第48話 領主様は帳簿を見ません
翌朝、領主館から呼び出しが来た。
今度は封書ではない。
セムさんが、直接ベルカ商会まで来た。
「ベルカ商会主、ミリア・ベルカ様」
「様!?」
「代官様がお呼びです」
「代官様!?」
朝から声が二回も裏返った。
ロイは紙を持って立っている。
クロードさんは、もう外へ出る準備をしていた。
「ロイ」
「はい」
「代官様って、偉い人ですか」
「偉い人です」
「帰っていいですか」
「呼ばれています」
「ですよね!」
セムさんは困ったように頭を下げた。
「急ぎです。昨日の確認表が、代官様の目に入りました」
「誰が渡したんですか」
ロイが聞く。
「倉庫番のハインです」
ハインさん。
思ったより動いていた。
「ベルトラン書記官は?」
「同席されます」
「嫌な同席です」
「商会主」
「はい、黙ります」
黙れなかったけど、少しだけ黙った。
領主館へ向かう道で、ロイは確認表を見直していた。
箱一、外出し、赤い蝋、ガリオ商会番頭、上位商会。
見れば見るほど嫌な欄ばかりだ。
「ロイ」
「はい」
「これ、代官様に見せて大丈夫ですか」
「見せるために作っています」
「怒られませんか」
「怒る人はいると思います」
「それ大丈夫じゃないです!」
クロードさんが言った。
「怒るなら、困るものがある」
「また怖いことを」
領主館の奥の部屋に通されると、若い男がいた。
三十前くらい。
服は質がいいが、飾りは少ない。
机の前に立っていて、座っていなかった。
横に、ベルトラン書記官。
後ろに、ハインさん。
「ベルカ商会か」
「はい。ミリア・ベルカです」
「代官のアルノルドだ」
声は静かだった。
静かすぎて、少し怖い。
「西区施療院を止めなかった商会と聞いている」
「はい」
「領主館の倉庫も、見たな」
「はい」
「では、先に聞く。この帳簿を見て、足りていると思うか」
わたしは一瞬、答えに詰まった。
「帳簿では、足りています」
「では、倉庫では?」
「使える形では、足りていません」
代官はうなずいた。
「今のでいい」
「今ので?」
「帳簿と倉庫を分けて答えた」
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
ベルトラン書記官の顔は変わらない。
アルノルド代官は言った。
「帳簿は後で見る。先に棚を見る」
部屋の空気が、少し動いた。
ベルトラン書記官が口を開く。
「代官様、正式帳簿を先に確認された方が」
「後で見る」
「ですが」
「棚を見る」
短い。
強い。
わたしたちは倉庫へ向かった。
代官が歩くと、領主館の人たちが道をあける。
すごい。
倉庫に入ると、ハインさんが扉を開けた。
小樽の棚、保存箱の棚、薬草箱の棚、仮置き場につながる奥の扉。
昨日まで見たものが、全部そこにある。
代官は帳簿を持たずに棚の前に立った。
「小樽はどこだ」
「こちらです」
ハインさんが案内する。
「帳簿では三十か」
「はい」
「使えるのは」
ハインさんは、一瞬だけわたしを見た。
わたしはうなずいた。
「八つです」
代官は棚を見た。
「三十あるようには見えないな」
その一言で、ハインさんの肩が少し落ちた。
安心したように。
ベルトラン書記官が言った。
「確認待ちも含めれば、数は」
「使えないものを、使える数に入れるな」
代官が遮った。
倉庫の空気が止まる。
代官は次に保存箱の棚へ行った。
「保存箱十」
ロイが言う。
「現物六。追加四の配置跡なし。仮置き場にも重荷跡なし。板札は箱一のみです」
「箱一」
代官は、わたしの差し出した木片を見た。
赤い蝋のついた、小さな木片。
「これが、仮置き場に」
「はい」
「ガリオ商会か」
「板札では、ガリオ商会の番頭が関与した可能性があります」
ロイが言った。
「可能性?」
「まだ断定していません」
「よい。断定していないものを断定しないのは、よい」
ロイが少しだけ頭を下げる。
褒められたのに、平然としている。
強い。
代官は仮置き場へ向かった。
地面を見て、板札を見る。
セムさんも呼ばれていた。
「セム」
「はい」
「五日前の馬車を見たか」
「はい。軽い荷でした。布袋三、古材一束、箱一です」
「保存箱四つ、小樽十、薬草箱二は」
「見ていません」
ベルトラン書記官が言った。
「下役の記憶です。正式なものではありません」
代官は振り向いた。
「では、正式な現物確認者を呼べ」
ベルトラン書記官が黙った。
「誰だ」
「受取印はあります」
「印ではない。見た者だ」
倉庫が静かになった。
ベルトラン書記官は、ゆっくり答えた。
「確認中です」
「では、今は不明だな」
「手続き上は」
「不明だな」
「……はい」
初めて、ベルトラン書記官が押された。
少しだけ。
でも、確かに押された。
代官はわたしたちを見た。
「ベルカ商会。お前たちは、何をしたい」
昨日、ガリオ商会にも聞かれた。
でも、今度は責める声ではない。
「足りないものを探したいです」
わたしは答えた。
「領主館に納めたことになっている荷が、どこにあるのか。どこでずれたのか。それを見たいです」
「なぜ」
「倉庫では、使えないからです」
「領主館のためか」
それは、少し難しい質問だった。
「止まると、困る人が出ます」
わたしは言った。
「炊き出しも、薬草も、保管も、帳簿だけでは動きません。領主館で止まると、その先も止まると思います」
代官は黙って聞いていた。
クロードさんが少しだけこちらを見た。
ロイも筆を止めていた。
「だから、見たいです」
言い終えると、倉庫が静かになった。
代官は短く言った。
「よい」
「え」
「見る理由として、よい」
胸の奥が熱くなる。
でも、まだ喜ぶ場面ではない。
たぶん。
代官はベルトラン書記官へ向いた。
「五日前の納入に関わる帳簿をすべて出せ。正式帳簿、別帳簿、受取印記録、仮置き場の記録、外出し記録」
ベルトラン書記官の顔が、ほんの少し変わった。
「すべて、ですか」
「すべてだ」
「確認に時間が」
「今日中だ」
「代官様」
「今日中だ」
二回目は、さらに短かった。
ベルトラン書記官は頭を下げた。
「承知しました」
代官は次に、ハインさんを見る。
「倉庫番。お前の控えも出せ」
「はい」
「ただし、正式帳簿ではないことは明記する。その上で、現物と照合する」
ハインさんは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い」
代官は最後に、わたしたちを見た。
「ベルカ商会。臨時確認役として、倉庫の現物照合を続けろ」
「え」
声が出た。
「えええええ!」
倉庫に響いた。
ロイが静かに言う。
「商会主、声が大きいです」
「すみません!」
「謝る声も大きいです」
「今それですか!」
代官は少しだけ笑った。
「元気はあるようだ」
「あります!」
「声量は、少し抑えろ」
「はい……」
クロードさんが、小さく言った。
「十割」
「今のどこがですか」
「途中までだ」
「途中まで!」
代官は続けた。
「ただし、これは正式契約ではない。臨時だ。余計な断定はするな。見たものを、見た通りに並べろ」
ロイが答えた。
「得意です」
「ロイが自分で言った!」
「事実ですので」
代官はうなずいた。
「それでよい」
ベルトラン書記官は、黙っていた。
笑っていない。
それが少し怖い。
でも、もう昨日とは違う。
棚を見る人が増えた。
倉庫を出る前に、代官が言った。
「帳簿は必要だ。だが、帳簿は棚の代わりにはならない。棚にない物は、使えない」
その言葉は、まっすぐだった。
わたしはうなずいた。
「はい」
代官は歩き出した。
ベルトラン書記官が後に続く。
ハインさんが、わたしたちの方を見た。
目が少し潤んでいた。
「ありがとうございます」
「まだです」
わたしは言った。
「まだ、見つかっていません。でも、見られるようにはなりました」
ハインさんはうなずいた。
領主館の倉庫は、まだ重い。
ガリオ商会の上には、大商会がいる。
箱一の中身もわからない。
赤い蝋の意味もわからない。
でも、ひとつ変わった。
領主館の代官は、帳簿ではなく棚を見た。
その日から、ベルカ商会は正式ではないが、領主館倉庫の現物照合に入ることになった。
帳簿だけで足りていた場所に、棚を見る仕事が入り込んだ。




