1話 ダウナー系ウルフカットのギャルに絡まれた
「くっ、急がないと」
放課後。
俺は校舎内を早足で歩きながら、スマホで時間を確認する。
目的地に急ぐ中、二人の男子が下校しようと俺に向かい合う形で前を歩いてきた。
「狼谷さん。どうしてあんなところに居たんだろう。誰かを待ってるのかな」
「あれだけの美人だろ? 告白されることもよくあるみたいだし、呼び出されたんじゃねえの」
「それしかないか。でもさ美人なのは認めるけどさ。ピアス多くて怖いし、愛想は良くないし。たとえ好きでも恐れ多くて呼び出せねえよ」
いや、あの危うげな雰囲気がいいんじゃん、とすれ違いざまに聞こえたのが彼らの会話の最後だった。
それから裏口から校舎を抜け出して、俺は走った。
「遅いんだけど」
校舎裏に到着するや否や、開口一番に悪態が飛んできた。
静けさの中に室外機のファンの回る音だけがして、気まずい。
目の前で鋭い視線を俺に向ける彼女の名前は狼谷さん。
艶のある黒髪、襟足の長さが鎖骨あたりのウルフカット、襟足の毛先は青く染められている。
肌は透き通るように白く、髪から覗く耳には多数のピアスが鈍く光っている。
その出立ちはまるで狼。
立ち振る舞いもあってクラスでも孤高の存在だ。
クラスは同じだけど一度も話したことのない彼女に、俺は呼び出されていた。
態度が物語るように待たせてしまっている。
「すまない狼谷さん。先月遅刻して、その指導で反省文を書いていた」
うちの学校は遅刻指導の際、遅刻した生徒は次の月初めに指導室にまとめて呼び出される。
なんでも、生徒指導にかける時間の効率化だとか。
遅刻したことがなかったのでそれまで知らなかった。
「にしてもでしょ。あたし遅刻ぼちぼちしてるけど、こんなかかんなくない?」
どうやら彼女は遅刻指導を受けたことがあるらしい。
言っちゃなんだけど遅刻してそうではある。
「遅刻の理由で嘘をついてると言われ、態度がなってないと反省文を増やされたんだ」
「……そうなんだ」
狼谷さんが自身の首元のチョーカーを指先でいじりながら、興味ないように視線を逸らしていう。
「嘘かと思うかもしれないけれど猫を助けたんだ。だけど、猫は証言してくれないだろ。この手の怪我を見せてもダメだった」
助けた際に左手に受けた引っ掻き傷を見せる。
しかし、うっすらとしていてほぼないに等しい。
だからこそ教育指導の先生に信じてもらえなかったんだろう。
「それは、ごめん……」
どうやら狼谷さんは信じてくれたらしい、意外と良い人なのかもしれない。
遅くなった理由は今はもう良いか。俺は本題に移ることにした。
「それで、その、俺たちこうして話すのだって初めてだろ? どうしてここに俺を呼び出したんだ」
柄にもなく心臓が早鐘を打つ。
たとえ会話をしていなくてもそういう感情を抱くことだってあるかもしれない。俺がそうであるように。
狼谷さん形の良い唇がゆっくりと開く。
「あたしあんたのこといじめるから」
「ん?」
昼休みに呼び出されたときは、告白されるんじゃないかなんて淡い期待をしていたけど、そんな期待は綺麗さっぱり無色透明に霧散した。
なんか今すごい絡まれ方してないか俺。
「聞こえなかったの」
彼女はぎろっと、視線をこちらに向ける。
これがあの男子たちが言っていた危うげな雰囲気か。
危うげ越してもはや凶器だろ。
「いや、聞こえていたけど……。いじめるって、嘘だろ?」
「なに?」
「なんでもありません」
俺は威圧されて発言を撤回した。
ギャル怖すぎるな。
「そういうことだから分かった?」
分かった、と聞かれても困ってしまう。
できることならお断りしたい、だけど俺が知らない間に彼女を不快にさせたり怒らせてしまう事があったのだろう。
だとしたらそれは俺が原因だ。
だったらそれは甘んじて受け入れる他ない。
「分かったよ」
「そういう事だから覚悟してね。学校休んだりしたらただじゃおかないから」
彼女はそう言い残して、校舎裏から去って行った。
あまりのことに呆然としてその場から動けずに、彼女の背中を見送ることしかできなかった。
彼女の後ろ姿、ミニスカートから伸びる太ももに巻かれたバンドがやけに記憶に残った。
◆
次の日。
俺は憂鬱な気持ちを抱え、重い足取りで登校した。
「いじめるってなんだ。俺が彼女に何かしたっけ」
靴箱を抜けて階段を登りながらひとりごちる。
昨日散々考えたけどいじめられる心当たりが全然ない。
そもそも接点がないんだから。
だけど、いじめられる事に大きな理由なんてないのかもしれない。
あいつのことが気に食わない、なんかむかつく、そんな嫌悪感から始まってもおかしくない。
なんの特徴もない一般人である俺と、ウルフカットの美少女ギャルである彼女。
住む世界が違う二人が交わり、繋がるのは創作物では良くあること。
だがそんなのはフィクションの産物だった。
実際はいじめ、いじめられる、強者と弱者の関係でしか繋がりなどないんだろう。
待て待て、というか昨日のことは本当のことだったのか?
夢みたいで現実感がない。
教室のドアをくぐったらいつもと変わらない平穏が待っている。
そう願いながらドアを開けると、教室中の視線が突き刺さった。
ゾッと背中に悪寒が走る。
「お、おはよう」
ぎこちなく手をあげても、みんな誰も何も言わない。
ただ俺を見つめるのみだった。
いつもは和やかな朝の空気が今日は張り詰めていた。
そして教室の空気とは別に、いつもとは違うところに気づく。
「俺の席が……ない」
昨日まで座っていた場所には席はなく、ぽっかりと教室に穴が空いているようだった。
テレビのドット欠けのように居心地が悪い。
居場所がなくなったような絶望感に襲われる。
————どうして、誰が、こんなことを。
『あたしあんたのこといじめるから』
ふと、校舎での狼谷さんを思い出す。
まさか本当に……。
「田貫」
静かだがよく通る、芯のある声が耳に飛び込んでくる。
声の主に視線を向けると、狼谷さんがこちらを気怠げに見つめていた。
「あんたの席ここだから」
狼谷さんが自身の隣に不自然に引っ付けている机を、黒いネイルの施された指先でつんつんと叩く。
俺の席が狼谷さんの真横に移動させられているだと。
なんの恨みがあってこんな辱めを受けるんだ。
俺は衆目を集めながら席に座った。
「これで逃げられないね」
狼谷さんが俺の耳元で囁く。
ハスキーな声が鼓膜を揺らす、背中がぞくぞくと震える。
これが恐怖……!!
これから一体どんないじめが待っているんだろう。
そう考えるとだんだんと心細くなっていく。
チャイムが鳴って担任が入ってくる。
今年から新任である彼女でも、異様な空気を感じ取っていたようだ。
「田貫くん、君の席はそこじゃありませんよね。戻りなさい」
ナイス先生!
良い助け舟を出してくれた。
「なに? だめなの?」
俺が動こうとするより早く、狼谷さんが先生に圧をかける。
「いや、だめじゃありましぇん……」
もごもごと先生は口ごもる。
「だったら良いじゃん」
狼谷さんのその一言に先生はそれ以上二の句を継げなかった。
くそう、とんだ泥舟だった。
俺も俺で、その場の雰囲気に押し潰されて動くことができなかった。
ホームルームもそこそこに授業が始まる。
「ねえ田貫、教科書出して」
「狼谷さんの教科書はないの?」
「重くて怠いから持ってきてない」
なるほど、彼女の代わりに俺が持ち運ぶ、これもいじめのひとつのようだ。
どうやら俺は彼女の教科書係になってしまったみたいだ。
俺は教科書を二つ並んだ机の真ん中に置く。
というか机ってくっついたまま?
「よいしょっと」
狼谷さんが椅子をずらしてこちらに近づいてくる。
一息呼吸をするだけで甘い匂いが鼻腔いっぱいに広がる。
頭がくらくらする。これも彼女のいじめなのか?!
それに教科書をみようとすると、角度的に隣に座る狼谷さんのその、豊かな谷間がちらついてしまう。
なんでこんな胸元が緩い着こなしをしてるんだ。
狼谷さんに気を取られて先生が何を言ってるか一割も理解できない。全く授業に集中できない。
それでもどうにか食らいつこうと黒板に意識を向けた。
「くふっ」
集中しようとしたのに脇腹を何かが触れた感触がして、変な声が出る。
横をみると人差し指を突き出している狼谷さんがいた。
俺の短い爪とは違う、整った長い爪。きっとそれで突いてきたのだろう。
「普通に授業受けられると思ってたの?」
狼谷さんは、ふっと小さく笑みを浮かべた。
あ、狼谷さんの笑った顔、クラスが一緒になって初めて見た。
その美貌と無表情から冷たい印象があったけど、笑うとちょっと可愛いな。
いや、ぶっちゃけかなり可愛い。
「なに?」
「かなり可愛いなと思って」
しまった。気づかぬうちに口から出ていた。
思ったことを意図せず発してしまうのは危険だというに、どうやら俺は中学の頃から学習してないらしい。
「は? 調子乗んな」
つん、つんと執拗に俺の弱いところを突いてくる。
その後も、俺が真面目に授業を受けようとしていると見計らったように脇腹を突いてきた。
その度に集中の糸が切れる。
だけど彼女はそんな俺をお構いなしだった。
笑ったのは初めだけで、彼女が笑顔を見せることはついぞなかったけど、随分楽しそうだった。
いじめるなんて一時の気まぐれ。変に絡まれているだけ。
耐えていればすぐに飽きて終わるだろう。
そう、思ってたんだけどな……。
こうして、衆人環視のもと俺と狼谷さんの公然な関係性が始まったのだった。
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