ソニアは、折れない
ログロース学院学院長室、満月が南の空を過ぎた頃、学院長セドリック・アシュクロフトは急遽緊急事態だと職員から呼び出された。白く長い髪で職員を表す制服と外套を身につけている。そして、手には椅子に座りながらも大切に持つ錫杖がある。さぞ名のある品なのだろう、錫杖の頭には鈍く黒色に光る珠が飾られている。呼び出した職員は、セドリックが椅子に座り体勢が整うのを待つと、ソニアの事件の報告をする。
「何、ソニアが人を殺しただと?あのセラに勝った生徒がか?」
「はい。その場は、ヨシュア達生徒会が取り仕切り、今は職員によって見張りをつけています」
職員の報告を聞くセドリックは、難しい顔をしている。
「子供がどこまでも介入しおって…………いや、待て。その殺されたというウィンストン、どこかで聞き覚えがあるぞ」
「資料によると3ヶ月前に転入してきた生徒ですが」
「身元は?」
「えーっと…………、レムルイ・ダルと書かれています。えっ、レムルイ・ダルは5年前に滅んだ国です!」
職員は資料と学院長をちらちらと見ながら、様子を窺う。
「亡国の少年がどうやってこのログロースに?」
「えー……、書かれてはいませんが、コレポルト家が推薦状を書いています」
セドリックは、学院長室の椅子に身体を預け天井を見上げる。
「……学院長?」
「調べろ」
「えっ?」
「ウィンストンの亡骸と経歴を徹底的に調査しろ」
「は、はぁ……」
セドリックは椅子から立ち上がると、すぐに動き出さない職員に向けて語気を強めて命令する。
「ええぃ、早くしろ!ヨシュアにウィンストンの亡骸を調べられる前に、こちら側で全て調べ尽くすんだ!身につけていた物は、糸くず一つ残らず記録に取れ!」
職員は恐る恐る付け足す。
「は、はい!分かりました!でも、ヨシュア様が言うには、明日の昼にも憲兵にソニアやウィンストンを引き渡すそうですが……」
セドリックの語気がさらに強くなる。
「ならば尚更早くせい!すでにヨシュアが手を回しているかもしれん!」
職員は平身低頭で、いそいそと学院長室を出て行った。セドリックは、職員の出ていった入り口を見ながら椅子に座る。
「分をわきまえないコレポルト家の痴れ者が!」
学院長室に飾られている豪華なからくり時計は夜の1時を静かに指していた。
ログロース学院の一室、ドアは鍵が外から閉められている。普段は使われていないのだろう、こもった鼻につく匂いが立ち込めていた。大きさから教室ではなく、二人くらいが活動するのがちょうど良い簡素で飾り気のない部屋だ。ソニアは、ポツンと置かれた椅子に、手を縛られている。魔術杖や魔術書の入ったポシェットは、取り上げられている。そこで一晩を明かした。とはいえ、眠ったわけではない。
やれるだけの事はやった。初級魔術さえ上手に使えない私が、高等部に入学できたんだよ。しかも、実技試験首席で……。あ、あれはアナスタシアのおかげか。
ソニアは乾いた笑いを漏らす。昨夜から何度も何度も考えては、答えのない思いを巡らせている。
お父さんお母さん、何て言うだろう?悲しませちゃうよね……。いや、きっとあの二人は頑張ったって笑って言ってくれそうだよね。
「だから、今まで頑張れたんだよなぁ…………でも、もう何もできないや」
俯いたまま力無く呟く。
「本当に……ごめんなさい…………」
ソニアの目から、一粒の涙が落ちる。この一晩で、何度謝ったのか。それほどまでに、無力感と罪悪感がソニアを襲っていた。
——————昨晩からどれくらいの時間が経ったのだろう、何も考えの及ばない空虚な時間が流れる。
『コン、コン、コン』
ふと、ドアをノックする音が聞こえる。ソニアはさっと乾いた涙の跡を縛られた手で拭き取り、返事をする。
「は、はい……どうぞ」
がちゃりと鍵の開く音がすると、ドアがゆっくりと開く。入ってきたのは、昨日刺されて倒れたマリアンだった。
「マリアン!無事だったのね!でも、動いて大丈夫なの?」
ソニアは、昨夜からの生気のない声が嘘かのように、マリアンの無事を喜んだ。ずっと虐められてきた最も会いたくない一人だったが、ソニアにはどうにも昨日のマリアンの涙が忘れられなかった。ソニアは椅子から立ち上がると、マリアンの元へ駆けつけて手を握り喜んだ。マリアンが、少し驚いた顔をする。満面の笑みを寄せてくるソニアの手を振り払うことはせずに、不機嫌そうな顔で聞く。
「何で、私を助けたのよ?あのままにしたら、私も死んでいたかもしれないのに。私の事、恨んでいたでしょう」
手を握りながら、丸い目をして即答する。
「うーん、恨んでいたかもしれないけど、命の危険な時に恨みなんて関係ないよ。それに、…………いや、なんでもない」
助けたのはアナスタシアなんだけど……なんて事はもういっか……。
すると、マリアンはソニアの手を振り解き、両手で傷口を押さえる。
「そういうところが、嫌いなのよ……」
「えっ?」
ソニアは振り払われた手をそのままに驚く。
「ソニアは魔術も出来ないし、何も出来ないくせに、でも正義感は強くて…………」
「はぁ……」
突然顔を見せたと思ったら、不機嫌で怒りを露わにし、さらには悪口を言われ、ソニアはマリアンが何を言いたいのか全く分からなかった。
「とにかく、あんたのその偽善者面が大嫌い!もういいわ、帰る」
マリアンが踵を返して歩き出すと、入り口のドアがノックもなく開いた。その開いたドアの向こうの人物を見ると、マリアンは怯えるように身体を縮める。
「お兄様っ!」
そこには、ヨシュアが立っていた。
「何故マリアンが、ここにいるんだ?」
「そ、それは…………」
マリアンはヨシュアの視線に明らかに萎縮する。
「あの、私に用事があるのではないのですか?」
ソニアは、矛先をこちらに向けるかのように語気を強めて言う。あの晩、実の妹に怪我をさせ、ウィンストンを死に至らしめたヨシュアを、ソニアは到底許すことができなかったからだ。ヨシュアも、マリアンのことなどどうでもいいのだろう、ソニアへ向くと冷笑を浮かべる。
「あぁ、そうだ。これから、お前を憲兵に引き渡す。人一人殺しているんだ、もうこのエルドブリッジの地を踏むことはないだろう」
その冷笑からは、全てを勝ち取った余裕が感じられる。だが、ソニアはことヨシュアには全く物怖じせずに毅然と振る舞う。
「一つ、確認してもいいですか?」
「なんだ、どこの島に流されるかか?」
ヨシュアの嫌味にソニアはため息ひとつつくと、ヨシュアの目を鋭く見つめる。
「いいえ、会長は何故、私を陥れるのに実の妹のマリアンの命まで引き換えにしたのですか」
「ふっ、くだらない質問だな。私は、コレポルト家を愚弄するものを誰一人として許さない。それが、三公爵家の一人でもだ」
「そのためなら、マリアンはどうでもいいと?マリアンは、自分の命が引き換えにされることは知っていなかったでしょう!」
怒りを露わにするソニアを、嘲るように笑う。
「コレポルト家に生まれた者は、コレポルト家のために尽くす。それが命題だ。コレポルト家に生まれておきながら、何の資質ももたず怠惰に生きる妹を、有効活用したまでだ」
マリアンは、ヨシュアには正対せず横目で様子を窺う。自分のことを蔑む兄に言い返そうなどと言う気はないようだ。ヨシュアも、妹がいることなど微塵も気にせずにさらに付け加える。
「だが、ウィンストンが死んだと言う事は、今回もさして妹は役に立たなかったのだろう。まぁ、妹が刺されてくれたおかげで一芝居打てたんだ、そう考えると多少の役には立ったな。ふはははっ!」
何が面白かったのか、ヨシュアは自分の言葉に笑い声を漏らした。
「最低です!あなたのような人が生徒会長だなんて!コレポルト家の名を汚しているのは、ヨシュアさん、あなたではないのですか!」
その時、ヨシュアの目が大きく開くと、腕をしならせてソニア目掛けて振る。途端、ソニアの頬に鋭い痛みが走り、床に倒れ込んだ。
「お兄様!やめましょう!」
「マ、マリアン……」
マリアンは、ソニアの元へ来ると抱き起こす。頬の痛みよりも、あのマリアンが割って入ったことにソニアは驚いた。
「私に意見するか!」
ヨシュアは怒声を浴びせるが、マリアンは必死に否定する。
「ち、違います!ただ……もう、十分かと。お兄様には、誰も刃向かうものはおりません」
マリアンの言葉に、ヨシュアは「ふぅっ、ふぅ」と息を二つつくと、乱れた身なりを整える。
「そうだな、もう会うこともない。さぁ、行こうか。引き渡しは全校に知らせてある」
どうやら、ヨシュアはソニアのことを見せしめ、辱めを与えようと、わざわざログロースの全校生徒に周知したらしい。
「……分かりました」
理不尽に対する感情を押し殺し、ソニアはマリアンの手を優しくどかし、ヨシュアの方へと歩き出す。ヨシュアは、女性をエスコートするかのように手を入り口に向けて、嫌味たらしい身振りをする。
「マリアン、ありがとう」
入り口でソニアは、マリアンに感謝を述べる。だが、マリアンは、やはり不機嫌そうな顔で目を逸らした。




