↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/23

四 令名

 こうして、室町時代と、その後半期戦国時代、江戸時代を武家が治める。

 こうした変遷を経て、八幡大菩薩信仰は全国に広まった。最初から盛大だったわけではない。

 従って、弓矢八幡の令名から逆算して、八幡信仰や秦氏の盛大をかんがえることはできない。

 かといって、物語の時点で無名ではない。

 四十五代聖武帝の御代には、大仏建造の際に、神輿に乗った八幡神が奈良へやって来た。彼は

 「全国の神々を率い、わが身を犠牲にしてでも大仏建造に協力する」

 と神託を授け、建造を助けたという(これが日本最古の神輿の記録である)

 その聖武帝の女子、四十八代称徳帝の時代には、弓削道鏡が強大になり、「道鏡を天皇にすれば天下太平になる」という神託を下し、和気清麻呂がこれを問いただして撤回している。

 八幡神は、頻繁に神託を下す。

 これは要するに、将軍などが、身分のないものと会話をする時に、たまたま庭を通りかかって庭師と会話をした、茶席で客と、あるいは僧体のものと話をした、そういう身分秩序を脱するシチュエーションを用意するのといっしょである。八幡神の、正確には八幡神の取り憑いた巫女の口を借りて、秦氏が意見表明しているのだ。

 八幡神の託宣が盛んだった、ということは、それだけ、秦氏が朝に意見をしていた、ということだ。

 なかなかやり手である。

 ちなみに、お稲荷さんも秦氏の神である。太田亮氏『姓氏家系大辞典』ハタの項。

 『稲荷さんが天下至る所に祀られるに至つたのは、此の大氏族の氏神であつた事と、此の氏が殖産工業に貢献する所が多く、従いて稲荷さんが、特に殖産の守護神となつた事とに原因する点が少なくないのである。』

 秦氏の勢力大であることが、稲荷の普及に貢献したように書いてあるが、それもあるにしても、やはり、後世の武家の存在感と混同されている面もあろう。

 しかし、武家の普及にともなって、秦氏の信仰も全国に広まっている。

 このことも、両者の同体を示唆している。系図上でも、秦氏と武家のただごとならぬ接近と重複を見いだせるのだが、これは後に回す。

 

 八幡神は、祭神は十五代応神天皇、

 その母親であるジングウ皇后(神功皇后、息長帯おきながたらし姫)

 さらには、姫大神をまつっている。姫大神は、宗像三女神(じょしん)の総称だ。たごり姫(田心姫)たぎつ姫(湍津姫)いちきしま姫(市杵島姫)

 いちおう、主神は応神天皇なのだが、不思議なことに総社の宇佐八幡宮では、姫大神を祭る拝殿が中央にあり、左が応神天皇、右が神功皇后こと、おきながたらし姫(息長帯姫)という順番になっている。

 あたかも、姫大神が主神であるかのようだ。

 

 八幡神は、天照大神とともに、明治まで皇室の守護神、

 ()()()()()()

 とはいえ、この物語も古く、八幡神が皇祖神と見なされるのは、物語時点から一世紀後、まだ皇祖神ではない。

 しかし一品(イッポン、皇族にのみ与えられる位階)親王や内親王に相当する、最高にして無二の地位だった。これは、聖武天皇の上皇時代に与えられている。

 したがって、この物語で、秦氏の氏長者が、おのれを「八幡」と名乗るのは、少なくとも気分としては理に適っている。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。