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17話 不機嫌



  

 いつの間にか眠っていて、目が覚めると放課後になっていた。保健室に狼谷さんはいなかった。


 きっともう帰ったんだろう。

 押し付けられた付き添いだから、待っている義理もないし。



「あら、起きたの。大丈夫かしら?」


 保健のおばあちゃん先生が俺が起きたことに気づいて、心配そうに声をかけてくれた。


「ええ、大丈夫です。腕はまだ痛みますけど」


「それは良かった。でも、そのことじゃあないのよ」


 保健の先生が怪我以外に生徒の心配事なんてあるのか?

 俺が訳も分からず首を傾げていると、おばあちゃん先生は続ける。


「ほら、付き添いで来てた彼女。すごい顔して出て行ってたから何かあったのかしらと思ってたのよ。ふたり喧嘩でもした?」


「喧嘩は……特にしてないと思います」


 


「そう?」


 先生の勘違いかしら、とおばあちゃん先生は頬に手を当てていた。

 喧嘩もなにも、あれから特に話はしてないからぶつかりようがない。

 それに喧嘩はある程度対等な関係だから発生する事象だと、俺は考える。

 立場や力関係に差があれば、ぶつかってもねじ伏せられるか、もしくは何も言わずに耐えるしかないのだから。

 

 俺のことだから、知らぬ間に気に障ることをした場合もあるからなんとも言えないけれど。


 着替えるのも面倒なので、体操服のまま帰ることにした。

 玄関口に出て、降りしきる雨を前に俺は肘を抱いた。


「半袖は冷えるな」

 

 そうだ、狼谷さんにジャージを貸してたんだった。

 

 てか、狼谷さんのことだからあのまま強奪してもおかしくないぞ。果たして返してもらえるんだろうか?

 そんなことを考えながら俺は帰路についた。


◆


 

「おい、なにがあったんだよ!」


 翌日、登校して早々、大倉に呼び止められる。

 教室に入るところだというのに一体どうしたんだ?

 

 その顔は青ざめていて鬼気迫るものがあった。

 まあ俺は授業を抜け出してから放課後になるまで、教室戻らなかったもんな。大事になったんじゃないかと考えてしまうのも無理もない。

 ましてや同じバレー部の部員が起こしたことだから、ぶじだったか心配するのだろう。


「昨日は寝過ぎただけで、体はなんともなかった」


「おお、漠都のサーブ真正面から受けてなんともないのはすげえな。でもそのことじゃねえ!」


 そのことじゃない?

 だったら何を心配してるんだ?

 

「みろよ」


 教室から須山が顔を覗かせて、親指で後方を指差す。

 そこには狼谷さんが頬杖をついて気怠そうに座っていた。

 

 いつもの光景のように見えるけど。


「お前らあの後保健室でなにかあったのか?」


「なにもないと思うけど……」


「だったらなんでお前らの席が離れてんだよ!」


 大倉が小さい声で器用に叫ぶ。

 狼谷さんに聞こえないようにしてるんだろう。


 よく見るとこれまで狼谷さんの手によってぴったりとくっつけられていた俺たちの机が、標準の幅で隙間が空いていた。


「これまでがおかしかっただけで、別に普通のことだろ」


「普通じゃねえよ。お前らの机が離れてるのはなんか気持ち悪いんだよ」


「そうだ。みんなも違和感があるみたいで、教室の雰囲気が変になってるぞ」


 なんだそれ。

 いつのまにクラスメイトの基準が狼谷さんの手によって塗り替えられていたみたいだ。

 思えば掃除の後も普通にくっつけられてるもんな。


「とりあえずこの空気どうにかしてくれ」


 二人に懇願されて俺は送り出される。

 大袈裟だなあ、と軽い足取りで進んでいく。

 

「おはよう狼谷さん」


 無言。


 それに狼谷さんを取り巻く空気がやけに重い。

 これはたしかに何かしら怒ってるのかもしれない。


「あ、ジャージ。返してくれたんだ、早いね」


 自分の机の上にはジャージが丁寧に置かれていた。

 返してもらえないかと考えてたけど、狼谷さんもそこまで鬼じゃないみたいだ。


「ありがと」


 狼谷さんはこっちを向いて小さく言った後、ふいっと顔を背けた。


「あぁ、もうダメだあー」


「マズいってこれは」

 

 その様子をみて、クラスメイトは頭を抱えていた。

 なんなんだよもう、良いことじゃないか。


 授業が始まって、教科書係の俺は狼谷さんに声をかける。


「狼谷さん教科書見る?」


「ううん、今日は持ってきた」


 狼谷さん鞄からぬっと教科書ができた。

 俺は絶句する。あの重いものを持つのが面倒な狼谷さんが、教科書を!?


「え……うそ」


「ヤバいヤバいヤバい」


 クラスメイトもいつもと違う狼谷さんに騒然としていた。

 

 たしかにこれは異常だ。

 異常なのは、この教室の空気と狼谷さんに対しての扱いについてだが。


 

 平穏が訪れていいことじゃないか。


 それからは、脇腹を不意に突かれることも、肩をドンって押されることも、動画を撮られることも、ましてやお弁当を無理やり食べさせられることもなかった。

 

 そもそも今日は教室で一人ご飯を食べてるし。


「ちょっと田貫くん」


「え、はい」


 これまでの絡みやいじめがなくなって、日常が帰ってきたみたいだなと、昼休み教室でコンビニ飯を食べていると女子三人に囲まれた。


 焼きそばパンを持つ手を下げる。


「昨日から動画上がってないんだけど」


「うちらあれ楽しみにしてんだからね」


 そういわれても、「はぁ……」と生返事を返すしかできなかった。

 

「いいから、狼谷さんと仲直りしてよね」


 知らない女子にまで催促される始末。

 俺をいじめることでこのクラスは成り立っていたのか?


 それにしても女子を怒らせたとき、どうしたらいいのか分からないぞ。

 何もせず怒りが冷めるのをただ待つか、または相手が離れるのを黙って見ることしか俺は知らない。

 

 

 ◆


 

「お馬鹿さんなんですか」


「えぇ……」


 思ってもみなかった返しに俺はたじろぐ。

 そもそも女の子と関わった経験が乏しいから女の子を怒らせた経験がなく、どうしたらいいか分からなかった。

 その中で唯一といってもいい関わりを持つ女性に話を聞こうと、コンビニにお邪魔して凛子さんに相談に来た訳だが。

 

 お馬鹿さん、凛子さんからそんな言葉を言われるとは。

 それもどこか品があって可愛いと思えてしまう。


「『相手を怒らせてしまったから、何もしないでいいですか?』なんて一番ダメです」


 けれどそんなことを言ってられない。

 いつもは天使みたいに、微笑みを絶やさない凛子さんが今日はやけに冷たかった。

 それだけ俺の出した回答が的外れだったんだろう。

 

「だって、なにかしたせいで、より相手を怒らせたくないですし」


「それは余りにも受身すぎです」


 ぴしゃりと俺の甘えた発言は切り捨てられる。

 こう言われると耳が痛い。


 去る者追わず、来るもの拒まずといえば聞こえがいいが、ただ自分から動くのが苦手なだけだ。

 だから人間関係で自分から踏み込んていったことなんてない。

 

「ではどうすればいいのでしょうか」

 

「悩んでいても埒はあきません。直接相手とお話しして聞いてみてはいかがでしょうか」


 コンビニのレジでこれ以上話し込むのも迷惑だと思ったので、凛子さんからのアドバイスを聞いて俺は家に帰った。


 家についてベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

 

 話し合う、相手に聞く。

 俺にとってそれが一番難しいことだ。


 

 だけど凛子さんからのアドバイスなら、やってみてもいいんじゃないかと思えるから不思議だ。

 次に凛子さんにあった時、実践してなくて幻滅されるのは避けたいし。

 アドバイスを聞くだけ聞いて何もしない人間にはなりたくない。


 

 凛子さん俺頑張ってみます。 


 

 そして俺は狼谷さんに電話をかけた。

 


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