有機物
「ねぇ、氷室君。有機物と無機物ってどう違うの?」
アヤの質問は僕が答えられる範囲を超えていると思う。アヤは有機物だ。そして僕もたぶん有機物だ。
似たような物で説明すれば簡単に伝わるかもしれない。テーブルの上に白色の陶器に入っている砂糖と塩。
「砂糖は有機物で、塩は無機物だよ。」
「甘いのが有機物で、しょっぱいのが無機物ってこと?」
有機物と無機物の違いは甘味と塩味ではない。僕は砂糖と塩で説明する事を諦めてアヤに近づいた。そして、頬を舐めた。有機物であるアヤから出る汗は塩化ナトリウムを含んでいるはずなのに甘い。有機物から精製される無機物は甘いのかもしれない。科学者ではない黒豹の僕の仮説はきっと教科書には記載されない。
「違うよ。簡単に言うと、炭素原子の入ってる化合物が有機物それ以外は無機物。」
「よくわからない。」
僕は少し考えた。僕の言葉で伝えたい。テーブルの上に転がっているのは色鉛筆。僕は色鉛筆の中から紫色を探し出してシッポの先で転がしながらアヤに聞いた。
「この色鉛筆の中でアレとコレとソレがあるとするでしょ。アレとコレを混ぜたら紫色になりました。アレとコレは何と何?」
アヤの白い指先が紫色と僕のシッポの先をまとめて触れる。そして迷うことなく二色を選び出す。
「赤色と青色」
アヤに握られた二色の内の温かく見える赤色。僕はシッポを赤色に絡めた。温かくはない。
「そう。次にアレとソレを混ぜたら橙色になりました。ソレは何?」
僕のシッポを弄びながらアヤは少しも悩まない。
「黄色」
「うん。コレとソレを混ぜたら?」
アヤは、やっぱり迷わない。
「緑色」
「アレを炭素原子だと仮定すると紫色と橙色は、有機化合物。緑色は、無機化合物だよ。」
我ながら説明しながらよくわからなくなっていた。そもそも物事を説明する時、アレ、ソレ、コレでは伝わるものも伝わらない。それでも僕の言葉で伝える事が大切だ。六色の色鉛筆の中からアヤは赤色を使って絵を書きはじめた。
「何それ?」
「ダイヤモンドだよ。ダイヤモンドは炭素原子で出来てるんでしょ。」
アヤが赤色鉛筆で描いたダイヤモンドは、炭素原子の塊であるにも関わらず、有機物の仲間には入れない。
「アヤ、「生気論」って知ってる?」
「知らない。」
「砂糖はサトウキビって植物から精製されるでしょ。塩は岩塩だから鉱物だよね。少し前はね、生物由来である有機化合物は実験室の中で制作出来ないとされていたんだ。でもね、作れちゃったんだ。だから衰退した理論なんだけど、鉱物であるダイヤモンドは炭素原子の塊だけど生物由来ではないから無機物として扱われているんだよ。」
アヤが赤色で描いたダイヤモンドはきっと燃やすと灰になる。本来のダイヤモンドは燃やすと酸素と結合して消えて無くなる。僕はぼんやりと、赤色と透明の輝きが仲良く一瞬で灰すら残す事無く消えて無くなるには1000度で足りるのだろうかと思いを馳せた。