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29話 過去


 

 小学校二年生の秋、隣の空き家に家族が引っ越してきた。

 これまで長年住む人がいなかったボロい家、子どもながらにこんなところ人が住めるのかな、通りすぎるときに眺めながら思っていた。


 玄関前には、金髪の長い髪をした若い女性、その女性に手を引かれのは肌の焼けた快活そうな男の子。


「初めまして、隣に越してきた墨丘です。よろしくお願いします。こちらつまらないものですが」


「あら、ご丁寧にありがとうございます。田貫です。よろしくお願いします」


 母同士が挨拶を交わしあっていた。

 

「おれ、くうご。8歳よろしくな!!」


 引っ込み思案の俺は、いつも母の後ろに隠れていた。


「ほら、爽太。ご挨拶しなさい」


「ぼく、たぬきそうたです。8歳です。よろしくおねがいします」


 これが空吾(くうご)と俺の出会いだった。

 母の顔を見上げる。上手く挨拶できたかな、とあの頃の俺はいつも顔色を伺っていたと思う。

 

「この子、人見知りで、何もできなくてすみませんねえ。歳も同じなのでよければ仲良くしてあげてください」


「うちのは元気いっぱいすぎてすみません。こちらこそよろしくお願いします」


 ね、空吾、とお母さんが言って、空吾は「うん!」と頷いていた。


◆


 空吾は転校して早々に人気者になった。

 物怖じしない人当たりの良い性格に、抜群の運動神経。

 足の早さが最重要視される小学生にとって、スポーツができることは一目置かれていた。


 休み時間。ボールを片手に空吾が駆け寄ってきた。

 

「おーい、そうた。ドッジしようぜ!」


「ごめん、塾の課題があって」


 俺は机にかじりついて勉強していた。

 

「え、塾! そうたって勉強好きなん?」


「好きとかじゃないよ。お母さんが行けっていうから」


「ふーん、好きじゃないのするより遊んだ方が楽しいって」


「でも……」


「くうごくん、もういいっていこ。こいついつも勉強してるから誘わない方がいいよ」


「僕のことはいいから。行った方がいいよ」


 そっか、と空吾は大勢に囲まれて教室を出て行った。

 人見知りで受け身の俺は、当時から誰にも好かれていなかった。


 久々に誘われるのは嬉しかった。

 でも、それ以上に帰ってから怒られることの方が怖った。


 それでも空吾はこんな俺でもめげずに休み時間に誘ってくれていた。


「なあなあ、そうた。お前っていつんなったら遊べるの?」


「いつって……、塾が休みの時で課題がなければかな……」


「まじ? 塾いつ休みなん?」


 机の横で空吾は目をきらきらと輝かせていた。


「ええっと、水曜と日曜かな」


「じゃあさ、日曜遊ぼうぜ! 行きたいところあんだ!」


「分かったよ」


 休みの日は課題が多く出るけど、俺は家に帰ってから終わらせるためずっと机に張り付いていた。


「あら、えらいわねそうちゃん」


「うん、頑張ってるんだ」


 母に珍しく褒められた僕はやる気がふつふつと沸いて、課題を終わらせることができた。


 日曜日、空吾に連れてこられたのは体育館。

 カラフルなラインがひかれたコート、それを分断するように立てられたポールとネット、ボールの弾む音、掛け声。


「みんななにしてるの?」


「バレーだよ、バレー!」


 そこでバレーボールという競技があるのを初めて知った。


「テレビで世界大会見てさ! めっちゃやりたいって思ってたんだ!」


 身振りを交え興奮気味に語る空吾に、そうなんだ、と頷く。

 母がテレビを見ると頭が悪くなるといってたからテレビは全然見ないから知らなかった。

 あ、でも全くってことじゃない。動物の生態を追う番組は見せてもらってる。


 一匹狼って孤高になろうとしてるんじゃなくて、群れを離れパートナーな仲間を見つける途中なんだって。

 かっこいいと思ったけど、実はかわいいかもとか発見があって面白いんだ。


「二人は見学に来たのかな」


「はいっ!」


「……はい」


「それじゃあキャッチからやっていこうか」


 クラブチームの人に、手の組み方を教わる前に、山なりのボールを手を伸ばしてキャッチする。

 レシーブする前にボールとの距離や感覚を掴む。

 そこから構えを教えてもらって、ラリーをした。

 最初は腕がジンジンしたけど、何回かやってるうちに思い通りにボールが跳ねていって、楽しくなった。


 スパイク練習はあまり好きにはなれなかった。

 振り上げた手を打ち下ろすのは、嫌な気持ちが蘇るから。

 それに、自分の性格的に受け身だからレシーブの方が性に合ってたのかもしれない。


 空吾はレシーブよりもスパイクが好きそうだった。

 なんでも、必殺技みたいでカッコいいのだそうだ。

 必殺技ってどういう意味か分からないけど、嬉しそうに話す空吾に見てると僕まで嬉しくなった。


「今日のすごかったなー! スパイク、バシンって決めれるようになりてー!」


「うん、僕はもっと取れるようになりたいな」


「じゃあさ、また行こうぜ!」


「え?」


「これから練習頑張ってさ、試合とか出てさ、そんで活躍して、プロとかなったらさ沢山お金稼げるんだぜ!」


 未来を見つめながら歩く空吾の横で、僕は母になんと言えばいいか考えていた。


「今日はおまけに駄菓子もらえてラッキー」


 空吾が手にしているのは『うまい棒』。

 練習を参加している子たち配っていて、見学をしている僕たちにも配ってくれた。


「駄菓子ってなに?」


「え、お前そんなのも知らないのかよ」


「うん……」


「ポテチとかまでは行かないけど、小さいお菓子のことだ」


「ポテチ?」


「かーっ、それもか」


 空吾は額に手を当てて驚いていた。

 無知な自分が恥ずかしい。

 

「ポテチ知らないって、普段どんなお菓子食べてんだよ」


「お菓子はいつもお母さんがクッキーとか作ってくれるから」


「え、手作りクッキーとかめっちゃいいな! 優しそうだったもんな」


「うん」


「うちの親はほーにん主義っての? お菓子とか置いてるのたべろって感じなんだぜ? そうたいいなー」


 お母さんを良く言われると嬉しかった。

 だって自慢の母親だから。


「ただいま」


「どこ行ってたの」


 家に帰るや否や、玄関には正座をしているお母さんが居た。


「友達と遊び行ってたんだよ。言ってたでしょ」


「こんな時間になるなんてお母さん聞いてないんだけど」


「ごめんなさい」


 空吾に遊びに誘われたけど、バレーをするとは思ってなかったから意外と時間がかかってしまった。


「全く、あの空吾って子、挨拶の時の言葉間に受けてうちの爽太を連れ出すなんて、爽太が勉強頑張ってたから許可したけど、こんなことになるなら遊ばせるんじゃなかったわ。あそこの親も片親だっていうし、爽太の教育に悪影響だわ」


「ねえ、お母さん」


 このとき、相当な勇気を振り絞った事を記憶している。


「僕、バレーボールしたいんだけどいいかな?」


「なにバレーボールって、ああ、今日はそれをして遅くなったのね。お母さんを心配させた原因を、爽太はしたいんだ?」


「それはごめんなさい。次からはちゃんと時間守るから」


「許可してないのに次だなんて図々しい子。バレーしてなんの意味があるの?」


 意味。お母さんが良く使う言葉。

 人生を良くするためには意味のあることをしないとダメなんだって。


 バレーをする意味、その答えを出さないと母さんは許してくれない。

 そこで空吾が言ってた言葉を思い出す。


『プロとかなったらさ沢山お金稼げるんだぜ』


「プ、プロになったらお金沢山貰えるみたいなんだ」


 はっ、とお母さんは僕の言葉を鼻で笑った。


「プロ? プロなんて一握りにしかなれないんだよ? それ爽太分かってるの? 分かってないんだろうね、じゃないとこんなこと言わないもんね」


「で、でも、頑張ってみたいんだ」


 お母さんは赤くなった腕をじっとみて、少し考えたあという。

 

「爽太がそんなに言うなら分かりました。バレーやってもいいわよ」


「ほんと!?」


 ダメ元だったけど許してくれてとても嬉しかった。

 きっと僕がレシーブ頑張ったこと見てくれたんだ!

 

 ただし、とお母さんが付け加える。


「条件が二つあります。塾は続けること、そしてプロを目指して本気ですること、分かった?」


「分かった!」


 これから空吾とも遊べる、そして勉強以外のことができる。

 嬉しさで飛び跳ねていると、ポケットからくしゃっと音がする。


「あら、爽太なに持ってるの?」


「これ、バレーで見学したときに貰ったんだ。だがしっていうんだって」


 ポケットから『うまい棒』を取り出すと、お母さんが血相を変えた。


「渡しなさい」


「……はい」


「お母さん、いつも爽太のためにオーガニックなお菓子作ってるの知ってるわよね?」


「うん」


「知ってるのにこんなもの持って帰ってくるんだ。なに、お母さんへの当てつけ? お母さんを悪者にしたいの?」


「そうじゃないよ!」


「だったら誰が悪いの?」


「持って帰ってきた僕」


 お母さんに悪いところはひとつもない。

 いつも僕が悪い、全部僕が悪い子だから、こうやってお母さんを怒らせてしまうんだ。


「じゃあ、これ食べないわよね」


「え……」


 食べてみたい、空吾は美味しいって言ってたから。

 でも、でも……。


「僕、いらないよ」


「そうよね。あー、良かった。こんな添加物ばかりの物を口にさせるなんてこれまでの私の行いが無駄になるところだったわ」


 うまい棒はいつの間にかゴミ箱に捨てられていた。

 ベットに潜って想像するだけで、僕がその味を知ることはなかった。


 それから塾の頻度は少し減って、バレーが出来るようになった。

 空吾はめきめきと上達して、ここでもすぐに人気のものになった。

 


「空吾のスパイク強すぎ」


「取れないよー」


「へへん。強すぎてごめんなーみんな? ほんと張り合いがねえぜ!」


 グラブチーム内の紅白試合で空吾はスパイクをバンバン決めた。

 レシーブできる子は少なく、空吾の独壇場だった。


「また空吾に上がったぞ」


「みんなとめろー!」


 ネットを挟んで僕と空吾は別チームだった。

 僕の元にすごい速さでボールが来る。


 みんな怖いとか痛いとかいうけど、こんなのは怖くない、こんなのは痛くない。あの目と手に比べたら全然平気だ。

 

 正面から僕はそれをレシーブする。

 ボールはセッターへと上がって、こっちのチームのスパイクが決まった。


 ネットを挟んで空吾が僕を見ていた。

 その目は初めてちゃんと僕を見ていた気がした。


「すげえ! でもあいつ誰だっけ」


「ええっと、空吾といっつもいるやつ、名前は……」


「そうただよ。覚えとけよな」


 空吾がみんなに向かっていう。

 それから僕に向かって目を輝かせて声をあげた。


「そうたすっげえよ! 俺のスパイク取れるなんてさ! もっとしようぜ!」

 

「……うん!」


 そこで僕は、初めて価値を感じた。

 難しいボールをレシーブできること、退屈していた空吾との相手になれること。


 強くなるためにお母さんはバレーの試合を見ることを許してくれた。

 お母さんのおかげで僕は強くなれたんだ。


 そして、バレーをしながら気づいたことがある。

 僕がレシーブをすれば試合は続くのだ。


 これで家に帰る時間が遅くできる。

 もっとみんなとバレーを続けることができる。


 それから僕はレシーブに命を懸けるようになった。

 

 クラブチームでも空吾と僕がいるから強いと言ってもらえるようになった。

 小学生が出る公式大会でも良い成績を収めることができた。


 するとお母さんは褒めてくれた。

 良い成績を残して、良い中学に行ってもっと上を目指すんだ。


 私立中学を受験しようと思っていた僕だったけど、空吾は私立じゃなくて公立に行くって言ったから、無理言って僕も追うように公立中学に行った。

 勉強は続けるから学力は下がらないし、それにバレーをするなら空吾としか考えられなかったから。


◆

 

「俺らさ中学でいい成績取ってさ、イチメイに入学してさ、絶対二人で春高行こうな!」


「もちろんだ!」


 中学に入って、俺たちは一年次に、その中学では残したことのない成績を出すことができた。

 二年生になって身体も大きくなってきて、もっともっとバレーが上手くなった。


 その時からだ。どんなボールにも食らいつき、粘り強く拾い、チームを救うことから『救世主』なんて名前がついたのは。

 俺はただがむしゃらでやっていただけなのに。


 空吾のリーダーシップもあってチームは公立中学ながら、目覚ましい成長を遂げてついには全国出場を決める目前まで来ていた。

 その大会の試合前。

 

「イチメイの監督も見にきてるらしいぜ」


「まじ? 空吾を見にきてんだって」

 

「ばか! そんなわけないだろ」

 

 そう口にする空吾の頬は興奮を抑えるように赤くなっていた。

 試合が始まって。


「わりい! 爽太決めれなかった」


「いや、今のは俺のレシーブが悪かった。次行こう」


「そっか……」


 空吾はどこか煮え切らないような表情を浮かべていた。

 たまに空吾はこんな顔をするようになった。


 俺が取る。俺が取ればチームは負けない。負けたら俺のせいだ。

 だからそんな顔をしなくてもいいのに。


「くっ、もう、足上がんねえ」


「辛え……」


「大丈夫、俺が拾うから、絶対にあげるから」


 相手のエースの宗方のスパイクは強烈だったけど、俺はあげることができた。

 一本一本が長いラリーとなる、俺たちはそれに慣れていたから体力があった。

 相手のスタミナが尽きて、崩れてからは流れを手にすることができた。

 そしてチームは全国出場の切符を掴んだのだった。


 表彰式では、何度目かのMVPを受け取った。

 それよりもチームが優勝したことが嬉しかった。


 試合終わりに監督に呼び出される。一体なんなんだろう。


「田貫くんだね」


 監督の元に行くと、知らないおじさんがいた。

 俺が困惑しているとおじさんが名刺を出してきた。


 名刺、初めてもらった。礼儀作法とかあるんだっけ。


「私は市立明桜高校のバレー部の顧問をしている。柳木英紀という」


「イチメイ……」


 うちの地元で春高に何度も出場している強豪校だ。

 空吾と一緒に行こうと目標にだってしている。

 

「知ってくれているなら話は早い、中学を卒業したらぜひにきて欲しいんだ」


 勧誘だった。推薦がもらえたりするらしい。

 すごいことだぞ、と監督は喜んでいた。またとないチャンスに俺は浮かれていた。


 だから悪かったんだろう。

 その大会の帰り道。空吾と家路を歩いていた。

 家が近いからこうして一緒に帰ることが多い。

 

「イチメイに行ったらさ春高行けるかな」


「そうだろうぜ。なんせ常連なんだからよ」


「そっか。推薦も貰えそうだし、これで俺たち一緒に春高行けるな!」


「は?」


 空吾が足を止めて振り返る。

 その時の顔を俺はよく覚えていない。


「え。ほら、推薦の挨拶しに来たじゃん」

 

「俺には来てねえよ」


 意味が分からなかった。俺に来て、空吾に来ないことはないって思っていた。

 俺たちは二人でバレーを始めて、二人で成長してきたんだから。


 どうやら俺は取り返しのつかないことをしてしまったみたいだと、気づいた時には遅かった。

 その日を境に、空吾は練習に身が入らなくなった。

 空吾の指揮により成り立っていたチームの空気が、ぎくしゃくし始めて連携もまともに取れないようになり、そんな状態で望んだ全国大会は大惨敗を喫した。


 その日、空吾はみんなの前で告げた。


「俺、バレーやめるわ」


 


 


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