↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Hiyoko's witch  作者: POCO
PR
35/47

ソニア先生の一日:後編

 教室に戻る道すがら、ソニアはまだ胸の高鳴りが収まらなかった。誰かに何かを教えて、それが実を結ぶ。こんなにも嬉しいことだったなんて、知らなかった。

「私、やっぱり教師になりたい」

 誰に言うでもなく、そう呟く。

「その調子だと、午後はもっと大変なことになりそうだけどね」

 アナスタシアが、含みのある声で言った。

「え?どういうこと?」

「いや、なに。ただの勘さ」

 アナスタシアは、それ以上は答えなかった。


 午後の授業は、国語の時間だった。今日の課題は、教科書に載っている物語を読んで、感想を二人一組でまとめること。

「じゃあ、好きな人同士で組みなさい」

 ロネアの一言で、教室が一気にざわめいた。椅子を引く音、机を寄せる音、名前を呼び合う声。あっという間に、教室のあちこちでペアが出来上がっていく。

 ソニアは、教室の隅でその様子を眺めていた。

 あれ……。

 窓際の一番後ろの席で、ミアだけが、机の上の教科書を見つめたまま動かなかった。周りの子ども達は、次々と誰かの隣へ移動していく。

「えー、誰もミアと組みたがらないじゃん」

 少し離れた席から、そんな声が聞こえた。朝、目を輝かせて「ドラゴンを倒したんだって!」とソニアに詰め寄っていた子の一人だった。悪気はなさそうだったが、その一言に、周りの何人かがくすくすと笑う。

 ソニアは、その声のした方へ、まっすぐ目を向けた。

「今の、良くないよ」

 声は、優しかったが、はっきりしていた。

「え……」

 言った本人が、驚いたように顔を上げる。ついさっきまで、目をきらきらさせてソニアの話を聞いていた子だった。

「悪気はなかったんだと思う。でも、ミアちゃんに聞こえてたよ」

 その子は、気まずそうに俯いた。

「……ごめん」

「私にじゃなくて」

 ソニアは、ミアの方を見た。その子は、ミアの方を向いて、もう一度小さく頭を下げる。

「ミア、ごめん」

 ミアは、驚いたように顔を上げたが、何も言えずに小さく頷いた。教室は、また元のざわめきに戻っていく。それでも、ミアだけは、まだ動けずにいた。

「はい、まだ組んでない人?」

 ロネアが、教室を見回して聞く。数人の手が挙がる中、ミアだけは、手を挙げなかった。俯いたまま、小さくなっている。

「ミアさんは……」

 ロネアが名簿に目を落とし、機械的に処理しようとする。

「先生、ちょっと待ってください」

 ソニアは、思わず声をかけていた。

「ソニアさん?」

「あの、ミアちゃんに聞いてから決めてもいいですか?」

 ロネアは、怪訝そうな顔をしたが、頷いた。

「……好きにしなさい」

 ソニアは、ミアの席へ近づき、しゃがみ込んだ。

「ミアちゃん、誰と組みたいとか、ある?」

「……誰でも、いい」

 ミアは、そう答えて目を逸らした。

「本当に?」

 ソニアは、優しく重ねて聞く。ミアは黙っていたが、視線がほんの一瞬、教室の反対側へ動いたのを、ソニアは見逃さなかった。

 その先には、一人の男の子がいた。図鑑を片手に、まだペアが決まらず所在なさげにしている。ノアという名前だったはずだ。

「ノア君と組みたいの?」

 ミアの肩が、びくりと跳ねる。

「な、なんで……」

「今、ちらっと見てたから」

「……ち、違うもん」

 ミアは、慌てて首を振る。だが、耳が赤くなっているのを、ソニアは見逃さなかった。

「どうして?」

「だって……」

 ミアは、しばらく黙っていた。それから、絞り出すように言う。

「前に、ノア君が、休み時間に森のお話の続きを読んでるの、見たことあって……。私も、同じ本、好きだから……」

「じゃあ、聞いてみようよ」

「む、無理だよ!」

 ミアは、勢いよく首を振った。

「私、誰かに話しかけたことなんて、ほとんどない。それに、断られたら……」

「断られたら、悲しいね」

 ソニアは、静かに頷いた。

「でも、聞かなかったら、ずっと『もしかしたら』のままだよ」

「……」

「大丈夫。私、ここで待ってるから」

 ミアは、しばらく教科書を見つめていた。それから、小さく息を吸い、立ち上がった。だが、三歩も歩かないうちに、足が止まる。

「や、やっぱり……」

 ミアは、逃げるように自分の席へ戻ろうとした。

「ミアちゃん」

 ソニアは、それを止めなかった。ただ、名前を呼んだだけだった。

 ミアは、振り返る。

「大丈夫だよ。今日、無理なら、また今度でも」

 その一言に、ミアの表情が、少しだけ動いた。

「……今度は、ない、かもしれない」

 小さな声で、そう呟く。

「今日だから、聞けるかもしれないって、思ったから」

 ミアは、もう一度、ノアの方を見た。今度は、目を逸らさなかった。

 ゆっくりと、一歩ずつ、ミアはノアに近づいていく。周りの子ども達は、既に自分達のペアで話し始めていて、誰もミアの方を見ていない。それでも、ミアにとっては、教室中の目が自分に集まっているように感じられた。

 ノアの目の前まで来ると、ミアは、もう一度止まった。

「……あ、あの」

 声が、震えている。ノアが顔を上げた。

「え、僕?」

「その、森のお話……好き、なの?」

 ノアは、きょとんとした顔をした。

「うん、好きだけど」

「わ、私も……好きで……」

 ミアの声は、消え入りそうだった。

「だから、その……よかったら、一緒に……」

 最後まで言い切れず、言葉が途切れる。ノアは、少しの間、ミアを見つめていた。

「……いいの? 僕と組んで」

「え?」

「僕、いつも一人だから。誰も、僕とは組みたがらないし」

 ノアは、少し困ったように笑った。

「僕も、その本、好きだよ。あの、湖のところの場面が、特に」

「わ、私も! あそこ、何回も読み返した!」

 ミアの声が、初めて弾んだ。二人は、互いに顔を見合わせ、それから、ぎこちなく笑い合った。

「じゃあ、一緒に、組む?」

「う、うん!」

 ミアは、大きく頷いた。

 少し離れた場所から、その様子を見ていたソニアは、小さくガッツポーズをした。

「やった……」

「良かったねぇ、ご主人様」

 アナスタシアが、フードの中から囁く。

「うん。本当に良かった」

 ソニアは、目に浮かんだ涙を、こっそり指で拭った。誰かが誰かに手を伸ばす瞬間は、何度見ても、胸が熱くなる。

 教室の一角では、ミアとノアが、教科書を挟んで顔を寄せ合い、小さな声で話し始めていた。その光景は、先程までの、一人きりで俯いていたミアとは、まるで別人のようだった。


                     ◇


 休み時間、ソニアはミアの席に近づいた。

「ミアちゃん、頑張ったね」

「……うん」

 ミアは、まだ少し照れたような顔をしていた。

「怖かった?」

「怖かった。でも」

 ミアは、少しだけ笑った。

「聞いて、良かった」

「そっか」

「先生が、待っててくれたから」

 ミアは、そう言うと、また教科書に視線を落とした。だが、その横顔は、もう俯いてはいなかった。


                     ◇


 感想をまとめる時間になると、ミアとノアは、机を寄せ合って本を広げた。

「この場面、何回読んでも泣きそうになる」

 ノアが、湖の場面を指しながら言う。

「わかる。私、この本、家にたくさんあるから、何度も読み返してるの」

「たくさん?」

「うち、本屋なの。小さいけど」

 ミアは、少し照れたように言った。

「お父さんとお母さんが、お店番してて。私、いつも一人でお店の隅で本を読んでる。誰も、話しかけてくれないけど、本の方が、こっちから話しかけてくれるみたいで」

 ノアは、その言葉に、じっと耳を傾けていた。

「僕も、似てるかも」

「え?」

「僕んち、父さんが忙しくて、あんまり家にいないんだ。だから、図書室とか、静かな場所にいる方が、落ち着く」

 二人は、しばらく黙って顔を見合わせた。それから、どちらからともなく、小さく笑った。

「今度、私のお店、来る?」

「行きたい」

 ノアが、即答した。ミアの顔が、ぱっと明るくなる。

 その様子を、少し離れた場所からソニアは見ていた。誰にも見つからずにいた二つの孤独が、たった一日で、静かに重なり合っていく。


                     ◇


 帰りの会が始まる前、教室はまだ午後の高揚に包まれていた。レオンは自分の杖を大事そうに抱え、ミアはノアと小声で本の話を続けている。朝ミアをからかった子も、今は二人の輪に混ざって、本の話に相槌を打っていた。

「ソニア先生!」

 一人の男の子が、机の間を縫って駆け寄ってきた。

「また、来てくれる? 明日も?」

「わ、私も! また炎魔術教えて!」

「今度は氷の魔術も見せてよ!」

 あっという間に、ソニアは子ども達に取り囲まれた。

「え、えっと……」

 ソニアは、返答に詰まる。今日という日が、あまりにも濃密だった。この子達との一日は、もう終わってしまう。それが、少し寂しかった。

「また、来るね」

 深く考えずに、そう言ってしまった。子ども達が、歓声を上げる。

「約束だよ!」

「うん、約束!」

 その光景を、教室の後ろから見ていたロネアが、静かに口を開いた。

「ソニアさん。少し」

 声には、いつもより低い響きがあった。ソニアは、子ども達に手を振ってから、ロネアの元へ向かう。

「今の言葉、本気ですか」

「え?」

「『また来る』と、簡単に言いましたね」

 ロネアの目は、まっすぐソニアを見ていた。

「あなたは、明日には高等部の生徒に戻ります。これから先、何が起きるか分かりません。ここへ戻ってくる保証など、どこにもない」

「そんな、こと……」

「子どもは、大人の『また来る』を、簡単には忘れません」

 ロネアの声は、静かだったが、鋭かった。

「今日、レオンもミアも、あなたに何かを渡された。もし、あなたが来なければ、それは裏切りになります」

 ソニアは、言葉に詰まった。今日一日の高揚が、急速に冷めていく。

 私、簡単なことを言ってしまったのかもしれない。

「……ごめんなさい」

 ソニアは、俯いた。

「軽く、言ってしまいました」

 ロネアは、何も言わなかった。ただ、じっとソニアを見ている。

 ソニアは、しばらく黙っていた。それから、顔を上げる。

「軽々しく言ったことは、謝ります。でも」

 ソニアの声に、少しずつ力が戻ってくる。

「いつ戻ってこられるかは、正直、私にも分かりません。来週かもしれないし、来年かもしれない。もっと、先かもしれない」

「それでは、なおさら軽い約束です」

 ロネアは、間髪入れずに言った。

「先の話であればあるほど、口先だけで済ませられる。誰にでも言えることです」

「分かってます」

 ソニアは、大きく息を吸った。それから、振り返る。

「レオン君、ミアちゃん」

 二人が、驚いた顔でソニアを見た。

「私、まだ全然半人前だし、これから先、色んな所に行かなきゃいけないかもしれない。すぐには、戻ってこられないかもしれない」

 ソニアは、一度言葉を切った。

「それでも、私は絶対に、ちゃんとした教師になる。それで、絶対にまた、ここに戻ってくる」

「ソニア先生……」

「時間が、どれだけかかっても。だから」

 ソニアは、少しだけ笑った。

「忘れないでいてね、この約束。もし私が忘れそうになったら——先生から、叱ってやってください」

 ロネアは、目を見開く。

 教室にいた子ども達は、きょとんとした顔でソニアを見ていたが、やがてレオンが、しっかりと頷いた。

「うん。約束、絶対に覚えてる」

「わ、私も」

 ミアも、小さく頷いた。

 ロネアは、しばらく黙ってソニアを見つめていた。

「……何年もかかる約束ほど、破られやすいものです」

 それでも、その声には、先程までのような鋭さはなかった。

「それを承知の上で、子ども達の前で言い切るとは。思っていたより、無鉄砲な人ですね」

「よく言われます」

 ソニアは、へらりと笑った。ロネアは、小さく息を吐く。その表情には、まだ完全な信頼はなかった。それでも、僅かに、何かが変わったように見えた。


                     ◇


 放課後、帰りの会が終わると、子ども達が次々と教室を出ていく。最後に残ったロネアが、片付けをしているソニアに声をかけた。

「ソニアさん」

「は、はい!」

 ソニアは、慌てて姿勢を正す。

「今日一日、見ていました」

 ロネアは、いつもの仏頂面のまま言う。

「あなたは、生徒全員の名前を覚えていましたね。ミアの名前まで」

「え、それは……」

「私は、正直に言えば、あの子の名前をすぐには思い出せません。半年、担任をしているのに」

 ロネアは、窓の外へ目をやった。

「あなたを慕っていた子が、ミアをからかった時も、はっきりと『良くない』と言いました。そして、さっきの約束」

「あ、あれは……」

「軽率だとは、今も思っています。それでも」

 ロネアは、初めて、まっすぐソニアを見た。

「逃げ道を残さずに、子ども達の前で言い切った。あれができる大人は、多くありません」

「先生……」

「勘違いしないように。私は、まだあなたのやり方の全てを認めたわけではありません」

 ロネアは、ふんと鼻を鳴らした。だが、その口元には、確かに小さな笑みが浮かんでいた。

「その約束、いつか本当に果たしに来た時は——きちんと、迎えてあげましょう」

 そう言い残すと、ロネアは踵を返して教室を出ていった。ソニアは、その背中が見えなくなるまで、じっと立ち尽くしていた。

「……今の、褒められたよね?」

「褒められたね。それに」

 アナスタシアが、くすりと笑う。

「約束は、いい重荷になったんじゃないかい」

「何それ」

「いつか必ず、果たさなければならないものが増えた、ということさ。ご主人様は、自分で自分の道を、また一つ決めたんだね」

 ソニアは、へなへなとその場に座り込んだ。全身から力が抜けていく。それでも、胸の中には、今までにない確かな手応えが残っていた。


                     ◇


 放課後、初等部第二校舎を出たソニアは、夕暮れの中を高等部へ戻る道を歩いていた。今日一日の出来事が、頭の中をぐるぐると巡っている。

「疲れたかい、ご主人様」

 フードの中から、アナスタシアが静かに尋ねる。

「疲れたけど……なんか、悪くない疲れかも」

 ソニアは、空を見上げて笑った。

「ご主人様よ」

 アナスタシアの声が、少しだけ改まった。

「一つ、聞いてもいいかい」

「何?」

「前に、上級生に絡まれた時のこと、覚えているかい。あと、ヨシュアとの決闘の時も」

「うん、覚えてるよ。それが?」

「あの時、僕には辺りの何もかもが止まって見えたんだ。二度とも」

 ソニアは、足を止めた。

「止まって……?」

「風に煽られた外套も、砂粒も、瞬きさえも。動いていたのは、僕とご主人様だけだった」

 ソニアは、記憶を辿ろうとした。だが、出てくるのは恐怖と、誰かを守りたいという気持ちだけで、その間に何が起きたのかは、綺麗に抜け落ちている。

「……分からない」

 ソニアは、正直にそう答えた。

「本当に、何も覚えてないの。気づいたら、もう終わってて」

「そうか」

 アナスタシアは、それ以上追及しなかった。

「まあ、いい。いつか分かる日も来るだろうさ」

「何それ、気になるじゃない」

「ふふ、秘密さ」

 アナスタシアは、はぐらかすように笑った。ソニアは頬を膨らませたが、それ以上は聞かなかった。

 夕日に染まる道を、ソニアはゆっくりと歩いていく。今日一日で、何かが少しだけ変わった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。