アナスタシア、忘れられる
ドラゴン、人々の立ち入ることの出来ない山脈の頂に住むとされている。しかし、その生息も噂として語られる位に、ドラゴンを見たものは少ない。強靭な顎からは自然物を瞬時に炭にする炎を吐き、その咆哮はあたり一体の生物を絶命させるとも言われている。ログロースでは、騎士団一個大隊を投入しても、討伐は難しいのではないかとされている。また、その眠りは長く、一度眠れば百年は起きないことから、滅多に人里までは姿を見せないという。つまり、ドラゴンに出会う事事態、正に災害に遭うようなもの位に稀だとされている。
「ここが野営地……」
セラは馬車から降りて、辺りを見渡す。道は舗装されてはいないが治世がいいのだろう、その村は花飾りが至る所にあり、各家の窓際に花が飾られていて街の景観がとても良い。村の入り口には木製の門が建てられていて、村の名が記されていた。
「うわぁ……とっても綺麗な村。私の故郷も花卉が盛んだったけど、ここまでじゃないよ」
ソニアは馬車から降りてくるなり、テンションが上がっている。その後ろから、ずるりとクララが冴えない表情で降りてくる。
「ううぅ……なんでみんなそんな普通にいられるのよぉ。これから、ドラゴンと戦うのよぉ……」
「クララ、本当にごめん」
ソニアはクララに謝罪をすると、アナスタシアが顔を出す。
「安心するといいさ。ドラゴンなんて早々人の住む所の近くに現れるものじゃない」
「本当にそうよ。哨戒隊が爬虫類のようなリザード系を見間違えたのでしょう」
セラは3人の会話を聞くと、振り向いてアナスタシアの意見に同意する。
「本当、見間違いでありますように……」
野営地の前でクララが両手を組み、祈りながら怖気付いていると、向こうから子供達の声がする。
「わぁ!団長だ!」
「すげー!本物だ!」
初めて見るのだろうか、珍しいのだろう、子供達は団長を見つけて大はしゃぎだ。アルエとエレナの周りに集まり、騒いでいる。2人とも笑顔で子供達に接しているようだ。ソニア達が荷物を陣営の中に持って行こうとすると、1人の女の子がソニアを見て、嬉々として近寄ってくる。肩までのボブで、白いリボンに淡いミント色のワンピースを着ている。目の前まで来るとちょこんと立つので、ソニアはしゃがんで目線を合わせる。
「こんにちは。お名前は?」
名前を聞くと、女の子は名乗らず指を指す。
「このぬいぐるみ、かわいー!」
アナスタシアは、どんなもんだとばかりに胸を張る。
「えっ、このぬいぐるみ動いた?」
女の子はぬいぐるみが動いたことに驚く。ソニアは、慌ててヒヨコのぬいぐるみを持ち上げて手足を動かして見せる。
「動かないよ!ほら、気のせいだよ」
「なぁんだ、でもすごく可愛い」
がっかりさせてしまったと、少し悪い気がしたソニアは、女の子の前にヒヨコを差し出すと、頭の上に乗せてあげる。
「ちょっとだけ、貸してあげるね」
女の子の表情がぱっと明るくなり「ありがとう!」と言うと、向こうではしゃぐ子供達に見せに行く。
「おい、ご主人様。僕は子供のお守りは苦手なのだが……」
アナスタシアの声は最後まで聞こえない。
子供の対応がひと段落ついたのか、アルエとエレナがこちらにやってくる。
「あははっ!全く子供というのは可愛いもんだね!こちらまで、元気が出てくるよ!」
「そうねぇ、セラも昔は本当に可愛かったのに。今は本当につれない子になってしまって。さて、そろそろ荷下ろしが終わったようね。行きましょう」
さらりとセラに注文をつけ、アルエは野営地に設置されている大きな軍幕へと向かう。
「ねぇ、そろそろ返してくれるかな」
ソニアが向こうにいる少女に呼びかけるも、少女には聞こえないようだった。
「ソニア、早くしなさい」
セラの呼びかけに、ソニアはアナスタシアを置いていくしかなかった。
まぁ、1人で歩けるわけだしいっか。
ソニアはアナスタシアが自分で戻ってこられるのだろうと思い、小走りでセラ達の集団に追いつく。敷地には、既に討伐のための騎士団が十数名いて、その中の1人が胸に手を当てる敬礼をしてアルエに話しかけてくる。
「団長、長旅でお疲れのところ申し訳ありませんが、早速現状を報告させてください」
アルエは「お願いします」と、そのままさ兵棋台まで歩いていく。エレナとソニア達もそこに続いていく。
「現在、ドラゴンタイプはアーリオ湿林西5キロ地点にいます。前哨戒隊が発見した3日前の地点からほぼ動いておりません。まだ、この村の者への非難を出されなくとも良いかと思われます。ドラゴンタイプは辺り一体を焼き尽くし、今は消耗状態いると推測されます。ドラゴンタイプの索敵能力が非常に高いため推測の域は出ませんが、2キロ以内に入ると危険だと予測しています。今は新たに哨戒隊を編成して、3キロ地点で様子を見ていますが、何分遠すぎるため新しい情報は入って来ておりません」
全員が兵棋台の上の地図に目を落としている。
「分かりました、ありがとう」
アルエがにこりと団員に微笑むと、頬を真っ赤にして「いえ、どうかご武運を!」とそそくさと軍幕を後にする。
「エレナ、ソニアさん、出発は明日でいいかしら?」
その時、耳を塞ぎたくなるような爆音が響く。その音は、地面さえも揺らすかのように凄まじい。村の誰もが驚きでその場にしゃがみ込む、もちろんソニアとクララもだ。アルエとエレナ、セラは、その爆音に耐えながら武器を構える。
「なんだい、この音は?天が割れたのかと思ったよ」
エレナが辺りを見回して言う。
「いいえ、これはあのドラゴンタイプの咆哮……?」
アルエがそう予測すると、クララがこの世の終わりかのような顔で、空を指差している。
「あ、あ、あれ、あれ、あれ……」
ソニアはクララが指を指す方を目を細めて見ると、空に浮かぶものが見える。赤く大きな翼を持つ、誰が見ても鳥ではないことは分かる。それは、紛れもないドラゴンだった。
「レッドドラゴン……嘘でしょ。こんなところに生息する訳がない。しかも、色付き。人間が見たのなんて、ここ100年で記録がないわ!」
セラでさえも動揺が隠せず、今見えていることが信じられない。
「まずいわねぇ、赤色、この村の方を向いている」
アルエはそう言うや否や、軍馬を呼ぶ。
「あははっ、予定変更だね。ちょっとこれは骨が折れそうだね」
愛馬を呼ぶや、エレナは颯爽と跨がる。
「ソニアさん、ごめんね」
アルエは、ソニアの身体を掴むと軽々と持ち上げ脇に抱える。
「わっ!ちょ!ちょっと!」
ソニアは驚いて足をじたばたさせているが、事態は一刻を争う。そのまま、荷物のように運ばれてアルエの軍馬に乗せられる。
「セラ、クララさん、村の人たちの非難をお願いね!」
そう言い残すと、アルエとエレナは猛スピードで軍馬を走らせる。
アルエとエレナの軍馬は、レッドドラゴンに向けて走る。アルエの前に乗せられているソニアが、後ろに目をやると、既にフロリア村が小さくなっている。空を見上げると、レッドドラゴンはだいぶ大きくなって来ている。
「エレナ、距離の目測は?」
「あははっ!多分、あと5キロくらいかな!」
エレナが軽快に答えると、アルエは「そう、良かった、目測は同じね」と頷く。
「いいこと、ソニアさん。後2分程度で赤色の縄張りに入るわ。まず大前提にドラゴンタイプはモンスターの最上位に当たるの。さらに、色つきとあっては、私とエレナ2人でも持て余すかもしれないわ」
アルエは、ソニアのことを見つめる。エレナも、レッドドラゴンを視界に入れながら、耳を傾ける。
「つまり、本来ならば撤退するのが、私たち騎士団長の務めなの。でも、今回はあの色付きが先に動き出してしまった。後手を取り、村の危険が考えられる今、村の民の命が最優先となった訳なの。私たちは村の避難が完了するまで時間稼ぎをしなければならない」
ソニアもアルエの顔を見上げながら、事の重大さと覚悟の大きさに気付く。
「ここまではいいわね、ソニアさん。それを踏まえての戦い方を伝えるから、よく聞いて。ドラゴンは色でその属性が分かるの。赤は炎、つまり私の得意とする炎魔術とは相性は悪いわ。だから、私があなた達の詠唱の補助になるわ。エレナは氷魔術を得意としているため、色付きと相性がいい。ソニアさんは、どの魔術が得意なの?」
「えーっと、全般的に……得意です。多分……」
アルエは驚いた顔を向ける。
「こんな状況で冗談は言わないわよね。では、2人で色付きを足止めしてちょうだい。とにかく、色付きの翼を狙うの。翼にさえ損傷を与えることができれば、その行動力はかなり削げるはず。いいわね、援軍が来るまでは持たなくとも、せめて民の命だけは守るのよ」
アルエは普段こそ、困り顔で弱々しい話し方をするが、戦いを前にした今はその面影は全くなかった。
2人ともものすごい覚悟……。会った時は、捉えどころのない方だと思っていたけど、今はこの国の民を守るという騎士団の誇りを感じる。
ソニアは、2人のことを見誤っていたことを自覚して、フードにいるアナスタシアにこれからのことを確認する。
「分かった?アナスタシア。このままだと、村の人たちが危ないみたい。あのドラゴン、かなり強そうだけど大丈夫?」
…………返事がない。
…………あれ?ちょっと、待って。私、あの子にアナスタシアを預けた後どうしたっけ?
ソニアの顔がみるみると青ざめていく。ぱたぱたとフードを確認しても、何もない。
「あ、あのっ!ちょっと、私忘れ物しちゃって!」
ソニアが必死の形相で訴えるので、アルエは何事かと驚く。
「どうしたの?ソニアさん、一体何を忘れたというの?」
「…………ぬいぐるみです!ヒヨコのぬいぐるみ!あれがないと、私、とてもまずいんです!」
アルエは一瞬驚くが、諭すように言う。
「そう、あなたにとってそれは験担ぎなのね。でも、ごめんなさい、今その時間はありませんわ」
やばい、やばすぎるよ!私のバカ!アナスタシアをなんで手放してしまったの!このままだと絶対に死ぬ!いや私だけの問題じゃないわ、2人だけでなく、村の人にも大迷惑をかける!どうしよう!
ソニアが、考えを巡らせるも全く解決策は見出せない。
「あははっ!アルエ、予測索敵範囲まであと5秒だ!4、3、2、1」
即座にレッドドラゴンが、こちらに巨大な体躯を翼を使い向ける、口から炎を吐く。自分の縄張りだと言わんとしているのか、警告もなく攻撃を仕掛けてくる。しかし、炎はアルエ達の頭上を過ぎる。
「あら、あまり精度はよくないらしいわね」
アルエとエレナは、標的が集中しないように草原を大きく二手に分かれる。ちょうどアーリオ湿林を南北に分かれる形だ。
「エレナ!こちらで色付きを引きつます!その間に詠唱を完了させてください!」
「あははっ!承知したよ!色付きの部位破壊だ!5分しのでくれ!」
アルエは、数百メートル北上すると軍馬から飛び降り、簡単に詠唱を完成させ初級炎魔術を放つ。それでも、ログロース学院では、お目にかかれないほどの威力だ。軍馬が止まり、ソニアは振り落とされ、尻餅をつく。
「色付きよ!お前は、なに故このような人里に降り立つ!もし、お前が我ら人間に害をなそうとするならば、私どもエルドブリッジ騎士団がお前を打ち滅ぼすであろう!」
アルエは、レッドドラゴンの咆哮にも負けないくらいの大声で口上を述べる。色付きと呼ばれたレッドドラゴンは、アルエの言葉など微塵も気に留めず、こちらに向かって来る。レッドドラゴンの降り立つ地面は、轟音と共に地震の様に揺れる。
「化け物め……」
アルエの額からは、一筋の汗がつたう。
「ソニアさん!援護し、ま……す?」
ソニアに魔術の詠唱を命じようと、アルエが振り返ると、ソニアは腰を抜かして泡を吹いている。
「あの、ソニアさん?」
「…………私……死にます」
「………………嘘でしょー!」
アルエの叫び声は、レッドドラゴンに優った。




