五 氏長者
徐福は数日前、刷雄の屋敷を訪ねるよりも前に、うずまさ(太秦)をたずねている。
太秦。
秦氏が畿内に定めた本拠地だ。
ここには日本最古の仏寺の一つ、広隆寺がある。
秦氏の氏寺だ。
はたのきみでら(秦公寺)とも呼ばれている。
当時の本尊は、弥勒菩薩半跏思惟像、現在国宝の代表格だ。仏法渡来最初期にも、抜かりなく、秦氏は関与していた。
太秦には、ハチマンのダイ(八幡第)という建物がある。
第は、屋敷という意味だ。
ここには、秦氏の氏長者、代々その名を襲名する、やわたのつかさ(八幡司)がいる。
氏人を統括する氏長者の権威は絶対だ。
正三位大納言・藤原国経は、甥で、自分よりはるか年下の藤原時平に対し、平伏して仕えねばならなかった。
それどころか、在原業平の孫娘である若い美人妻を、巻き上げられている。
年長の血族の、しかも殿上人に対してさえ、そんな風に君臨する。
徐福など、へんぺんたる氏子の一人、しょうしょう特殊技能をかじっただけの凡下でしかない。
徐福は、太秦八幡第で、秦氏の氏長者に、面会する。
八幡第は、それ自体が異風を放っている。
豪奢な屋敷だ。
その肉厚の柱や、軒下の木組み、屋根の曲線などに、覆いがたく、半島の華美を感じさせる。
技術ーーまごうことのない、本邦のものとは別個の、かつて飛鳥寺を建てたものにも通底する技術体系が、ここに息づいている・・architecture(建築技術)。
(ふ)
式神も、多いーー裳裾を引きずる美姫が現れ、自ら、徐福を案内してくれる。
その周囲にorb(光体)が廻るのを、秦の道士は、見逃しはしない。
はた(秦)の技術は、こんな、occultにまでおよんでいる。
八幡第の暗がりのあちこちで、うごめくもののけの気配がするーー魍魎のごとく、薄暗がりと死角に息づく式の存在感がある。
(不定形なるものどもよ・・われらは、本当はなんなのか)
Humpty Dumptyころんだーー
卵を割るときだ・・その実を問うために。
当代のやわたのつかさ、秦氏の氏長者は、
わたどの(渡殿、渡り廊下)のでゐ(出居、平安時代の屋敷には居間がないので、渡り廊下の一画を即席の客間にする)に、座布団を敷いて、座していた。
年齢は、徐福とさほど変わらぬが、よほど小柄だ。
「ふみには目を通した」
やわたのつかさは、うつむいたまま、独りごとのように言う。
「秦の進退が窮まっておると・・われらの興廃が、限りのう後者に傾いておる、と」
「は」
徐福は、赤き道服の裾と袖を出居のすのこ(簀子)につけ、平身になる。
「ヒセン(卑賤)の妖魔なれど、あれは、まぎれものう、兵主神の化したる権現(化身)にあらされました。われら秦氏の没落が兆に相違ないものと」
「ふむ」
やわたのつかさは、渡殿の柱越しに、中庭に目をやる。
「はたの浮沈は、やわた(八秦)ーー日没する処の天子を代名詞とする、全渡来人の浮沈よ」
「ことは重大にございます」
「そうかな」
く、と、徐福を見ない老人の口の端に、微笑が浮かぶーーまったく。
木彫りに刻まれた刻み目の方が、はるかに表情豊かだ。
(もはや、ひとではなくなっておる)
全はた氏の総代というとりとめのないiconだ。
不定形のものが、一定の形にあれるはずとてない。
秦氏、と、一言でいっても、朝鮮半島からやって来たものだけではない。
「はたひと(秦人)」
これは、弓月の君に率いられ朝鮮からやって来た、養蚕技術などを身につけていた渡来人。
「はたひと部(秦人部)」
これは、秦人の後に、秦氏に加えられた倭人だ。
「はた部(秦部)」
畿内や西国豪族の民が秦氏に加わったものだ。
農業土木、養蚕、織物、採掘、本草学・・これらに長けた氏族だ。
「此の氏が殖産工業に貢献する所が多く、」
であり、生存が現代よりはるかに難しい時代、望んで秦氏に加わり、部族ぐるみ併合する場合もおおかっただろう。
無茶な話だ。
それだけの古豪が、朝の権威が確立したこの時代にあっても、野にありつづけるなどと・・
中央集権で、公地公民の原則があり、海内のことごとくがみかど(朝廷)のものなのに・・公然と、異風をたたえていて、異邦人然とした野党がある。
夢の果てが見えている。




