20話 ラクガキ
「狷介とは、頑固で自分の考えにこだわり、他人と合わない気難しい性質や、そのような人物を指す言葉です。李徴の性格を読み取る手がかりとなります。覚えておきましょう」
現代文の授業中、黒板の前で先生が『山月記』について解説していた。
プライドの高い頭の良い人が虎になり、人間性を失ってしまう話だとかなんとか。
俺の理解力ではまだまだこんなもんだから、詳しい考察とかは勘弁してほしい。
先生の話が右から左へと流れていくのを感じながら、なんとか板書を書き写す。
ふと隣に目をやると狼谷さんもノートをとっていた。
真面目に授業をうけるんだな、と意外に思っているとおかしな点に気づく。
彼女はノートじゃなく、教科書になにやら書いていた。
重要なところにマーカーを引いてい、もしくは注釈を付け加えている、と考えたけどそのどちらともでもなかった。
何をしていたのかというと、余白にラクガキをしていたのである。
いや、これ俺の教科書。
しかし俺の教科書は自分の教科書と言わんばかりに、彼女はすらすらとペンを走らせる。
これもいじめの一環か……。
描き上がったのは、タヌキが間抜けな表情でその場でジタバタしているイラストだった。
デフォルメされたミニキャラでなかなか上手い。
でも、なんでタヌキ?
山月記は人間が虎になる話なのに。
そんな疑問が浮かんでいるのが伝わったのか、狼谷さんは俺の顔を見てにやりと笑った。
タヌキの側にセリフの吹き出し。
そこに「如何にも自分は西高の田貫である」と書き足していく。
出来上がると、ふふ、と狼谷さんは授業中であるのに笑いをこらえきれずにいた。
もしかしてこれ、俺?
この間抜けのタヌキが?
「狼谷さん」
ひそひそと話しかける。
「なに」
「これってもしかして俺?」
「え?」
狼谷さんは切れ長の目を丸くしていた。
どうやら俺の早合点だったか。自意識過剰で恥ずかしい。
「もしかしてというか、どっからどう見てもあんたでしょ」
やっぱり俺だったらしい。
狼谷さんにはこう見えているのかと思うと心外だ。
狼谷さんはそのイラストの横に、なにやらまた書き足していく。
下書きもなにもなくすらすらと書けるのはすごいな。
出来上がったのは月の下に、目つきの鋭い狼がいるイラストだった。
『残月、光冷ややかに』
その場面を表してるんだろうか、ちょっと物語のモチーフを使っているのが憎たらしい。
この狼は、ジタバタしている狸の背中をぽこんと蹴っているように描かれている。
狼はいうまでもなく狼谷さんだろう。
そして狸は俺ということだから、つまりイラストの中でも俺はいじめられているらしい。
強く生きろよタヌキ。
絵の自分にささやかにエールを送った。
◆
書道は狼谷さんもいないし、心が無になるからいいな。
俺は選択授業の書道を終えて、教室に戻るために廊下を歩いていた。
書を書き連ねて気持ちがリセットされたけど、良いことばかりではなかった。
「気をつけていたのにな」
自身の足元を見つめていう。
視線の先には上履き、真っ白な生地に一点の黒いシミがあった。
書道の授業中、墨液がいつの間にか飛んでいて、上履き汚してしまったのだ。
「最近替えたばっかりだっていうのに」
これまでのは汚れが目立ってきたし、今さらきた成長期で足も大きくなったのかキツくなったので新調したばかりだった。
いつかは汚れてしまう物だけど、初日に汚してしまうのはなんだか気落ちする。
教室に戻ってきて席についても上履きの汚れが気になって仕方がない。
擦ったら落ちるんじゃないかと、指で汚れに触れる。
「うわぁ、広がった」
「田貫なにしてんの」
変な場面を狼谷さんに見られてしまったらしい。
「授業で墨液がついてしまって」
「あーあ、そんなことしちゃって、すぐに固形石鹸とかで落とせばよかったのに」
「今からだとダメかな」
「さっき擦り込んだでしょ。手遅れ」
なに、素人考えで触るんじゃなかった。
それにしても汚れに対しての知識があるとは思えなかったのに、妙なところで博識だ。
「ちょっと貸して」
ん、と狼谷さんは手を差し出す。
これって上履きを貸してって意味だよな。
「えっと……、いいのか?」
「今日下ろしたてでしょ」
「それはそうだけど」
ともあれ少しの時間履いてたし、嫌だと思うんだけど。
まあいいか。俺は聞いたぞ。
おずおずと俺は上書きを狼谷さんに渡した。
なにをするんだろう。手遅れっていってたのに。
今からシミ抜きとかしてくれるのかな、おばあちゃんの知恵袋みたいに。
ふと、童話赤ずきんにでてくる。おばあちゃんに装った狼を想像して面白くなってしまう。
「田貫ってバレーのときどこのメーカーの履いてたの」
狼谷さんからの唐突な質問にたじろぐ。
笑ったこと気づかれてないみたいだ。
「まさか、ミカサじゃないわよね?」
狼谷さんさんは苦々しい顔を浮かべている。
ミカサを女の子と勘違いしてから、ミカサに対してあんまりいい感情を抱いてないらしい。
「ミカサはボールのメーカーだから靴は作ってないよ。俺が履いてたのはアシックスかな」
ミズノやデサントといったブランドがあるけど、アシックスは軽量で動きやすく何より俺の足に合っていた。
狼谷さんは、ふうんと呟いてスマホでなにやら調べていた。
それからおもむろにペンを取り出して、上履きになにやら描いていく
「ちょっ、え! 狼谷さん?」
「待ってて」
汚れを落とすどころか、上履きにラクガキを始めた?
このいじめは洒落にならないぞ。
「はい、出来た」
「これは……」
しばらく見守っていると完成したのか、狼谷さんから上履きを手渡される。
このデザイン。俺はよく知っている。
シュータンから靴底に向かって縦に二本線、踵から足の外側へと流れる様な二本線。
古くは1960年代にメキシコオリンピックに向けて生まれたメキシコライン、現代ではアシックスストライプと呼ばれるメーカーを象徴するそのデザイン。
もとあった汚れをうまく使っているから、それは分からなくなっていた。
「わざわざ書いてくれてありがとう」
「礼はいらない、ただのラクガキだから。辛気臭い顔がうざかったし」
ふん、と狼谷さんは顔をそらす。
そのまま「反対側も」と彼女は汚れていない方の上履きを差し出すようにいう。
片方だけ書かれたらそれは変か。
「お願いします」
彼女にとってはラクガキかもしれないけど俺にとっては、嬉しい物だった。
もう履くこともないと思っていたから。
よくみるとラインだけでなく、踵にはそれぞれ狸と狼の顔が描かれていた。
狼谷さん印だ。
教科書のラクガキから思っていたけど、狼谷さんは絵を描くのが上手いな。
出来上がった上履きを狼谷さんはスマホで映したあと、俺に返された。
それを履いた足元をみて思う。
たとえ嫌なことがあったとしても綺麗に落とすことだけを考えるんじゃなくて、こうして上書きすればいいんだ。
休み時間、歩いているとめちゃくちゃ足下に注目が集まる。
……そうだよな! なんか感動した風にまとめたけどこれめっちゃ目立つぞ!!
この反応も狼谷さんは予想していたんだろうか。
彼女は遠くからみて、ふふ、と笑っていた。




