一 ミッシングリンク
地図製作会社ゼンリンによると、全国にある「八幡」という地名は、一〇九三件にのぼる。
読みは
「はちまん」「やわた」「やはた」
八秦。
これより、八幡神の話をしたいと思うのだが、この八幡神
秦氏の神である。
そして、八幡大菩薩、弓矢八幡と言えば、通りがよかろう。武家の神であり、武士階級の守護神、軍神だった。
作者は、秦氏という連中が、最終的には、この武士階級に変わっていったものだとかんがえている。
それはそうとして、ミッシングリンクがあるのだ。
秦氏、渡来人は、古くから、この物語の時点から、さかのぼること一世紀以上前から、関東に入植していた。
・天智天皇五年(六六六)百済人二千人を武蔵国に入植、遠江にも駿河にも新羅人を入植させ
・霊亀二年(七一六)駿河など七ヶ国の元高句麗渡来人一七九九人を武蔵国に入植させ「高麗郡(こま郡)」を設置
・天平宝字二年(七五八)に帰化人数十名を武蔵国に入植させ「新羅郡」とした、
・・と、歴朝は百済滅亡(六六〇)とその八年後の高句麗滅亡以来
増加している渡来人を、東国開発に役立てようとしている。
当時の関東人は、あずまえびす(東夷)であり、
これは、後に武士たちが自分たちの武侠と蛮勇を高唱するように自称する言葉ではなく、まさしく、eastern barbarian でしかなかった。
畿内や西国に比べれば、東国の文明程度など、そんなものだった。
この東夷にくらべれば、任那(みまな、朝鮮半島にあった日本領土)やその先の百済や高句麗、新羅の面々の方がはるかに文化人であり、畿内人にとってはなじみのある人種だった。
(ちょうどよい。蕃人〈外国人〉の風をもって、あづまの蛮人を開化せん)
そんな目論見もあったのではないだろうか。
当時の国家体制は、中国や、朝鮮のものを模倣していた。そこから大量の亡命者がくれば、国内の未開地に当てて、文化程度を引き上げる・・異邦人を以て蝦夷(東国人)を邦人に変える。そういう目論見があってもおかしくない。
渡来人、といっても、官僚仕事のできるようなintelligentsiaは一握りだ。大半は農夫であり、しかし、半島のやり方を心得ている。
渡来人同士で融通し合い「鉄」を
鉄のbladeを備える農具を入手するつてもある!
これが、開発には強力な武器になる。人力で道具を動かす社会では、鉄こそgame changer なのだ。
そうやって、まだ狩猟採集社会を遺していたであろうあづまえびすどもに、農業を広めていく。あわせて、半島の農村社会も、その文化風俗もありようも遺伝しただろう。
遺伝子、というのは、DNA だけではない。文化や知識、思想として伝播するmeme(ミーム、情報子)というものもある。
開発だけではなく、開化もする。
蕃人が、蛮人を開化するーー
しかし、これだけでは、どうもたりない。
たりない、というのは、例えば秦氏のような渡来人が関東に入植する。
そこにいた現地人であるあづまえびすを、まだ縄文の風を遺している弥生人のような連中を、平安風の農村社会へ導こうとする。
それだけで、導けるとは思えない。
後の関東武士団に至るとは思えない。
ミッシングリンクがある。
思うに
東北
を、見落としていたのではないか?




