アナスタシア痛恨の一撃
明るいところまで持ってくると、そのナイフには血が拭き取られた跡があった。
「これは……ウィンストンが持っていた物だね」
アナスタシアは、セラが見つけてきたナイフを見ると昨日の戦いを振り返る。
「そう、僕は敢えてウィンストンの攻撃に劣勢に立たされるかのように演じたんだ。そして、僕の首に掴みかかったときに、このナイフを魔法で弾き飛ばしたんだ」
それは、昨日ウィンストンが背後からアナスタシアを襲った時に使用していた物だった。
「では、これはウィンストンが使っていた物なのね!」
滅多に声に抑揚の出ないセラにしては、少し大きな声になる。
「ああ、それは間違いないよ。何でも、アンチ魔術を施した業物らしいよ」
セラはナイフの柄の部分をアナスタシアの目の前に見せる。
「見てこれ……この家紋、コレポルト家のものよ」
「コレポルト……昨夜、あの暗殺者が口にしていた家名だね。だが、それがどこの家なのかまでは知らないよ」
アナスタシアは家名そのものは耳にしていたが、それが生徒会長の姓であることまでは結びついていなかった。
「ヨシュア・コレポルト。ヨシュアのラストネームよ。ウィンストンがこれを使っていたのなら、コレポルト家との繋がりが出来るわ」
「なるほど、仮にヨシュアがそれを否定しても、マリアンが使っていたことになる。少なくとも、ソニアが無抵抗な二人を襲ったことには、ならないということだね」
しゃがんだ拍子に落ちてきた髪を、セラは耳にかける。
「いいえ、違うわ。このナイフ、血が拭き取られているでしょう。昨日、あなたこのナイフで怪我してないのよね?」
「そうだね、怪我を負うほど強くも無かったのでね」
セラは、ふんっと鼻を鳴らす。
「全く、それが慢心と言うのよ。でも、これではっきりしたわ。この血は、マリアンのものね。つまり、昨日ここにいた三人の中で、これを使った可能性があるのはウィンストンだけと言うことよ」
「おお!セラよ、すごいではないか!これを突きつければ、ヨシュアもウィンストンが犯人だと認めざるを得ないね!」
アナスタシアはぴょんこぴょんこ跳ねる。セラは、一度深呼吸をすると立ち上がる。
「では、次に…………」
セラが話し始めた途端、アナスタシアが大声で制する。
「待つんだ!誰か……いや、ヨシュアが来た!」
アナスタシアは自分の声が聞こえないのを良いことに、全く声量を気にする素振りなく言い放つ。
「なんですって!まずいじゃない!これを見られる訳にはいかないわ!」
セラは、声にならない小さな声で叫ぶ。そして、それを叫ぶや、セラはさっとナイフとアナスタシアを手中に纏めて、教室の入り口の死角の脇に滑り投げる。ヨシュアは、既にセラが来ていることを職員から聞いているのだろうか。忍び寄るように、足音が全く聞こえない。セラはいそいそと窓際の方へと行き、窓の外を調べている振りをする。すると、程なくして急に教室のドアが開いた。
「セラ、おはよう。まだ、何も命じていないのに、君は本当に殊勝だね。さすが、アルベリック宰相の御息女だ」
ヨシュアは、満面の笑みで教室に入ってくるなりセラに労いの言葉をかける。だが、セラには今のヨシュアが全く笑っていないことはいとも簡単に分かった。おそらく、ソニアの友人として警戒をしているのだろう。
「おはようございます、会長。お忙しい会長が直々に現場まで足を運ぶなんて、珍しいですね」
セラはナチュラルに皮肉を混ぜる。セラはヨシュアの後方にいるアナスタシアを見ると、目で合図を送る。
『早く!ヨシュアの気を引いている内に出ていくのよ!』
しかし、アナスタシアはヒヨコの時には魔法を使えない。滑った勢いで見事に壁で頭を打ちつけ目を回している。
あぁ!少し強く投げすぎたわ。これはまずいことになったわ。どうにか、時間を稼がないと。
ヨシュアは、セラの皮肉に一瞬眉を上げると、セラに近づいてくる。一歩一歩ゆっくりと歩きながら、セラの様子を窺っている。
「私情で甚だ申し訳ないが、実の妹がソニアにやられたのだ。どうしても、自分で調べないことには怒りが収まらなくてね」
「そうですか」
ヨシュアの方便に、セラは素っ気なく返す。そして、ヨシュアはセラの目の前に立つ。普段からパーソナルスペースが近いヨシュアだったが、今日はいつもとは違った。普段は包み込まれるような、優しさを前面に押し付けてくる感じだが、今はどこか威圧的で取り調べを受ける容疑者にでもなったかのような、監視されている感じだ。
「セラ、この教室で、何か見つけたかい?」
ヨシュアは、背の低いセラを横から覗き込むように顔を近づけてくる。セラの反応を見ているようだ。
「いいえ、何も」
セラは涼しい顔で、視線は一切動かさずに、真っ直ぐを見据えたまま答える。アナスタシアはくらくらしているのだろう、左右によろよろと足元がおぼつかない。
もう!踊っている場合ではないわ!ヨシュアが気づく前に出て行ってちょうだい!
「ふむ、そうか。何も無かったのか」
ヨシュアは後ろ手で組み、セラの反対方向、つまりアナスタシアの方を向こうとする。
今振り向かれるのはダメだわ!
「か、会長!」
セラは振り向かせまいと、とにかく声をかける。後ろに振り向こうとしたヨシュアは、途中で止まり、またセラの方へと目をやる。
「何だい?」
その時、ふらついていたアナスタシアはついに倒れて、ナイフに頭を打ちつける。その拍子に、ナイフと床で「カタン」と音をたてる。
「ん?今何か音が……」
ヨシュアは、またアナスタシアの方へと振り向こうとする。
あぁ、ばか!何やってるの!このままでは、見つかってしまうわ!
咄嗟に、セラはヨシュアの手を掴む。もちろん、ヨシュアは驚いて再度セラの方へ視線をやる。
「どうしたんだい?セラ、君から僕の手を取ってくるなんて、珍しいじゃないか」
しまったわ、触りたくもないこいつの手を取ってしまったわ。というか、何か言わないと怪しまれるわ。
「か、会長、見てください、あれ!」
セラは、とにかくアナスタシアのいる方と逆を指差した。その先には、標語ポスターが一枚貼ってあった。
【一つのウソが友情を壊します! ウソ、絶対ダメ!!】
「…………………………」
「…………………………」
二人はしばしの間、その標語を心の中で吟味する。
「セラ…………君は嘘がダメと言いたいのかい?」
「あー、いや、そうね。嘘はダメね」
セラは初めて視線を動かした。というか目が泳ぎそうになったので髪で隠した。途端、ヨシュアの目が鋭くなる。
「つまり、君はこの僕が嘘をついていると言いたいのだね」
低く冷たい声だった。初めて聞くヨシュアの声に、焦りを覚えたセラははっと顔をあげる。視線の端、ヨシュアの向こうに見えるアナスタシアは、ようやく身体を起こしている。
もう!遅いわね、何を悠長にやっているのよ!ヨシュアが怒り始めたじゃないの。
「いえ、そんなことは言っておりません。むしろ、会長、思うところでもあるんですか?」
セラはヨシュアの目を見て答える。ヨシュアは明らかに苛立ち、ものすごい威圧感だが、セラは全く動じない。仏頂面の真価がこれほどまでに発揮されることは稀だろう。
「セラよ、言葉には気をつけるといい。いくらアーケイン家といえど、コレポルト家への侮辱は許されないぞ」
ヨシュアはセラをまるでゴミでも見るかのような暗く冷たい目で睨む。
何よ、いやらしい目ね。アルエ達の威圧感に比べたら、なんて事ないわ。
憮然としたまま、セラはヨシュアの脇からアナスタシアを確認すると、まさにちょうど目があった。
「急に投げるんじゃないよ!全く、君は僕を何だと思っているんだい。これで、2回目だぞ!」
『うるさい!いいから早く!早く、出ていくのよ!』
セラが目で語ると、アナスタシアは、「ん?」とヨシュアを見るなり察したのか、頷いてナイフを持って教室を出て行こうとする。しかし、その歩みは遅く、セラはやきもきする。
もう、遅すぎるわよ!早くなさいよ!
セラは今までヨシュアに気取られずにいられたが、あまりの遅さについ目線が奥へと行ってしまった。そのため、ヨシュアはセラが自分を見ていないことに気づく。
「誰かいるのか!」
ヨシュアは、ばっと振り返った。
「………………」
しかし、間一髪、アナスタシアは教室の外へと脱出できたのだ。内心、セラは胸を撫で下ろした。
「会長、申し訳ありません。私も、友人であるソニアの無実を信じていますので、つい疑い深くなっておりました」
ヨシュアはこちらを振り返ると、初めと同じ笑顔だった。今までこの笑顔があまり好きにはなれなかったが、今は心の底から嫌悪感を抱いた。万人から愛されるような笑顔なのに、全く心がこもってないのだ。
「いやぁ、お互い譲れないものがあるみたいだね。こちらの方こそ、申し訳ない。つい、熱くなってしまった。どうか、許して欲しい」
ヨシュアは深々と頭を下げる。そして、頭を上げた時には、また真剣な顔だった。
「本当に……本当に何も無かったんだね」
意図しなかった表情に、セラは一拍置いてから答える。
「ええ、何も」
「ふむ……」
ヨシュアはそう言うと、辺りを見渡したり、机の下を覗き込んだりと一頻り探し終えると、セラに笑顔を向ける。
「それでは、頑張りたまえ」
そう言い残して、満足したのだろう、機嫌良さそうに教室を後にしていった。
ヨシュアが捜索する間、セラは一切言葉を発さずにいた。ヨシュアが去った後、一人教室に残るセラは天井を見上げると深呼吸をして息を整える。
「ふぅ……何とか、バレずに済んだわね。しかし、あの笑顔、余程嬉しかったようね。力のある者は、どうも慢心するきらいがあるわね」
あのナイフがバレずに安堵したセラは、教室から出るときょろきょろとアナスタシアを探す。
「おーい、こっちだよ」
アナスタシアの声がしたのは、隣の教室からだった。セラはアナスタシアを見つけると、ため息をつきながら恨み節を言う。
「全く、何をもたもたやっていたのよ。あいつにバレやしないか、ひやひやしたわよ」
「何を言うんだい。セラ、君が加減を知らずに力任せに投げるからだろう。バットで打たれたり、壁に投げられたり、こんな初体験は要らないね」
二人の言い分がぶつかるが、直ぐにアナスタシアが話題を変える。
「いや、そんなことよりも、こっちに来てくれ」
アナスタシアの声から、何かいつもとは違う雰囲気がしたためセラは何事かあったのかと向かう。そして、セラは呼ばれた教室に入る。
「……この教室が何だというの?普通じゃない」
机は端に寄せられて、まさに使用されていない、どこも変わった所の無い教室だ。セラはアナスタシアの意図が分からなかった。
「いや、違うんだ。むしろ、ここは普通ではダメなんだ。この教室は、昨日、大仰に魔術陣が描かれていたんだ」
「魔術陣?」
セラは怪訝そうな顔で、問い返す。
「そう、まるで人目から逃れるようにカーテンで覆われて、中にはチョークで描かれた召喚魔術があった。ソニアが言うには、あのようにきちんと魔術陣が描かれているなら、大層な魔術を唱えたのだろうということさ」
セラは教室の床をまじまじと見つめる。
「それが、綺麗さっぱり無くなった……」
「生徒会に寄せられたお化け騒ぎの件から考えて、あれは召喚魔術ではないかと話していたんだ」
すわと、セラはアナスタシアを見る。
「召喚魔術?……にわかには信じられないわね。この国では使用が禁止されている魔術よ」
窓際の方へと歩いて行くセラを、アナスタシアは目で追う。
「でも、ドラゴンや甲冑の件を考えると、絶対に無いとも言えないわね」
セラはどちらともつかない意見を言いながら、窓を調べている。ドラゴン討伐の時から、この国は何かしらの異変が起こっていると感じているからだ。
「だろう?それに、今不思議なのはその召喚魔術陣が、事件後から人が入っていないのに、無くなっていることなんだ」
「多分だけれど、ヨシュア達と魔術陣は関係なさそうね。その魔術陣を描いた者は、その日生徒会の調査隊が入る事を事前に知らなかったのではないかしら?」
アナスタシアはセラの所までやって来ると、ジャンプ1番、セラの長い髪に捕まり登ってくる。
「セラもそう思うかい?」
「ええ、そもそもヨシュア達の仕業ならば、ソニア達を捜索させる前に、魔術陣をどうにかするでしょう」
セラはそう言うと、アナスタシアを持って窓へ向ける。
「見て、窓が少し開いているわ。他の窓は全て鍵も閉まっているのに。そして、この縁の傷跡、まだ新しいわ」
その窓は他の窓と違い少し開いていて、縁に何か鋭利なもので付けられた傷跡があった。
「本当だ。ここは4階だが、この窓から何かしらの方法でこの教室を出たんだね。見張りから見つからないために」
アナスタシアは、頭をもたれながら思案する。
「…………まぁ、いいわ。これほどまでに、綺麗になくなっているからには、余程魔術陣を知られたくなかったのね。これ以上は情報を得ることは難しいでしょう。この件は、学院長……いや、アルベリック宰相に伝えておくわ」
セラはアナスタシアを肩に戻すと、教室を出て行こうとする。
「覚えていたらでいいのだが、昨日、現場から出るように指示したのは誰だい?」
セラは記憶をたぐるように、天井を見上げる。
「うーん…………確か、生徒会のロジェとルミエラだったような…………」
セラが教室から出ると、人影がある。この旧校舎でまたも人と出くわすとはと、セラは驚いて目を丸くする。
「ルミエラ…………どうして、こんなところに?」
「せ、せら!なんでこんなところに?」
ルミエラはセラと同じように驚きの表情で、同じことを尋ねる。
「私は、ソニアの無実を証明するために、何かその手がかりはないかと探しにきたのよ」
「そうなんだぁ。わたしも、きのうのことをしらべにきたんだ〜」
いつも通り、ルミエラは聞き取りにくい間延びした話し方だ。セラは、あまりこの話し方が好きではない。
「そう。ルミエラ、ちょっといいかしら?」
セラはルミエラに鋭い視線を向ける。ルミエラは、怪我で包帯をしている右手を、左手で庇うような仕草をしている。
「ん、なに〜?」
「あなた、事件の調査に来たと言ったわよね?その教室、既に過ぎているわよ。この教室には何もないわ」
いつも何も考えていないようなルミエラの顔が一瞬曇るが、すぐにまた戻る。
「あ、そうかぁ〜!わたし、ばかだなぁ〜。ぼけてたわぁ〜」
ルミエラは、くるりと体を反転させて引き返す。
「ねぇ、あなた……本当に調査に来たの……?」
セラは無表情で、ストレートに聞いた。ルミエラは、歩みを止めて振り向かない。
「………………」
「………………」
不穏な空気が流れるが、ルミエラが振り向くといつも通りだった。
「そうだよぉ〜、なんでそんなことをきくのぉ〜?」
「いいえ、ただ聞いただけよ。それでは、何かあったら教えてもらっていいかしら」
「りょ〜かい。あっ、そうそう、おもいだした。さっきあったかいちょうにもいったけど、まりあんのいしきがもどったらしいよ」
ルミエラはそう言うと、事件のあった教室へと姿を消した。セラはその姿を見送り歩きだすと、後ろからルミエラの声がする。
「そうだー、まだあったんだー!そにあはきょうのひるに、けんぺいさんにひきわたされるんだって〜!」
少し遠くからだったので、ルミエラは頑張って声を張っているようだ。
「何ですって!それを早く言いなさいよ!」
セラは言うや否や、旧校舎の薄暗い廊下を走り出した。




