30話 MVP
「それで? そこからどうして田貫がバレーを辞めることになるの」
俺の拙く長い話を何も言わず聞いていた狼谷さんが口を開いた。
「次の日から空吾はバレー部に顔を出さなくなって、その理由が俺にだけ推薦が来て落ち込んだからって話になったんだ」
「そいつが来なくなったからって田貫には関係ないじゃん。バレーすればいいじゃん」
「そうだね。でも、バレーは一人じゃできないから」
「……っ」
狼谷さんの顔がなにかを察したかのように歪む。
「俺がレシーブしても、誰も取ってくれる人はいなくなったんだ。バレーは繋ぐスポーツだからそうなると俺の存在は無意味になった」
俺は狼谷さんに語り掛ける。
空吾の人望を慕って活気付いていたバレー部だった。
もともと俺の人格も良くなかった。
初めは楽しかったバレーも、結果を出すことに固執するようになった。
そうじゃないとバレーを続けられなかった。
チームのこと考えずにエゴにまみれていた。
俺は自分がボールを拾えれば、負けないと思っていた。
ネット競技はスパイクやスマッシュなど相手のコートに強いボールを決めて勝つスポーツのように思われるけど、本質はそこにあるんじゃなくてボールを自分のコートに落とさなければ負けないスポーツだと、俺は考えていた。
自分のコートに落とさせないために、速いボールや取りにくいボールは返せなくする手段だ。
だから相手のミスを待つという戦い方だってあるわけだし。
そう考えてたらスパイクのできない、拾うことしかできない俺に意味があるんじゃないかって。絶対的な意味が。
『今のはボールを取れなかった俺が悪い』
献身だと思っていた俺の行動は、いつしか自己犠牲でうざいと思われていた。
みんなはしっかりやっていた、だから俺がもっと頑張れば、もっといいパスを返せれば、そんなこと本気で思ってた。
そんな思考しか俺は知らなかった。
だって、いつも悪いのは能力の低い自分だ。そう教えられてきたから。
『お前とバレーすんの疲れるよ』
必死にあげたボールに、セッターはなにもせず棒立ちで、これが最後に俺に向けられた言葉だった。
行く宛のなくなったボールがコートに弾む音だけがしていた。
ボールをとっても、誰も続けてくれない。
その時から自ら飛び込むことができなくなっていた。
足が竦むんだ。一歩が踏み出せないんだ。
コートに誰もいなくなって、俺は初めて気づいた。
俺がいることでみんなの楽しみを奪っていたことに。
だったら、俺がいなくなればいいや。
そこで顧問、辞めることを伝えた。
それを他の部員にも、空吾にも言って欲しいと。
「俺がいなくなったことで、バレー部は復活した。あの時ばかりは自分は救世主だって思えたよ。皮肉なもんだろ」
はは、と俺は自嘲気味に笑った。
やめたことを伝えたら母さんには罵詈雑言を浴びせられたっけ。
『爽太がプロになりたいって言ったんだからね。なのに途中で投げ出すなんて、教育失敗だわ』
俺、プロを目指すなんていつ言ったっけ。
それは母さんが出した条件だよ。
いつもなら謝るところだけど、俺には何も響かなかった。
おかげで放任主義になったことに感謝さえした。
「ちっとも笑えないんだけど」
狼谷さんは笑うことなく、むしろ怒っていた。
また怒らせてしまったようだ。
「別に推薦受けたって良かったじゃん。田貫の実力が認められたってことだし負い目感じる必要なくない? スポーツって勝負の世界でしょ、実力差があれば過ごせる環境は変わってくることは当然だし。もしイチメイに行ってたら中学の子とは会わないんだから気にしなかったら良いのに」
「そうだけど、そこじゃないんだ。俺がバレーをしたいって今ある環境を変えるために飛び込んだことが原因で、誰かを不幸にしたことが嫌だ。だったらその場を動かずに、受け身で、来るものだけを返す生活が良いんだ」
どうしようもない感情を吐露する。
要は自分が傷つきたくないだけなんだ。それも分かってる。でもあんな思いは嫌なんだ。
「じゃあさ、今日はあたしのためにバレーしてよ」
「え?」
狼谷さんのために?
「そ。前に言ったでしょ。あたし以外にいじめられたら許さないからねって」
「あぁ、あのミカサ事件の時」
俺がバレーの練習でいじめ抜かれたことを、女の子にいじめられたと狼谷さんが勘違いした一件のこと。
「ミカサ事件ってあんたそんな風に裏で呼んでたんだ?」
にこーっと狼谷さんが笑顔を見せるけど、全然にこやかじゃない。怖すぎる。
とっさに謝ると狼谷さんは「今はいいや」と首を振った。
ほ、許してくれた。
「あんたあのデカ男にいいようにされすぎ、田貫が無様な姿晒してるの見ててイライラする。だからあたし以外の前では見せんな」
狼谷さんは人差し指を立てて俺の鼻先にぴとっとつける。
「どんなボールでも飛びついてさ、絶対に落とさないこと」
「それは、無理難題だね」
俺はその場から動けず力なく笑うことしかできなかった。
「やれ、ばか」
狼谷さんは俺の背後に周り、げしっと蹴ってくる。
「なにすんのさ」
「ここあたしの場所だから、これ以上居座るの禁止」
なんとも横暴な意見だ。別に自分の場所じゃないって言ってたのに。
「ありがとう。俺行ってくる」
狼谷さんらしいなと、苦笑して、俺は体育館へと走り出した。
到着すると最終セットは既に始まっていて、後半戦まできていた。
最終セットは10点先取。8-7とウチのクラスが追いかける形だ。
「田貫おせーぞ」
「トイレ長すぎなー!」
俺がただ逃げ出したことを分かってるだろうに、みんなはそこは何も触れない。
「ごめんみんな。出すもん出してスッキリしてきた」
俺も触れずに冗談で返す。
そんな返しをすると思っていなかったのか、みんなが目を丸くして驚いていた。
「身軽になったってことは動けんだろうな?」
「ああ、多分」
正直言って確証はない。
狼谷さんに言われて戻ってこれただけだ。
コートに入ると、サーブ権はこちら側だった。
サーブがあると試合は有利に運ぶ、俺もスパイクを取って次へと繋げる。
そこから巻き返して8−9とマッチポイントに差し掛かったところで、スパイクがネットにかかり相手に点を取られてしまう。
9-9の同点、ディースとなりここから2点差が付けた方の勝ちだ。
そんな大事な場面で迎える相手のサーブ。最悪なことに獏都だった。
クラスにどこか敗色の空気が漂うなか、獏都が俺を見た。
来る。ジャンプフローターサーブだ。
ゆったりとしたボールがゆるゆると向かってくる、眼前でブレる。
俺の体から遠く離れようとする。
踏み出せ、行ける、飛べ、飛び込め!
頭で強く念じるも、思い叶わず無情にもボールはコートに吸い込まれる。
「だらっしゃー!!」
獏都がピースサインを掲げた。
10-9のマッチポントで変わらず、獏都のサーブ。俺たちは最大の危機を迎える。
獏都がボールを片手で掲げる。
空高くボールが放り投げられる、勢いをつけた助走、ジャンプフローターじゃない、これはスパイクサーブ。
——バンッ。
床を蹴り上げる音が体育館に響く。周囲が固唾を飲む。
田貫取ってくれ。ジャンプフローターじゃないなら希望がある、そんな空気が漂っている。
違う、あれは真正面に来たから取れていたんだ。コースを狙われてしまえば本当に成す術もない。
——バンッ。
破壊力の篭ったボールが誰もいない空いたスペースに向かっていく。
たとえ取れないとして飛び込めばいい。
そんな風に思うのに無理だ、無駄だ、無意味だ、無価値だ。
俺にはなにもできないんだ。
頭が警鐘を鳴らして、何もできない。
戻ってきた意味はなかった。ただ無様を晒すだけだったんだ。
「田貫、頑張れーっ!!」
突如、背後から声がする。
聞いたことのない大きな声、でも最近はよく聞いているハスキーボイス。
背中が押されたように動いた、足がバネのように躍動した、気がつけば体が飛び込んでいた。
落下地点に向かって手のひらを差し出す。
届け、届け、届け!
——バンッ
ボールが着弾して天井高く上がった。
誰もが終わったと思ったが、俺は俯せの体制で声をあげる。
「触ってる!」
コートに着弾する寸前、俺の手がボールとコートの隙間を埋めていたのだ。
しかしボールはコート外、遠くに飛んでいく。たとえ拾えたとしても繋がらないと意味がない、今度こそ終わりだと思っていたそのとき。
「信じてたぜ」
ボールの飛んだ方向には大倉が居た。「おらっ!」とレシーブをコート内に返す。
ネット際山なりのボールが飛んでくる、スパイクするには絶好のボールだ。
「田貫、決めろ!!」
大倉の声に応えるように、俺は立ち上がって後ろに助走距離を取るために下がる。
球技大会だからリベロはない、だから俺がスパイクを打っても禁止じゃない。
「うおおおおおおっ」
足を踏み出して腕をひく、両脚でコート蹴る。
ええっとここからどうしたら、いや、俺スパイクしたことないんだけど?!
なんか勢いに任せて見よう見まねでやったけどさあ!!
それでもボールは向かってくる、とりあえず腕を触れ!
すかっ、と腕は空を切る。
タイミングがずれたバールは、頭のてっぺんに当たって間抜けにもポーンどっか飛んでった。
上じゃなくて前に飛んだせいで俺の勢いは止まらない。
「ぶへえ」
ネットにがしゃと体が絡み取られる。
しばらくの沈黙の後、審判が言った。
「た……タッチネット」
その一言で緊張が途切れたのか、体育館は揺れるような爆笑に包まれたのだった。
「くっ、ははははは!! 田貫お前なにやってんてんだよ!」
「お前がMVPだよ。あはははっはっは!!」
そうして俺たちは準優勝に終わった。この準優勝に意味はないかもしれない。
しかし、忘れられない思い出となった。




