第41話 領主館から呼ばれます
領主館からの封書は、店の机に置かれていた。
厚い紙。
見慣れない封蝋。
そして、わたしの名前。
「ロイ」
「はい」
「これは、見なかったことに」
「できません」
「まだ何もしてません」
「封を見ました」
「見ただけです!」
「見たなら、仕事です」
「厳しい!」
クロードさんが封書を指で押さえた。
「開けろ」
「わたしがですか」
「お前宛てだ」
「そうでした……」
深呼吸して、封を切る。
中には、短い文が入っていた。
領主館倉庫の物資確認。
小樽、桶、保存箱、薬草保管容器、炊き出し用具。
西区施療院での運用実績を見込み、確認を依頼する。
「確認?」
わたしは顔を上げた。
「納入ではないんですね」
ロイが紙をのぞく。
「確認です。いきなり納入契約ではありません」
「よかった……」
「ただし、領主館です」
「よくない!」
トマが奥から顔を出した。
「領主館って、あの領主館ですか」
「他にありますか」
「ないです」
「ですよね!」
ロイはもう別の紙を出していた。
「行く前に、確認範囲を決めます」
「今から?」
「今からです」
「余韻どころか、恐怖も短い!」
「恐怖は仕事を減らしません」
クロードさんが立ち上がった。
「行くぞ」
「早い!」
「呼ばれたなら、見る」
「心の準備が」
「歩きながらしろ」
「雑!」
ベルカ商会を出て、領主館へ向かう。
道はいつもより広く感じた。
その先にある門は、やっぱり大きかった。
領主館の門番に封書を見せると、すぐ通された。
それだけで、背中が固くなる。
「ロイ」
「はい」
「通されました」
「通されましたね」
「逃げられません」
「逃げる前提を捨ててください」
「はい……」
案内してくれたのは、若い下役だった。
名前はセムというらしい。
細い体で、足だけは速い。
「こちらです。倉庫番のハインが待っています」
「倉庫番さんがいるんですね」
「はい。ただ、最近少し混乱がありまして」
「混乱?」
セムは少しだけ口を閉じた。
「見ていただいた方が早いかと」
嫌な言い方だった。
見た方が早い時は、だいたい早く見たくないものがある。
領主館の裏手には、大きな倉庫があった。
扉は立派。
鍵も立派。
屋根も高い。
「広い……」
「うちの倉庫が五つ入りそうです」
「言わないでください!」
中に入ると、棚が並んでいた。
小樽、桶、保存箱、布袋、薬草用の箱、炊き出しに使う道具。
一見、物はある。
でも、何か変だった。
きれいすぎる棚と、やけに空いた棚がある。
札がある場所と、ない場所がある。
同じ小樽なのに、置き方が違う。
奥の棚には、手前より埃が積もっていた。
倉庫番のハインさんは、わたしたちに頭を下げた。
四十前後の、痩せた男だった。
疲れた目をしている。
「ベルカ商会さんですね」
「はい。ミリア・ベルカです」
「助かります」
「まだ何もしてません」
「見に来てくれただけで助かります」
その言い方が、少し引っかかった。
ハインさんは帳簿を出した。
「帳簿では、足りています」
「帳簿では?」
「はい」
ロイが反応した。
「現物は?」
ハインさんは棚を見た。
「使えるものが、足りません」
わたしは帳簿をのぞいた。
小樽三十、桶二十、保存箱十、薬草箱八、炊き出し用具一式。
数字だけ見ると、足りている。
でも、棚を見ると違う。
「この小樽は?」
「納入済みです」
「使えますか」
「確認中です」
「確認中が多いですね」
「はい」
ロイが静かに言った。
「確認済みと使用可は、分けてありますか」
ハインさんは困った顔をした。
「分けたいのですが、札が足りません。あと、勝手に動かすなと言われています」
「誰にですか」
ハインさんが答える前に、奥から声がした。
「私です」
出てきたのは、きれいな服の男だった。
髪をきっちり撫でつけ、手には帳簿を持っている。
「領主館書記官のベルトランです」
穏やかな声だった。
でも、目は笑っていなかった。
「ベルカ商会さん。西区施療院ではご活躍だったそうで」
「ありがとうございます」
「ただ、ここは領主館です。施療院の物置とは違います」
「はい」
いきなり刺してきた。
わたしは帳簿を抱え直す。
ベルトラン書記官はにこりとした。
「帳簿上は問題ありません。多少、倉庫番の整理が追いついていないだけです」
ハインさんの肩が少し下がった。
クロードさんは、会話に入らない。
ただ、棚と床と壁を見ている。
嫌な沈黙だった。
ロイが帳簿を見た。
「確認してもよろしいですか」
「もちろん。ただし、帳簿の持ち出しは困ります」
「ここで見ます」
「それなら」
ロイはページをめくる。
わたしは棚を見る。
薬草箱の近くに、湿った桶がある。
保存箱の札は、二枚だけ字が新しい。
炊き出し用具の棚は広いのに、隅に寄っている。
「ロイ」
「はい」
「これ、足りているように見えますか」
「数字では足りています」
「数字では」
「はい」
クロードさんが、ようやく口を開いた。
「多いな」
わたしは振り向いた。
「何がですか」
「帳簿だけだ」
倉庫の空気が、少し冷えた。
ベルトラン書記官の笑みが止まる。
「どういう意味でしょう」
クロードさんは奥の棚を指した。
「小樽三十が入った倉庫の床じゃない」
「床?」
「重い物を動かした跡が少ない」
ハインさんが顔を上げた。
ロイも床を見た。
わたしも見る。
よくわからない。
でも、クロードさんは続けた。
「奥の棚は埃が切れていない。手前の棚だけ動いている。入ったなら、置いた跡が残る」
ベルトラン書記官が軽く笑った。
「見方の問題でしょう。倉庫番が整理したのかもしれません」
「整理したなら、札が動く」
「札?」
「札が古いままだ」
クロードさんは短く言った。
ハインさんが小さく息を呑んだ。
ロイが帳簿の一行に指を置く。
「小樽三十、三日前に納入済み。受取印あり」
「はい。正式な記録です」
ベルトラン書記官が言う。
ロイは棚を見た。
「三日前に三十入ったなら、今日使える小樽が十もないのはおかしいですね」
「整理の途中です」
「整理の途中なら、未確認欄が必要です」
ベルトラン書記官の眉が少し動いた。
わたしは、ようやく言えた。
「帳簿では、煮込みは作れません」
自分で言ってから、少し驚いた。
声は震えていなかった。
「小樽が帳簿にあっても、水は運べません。桶が帳簿にあっても、湯は運べません。使える場所に、使える物がないと困ります」
ハインさんがこちらを見た。
救われたような顔だった。
ベルトラン書記官は笑みを戻した。
「なるほど。現場らしいご意見です」
「はい。現場です」
言い切った。
クロードさんが、少しだけこちらを見た。
「悪くない」
今言うんですか、と思った。
でも、少し力が入った。
ロイが紙を出した。
「確認範囲を分けます。帳簿、現物、置き場所、用途、確認札。この五つです」
「多い!」
「多いから混乱しています」
「正論!」
ベルトラン書記官は黙っていた。
ハインさんは小さくうなずいた。
「お願いします。私だけでは、もう分けられません」
「わかりました」
わたしは帳簿を持ち直す。
「ベルカ商会で確認します」
そう言った瞬間、領主館の倉庫が少し大きく見えた。
西区施療院より広い。
南区共同炊事場より重い。
でも、やることは同じだ。
見る。
分ける。
使える形にする。
クロードさんは、倉庫の奥を見たまま言った。
「足りないんじゃない」
「え?」
「合っていない」
帳簿には、足りているように見えた。
棚にも、あるように見えた。
でも、使える場所に、使える物が少なかった。
領主館の仕事は、納入ではなく、ずれを見つけるところから始まった。




