ゼロと無限
ヨシュアの足元に描かれた魔術陣から眩い光が溢れ、魔術が完成する。
「我がヨシュア・コレポルト名をもって命ず ヴェントス・プリムス!」
「高位の魔術を……!早すぎる!」
避難した生徒から、驚きの声が上がる。「プリムス」を冠する魔術は、騎士団においても使いこなせる者は少ない。扱えたとしても、到底実戦では使えない長い詠唱を要する。ヨシュアが、騎士団においても一目置かれていたことが推測される。
「ぶっへぇ!」
二人の人格が入れ替わる。
次の瞬間、ヨシュアの魔術杖から巨大な蛇のような風の塊が放たれた。圧縮された風が石畳を削りながら、マリアンを庇うアナスタシアへ迫る。
「観客が多すぎるね」
アナスタシアは後方のセドリック達数人の職員に注意を促す。
「先生方よ!少し風を弱めるから、何とか凌いでおくれ!」
アナスタシアは両手をそっと挙げる。
「爆ぜろ」
アナスタシアを束縛していた戒めが小さな爆発音と共に砕け散る。
「凍れ」
そして、そのままその手を振ると、マリアンを守るように氷の壁が立ちはだかる。風はその氷の壁に沿うように職員達の方へと進路を変える。バリアで弾いてしまうのは簡単だが、それだと生徒達への被害を抑えることができない。アナスタシアは、職員のいる方へと受け流しながらも、暴風に含まれる水分を次々と氷晶へ変えた。風に混じった無数の氷が流れを乱し、圧縮されていた勢いを削いでいく。
『ドォン!』
勢いは弱まったもののヨシュアの放った風は、そのまま校舎に激突して、砂煙が舞い上がる。生徒達から悲鳴が上がった。
「全員、下がれ!」
セドリックが錫杖を掲げている。
学院職員達は結界を展開しながら、生徒達を戦場から遠くへと避難させていく。
「私の風を曲げただと……!」
ヨシュアは、被害が出た事などお構いなしに自分の魔術に対応したことに驚く。
「すまない!ご主人様。今のは詠唱する時間が無かったんだ」
アナスタシアは肩のソニアに謝る。
「詠唱はいいから、前に集中して!」
「でも、結構な人に見られているぞ?この後、厄介ではないのかい?」
アナスタシアは、既に戦った後のことを案じている。ソニアは、辺りを見回す。
「どうやって氷の壁を出したんだ!?」
「今、詠唱も魔術陣もなくなかった?」
アナスタシアの魔術を近くで見ていた生徒達から、疑問の声が聞こえてくる。
「でも、マリアンを守りながらだよ?」
アナスタシアは、にやっと笑う。
「余りあるね」
アナスタシアは両手を広げ、くるりと回る。
「契約の鍵 みんなを守る風の壁 我が名は ソニア・エヴァークレスト アインス・ヴェントス」
急にアナスタシアを中心に突風が吹く。後方の職員達からはおよそ50メートル離れていた。そこに、薄い結界が張られる。編成試験の時のアリーナの結界と同じだ。
「ふむ、これで、周りへの被害は出ないだろう。君達、その結界の中にはくれぐれも入らないようにね」
アナスタシアは、年下に言い聞かせるように結界を指差す。ヨシュアは目を見開いていたが、また魔術杖を振り上げる。
「くそっ、実力は本物か。ならば、避けられないほどの数を放つだけだ!」
魔術陣に再び魔力が注がれ、輝き出す。それは、平凡な人間では描けない、繊細で美しいものだった。
「全く……これほどの力をもちながら、この様とは……」
アナスタシアは、ため息をつく。
「従属の楔 狂風封ず天廻の帝 幾千の陣風となり降り注げ 我がヨシュア・コレポルト名をもって命ず ヴェントス・プリムス・グラディウス」
ヨシュアの周囲に、無数の風の刃が生み出される。一つ一つは、目で追うことすら難しいほど薄く鋭い。ヨシュアの周りを回り、風の刃が通り過ぎた石畳には、次々と深い切れ目が刻まれていく。
「殺れ」
ヨシュアが魔術杖を振り下ろす。無数の風の刃が、渡り鳥のように群れになって隊を成し、猛スピードで放たれる。
「キャァァ!」
アナスタシアの後ろで座り込むマリアンは、観念して目を瞑る。刃の群れがアナスタシア達の間近に迫った時、ヨシュアは更に命じる。
「散れ」
命令と同時に無数の刃が飛散し、正面だけではなく、左右や上空、四方八方からアナスタシアへ襲いかかった。
「契約の鍵 かったい氷の壁 アインス・グラキエス」
アナスタシアはマリアンの後方まで氷の壁を張る。直後、アナスタシアが立っていた場所へ、無数の風の刃が降り注ぐ。
「バリアごと、刻んでしまえ!」
ヨシュアの声に呼応するかの如く、勢いを増して風の刃が突撃していく。氷の壁に弾かれては、風の刃は地面に落ち、生きているかのように再度アナスタシアの周囲を回り攻撃していく。あまりの猛攻に石畳が細かく切り刻まれ、砂埃が巻き上がった。
「ふはははっ!反撃できまい。早くしないと、次の魔術が完成するぞ」
「アナスタシア、全然この攻撃終わらないよ!」
ソニアが心配して声をかけると、マリアンも同じく諦観した顔で言う。
「終わりよ。私はこれまで、この攻撃を耐え凌いだ人は見たことない」
「ふむ、防いでいるだけではダメなのだね」
アナスタシアはそう言うと、人差し指を頭上に向ける。
「契約の鍵 火の鳥部隊出撃 アインス・イグニス」
砂埃のドームの上に太陽のような大きな炎の玉が現れる。次の瞬間、炎から無数の炎の刃が生まれていく。そして、風の刃を次々と撃墜していく。ボッボッボッとぶつかる度に、小さな爆発音をたてる。無数と思われた風の刃が、みるみるうちに減っていくのが分かる。高笑いをしていたヨシュアは、それを見ると魔術杖を構える。
「す、すごい、お兄様の魔術が潰されていく……」
「どんなに魔力があろうと、初級魔術だぞ!」
ヨシュアは、自分の高位の魔術が初級魔術に競り負けていくことに怒りを露わにする。
「従属の楔 狂風封ず天廻の帝 汝の憤怒をもって逆巻き狂え 我がヨシュア・コレポルト名をもって命ず ヴェントス・プリムス・テュポン」
ヨシュアが唱え終わったと同時に、最後の風の刃が撃ち落とされる。
「どこまでも、癪に障る奴だよ、お前は!」
ヨシュアは魔術杖を下から上へ振り抜く。アナスタシア達の真下から、巨大な竜巻が巻き起こり、上空高く巻き上げられる。
「きゃああっ!」
マリアンが悲鳴を上げ、アナスタシアへしがみつく。
「色々な攻撃を考えるものだね。君のお兄さんは」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょ!」
アナスタシアは竜巻の中で身体を回転させながらも、慌てた様子を見せない。一方のヨシュアは、自らの身体に風を纏わせると、地面からゆっくりと浮き上がった。足元や背中の風圧を細かく変化させ、空中に浮かぶ。
「空を飛んでいる……」
「風魔術で、空を飛べるとは……」
避難する生徒達から驚きの声が上がる。ヨシュアは竜巻を維持しながら空を飛び、さらに複数の風の刃を同時に操作する。ログロース学院の生徒の中でも、これほど精密に風を操れる者はいない。
「どうした、ソニア!」
ヨシュアは宙に浮かび、両腕を大きく広げる。
「ドラゴンを倒したほどの力があるのだろう!使ってみろ!」
アナスタシアは竜巻の流れに身を任せながら、ヨシュアの魔術を観察していた。
「アナスタシア、大丈夫?」
ソニアは、アナスタシアを心配して声をかける。
「なるほど」
「何だ?」
ヨシュアが、苛立たしげに聞き返す。
「君は確かに、風魔法だけならば大したものだね」
「馬鹿にするな!魔術だけではない!私はコレポルト家の嫡男!何ももたないお前らと一緒にするな!」
ヨシュアが魔術杖で中空に大きな円を描く。周囲を吹き荒れていた風が、ヨシュアの頭上へ集まっていく。雲に届くのではないかと思うほど巨大な竜巻が圧縮されて渦を巻くように収束していく。そして、一つの銀河のような輝く魔術が完成する。ログロース学院の上空に作り上げられたこれは、辺りの木々を激しく揺らし、今にも根から抜けてしまいそうだ。地面に落ちていた石や土が吸い上げられ、アナスタシアの張った結界さえも激しく軋んでいた。
「これが私の最高芸術だ」
ヨシュアは、魔術杖をアナスタシアに向けて振る。
「ヴェントス・プリムス・エンリル!」
巨大な渦が、アナスタシア目掛けて動き始めた。それは地面を削り、周囲の全てを巻き込みながら迫ってくる。
「これに飲み込まれれば、いくらお前でも無事では済まない!」
アナスタシアの長い髪が、暴風によって引っ張られるようになびく。それでもアナスタシアは、迫る竜巻を見ながら楽しそうに笑った。
「あぁ、ソニア!こんな時に笑うなんて、おかしくなってしまったのね」
マリアンは、両手を前で組むと観念したかのように目を瞑った。
「命乞いならば遅い!」
「冗談を」
アナスタシアは吐き捨てると、右手を掲げる。
「契約の鍵 暴風分けて小さな風へ 我が名は ソニア・エヴァークレスト アインス・ヴェントス」
アナスタシアの周囲に、大量の結界が現れる。結界は、巨大な竜巻の進行方向へ何重にも連なっていく。竜巻が結界へぶつかり、風の流れが無数の方向へ分けられていく。
右へ、左へ、上へ、下へと風がどんどんと分断されて隔離されていく。一本の巨大な流れだった竜巻が、結界を通過するたびに細く分かれていく。
「くそっ!何をやっている!早くあいつを喰らえ!」
ヨシュアは、思い通りにならない自分の魔術に苛立ちを見せる。ヨシュアは魔術杖を強く握り、分散する風を強引に一つへ戻そうとする。
「この程度で、私の風を止められると思うな!」
分かれていた風が、再び大きな渦を作り始める。
「ほう。さすがだね」
アナスタシアは腕を組み、頬に人差し指をあてて、感心したように頷く。巨大な渦巻く風が、またアナスタシア達に襲いかかる。大きさもさることながら、宙に浮いている状態では避けることは難しい。
「マリアンよ。しっかりと捕まっておれよ」
アナスタシアは、組んだ腕を解き、人差し指を渦巻く風の中心に向ける。
「でも、これが最高か、若者がよくやったもんだよ……契約の鍵 炎よ風の元を断て 我が名は ソニア・エヴァークレスト アインス・イグニス」
「吹き飛べ」
ドシュッ!
アナスタシアの指先から、高速で炎が線状に放たれ、渦の中心を貫く。ヨシュアの魔術は、中心の低圧域へ周囲の空気を集めることで巨大な渦を維持していた。そこへ炎が打ち込まれて、空気が急激に膨張し内側へ向かう圧力は反転して、竜巻は自らの力で外側へ弾け飛んだ。すると、突如その渦を中心に爆発が起こり、今まで中心に向かって流れていた風が一気に外に向かって爆散する。
「う、嘘だ!何故あんな小さな炎が、私のエンリルを!」
ヨシュアは目の前の信じ難い光景に、動揺を隠せない。爆風はヨシュアを襲い、纏っていた風を制御するのが難しくなる。そして、アナスタシア達を囲んでいた風も吹き飛ばされる。ヨシュアの作り上げた風は、アナスタシアが起こした爆風で、その全てが飲み込まれていった。
「ソニア!私たちも落ちるわよぉぉ!」
マリアンが悲鳴を上げるが、アナスタシアは平然とその場に留まっていた。正しくは、浮いていた。
「えっ、どういうこと?浮いてる?」
マリアンがアナスタシアに掴まりながら不思議そうに辺りを見回す。アナスタシアは、ヨシュアでさえ制御できない暴風の中、風を纏い浮いている。
「おい、ヨシュアよ。このまま落ちたら、怪我じゃ済まないぞ。しっかりせい、風のスペシャリスト」
アナスタシアは、いつも通りの頬に指を当てて、つまらなそうに言う。
「くそっ、くそっ!私は落ちない!私はコレポルト家のヨシュアだ!私より上に立つものはいない!」
ヨシュアは未だ続く暴風に、自分を浮かせている風を制御するのがやっとで、アナスタシアの皮肉に返すことができない。空中でもがき、今にも落ちそうになっている。
「お兄様……」
その視線の意味を推し量ることはできないが、マリアンは悲しそうに兄を見る。そして、ヨシュアはついに浮力を保てなくなり落ちる。
「うああぁぁ!」
「君の兄は、本当にやかましいね」
アナスタシアは「ふぅ」とため息を一息つくと、地面に向けて一直線に突っ込んでいく。
「ぎゃあぁぁ!ぶつかるーーー!」
「ぎゃあぁぁ!ぶつかるーーー!」
ソニアとマリアンが、聞こえてないのにシンクロして叫ぶ。アナスタシアは耳を塞ぎながら落ちていくヨシュアを通り越し、そして地面に着く瞬間に逆風を起こし、慣性を無くして止まる。周りから見たら、猛スピードで突っ込んだ人間が急に止まったようにしか見えなかった。
「まぁ、みんな同じか。アインス・ヴェントス」
アナスタシアは、落ちてくるヨシュアを風で受け止める。
「死んで逃げられては困る。君には罪を償ってもらわないとね」
「アナスタシア、心臓に悪いよ!」
ソニアがアナスタシアに意見した時、ヨシュアの怒声が辺りを驚かせる。
「ふざけるなぁぁぁぁ!私を馬鹿にしたものは誰一人として許さない!」
助けてもらったことがヨシュアのプライドを大きく傷つけたのだろう、その怒声は辺りを凍り付かせる。
「もう他の誰も頼らん!元はと言えば、初めから私がやっていれば良かったのだ!ウィンストンやマリアンなど、クズを使ったばかりにこんなことになったのだ!」
ヨシュアは錯乱しているのか怒りで自制が効かなくなったのか、魔術杖を振り回して叫ぶ。
「ヨシュアさん……」
「ソニア!この化け物め!お前を殺す!絶対に、絶対に、絶対にだ!」
その一言に、アナスタシアの表情が止まった。ほんの一瞬だけ、遠い昔の声が重なる。
化け物。
アナスタシアは、無意識に奥歯を噛み締めた。
マリアンは、もう兄の顔を見てはいられなかった。怒り狂ったヨシュアは、魔術杖を振り上げ詠唱を始めようとする。
「潰せ」
ヨシュアが急に、魔術杖を持つ手から地に崩れ落ちる。
「何だ急に、手が!重いぃ!」
アナスタシアが、ヨシュアの目の前まで来る。はっとヨシュアが見上げると、何の感情ももたない今まで何度も自分が人に向けてきたのと同じ目があった。
「どうする気だい?その手、動かないんだろう?立てるものなら、立ってみるといい」
「ソニアァァァ!お前がやったのか!くそっ、こんなものすぐに!私の力で!」
ヨシュアは何とか腕を持ち上げようとするもびくともしない。何度も何度も試みる。全く動かない。目の前で、殺したいほどの人間に見下されている。
「クソォぉおぉぉぉ!私は……コレポルト家のぉ……」
「コレポルト、コレポルト……それは、もう何度も聞いたよ」
ヨシュアは歯を食いしばり、アナスタシアを睨む。
「わ、私をこのような目に遭わせれば、コレポルト家が黙っていないぞ!」
アナスタシアは、眉ひとつ動かさずに言う。
「君は言うに詰まれば、家の名だね」
「何だと……」
「才能に溺れ、人を道具のように扱い、いざ進退窮まるとコレポルト……本当に情けない」
ヨシュアの表情が凍りつく。
「羨望、信頼、権力を失い、才能でさえ僕に勝てない」
アナスタシアはしゃがみ、ヨシュアと目線を合わせる。
「今、君には何が残っているのだい?」
アナスタシアのちょうど顔の横、向こうにいるマリアンの横顔が目に入る。ずっと自分を畏怖してきた、信頼してきた、恐怖してきた妹はもう自分を見ていない。
「マリアン……」
ポキン——————。
軽い音が鳴った。ヨシュアの魔術杖が折れたのだ。それは、代々コレポルト家が継いできた伝統の杖。
「ウィンストンは、今の君のように腕をつぶされた時どうしたと思う?」
「へっ?」
ヨシュアは情けない声で聞き返す。
「ウィンストンはな、そのつぶされた腕をナイフで切り落として、また僕に襲いかかってきたんだよ。君に救ってもらったからと、忠誠を誓い、何としてでも君の役に立ちたいとな」
「………………」
「君は何だ。大層大事な家の名のために、自分を犠牲にすることさえもできない」
「黙れ……」
「君は弱い」
「黙れ!」
「覚悟が全く足りていない」
「黙れぇ!」
ヨシュアは叫ぶが、重力に押さえつけられた身体は微動だにしない。
「何なんだ、お前は!お前の使うそれは、こんなの……魔術じゃない!化け物めぇ!」
アナスタシアは目を細める。ヨシュアの髪はボサボサで、顔は青ざめて薄汚れている。もう、そこに以前のような生徒会長はいない。
「もう、いいや」
アナスタシアはすっくと立ち上がり、ヨシュアから背を向けた。しかし、何か思いついたのか、顔だけを向けると最後に声をかける。
「そうだ、これに耐えられたら、少しは認めてあげよう」
「な、何だと……」
アナスタシアは、にやりと笑顔を見せる。
「重力、レベル3」
ヨシュアの周りの重力が、急に跳ね上がる。身体が軋み、頭を地面に擦り付ける。
「ぐあぁあぁあぁぁ!」
悍ましい怪物のような悲鳴を上げると、ヨシュアはそのまま失神した。
「やっぱりね、結局性根が弱いんだよ」
アナスタシアは、以降ヨシュアを見ることはなかった。




