、クララを見る。
「食料は、そこのドアの向こうに置いてあるので全部でしょう?」
「そうだ、リーダーが用意した」
「どう見ても、一人分じゃない」
クララは呆れたように言う。
「そんなはずは……!」
男は狼狽えて立ち上がると、扉を勢いよく開け放ち、荷物を確認する。
「嘘だろ……」
男は震える声で呟くと、この部屋の窓に打ち付けられている板を力づくで剥がす。途端に、男の顔色が変わっていく。
「一頭……、一頭しかいない……」
男はそう言うと、治療された右手を強く握りしめ俯いてしまう。クララも窓の外を見てみると、馬が一頭木に繋がれていた。その馬の背中には、身代金を全部入れられるくらいの鞄が入った鞍が括りつけてあった。
その時、ロミオが苦しそうな声を上げる。
「ううぅぅ……」
ロミオが苦しそうに身じろぎした。クララは急いで熱と脈拍を測る。熱い!数分前に比べて、明らかに呼吸が速いわ!数分でこの容態の変化は、まずいわ!
「もう待てない!この子を治療院へ運びたい!」
クララは厳しい顔で男を見る。男は、その顔に気圧され、視線を外して少年を見る。少年は額に脂汗をかき、目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返している。
「手伝って!私はここに残るから、この子を治療院に連れて行ってほしいの!」
「リーダーは、魔術が使えるんだ。逃げることなんてできやしない」
「お願い!」
「…………」
何も言わない男に諦めるかのように、「ふぅ」と息を吐くと、クララは立ち上がる。
「お、おい!どうする気だ?」
クララはロミオを優しく抱き起こして、背中に背負おうとする。
「この子を連れてここから出る」
「一人でどうする!無茶だ、できっこない!」
クララはロミオを抱えて立ち上がる。
「出来なければ、この子が死ぬ。だから、せめて見逃して。私がこの子を治療院に送り届けたら戻ってくるから」
クララは、そういうと窓から外へと出ようとする。いくら少年とはいえ、背負ったまま窓枠を越えて外に出るのは、クララには難しい。しかし、クララは諦めず、ゆっくりでも足をかけてなんとか窓の外へと行こうとする。
「分かった!分かったから、一旦待ってくれ!協力するから!」
若い男が観念して、クララを引き止める。
「本当!ありがとう!」
クララは、嬉しそうに振り向く。
「いいから、そいつを下ろせ。お前が背負ったところで、治療院まで力がもたないだろ?」
「あなただって手を怪我しているじゃない?」
クララは、ロミオをゆっくりと下ろしながら尋ねる。
「裏口の鍵を取ってくる。それと、あいつにも話す」
「あいつ?」
「もう一人、リーダーと長くいる男だ。荷物を見せれば、あいつも何かおかしいと分かるはずだ。そうなったら、あいつだって黙っちゃいないだろう。その隙に、この部屋から出よう。俺が馬までそいつを背負う。それくらいの距離なら、片手でも背負える」
若い男は部屋から出る前に、クララを振り返った。
「俺は、お前達を助けたあと、逃げるかもしれない」
「そう」
「止めないのか?」
「えっ、何故私があなたを止めるの?」
男は複雑そうな顔をしたあと、廊下に置かれていた荷物を持って奥の方へと消えていった。
しばらくすると、廊下の奥から怒鳴り声が響いた。
「どういうことだ!どうして食料が一人分しかない!」
「騒ぐな。金を受け取ってから説明する」
「今説明しろ!」
「俺達を置いて逃げるつもりだったのか!」
リーダーと、もう一人の男の声だった。
「くだらない疑いを持ちやがって。お前らは、全部俺の指示にしたがっていればいいんだよ!」
「何だと、ふざけやがって!」
直後、何かが壁へぶつかる大きな音がした。物がぶつかるような、何か陶器製の物が割れるような音がする。
何の音?争いでも始まったのかしら?
クララが耳を澄ませていると、扉の鍵が開き、若い男が駆け込んできた。
「今だ。出るぞ!」
クララはロミオを、そっと起こした。
「もう少しだから、頑張って」
ロミオの反応はない。男が出て行ってから、さらに10分以上経っている。一刻の猶予はない。
「まかせろ」
若い男はそう言うとロミオの腕を自分の肩へ回すと、クララは補助をして男の背中にロミオを乗せる。裏口から外へと出ると、部屋の窓から見える馬の元へと来る。
「ゆっくりと、丁寧にね。そう、ありがとう」
クララとロミオを馬に乗せて走り出そうとする時、後ろから低く鋭い声が聞こえる。
「どこへ行くつもりだ?」
クララと若い男が振り向くと、リーダーが立っていた。もう一人の男の姿は見えない。
「あいつを殺ったのか……」
「あぁ、別に必要のないやつだったからな……」
長くつるんで来たと言っていた仲間を、いとも簡単に排除する。普通ではないことを普通に言い退けるリーダーと呼ばれる男に、クララは心底嫌悪感を覚える。
「この子は、命が危険な状況です!どうか、通してください!私は貴族のクララ・ハーヴェストです。人質なら私が引き受けます!」
そんなリーダーに感情論で言いくるめようとする。まさに、一か八かの提案だった。
「ハーヴェスト家?知らんなぁ」
リーダーがクララの家柄を笑い飛ばす。それと同時に、リーダーは魔術杖を、取り出して魔術陣を展開する。
「離れて!」
クララは叫んだ。しかし、リーダーの唇はすでに動いていた。
「傀儡の叫び 雷神の憑代となす 汚れなき御霊 我が命が示すは絶対なる鉄槌 我が名はランカスター・バーキン ツヴァイ・フルメン」
「詠唱が早い!」
クララは驚く。ただの誘拐犯だと思っていたら、大間違いだった。中級魔術をいとも簡単に放ってくる。次の瞬間、青白い雷が辺りを駆け抜けた。男達が左右へ飛び退き、雷は木々を打ち砕く。手綱が切られて、爆音に驚いた馬は身体を震わせ嘶いて、クララとロミオを落とすと駆けて行ってしまった。その衝撃で、ロミオは意識をとり戻し、辺りを見る。
「お姉ちゃん、僕を置いていって」
「何言ってるの!」
「僕がいると、逃げられない」
「あなたを置いていくなんて、絶対にできない!」
もう、形振り構ってはいられない。クララは少年の身体を抱え直し走り出す。
「もう逃げられないんだよ!」
首領の杖の先へ、青白い光が集まる。クララは、少年を庇うように覆いかぶさった。戦う力はない。逃げる時間もない。それでも、少年を一人にすることだけはできなかった。
「——ヴァイ・フルメン」
「消えろ」
リーダーが低く言い放った。巨大な雷が放たれる。その瞬間、黄金色の炎が空を切り裂いた。雷と炎が激突し、轟音とともに光が弾ける。衝撃が倉庫の壁を揺らし、クララの髪と外套を大きくなびかせた。
「クララ!」
聞き慣れた声がした。何度も何度も聞いた、大親友の声がした。顔を上げた先には、ソニアとセラが立っていた。
「ソニア!」
ソニアは肩で息をしながら、クララとロミオを見た。無事を確かめた瞬間、その目に安堵が浮かぶ。しかし、すぐに魔術杖を持つ男へ視線を向けた。
「あなた達が、クララを……」
ソニアは男達を睨みつける。
「待って、ソニア!あの人は私達を助けてくれた!」
クララは木の近くに倒れている若い男達を指した。
「敵は、魔術杖を持っている人だけ!」
「分かった!」
ソニアは迷わず頷いた。リーダーが再び魔術陣を展開する。先ほどよりも大きく、青白い光が周囲の空気を震わせていた。
「クララ、待ってて」
ソニアは、フードの中からヒヨコのぬいぐるみを取り出した。
「アナスタシア、お願い」
「もちろんだとも、ご主人様よ」
ヒヨコの小さな目が、不敵に細められる。
「僕達の大切な友人へ手を出した報いだ。少しばかり、派手にいこうじゃないか」
「少しだけにしてよ!」
「善処しよう」
「それ、絶対にしないやつでしょ!」
ソニアはヒヨコの嘴を強く押した。
「ぶっへぇ!」
間の抜けた声が響いた直後、ソニアの身体から膨大な魔力が噴き上がった。外套が大きく翻り、髪が重力へ逆らうように舞い上がる。足元から黄金色の魔術陣が幾重にも広がり、倉庫を中心とした大地そのものが鳴動した。先ほどまでのソニアとは、明らかに違う。伏せられていた瞼が上がる。その瞳には、千年以上の時を越えた魔女の光が宿っていた。ソニアの身体を借りたアナスタシアが、余裕の笑みを浮かべる。
「な、何だ、その魔術陣は……見たことがない……」
首領の顔から血の気が引いた。
「さぁね。わざわざ君に教える必要はあるのかい?」
アナスタシアは片手を上げると、その頭上に巨大な炎の球体が生まれる。最初は拳ほどだった炎が、瞬く間に膨れ上がった。黄金色の炎の中を赤と白の光が渦巻き、夕暮れの空を真昼のように照らし出す。熱風が倉庫の周囲を駆け抜け、首領達の外套を激しくはためかせた。
「ま、待て!そんなものを使えば、ここ一帯が消し炭になるぞ!」
リーダーは必死に訴えるが、アナスタシアは聞く耳を持たなかった。
「心配はいらないよ。この程度の魔法を制御できないほど、僕は落ちぶれてはいない」
アナスタシアが指を振り下ろすと、巨大な火球が落下する。首領は絶叫しながら、何重もの防御魔術を展開する。しかし、黄金色の炎は最初の障壁へ触れた瞬間、それを薄い硝子のように砕いた。二枚目、三枚目の障壁も次々と貫き、火球が首領達を飲み込む。大地が揺れ、炎の柱が天へ昇った。クララは少年を抱き締め、目を閉じた。顔へ熱風が吹きつけるが、不思議なことに熱くはない。炎はリーダーの周囲だけを焼いていた。すぐ近くにある倉庫にも、倒れている男にも、火の粉一つ届いていない。
やがて炎の柱が消える。地面には巨大な円形の焼け跡が残り、その中心でリーダーが倒れていた。その衣服は黒く焦げているが、息はある。アナスタシアは腕を組み頬に指を当てながら満足そうに頷いた。
「うむ。久しぶりにしては、なかなか綺麗に焼けたね」
「やりすぎよ」
「おや、そうかい? 倉庫も人質も、髪の一本すら焼いていないよ」
セラは辺りを見回すと呆れたように言う。
「地面がしばらく使い物にならないわ」
「細かいことを気にするね」
「細かくないわ」
ソニアの身体が一度揺れ、その場へ膝をついた。握られていたヒヨコの嘴が元へ戻り、瞳にも普段の光が戻る。
「うぅ……やっぱり、派手すぎるよ……」
変わったソニアが、涙を流しながら目の前の焼け跡を見て顔を青くする。
「でも、勝っただろう?」
ソニアの手の中で、アナスタシアが得意げに胸を張った。
「後で学院に何て説明すればいいの!」
「正当防衛と説明すればいいさ」
「こんな正当防衛があるの?圧倒的じゃない!」
ソニアは頭を抱えて、この後の処理について悩む。
「ご主人様よ。今はクララ達が先ではないかい?」
「あっ!」
ソニアは立ち上がり、クララの元へ駆け寄った。
「クララ、怪我は?」
「私は大丈夫。それより、この子を治療院へ運ばないと。熱が上がってるの」
ソニアは少年を見て、すぐに表情を引き締めた。
「何をすればいい?」
「身体を急に起こさないで、頭を支えて。セラは荷車が揺れすぎないように手伝って」
クララは自分の命が助かったことなど微塵も気にせずに、ロミオの命を救うために的確に指示を出す。
「分かった」
「ええ」
二人は迷わずクララの指示に従い、ロミオを治療院まで運んで行った。
◇
治療院で少年の無事を聞いた頃には、王都の空はすっかり暗くなっていた。治療室の前で待っていたクララ達のもとへ、医者が出てくる。
「もう大丈夫です。足の骨に異常はありません。熱も、疲労と水分不足によるものでしょう。運び込まれるのがもう少し遅ければ危険でしたが、応急処置が適切でした」
その言葉を聞き、クララは胸の前で両手を握った。
「よかったぁ……」
張り詰めていた力が一気に抜け、床へ這いつくばる。
「クララ」
ソニアが目の前へ立った。
「何?」
「腕を見せて」
「私は大丈夫だよ」
「今の大丈夫は信用しないよ!」
ソニアはクララの返事を待たず、外套の袖をめくった。手首には、縄で縛られた赤い痕が残っている。
「他には?」
「頭を少し打ったくらい」
「先にそれを言ってよ!」
「だって……本当に少しだよ」
「それを決めるのはクララではないわ」
ソニアは近くにいた看護師を呼び止め、クララも診察するよう頼んだ。声も表情も普段と変わらない。それでも、怪我の確認が終わるまで、クララの前から動こうとはしなかった。
「ありがとう、ソニア」
「何年一緒にいると思っているの!」
ソニアはにこりと笑うと、真剣な顔付きになる。
「クララ……ごめん、遅くなって」
「間に合ったよ」
「でも……」
「謝らないで。私、この事件に巻き込まれて色々考えたんだ」
クララはソニアから視線を外して、奥の方を見る。若い男と、途中から協力した男も衛兵に拘束されていた。誘拐に加わった以上、罪を問われることに変わりはない。
「私、ソニアが遠くに行ってしまうんじゃないかって、焦ってたんだ。自分も何かやらなきゃって……」
クララは、ソニアをまっすぐに見つめる。
「でも、違った。私に出来ることはほとんどなかった……。いや、一つしかなかったんだ。そんな限られた中でみんな頑張って生きているんだなって思った」
「クララ……」
「私、医療魔術を修得したい!今日、心からそう思えたんだ」
ソニアは、笑顔を返す。
「ははっ!」
「な、何よソニア……」
「いや、だって、クララはきっとそうなると思ったから。もう一度言うよ、何年一緒にいると思っているの?」
クララは、驚いて眼鏡が少し落ちた。
「そっか……それは、それは……」
クララはソニアに笑い返す。やがて、事情を聞くために衛兵がクララのもとへやってきた。まだ動揺の残る手を、クララは膝の上できつく握りしめる。
「では、順を追って聞かせてもらえますか」
クララは一度、深く息を吸った。思い出したくない場面も、たくさんある。それでも、順番を間違えないように、記憶をひとつずつ確かめながら話し始めた。
「街で、あの子が三人の男に連れられているところを見ました。歩き方がおかしくて、腕には縄の痕がありました。声をかけたら、私も眠り薬で意識を失って、気づいたら倉庫に閉じ込められていました」
衛兵は淡々と、要点を書き留めていく。
「リーダーと呼ばれていた男が指示を出していて、どうやらあの子の営んでいる薬屋を首になった腹いせに、誘拐を企んでいたみたいです」
「では、そのリーダーが主犯ということですね」
「はい。でも」
クララは、そこで一度言葉を切った。
「若い方の二人は、少し違います」
衛兵が顔を上げる。クララは指をさす。
「あの男が誘拐に加わったのは本当です。荷車を用意して、倉庫も準備しました。それは、なかったことにはならないと思います」
クララは、はっきりと言い切った。
「でも、あの子の縄を解いて、水を持ってきて、私の治療も受け入れてくれました。ロミオの命が危険だと分かった時に、私達を裏口まで連れて行ってくれたのも、あの人です。リーダーに見つからないように手助けしてくれました」
「情状酌量を求めているのですか」
衛兵は尋ねる。
「違います」
クララは首を横に振った。
「あの人がしたことは、それぞれ別のことです。誘拐に加わったことと、私達を助けたこと。どちらか一つだけを見て、全部を決めないでほしいんです。両方とも、本当にあったことだから」
衛兵は、少しの間クララを見つめたあと、小さく頷いた。
「分かりました。両方の事実を、きちんと調べます」
「お願いします」
クララは、深く頭を下げた。頭を起こすと、医務室の方を眺める。自分の回復魔法だけでは、少年を完全に治すことはできなかった。権力という無言の圧力で捻じ曲げられ、正しいと思うことも出来なかった。それでも、今日一日、手を離さなかった。治療院までつなぐことができた。話を最後まで伝えることもできた。
「うん」
クララは小さく頷いた。
「もっと勉強する。今度は、もっとちゃんと助けられるように」
◇
数日後。学院の医務室へ、一冊の医学書と新しい薬が届けられた。送り主は、誘拐された少年の父親だった。学院や治療院へ薬を納めている、あの薬舗の主人である。医学書の間には、小さな封筒が挟まれていた。クララが封を開くと、少年の字で短い言葉が書かれている。
『足を治してくれて、ありがとう。怖い時に、ずっと一緒にいてくれて、ありがとう』
クララはその手紙を、しばらく黙って見つめた。両親が、この事件のことを知ったら、きっと心配するだろう。危ない目に遭ったと聞けば、もっと安全な道もあったのにと、悲しい顔をするかもしれない。地方の小さな屋敷で、大切に、大切に育てられてきた。両親の顔を思い浮かべると、少しだけ胸が痛んだ。それでも、目の前の人には手を伸ばせた。誰かを裁くことと、誰かを見捨てないことは、別にできると分かった。私は、この目で見たものを、これからも信じていきたい。
「クララ」
医務室の入り口から声がする。振り返ると、ソニアとセラが立っていた。
「どうしたの?」
「ソニアが、また実技で手を傷つけたのよ」
「セラ! 言わなくてもいいでしょ!」
ソニアは慌てて左手を背中へ隠す。クララは机の上へ手紙を置いて、軽いため息を一つつくと軽やかに立ち上がる。
「ソニア、手を出して」
「これくらい大丈夫だよ」
「うん。大丈夫なうちに治そう」
クララの笑顔に、ソニアは観念したように左手を差し出した。掌には小さな擦り傷ができている。クララが手を取ろうとすると、その隣でセラが右手を外套の後ろへ隠した。
「セラも」
クララは鋭い目でセラと見つめる。
「私は何もしていないわ」
「右手、見せて」
「……どうして分かったの?」
セラは不満そうにしながらも、傷ついた右手を差し出した。クララは二人の手を机の上へ並べ、回復魔法をかける。淡い緑色の光が三人の間を優しく照らし、二人の小さな傷を包み込んでいった。
「クララ、お医者さんになれるといいね」
ソニアが自分の傷が癒えていく様を見つめている。
「……何よ。ソニアの中では私は医者になるんでしょ?」
クララは笑いながら答えた。ふと、視線の先にガイウスが通りかかるのが見えた。今日も眠そうな顔で、書類の束を抱えている。目が合うと、彼は小さく会釈をして、そのまま奥の部屋へ入っていった。
クララは、ふと、ガイウス先生に言い返そうとした時の自分を思い出す。
「だって、か……子供っぽい」
クララは手紙を鞄へしまい、窓の外を見た。夕日が、医務室の白い壁をゆっくりと橙色に染めていく。大きな事件が終わっても、クララのすることは変わらない。目の前にいる人をよく見て、その人が必要とする助けを差し出す。そして、一度その手を取ったなら、離さない。
いつかの自分が正しくいられるように、今は頑張ろう。
「いいえ。こちらの患者の方が、重傷です。こちらから、処置します」




