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Hiyoko's witch  作者: POCO
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無音の世界

「お兄ちゃん!」

「おい、能無し。軽はずみに私を兄と呼ぶな。虫唾が走る」

 マリアンが兄を親しみを込めて呼んだのは、この一度だけだった。それからは兄の目を避けるように過ごした。マリアンは兄ヨシュアを尊敬すると共に恐れていた。全てを見通すかのような、全てを見透かすかのような、万能を体現したような人だった。そして、マリアンは可愛がられもしなければ、何かを教えられたこともない。ただ、いつも自分の資質を値踏みされているような感覚を覚えていた。父や母も才能の塊のような人間だったが、兄は二人を遥かに凌駕した。10歳になる時には、二人を退けて家の執務を仕切り、大人に指示を出していた。マリアンはそんな兄に一度も逆らう事は無かった。何故なら、逆らった大人達がどのような最期を迎えたのか知っているからだ。兄にだけは、逆らっても見放されてもダメだ。マリアンは、コレポルトの名よりもヨシュアに縋り付くしかなかった。

 

「わ、私は……本当は……」

 マリアンは両目をぎゅっと瞑り、声を振り絞ろうとする。

「マリアン、もういいよ」

 突然、ソニアが優しく声をかける。マリアンは、今にも泣き出しそうな顔を上げた。ソニアは縛られた両手を前に出しながら、困ったように笑っている。

「もう無理しないで、マリアン」

「な、何を言っているのよ……」

 マリアンはソニアの一言に、我に返る。

「私が答えなかったら、あなたは憲兵に連れていかれるのよ」

「うん。でも、怖いなら、無理に答えなくてもいいよ」

「何で!何であなたは!私は、さっき、あなたに刺されたって言ったのよ!」

「それでもいいよ」

 ソニアは、何でもないことのように答える。

「よくないでしょう!あなた、自分が何を言っているのか分かっていて?」

「分かっているよ」

 ソニアは、マリアンだけを真っ直ぐに見つめる。

「でも、マリアンが本当のことを言ったせいで、また傷つけられるくらいなら、私は今ここで無理に言わせたくない」

「ご主人様よ!何故マリアンを守ろうとするのだい!ご主人様を陥れようとした者だぞ!」

 アナスタシアが声を荒らげる。セラも納得できないように眉を寄せたが、ソニアの言葉を止めようとはしなかった。その声を聞いたソニアは、にこりと微笑む。

「私は一人じゃないの。あなたが私を犯人だと言っても、信じてくれる人がいる。だから私は、大丈夫」

「…………!」

「私ね……教師になりたかったの。だからね、マリアン。誰かに『こうしろ』って言われるんじゃなくて、あなたが決めてほしい」

 ソニアは、縛られた両手を胸元へ寄せる。

「今すぐ言えなくてもいい。でも、自分の気持ちまで嘘にしないで」

 ヨシュアが割って入る。

「マリアン、命令だ。その女の言葉に耳を貸すな。お前はコレポルトの人間だと言うことを忘れるな」

 マリアンの両手は、強く握り締められている。

「本当に……」

 マリアンが、今までにはない強い声で呟いた。

「本当に、そういうところが大嫌いなのよ……」

 石畳に、一粒の涙が落ちた。

「マリアン?」

 一抹の不安を覚えたのか、ヨシュアの声が揺らぐ。マリアンは、ゆっくりと顔を上げた。その目は、兄ではなくソニアを見ていた。そして、ゆっくりと息を吸った。

「…………違います」

 その声は震えている。それでも、その一言は千人を超える生徒達の耳へ、はっきりと届いた。

「違います!私を刺したのは、ソニアではありません!」

 周囲の生徒達が、一斉にざわめく。ヨシュアの顔から、笑みが消える。

「マリアン?」

 マリアンは大きく息を吸い込むと、広場全ての人に聞こえるように叫ぶ。

「そのナイフを持っていたのは、ウィンストンです!ウィンストンが、私を刺しました!」

 ヨシュアは、慌てて割って入ろうとする。

「マリアン!お前は怪我で混乱している!」

「混乱などしていません!」

 マリアンはヨシュアから一歩離れる。胸元を押さえながら、今度は兄から目を逸らさなかった。

「私は、お兄様からソニアを旧校舎へ連れていくよう命じられました!」

「黙れ!」

 ヨシュアの制止にも、マリアンは全く怯まない。

「ウィンストンも、お兄様の命令で動いていました!昨日、私と二人でソニアの命を奪うために!」

「黙れと言っている!」

 ヨシュアの怒声に、マリアンの身体が再び強張る。それでもマリアンは、一度ソニアを見ると、もう一度ヨシュアへと向き直った。

「ですが、実際は私はただの捨て駒でした!私は、自分まで刺されるなんて知りませんでした!私を利用して、ソニアを亡き者にしようとしていたのです!そして、生き残った私に、お兄様は、私が刺されたおかげで一芝居打てたと……多少は役に立ったと言ったのです!」

 ヨシュアは顔を真っ赤にして怒鳴る。

「それ以上、喋るな!」

「コレポルト家に生まれた者は、家のために尽くせと!何の資質も持たない私は、こうして使うしかないと、お兄様が言ったのです!」

「マリアァ゙ァ゙ァ゙ン!!」

 ヨシュアの顔からは、今まで浮かべていた柔らかな笑みなど想像もできない。

「出来損ないの分際で、私に逆らうな!私の言った通りにさえ動けないクズが!私の言う通りにしていれば、全てがうまく行くのだ!足を引っ張るのは、いつもバカなお前なのだ!」

 その一言に、生徒達のざわめきが止まった。誰もが、今まで見たことのないヨシュアの顔を見つめている。学院の生徒達へ平等に接し、常に優しい笑顔を浮かべていた生徒会長。その姿は、既にどこにもなかった。

「ち、違う……」

 周囲から向けられる冷たい視線に気づき、ヨシュアは慌てて表情を取り繕おうとする。

「今のは違う。私は、妹の身体を心配して……」

「心配?」

 セラは、いつも以上に冷たい目をヨシュアへ向ける。

「妹が刺されて喜んでいた人が、今更何を言っているのかしら」

「私が喜んでいたなどと、証拠がどこにある!」

「今、マリアンが証言したわ」

「妹の話だけで、私を犯人にするのか!先程、被害者だけの証言では駄目だと言っていたのは君ではないか!」

「ええ、その通りよ」

 セラはあっさりと認める。

「だから、あなたが犯人かどうかは、これから学院と憲兵が調べればいいわ」

「ならば!」

「でも、ソニアを犯人と断定し、今すぐ憲兵へ引き渡す根拠は、もう何一つ残っていないわね」

 ヨシュアは口を開くが、言い返す言葉が出てこない。

「ヨシュア・コレポルト」

 セドリックの低い声が響く。

「ソニアの拘束を解け」

 学院の職員が、ソニアの元へ向かう。

「そして、ヨシュアを取り押さえろ」

「なっ!」

 今度は、ヨシュアの方へ数人の職員が近づいていく。

「待て、セドリック!私はコレポルト家の嫡男だぞ!」

「それがどうした?」

 セドリックは、ヨシュアを冷たく睨む。

「学院の秩序を乱し、生徒を陥れ、妹の命まで利用した疑いがある。学院長として、これ以上、君の専横を許すわけにはいかん」

「疑いだと……?」

 ヨシュアは、わなわなと身体を震わせる。

「この私を、疑っているというのか?」

「詳しいことは、学院長室と憲兵の前で話してもらう」

「ふざけるな……」

 ヨシュアは俯き、低い声を漏らす。職員の一人がヨシュアの腕を掴もうとする。

「私に触るな!」

 ヨシュアは、その職員の手を激しく振り払った。その勢いに職員はよろめき、地面へ尻餅をつく。

「ヨシュア!大人しくしなさい!」

 学院長が錫杖を向けるが、ヨシュアは学院長の言葉など聞こえていないかのように、周囲を見回していた。先程まで、自分の一言で静まり返っていた生徒達。自分へ憧れの視線を送っていた生徒達。しかし、今は誰一人としてヨシュアを尊敬の眼差しで見ていない。

『軽蔑』

『恐怖』

『疑惑』

 ヨシュアの何より嫌う感情が、千人を超える生徒達から向けられている。

「違う……」

 ヨシュアは首を横に振り、後ずさって行く。

「私は間違っていない」

 誰に言い聞かせているのか分からない小さな声だった。

「私は、コレポルト家を守ろうとしただけだ」

 ヨシュアは、ゆっくりと顔を上げる。

「コレポルト家を愚弄する者を排除する。何が間違っている?」

 乱れた髪のあいだから、ヨシュアはソニアを睨む。

「元はと言えば、お前が悪いんだ」

「えっ……」

「お前のような田舎者が、私の前へ出てきたからだ!」

 ヨシュアは、先程までの丁寧な口調を忘れ、ソニアへ怒鳴りつける。

「何も持たない。権力も金も!そんなお前が、三公爵家である私に恥をかかせた!」

「私は、そんなつもりは……」

「黙れ!」

 ヨシュアはソニアを睨みつけた後、今度はマリアンへ目を向ける。

「そして、お前だ」

「お、お兄様……」

 マリアンは、兄の視線に怯えて一歩後ずさる。

「全て、お前が裏切ったからだ」

 ヨシュアは外套の内側へ手を入れる。その動きを見たセラが、僅かに身構える。

「会長、何をするつもり?」

「お前が黙っていれば、全てうまくいっていた」

 ヨシュアは、外套の中から一本の魔術杖を引き抜いた。

「ヨシュア!」

 セドリックが錫杖を構える。周囲の職員達も一斉に魔術杖を取り出す。だが、ヨシュアは誰にも目を向けず、魔術杖の先を実の妹へと向けた。

「裏切り者は、コレポルト家には必要ない」

「お兄様……?」

 マリアンは、信じられないものを見るようにヨシュアを見つめる。ヨシュアの足元に、青白い光が走る。光は今まで見たことのない速度で複雑な線を描きながら広がり、巨大な魔術陣を作り上げていく。

「従属の楔 瑞風を纏い舞え 命ず ツヴァイ・ヴェントス」

 掲げた魔術杖から圧縮された風が放たれる。

「くそっ、詠唱が早すぎる!」

 セラは魔術の詠唱を試みようとするが、相手は学院随一の魔術巧者、その詠唱には全く追いつく事が出来ない。それは、もちろん学院長を含め大人の職員でさえ同じだった。

「あの世で悔いろ!」

 ヨシュアは、嫌らしく笑う。ソニアは両手を縛られたまま、マリアンへ手を伸ばす。

「やめて!」

「ご主人様よ!」

 アナスタシアは制す。誰が見ても、ソニアの助けは間に合わない。その時。

 ——————無音

 アナスタシアは目を見開き驚愕する。ヨシュアの外套が、風に煽られた形のまま止まっていた。舞い上がった砂粒も、生徒達の瞬きさえも動かない。何もかもが止まっている。動いているのは、ヒヨコのアナスタシアと、ソニアだけだった。ソニアは、それを知らずに目を瞑ったままマリアンに体当たりをする。

「トンッ」

 ソニアがマリアンにぶつかった途端、また全てが動き出す。ヨシュアの放った風魔術は、マリアンには命中せずにその奥の校舎を壊した。

「なんだとっ!外した……?」

 ソニアはマリアンを押し倒し、二人で倒れ込んでいた。マリアンを確実に殺ったと思ったヨシュアは、目の前で何が起こったか戸惑っている。

「この前と同じ、やっぱりだ!ご主人様、今君は何をしたんだい!」

 アナスタシアは、目の前の出来事を確認したく大声で聞く。しかし、ソニアはマリアンの事で頭がいっぱいでアナスタシアの言葉には反応しない。

「マリアン、大丈夫!?」

「だ、大丈夫……ありがとう」

 マリアンはソニアの目を見て、感謝の言葉を述べる。

「良かったぁ、間に合わないかと思ったよ」

「ソニア、何をしているの!危ないでしょう」

 セラがソニアの後先考えない行動を諫める。

「アナスタシア!」

 そして、セラは肩に鎮座していたアナスタシアを掴む。

「お、おい、セラ?」

 セラは、ヒヨコのアナスタシアをがっと掴むと、大きく振りかぶった。

「ちょっと待て!まさか、また――」

「ソニア、受け取りなさい!」

 セラは、アナスタシアをソニア目掛けて力いっぱい投げた。

「また投げるのかい!」

 アナスタシアの悲鳴と共に、黄色いヒヨコが直線的に宙に放たれる。周囲の生徒達も、ヒヨコのぬいぐるみに目を奪われる。ソニアは縛られた両手を前へ出し、飛んできたアナスタシアを胸元で受け止める。

「ふざけるな!」

 セラの奇行にヨシュアは激昂すると、再度魔術杖を振り上げる。そして、魔術陣から再び眩い光が溢れ出し、ヨシュアは詠唱に入る。

 ソニアは、受け止めたヒヨコのぬいぐるみを大切に抱き上げる。ソニアは、真っ直ぐにヨシュアを、ヨシュアの瞳を睨む。何人もの人々を蔑んだ、恐怖させた瞳を。

「アナスタシア!」

「今度はご主人様かい!それよりも僕の質問に答えてはくれないか……いや、まぁ、それどころでもないか……」

 アナスタシアは、ヨシュアを見ると一旦自分の意見を収める。今にも放たれようとしている魔術杖の先は、実の妹であるマリアンとソニアへ向けられていた。

「従属の楔 狂風封ず天廻の帝 万物を薙ぐ その力を示せ」

 怒りと冷笑の混じった顔だった。

「私は、あなたを絶対に許さない」

 ソニアの声は震えていた。

 怖い。

 今までにソニアは誰かに対してこれほどの敵意を抱いた事は無かった。それでも、マリアンを道具のように扱い、ウィンストンを利用し、自分の思い通りにならない者を傷つけるヨシュアをもう見過ごすことはできなかった。

「絶対にマリアンを守る!」

 ソニアはアナスタシアを見ると、力強く言う。

「だから、アナスタシア。力を貸して!」

「ああ、任せたまえ」

 ソニアは迷うことなく、ヒヨコのクチバシへ指を伸ばし、力強く押し込む。クチバシが顔にめり込んだ。

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