第36話 三つの鍛冶場を一度に使います
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西区試験運用、六日目。
朝から、ロイの顔が固かった。
「商会主」
「はい」
「輪金が足りません」
「昨日、ニール鍛冶場さんに頼みましたよね」
「頼みました」
「では?」
「足りません」
短い。
怖い。
わたしは帳簿をのぞき込んだ。
南区分、西区分、予備分、修理で増えた分、部品差し替えで使った分。
数字が、少しずつ減っている。
「……足りませんね」
「足りません」
「言い方を変えても?」
「不足しています」
「余計怖い!」
クロードさんが帳簿を見た。
「ニールだけでは足りない」
「ですよね」
「三つに分ける」
「はい?」
クロードさんは、机の上に炭で点を打った。
一つ、二つ、三つ。
「ニール鍛冶場。川沿いの小鍛冶。西門近くの古い鍛冶場」
「えええええ!」
声が店の中に響いた。
トマが奥から顔を出す。
ロイは帳簿を見たまま言った。
「帳簿が三倍になりますね」
「そこですか!?」
「重要です」
「重要ですけど!」
クロードさんは平然としていた。
「ニールに細い輪金。川沿いに継ぎ輪金。西門に太い輪金」
「待ってください待ってください待ってください」
「待つと止まる」
「言い方!」
「一軒に全部乗せる方が危ない」
それは、わかった。
わかったけれど、いきなり三つは大きい。
昨日まで一つの炉を守る話をしていた。
今日は三つに増える。
気持ちが追いつかない。
「その二軒、頼めるんですか」
「見る」
「今から!?」
「今から」
最初は川沿いの小鍛冶だった。
店の前は少し湿っていて、鉄くずが箱に分けられている。
曲がった輪金が壁にかかっていた。
炉は小さい。
でも、火は安定している。
職人は細い腕の中年で、わたしたちを見ると眉を上げた。
「ベルカ商会? 何の用だ」
クロードさんは店の奥ではなく、入口の鉄くずを見ていた。
炉ではなく、端に積まれた失敗品。
職人ではなく、壁に掛かった曲がり損ねの輪金。
そこを見て、言った。
「継ぎ輪金が作れるな」
職人の顔が変わった。
「なんでわかる」
「見える」
「出ました!」
わたしは思わず言った。
職人がこちらを見る。
「何が出たんだ」
「すみません、こちらの話です」
クロードさんは続けた。
「新品の輪金は遅い。だが、切れた輪金をつなぐのは早い」
「……まあ、そっちは得意だ」
「六つ」
「今日か?」
「今日二つ。明日四つ」
「それならできる」
早い。
話が早い。
わたしは急いで帳簿を開いた。
「継ぎ輪金六。今日二つ、明日四つ。納品ごとに支払いでお願いします」
「支払いが早いなら受ける」
「早くします!」
一軒目が決まった。
次は西門近くの古い鍛冶場だった。
こちらは広い。
ただ、炉のまわりは古く、動きも少し遅い。
太い輪金がいくつも積まれている。
細いものは少ない。
「ここは太い輪金」
クロードさんが言った。
「まだ何も聞いてません!」
「見ればわかる」
「わかりません!」
職人は白髪の大柄な老人だった。
「太い輪金なら作れる。細いのは面倒だ」
「本当にそのまま!」
わたしは声を抑えた。
クロードさんが短く言う。
「太い輪金、二つ。急がない」
「急がないなら受ける」
「納期は?」
「三日後」
「それでいい」
「いいんですか?」
わたしが聞くと、クロードさんはうなずいた。
「太い輪金は予備だ。急がない」
なるほど。
急がないものを、遅い鍛冶場へ。
早いものを、早い鍛冶場へ。
得意なものを、得意な炉へ。
言われればわかる。
でも、なぜ最初から見えるのかはわからない。
「クロードさん」
「なんだ」
「店先を見ただけで、なんでそこまでわかるんですか」
「止まっているものが見える」
少しだけ、声が低かった。
「止まっているもの?」
「使われていない鉄。曲がったままの輪金。積まれた太い輪。乾きすぎた炭。そういうものだ」
「それで何が得意かわかるんですか」
「得意なものは残り方が違う」
「えええええ……」
また声が出た。
でも、今度はさっきより小さかった。
驚きより、少し怖かった。
見ている場所が違う。
わたしたちが品物を見るところで、クロードさんは流れの詰まりを見ている。
鍛冶場が何を作って、何を余らせて、何で止まっているのか。
そこが見えている。
ベルカ商会へ戻るころには、三つの注文ができていた。
ニール鍛冶場に細い輪金。
川沿いに継ぎ輪金。
西門に太い輪金。
ロイが聞いた瞬間、帳簿を三枚出した。
「早いですね」
「予想していました」
「怖い!」
「ニール鍛冶場だけでは不足するのは見えていました」
「言ってください!」
「言う前に、クロードさんが三つにしました」
「それも怖い!」
トマは少し楽しそうだった。
「商会主、三つ回るんですか」
「回ります」
「大変ですね」
「大変です!」
でも、気持ちは沈んでいなかった。
一軒で足りないなら、三軒にする。
できるものを、できる場所へ頼む。
ただ増やしたのではない。
分けた。
その分、急に世界が広がった気がした。
夕方。
最初の輪金が届いた。
ニールの細い輪金が四つ。
川沿いの継ぎ輪金が二つ。
わたしはそれを桶職人の親方へ持っていった。
「親方、届きました!」
「早いな」
「三つに分けました!」
「は?」
親方が顔を上げた。
「鍛冶場を三つ使っています!」
「ええ?」
親方も少し驚いた。
勝った。
少しだけ勝った気がした。
でも、その気分はすぐ終わった。
親方は輪金を二つ並べ、顔をしかめた。
「これ、同じ寸法で頼んだんだよな?」
「はい」
「同じじゃねえぞ」
「えええええ!」
今度の声は、今日一番大きかった。
親方は輪金を指で叩いた。
「ニールのは細い。川沿いのは少し幅が違う。使えないことはないが、同じ桶には入れにくい」
「そんな……」
数は足りた。
それだけなら、少し安心できた。
でも、同じものを頼んだはずなのに、同じものは届かなかった。
ベルカ商会へ戻ると、ロイは静かに言った。
「次は規格です」
「余韻!」
「ありません」
「断言!」
クロードさんは、届いた輪金を見ていた。
「悪くない」
「どこがですか!」
「数は足りた」
「寸法が違います!」
「次に直す」
「次!」
「線が増えれば、乱れる」
「先に言ってください!」
「見ればわかる」
「見てからでは遅いこともあります!」
そう言うと、クロードさんが少しだけ笑った気がした。
「それも悪くない」
「何割ですか」
「九割半」
「今日こんなに叫んだのに!?」
「止まらなかった」
確かに、止まらなかった。
ニール鍛冶場だけに頼っていたら、輪金は足りなかった。
三つの鍛冶場を使ったから、数は来た。
でも、次の問題も来た。
同じものを、同じに作ってもらう。
それは、まだベルカ商会に足りないものだった。
数は足りた。
次に足りなかったのは、同じものを同じにする決まりだった。
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