十二 後日談
『高橋)空海以前は、朝鮮半島を通して農業水利をはじめとする土木技術が入ってきているようです。古代から中世にかけて、大陸の影響はいろいろな意味で強かった。変わったところでは仁徳陵などに代表される大きな御陵、また、平安時代の平安京、この都市計画自体きわめて中国的です。その後大規模な土木事業が停滞した時期が戦国時代まで続いた、と考えられますが……。
『司馬)ところが、一つ非常にふしぎに思うことがあるのです。普通、教科書的にはその時代に荘園が発達した。律令国家というのは広域社会をつくり上げたつもりですが、実際には荘園は小グループのものであって、小生産社会が方々にできておる。これではやはり土木は興らないのですが、しかしわれわれの見えないところで農業土木は、実はあったのではないか。なぜかといいますと、源頼朝政権というのは「土地の私有を認めよ」という政権でしょう。これは、明治維新より大きなレボリューションだと思うんです。結局、律令は土地公有制度だったわけでしょう。それが、土地私有、おれが開墾した土地はおれのものだぞという政権に代わる。平安期いっぱい荒涼の地だった関東平野が、いつの間にか美田になって多数の人びとが住むようになっている。頼朝のスポンサーになった北条氏の力でしょう。関東武士というのは農場主だと思うのですが、開墾農場主の関東武士が結局北条氏にならって私有地を認めよというので頼朝を慕ったのだろうと思うのです。そうすると、平安期いっぱい、目に見えないところで、小規模の農業土木が関東一円で行われていたと思うんです。』 (司馬遼太郎『土地と日本人』日本の土木と文明)
なお、北条氏は平国香流直方を始祖とすると伝わっているが、この系譜は疑問視されている。
はっきりとしたことは分かっていないが、有力な説のひとつに、歴史研究家の高澤等氏が提唱している大神氏説がある。
北条氏の家紋は小田原北条氏にまでうけつがれる「三つ鱗」だが、これは、北条氏が江ノ島弁天の龍女から北条氏の将来の繁栄を約束され、その物証として三枚の鱗を授かった、という伝説に由来している。
大和のおおみわ氏(大神氏)は三輪明神こと大物主を祀っているが、これは蛇神。
このおおみわ氏と同族とされている宇佐八幡宮のおおが氏(大神氏)は、その祖・大神惟基が祖母山大明神の神体である蛇を妻にしたと伝わる。
以来大神氏や、大神氏から発した九州の諸族はみな、大蛇の子孫だという伝説を受け継いでいる。
高澤等氏は、龍蛇伝説でつながる北条氏─大和大神氏─豊後大神氏が同族だと提唱されている。
豊後大神氏は、
八幡信仰の総社、宇佐八幡宮の大宮司家だ。
八秦神の司祭同族が、
北条氏であり、
彼が関東武士団を率い、源頼朝に関東を切り取らせたのだ。
墾田永年私財法では、不十分だ。
われわれには
幕府
が必要だ。
南無八幡大菩薩。
あづまえびすと、
みちのくえみしの狭間で
ひょうすべは歴然と、
蚩尤の氏族たる反攻を、朝廷に対し突きつけたのだ。




