2話 これ、ずっと借りとくから
がり、がり、がり。
隣でボールペンがノートを引っ掻く音がする。
隣に目をやると、狼谷さんがその鋭い切長の目をいつになく細めていた。
前の授業までつんつんと俺の脇腹をつついて楽しそうにしていたのに、今の狼谷さんは虫の居所が悪いらしい。
がり、がりがり、がりがりがり。
乾いた音が速度を上げて行く。
それと共に、苛立ちメータがぐーんと上がって行くのが伝わってくる。
「むかつく」
そして態度だけでなく、ついには言葉として出てしまったようだ。
俺はなにか彼女を苛立たせるようなことをしたのだろうか。
絡まれるようになったのと同じで、いつの間にか神経を逆撫でしていたことも考えられる。
「あぁ、むかつく。このペン全然かけない」
狼谷さんは書くの諦めたかのようにペンを手放した。
俺ではなくペンに腹を立てていたらしい。
「よかった」
「は? よかったってなに?」
しまった、また口に出てたみたいだ。
この癖はなかなか抜けないな。
「あたしが困ってて嬉しいわけ?」
「そういうわけじゃない。俺がなにかして怒らせてしまったんじゃないかと思っただけだ」
「なんでそんな考えになんの、意味わかんない」
俺の言うことが信じられないと、狼谷さんは訝しげな視線をこちらを向けていた。
しかし、それ以上問い詰められることはなかった。
「これ昨日買い替えたんだけどさ。超可愛くない?」
狼谷さんはボールペンを俺に見せる。
動物をデフォルメしたマスコットキャラが描かれた可愛らしいペンだった。
なんのキャラかは分からないけれど、ぷっくりした唇が特徴的だった。
狼谷さんから受ける印象とは違うけれど、持っていてもおかしくはないだろう。
「そう、だな……」
「でもさ。インク出なくて書けないの、最悪」
狼谷さんが愚痴を吐き出した。
「ああ、『ぶちゅっと』は最高にかわいいんだけど。そこは勘違いしないで」
「いや、そんなことは思ってないけど」
それにしてもこのキャラは『ぶちゅっと』と呼ぶらしい。
唇がぶちゅっと出ているからだろうか。
「そう? デザインが良いのと、書けないのはまた別問題。メーカーしっかり作れっての」
狼谷さんって結構お喋りさんなんだな。知らなかった。
でも、どうして俺にそんなことを話しているんだろう。
「別のペンを使えばいいんじゃないか?」
「他に持ってるペン全部これに変えたから無理」
狼谷さんはペンケースの中身を露わにする。
そこは『ぶちゅっと』まみれだった。
本当にそのキャラが好きなんだろう。
「それでどれ試しても駄目。全滅」
「なるほど」
俺がするような下手なアドバイスを、狼谷さんは欲していないらしかった。
こういうときはただ聞くだけで良いのだとか。
じゃあなんで俺にこんなに話しかけてるんだろう。
「田貫の持ってるペンいいじゃん」
狼谷さんは手のひらを俺に向ける。これは脅迫……!
俺が使っているのは狼谷さんの使ってるようなかわいいデザインはしてない、だから良いも悪いもないと思うのだが。
このために話を持って行こうとしていたのか。
「ええっと、どうぞ?」
俺は狼谷さんの白魚のような手に、ボールペンを乗せた。
その拍子に指先が狼谷さんの手のひらに触れる。
一瞬だけだったのに柔らかくて緊張してしまう。
「ありがと。これ、ずっと借りとくから」
「え」
ずっと借りるとは?
狼谷さんは俺を気にすることなく、かけるー、とペンの書きごこちを確かめていた。
どうやら俺はペンを奪われてしまったらしい。これもいじめの一環か。
「全日本中学校バレーボール選手権大会って。田貫、バレーボールしてたんだ」
狼谷さんはボールペンの側面に書かれた文字を読み上げていう。
「うん、中学までだけど。今はしてない」
普通に返したつもりなのに素っ気なくなってしまった。
しかし、狼谷さんは俺の返答を特に気にする様子もなく、『ぶちゅっと』の描かれたかわいいボールペンを一本俺に差し出した。
「じゃあ田貫にこのペン交換してあげる。欲しいでしょ?」
「欲しくはないけど」
だって書けないんだろそれ。
「欲しいでしょ?」
「欲しくない……」
「欲しいでしょ?」
なにこの押し問答、先に進まないんだけど。
「はい、欲しいです」
このままだと埒が明かないので、俺は首肯することにした。
これで俺はペンを強奪され、不良品のボールペンを押し付けられた形になる。
狼谷さん、なんて恐ろしい人なんだ。
「よろしい。ペンとしては使えないけど、こうすれば」
狼谷さんはボールペンを持って俺の方に手を伸ばす。
距離がぐっと縮まって、たまらず俺は身を引く。
「離れるな」
ぐい、とネクタイを引っ張られては動けない。
狼谷さんは俺の体を引き寄せて、ボールペンを俺の制服の胸ポケットへと挿した。
それは自体は別に良いんだけど、わざわざペンのデザインが見えるように、本体を外に出す形で刺さないで欲しかったなとは思う。
「はい、かわいい」
狼谷さんは満足げだった。
こんなマスコットのペンなんて、男がつけてたら恥ずかしいじゃないか。
はっ! まさか、俺を辱めるために?
「あ、外すの禁止ね」
「えぇ……」
やっぱりそうだ。
狼谷さんはどこまでも俺をいじめるのだった。
◆
放課後、当番だった掃除を終えて帰路につく。
狼谷さんもさすがに放課後まで俺に絡んでこないらしく、終礼を終えるとさっさと帰って行った。
よし、ここからは俺の自由な時間だ。
そうと決まれば、今日はコンビニへ行くぞ。
昨日は狼谷さんに呼び出しされて気が動転して、行けてなかったからな。
俺は勇み足で、学校と駅の通り道にあるコンビニに向かった。
コンビニだからといってどこでも良いわけじゃない。
あの店じゃないといけないんだ。
「いらっしゃいませ」
鈴を転がしたような澄んだ声が、入店音とともに聞こえる。
黒髪ボブで涼しげな目元、化粧気はないのに陶器のような白く滑らかな肌。
背筋伸びたしゃんとした立ち姿、まごうことなき清楚系美少女がレジに立っていた。
そう、俺は彼女が働いているからここに通っているのだ。
お決まりのように駄菓子を何個か見繕って俺はレジへ持って行く。
『蒲焼さん太郎シリーズ』がお気に入りだ。
だがしかし、これは彼女を見るため、何度も来る理由作りに他ならない。
立ち読みだと冷やかし客みたいで印象が悪いし、毎回なにかを買わないといけないけど俺の小遣いじゃ破産してしまう。
だから駄菓子がちょうど良いんだ。
「田貫さん。今日も駄菓子ですか?」
「そうなんです。これがないと駄目で」
「お好きなんですね、ふふ」
こんな俺にも他愛のない会話をしてくれる。
この柔らかな微笑みが癒しなんだよな。
彼女みたいな清楚系美少女は駄菓子を食べたりしないんだろうなあ。
「あの、凛子さん。猫ちゃん元気ですか?」
「武蔵ならおかげさまで、今日もキャットタワーで遊んでますよ」
「なら安心しました」
この間、猫を助けたときにその飼い主がなんと彼女だったのだ。
それがきっかけでなんと彼女の名前を知ることができた。
それも下の名前で呼んでいいという許可も出ている。
昔は店員さんは名札をつけて名前が書いてたみたいだけど、いまはプライバシーのためにスタッフの名前が記載されていない。
苗字に加えて、下の名前を知ってるのは客の中でも俺くらいだろう。謎の優越感がある。
彼女の名前は城本凛子さん。
清楚系美少女に似つかわしい綺麗な名前だ。
「田貫さんは最近なにかありましたか?」
なにか、と聞かれれば真っ先に狼谷さんのことが思い浮かぶ。
しかし、男が女の子に絡まれ、いじめられてるなんて口にすれば情けないことこの上ない。
「いいえ。全然。なんにもありませんよ。いつも通りです」
「そうなんですね……。あの、そのボールペンは?」
凛子さんは俺が胸にさしていた『ぶちゅっと』のボールペンを指差す。
「え、あぁ、これ。『ぶちゅっと』っていうらしいんですけど、凛子さん知ってますか?」
「知ってますよ。超可愛いですよね」
ふわっと花が咲いたような笑顔がみせる。
マスコットキャラよりも凛子さんがかわいい。
ありがとう狼谷さん。
不良品を押し付けられたと思ってたけど、おかげでいい笑顔が見れたよ。
「ではお会計、64円です」
財布から百円玉を取り出してカルトンに置く。
凛子さんのひんやりとした指が小銭とレシートとともに、俺の手のひらに触れる。
機械が導入されお会計を客がする店もあるけど、このお店は有人レジの場合はこうして昔と変わらないやり方だ。
だからほかにセルフレジが空いていても、ついここに並んでしまう。
コンビニを出て買ったばかりの駄菓子を食べながら思う。
狼谷さんに絡まれて、いじめが始まり、心がかき乱される日々がスタートしたところだけど、癒されたなぁ。
それにしても、清楚系な凛子さんが超可愛いなんて言葉を使うのは意外な発見だ。
それもギャップとして良い感じに思えるから不思議だ。
もっと彼女を知るためにもまた来よっと。
お読みいただきありがとうございます!
ぜひ次話までお読みいただけると作品を楽しんでいただけるかと思います!
「ギャルに絡まれたい!」「清楚系美少女に癒されたい」と思ってくださいましたら
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