第45話 数が合う方がおかしいです
領主館を出ても、ガリオ商会の荷札は手の中に残っていた。
薄い札なのに、重い。
ロイは歩きながら紙を見ている。
「ロイ」
「はい」
「歩きながら読まないでください」
「止まると遅れます」
「転びますよ」
「転ぶ前に読み終えます」
「そういう問題では!」
クロードさんは少し後ろを歩いていた。
黙っている。
でも、たぶん見ている。
「まず、ガリオ商会に行くんですよね」
「その前に、帳簿を整理します」
「また帳簿」
「相手が帳簿で逃げるなら、こちらも帳簿で逃がさないようにします」
「怖い言い方!」
ベルカ商会へ戻ると、ロイはすぐ机に紙を広げた。
ハインさんの控え、領主館の正式帳簿の写し、荷札、確認表、五日前の納入一覧。
「多いですね」
「多いから見えます」
「名言っぽい」
「普通です」
ロイは五日前の正式帳簿を指した。
「保存箱四つ、小樽十、桶二、薬草箱二」
「控えでは桶二つだけ」
「はい」
「つまり、他が来ていない」
「まだ可能性です」
「ロイが慎重です」
「慎重でない帳簿係は危険です」
「それはそう」
ロイは日付を見た。
「まず、おかしいのは日付です」
「日付?」
「全部同じ日に、同じ欄にまとまっています」
「まとめて納入なら、普通では?」
「普通の場合もあります。ですが、きれいすぎます」
きれいすぎる。
また嫌な言葉だった。
「西区施療院の七日間を思い出してください」
「嫌です」
「思い出してください」
「はい……」
「現場の帳簿は、少し乱れます。遅れ、分納、確認待ち、用途変更、修理回し、差し替え。使えるようにするほど、跡が残ります」
言われてみれば、そうだった。
きれいな日はなかった。
でも、そのずれを直したから止まらなかった。
「領主館のこの欄には、それがありません。全部、予定どおり。全部、納入済み。全部、受取印あり」
「いいことでは?」
「現場を見ていれば、よすぎます」
クロードさんが短く言った。
「十割」
「ロイにですか」
「ああ」
「今日はロイ回ですね」
「回ではありません」
ロイは平然としていた。
少しだけ悔しい。
でも、頼もしい。
「商会主。ガリオ商会へ行きます」
「今ですか」
「今です」
「心の準備が」
「歩きながらしてください」
「クロードさんと同じことを!」
ガリオ商会の店は、相変わらず大きかった。
荷車も多い。
人も多い。
入口にいる番頭の顔も、大きい。
「ベルカ商会さん。本日は何のご用でしょう」
「領主館倉庫の納入について確認に来ました」
言えた。
声は少し硬かったけれど、出た。
「領主館?」
「はい。五日前の納入です」
「当商会は、正式な手続きで納めております」
「まだ何も聞いてません」
「先に申し上げただけです」
嫌な先回りだった。
奥から、見覚えのある男が出てきた。
ガリオ商会の主人。
前にも、西区施療院でも、こちらの前に立った男だ。
薄い笑み。
柔らかい声。
でも、腹の底が見えない。
「ミリア・ベルカさん」
「はい」
「またお会いしましたね」
「はい」
「今度は領主館ですか。ずいぶん忙しい小商会になりましたね」
「忙しいです」
自分でも、少し驚くほど普通に答えた。
ガリオの笑みがわずかに動く。
「それで?」
ロイが紙を出した。
「五日前、領主館へ保存箱四つ、小樽十、薬草箱二を納入していますか」
「帳簿にはそうあるはずです」
「帳簿ではなく現物を聞いています」
ガリオは少し目を細めた。
「納入しましたよ」
「誰に渡しましたか」
「領主館側の受領者です」
「名前は?」
「受領印があるでしょう」
「名前を伺っています」
ガリオの笑みが止まった。
番頭が割り込む。
「領主館の印があれば十分では?」
「印はありました。現物がありません」
わたしが言った。
店の中の人たちがこちらを見る。
ガリオの声が低くなった。
「それは領主館内の管理の問題では?」
「かもしれません」
ロイが答えた。
「なので、確認しています」
「確認なら領主館へどうぞ」
「行きました。倉庫番にも、書記官にも聞きました」
「では、何を聞きたいのです?」
わたしは荷札を出した。
「この札が、保存箱の棚の下にありました」
ガリオの目が、一瞬だけ動いた。
本当に一瞬。
でも、見えた。
クロードさんが静かに言った。
「動いたな」
「言わないでください!」
「見えた」
「今は言わなくても!」
ガリオは笑みを戻した。
「当商会の荷札ですね。それがどうかしましたか」
「保存箱はありませんでした」
「札だけ残ることはあります」
「荷札箱にはありませんでした。棚の下に挟まっていました」
「倉庫の管理が悪いのでは?」
「その日の重い荷の跡もありませんでした」
ガリオが黙った。
番頭が言う。
「跡など、いくらでも見間違えます」
「そうですね」
ロイが言った。
「だから、跡だけではありません。倉庫番の控え、荷札箱、搬入口、棚の埃、正式帳簿。全部を見ています」
「ずいぶん細かい」
「小さい商会なので。細かく見ないと、足りません」
ロイはさらっと言った。
わたしは少しだけ背筋が伸びた。
ガリオは机に手を置いた。
「領主館の正式帳簿に、当商会の納入記録がある。受取印もある。それで十分ではありませんか」
「十分ではありません」
ロイが即答した。
「なぜです」
「現物がないからです」
短い。
強い。
店の空気が、少し冷えた。
「領主館の中で移された可能性は?」
「探します」
「倉庫番の見落としは?」
「現物と合いません」
「帳簿の写し違いは?」
「それなら受取印も確認します」
「……あなた方は何がしたいのです」
ガリオの声が少し硬くなった。
わたしは少しだけ息を吸う。
「使える場所に、使える物があるかを確認したいだけです」
言えた。
「領主館の帳簿では足りています。でも、倉庫では足りていません。だから、どこでずれたか見ています」
ガリオはじっとこちらを見た。
以前なら、目をそらしたかもしれない。
でも、今日はそらさなかった。
クロードさんが、後ろで言った。
「悪くない」
今言うんですか。
でも、力は入った。
ガリオは小さく息を吐いた。
「納入はしました。ただし、通常の倉庫口ではありません」
ロイの筆が止まった。
「どこへ?」
「領主館の指示で、裏の仮置き場へ」
「仮置き場」
「はい。正式な指示です」
「誰の指示ですか」
ガリオは笑った。
「そこまでは、当商会から申し上げることではありません」
「言えないんですか」
「言う必要がないのです」
嫌な言い方だった。
でも、初めて新しい場所が出た。
裏の仮置き場。
領主館では、まだ聞いていない。
「ロイ」
「はい」
「確認先が増えました」
「増えました」
「またですか」
「またです」
ガリオは少し余裕を戻したように見えた。
「当商会は、指示された場所へ納めました。受取印もあります。あとは領主館の問題でしょう」
「でも」
わたしは荷札を見た。
「その札は、保存箱棚の下にありました」
「移されたのでしょう」
「仮置き場から、倉庫へ?」
「そうでは?」
「でも、現物はない」
「ですから、それは領主館の」
「では、荷札だけが倉庫に来たんですか」
言った瞬間、ガリオの口が止まった。
わたしも止まった。
そうだ。
仮置き場に納めた。
倉庫には現物がない。
でも、荷札だけが保存箱の棚下にあった。
おかしい。
ガリオはすぐに笑みを戻した。
「札は荷から外れます」
「外れて、棚の下だけに来ますか」
「あり得ないとは言えません」
「あり得ないとは言えない、ですね」
ロイが書いた。
「また嫌な言葉が増えました」
「必要ですので」
番頭が顔をしかめた。
「失礼ではありませんか」
「失礼なら謝ります」
ロイは言った。
「ただ、書きます」
強い。
本当に強い。
ガリオはわたしを見た。
「ミリアさん。領主館のことに深入りすると、面倒ですよ」
「もう面倒です」
「そうではなく」
「でも、途中だから止められません」
倉庫で口にした言葉が、今度は迷わず出た。
クロードさんが短く言う。
「十割」
「今のですか?」
「ああ」
「やりました」
「浮かれるな」
「はい!」
ガリオの笑みが薄くなる。
でも、もう引かなかった。
ロイが紙を閉じた。
「確認します。五日前、ガリオ商会は領主館の通常倉庫口ではなく、裏の仮置き場へ納めた。指示者は明かせない。受取印あり。現物は倉庫にない。荷札は保存箱棚の下にあった」
ガリオは黙った。
ロイは続けた。
「数は合っています。印もあります。でも、流れが合っていません」
その言葉が、店の中に落ちた。
数は合っている。
印もある。
でも、流れが合っていない。
これだ。
この違和感だ。
ガリオはゆっくり言った。
「小さい商会が、大きな流れを見るのは危険です」
クロードさんが、初めて前に出た。
「大きい流れほど、止まると見える」
ガリオの目が、クロードさんへ移った。
「あなたは?」
「荷を見る人間だ」
「商会の方ですか」
「今はな」
今は。
その言葉が少し引っかかった。
でも、聞ける空気ではなかった。
ガリオは一歩下がった。
「確認は済みましたか」
「はい」
ロイが言った。
「次は、領主館の仮置き場を見ます」
「許可が出れば、どうぞ」
「出します」
わたしが言った。
言ったあと、ロイが少し目を閉じた。
「商会主。出すのは領主館です」
「そうでした!」
クロードさんが少し笑った気がした。
ガリオは笑わなかった。
帰り道、わたしは荷札を見た。
保存箱四つ、小樽十、薬草箱二。
帳簿の数は合っている。
ガリオ商会は、納めたと言う。
領主館の印もある。
でも、倉庫にはない。
荷札だけがある。
そして、新しい言葉が出た。
裏の仮置き場。
「商会主」
ロイが言った。
「はい」
「数が合う方がおかしいです」
「どういうことですか」
「現物がないのに、帳簿だけきれいに合っています」
ロイは紙を見た。
「こういう時は、だいたい数の方が後から合わせられています」
背中が冷えた。
数字が合うのは、いいことだと思っていた。
でも、違う時もある。
現場にない物を、帳簿だけで合わせる。
それは、きれいな嘘だ。
領主館の仕事は、さらに嫌な形になってきた。
数は合っていた。
印もあった。
でも、荷の流れは合っていなかった。




