ログロースの英雄
アナスタシアはヨシュアへの重力を解くと、セドリックを見る。
「学院長。もう、大丈夫だ。好きにするといい」
アナスタシアの結界が消えるのを確認すると、セドリックが錫杖を一度地面へ突く。
「ヨシュア・コレポルトを拘束しろ」
憲兵に両腕を掴まれ、ヨシュアは校門の方へ連れていかれる。
ヨシュアはソニアを見せしめにするため、千人を超える生徒達を集めた。しかし、その場で暴かれたのは、ヨシュア自身の罪と本性だった。今や誰一人としてソニアを疑うものはいない。そこにはドラゴンを討伐し、ヨシュアの策略さえも返り討ちにした英雄がいた。
「さすがソニア様だ!」
生徒の一人が叫ぶ。その声を皮切りに、大歓声が広場を揺らした。
ソニア!ソニア!ソニア!ソニア!——————
アナスタシアは歓声を聞きながら生徒達を見渡すと、ソニアを手に掴みクチバシを優しく押す。
「ちょ、ちょっと!」
人格を戻されたソニアは真っ赤になる。
「やめてよ!恥ずかしいから!」
「なぁに、この歓声の殆どはご主人様の賜物さ」
アナスタシアは機嫌よく頷く。
「僕だけでは、到底成し遂げられなかった。本当に感服の極みだ」
「ソニアぁぁぁ!」
声のほうを見る前に、ぶつかられていた。
「く、クララ?」
クララは、ソニアの制服を握りしめて泣いていた。眼鏡が、変な方を向いている。
「怪我、してない?どこも痛くない?」
顔も上げないまま、クララはソニアの腕を、肩を、順番に触っていく。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと汚れてるだけ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
クララは、そこでようやく顔を上げた。ぐしゃぐしゃだった。
「……よかったぁ」
歓声はまだ続いている。ソニア、ソニア、と自分の名前が空から降ってくる。
その中で、怪我の心配をしたのは、クララひとりだった。
「よくもまぁ、やったものね」
セラが、歩いて近づいてくる。
「あの狡猾なヨシュアを退ける力があるとは思わなかったわ」
「そ、そんなことないよ」
「あるわ」
セラは即答する。
「少なくとも、私はあそこまで真っ直ぐ人を信じられない」
セラの真っ直ぐな視線に、ソニアは後ろめたいことはないがどきどきする。
「だから少しだけ、羨ましいと思ったわ」
その言葉に、ソニアは目を丸くする。セラはいつもの無表情だ。
「勘違いしないで。少しだけよ」
ソニアは変わらない実直なセラに「ふふっ」と笑う。
「セラ……ありがとう」
「か、感謝されることではないわ。それに、私ははっきりしないことが嫌なだけよ」
普段は仏頂面なのに感謝されると頬を赤らめるセラを見て、ソニアは笑い出す。
「あはははっ!」
「ちょっと何を笑っているの!」
「ソニア」
振り返ると、マリアンが立っていた。その顔には未だに迷いが残っている。
「本当に、ごめんなさい」
マリアンは頭を下げる。
「私は兄の権力を盾に、ソニアに酷いことをたくさんした」
声は震えていたが、マリアンの目はしっかりとソニアを見ている。
「それなのに、お兄様から逃げ続けていた私を許してくれた」
マリアンの手は強く握られている。
「そして、助けてくれた」
——————。
ソニアは少し考えた後、首を横に振った。
「違うよ」
「え?」
「最後に、自分で決めたでしょう?小さい時からずっと、ヨシュアさんに恐怖してきたマリアンが、初めて自分の意思を伝えたんだよ」
マリアンの瞳に涙が浮かぶ。
「私はね」
ソニアは少しだけ笑う。
「マリアンが、勇気をもてて本当に良かったって思ってるんだ」
だが、涙は落ちなかった。
「これから大変だと思う。でも、今日の決断を後悔しないでね」
「……うん」
マリアンは小さく頷く。その返事は以前よりもずっと力強かった。
「ご主人様は人を導くのが上手いねぇ」
アナスタシアが感心したように届かない手を組み頷く。
「な、何よ……」
アナスタシアがまた変なことを言い出すので、ソニアは眉をひそめる。
「優しいだけではないということさ」
褒められ慣れていないソニアは、顔を真っ赤にして顔を背ける。
「いいって、そういうの!」
アナスタシアはけらけらと笑っている。マリアンは、ぬいぐるみと話すソニアを見て、当然のことながら怪訝そうな顔になる。
「やっぱり、変わってるわ。ソニア」
「あっ!」
気を抜いてアナスタシアと普通に会話をしちゃった。
「ご、ごめん!今の無し!」
「ぷっ!あはははっ!」
マリアンは笑った。全く面白くないのに、何故か心の底から笑った。ソニアも恥ずかしながらも「えへへ」と笑い返す。そこは、先程まで校舎を壊すほどの戦いが行われた場所とは思えないほど穏やかだった。
「ソニア君」
今日はよく名前を呼ばれる日だなと思いつつ振り返ると、そこにはセドリックがいた。
「が、学院長」
ソニアは、背筋がぴんと伸びる。
「今回は私の責任だ」
セドリックは錫杖を支えに、深々と頭を下げる。ログロースの学院長が一人の生徒に頭を下げる様は、周囲の生徒達をどよめかせる。そんな光景を目にしたことのある者は誰もいないからだ。
「本当に申し訳なかった」
ソニアは慌てて両手をぶんぶんと振る。
「そ、そんな!顔を上げてください!」
セドリックは、ゆっくりと顔を上げる。
「学院長」
セラが、一歩前に出た。さっきまで顔を赤くしていたのに、もういつもの声だった。
「はっきりさせておきたいことがあります」
「申してみなさい」
「編成試験の日、ソニアは午前の筆記の点数を剥奪されました。生徒会長の一存で」
セドリックの眉が、わずかに動く。
「あのとき私は言いました。一生徒会長に、そのような権限はないと」
セドリックは、答えなかった。錫杖を握る手に、力がこもるのが見えた。
「その処分は、まだ生きています」
しばらくの沈黙のあと、セドリックは錫杖を一度地面へ突いた。
「ヨシュア・コレポルトが下した処分は、全て洗い直す。……時間はかかる」
「い、いいんです、私は!もう終わったことですし!」
ソニアは慌てて手を振る。
「よくない」
セラが、ソニアを見ずに言った。
「私が、はっきりしないのが嫌なだけよ。……それに、あなたが我慢したら、次の誰かが同じ目に遭うでしょう」
セドリックの顔が、笑顔に変わった。
「だが同時に、私は君を誇りに思う」
「はい?」
ソニアは意図が分からずに固まる。
「ログロース学院の生徒として」
「え?」
「よく戦った」
その一言に、ソニアは何故か少しだけ泣きそうになった。




