第33話 全部そろう前に届けます
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西区試験運用、三日目。
ベルカ商会の机には、朝から紙が並んでいた。
西区施療院、南区共同炊事場、桶職人の作業枠、小樽の修理予定、そして配送順。
「……紙が増えています」
「増えたな」
「仕事も増えています」
「増えたな」
「怖さも増えています」
「増えたな」
「たまには減ったって言ってください!」
ロイが帳簿を見ながら言った。
「商会主、今日は西区分の納品日です。ただし、全部はそろっていません」
「はい……」
西区施療院へ入れる予定は、小樽と桶、それに修理済みの部品差し替え分。
昨日の時点で、今日必要な桶は間に合った。
でも、予備分と差し替え小樽は、まだ仕上がり待ちだ。
「全部そろってから届けた方が、きれいですよね」
「きれいだな」
クロードさんは言った。
「でも?」
「遅い」
「ですよね」
ロイもうなずいた。
「全部そろうまで待つと、今日使う分も遅れます」
「つまり、分けて届ける」
「はい」
わかる。
わかるのに、やっぱり怖い。
「何度も届けると、運搬費が増えます」
「増える」
「手間も増えます」
「増える」
「帳簿も増えます」
「増えるな」
「全部増える!」
クロードさんは平然と言った。
「止まるよりいい」
それは、そうだった。
ロイが紙を一枚出した。
「朝に薬草用の桶と修理小樽一つ。昼に差し替え小樽。夕方に予備分。ただし、夕方分は遅れたら翌朝へ回します」
「三回も行くんですか」
「全部必要なら三回です」
「必要ですか?」
「確認します」
わたしは帳簿を抱えた。
「では、西区へ行きます」
「行くぞ」
西区施療院は、すでに慌ただしかった。
裏口では布が干され、湯が運ばれ、薬草が刻まれている。
管理人さんは、わたしたちを見るとすぐに近づいてきた。
「ベルカ商会さん。今日の分はそろいましたか」
「全部はまだです」
わたしは正直に言った。
管理人さんの顔が少し曇る。
その横で、ガリオ商会の男が立っていた。
またいた。
「全部そろっていないのですか」
男は薄く笑った。
「試験運用の三日目で、もう遅れですか」
胸が少し重くなる。
でも、ここは言うところだ。
「遅れではありません。分納です」
「分納?」
「はい。今日必要な分から届けます。全部そろうまで待つと、今使うものまで遅れます」
男の笑みが少し止まった。
管理人さんが、こちらを見た。
「今日届くものは?」
「朝は薬草用の桶と、修理済み小樽一つ。昼に差し替え小樽。夕方に予備分です。ただし予備分は、仕上がり次第で明朝に回します」
「予備が明朝でも、今日の作業は止まりませんか」
「止まりません」
クロードさんが短く言った。
管理人さんはクロードさんを見て、それからわたしを見た。
「理由を聞いても?」
「予備は予備だからです」
自分で言って、少し笑いそうになった。
でも、大事なことだ。
「今日使う薬草用の桶と、小樽一つは朝に入れます。昼に差し替え小樽が入れば、午後の仕込みに間に合います。夕方分は明日でも、予備なので止まりません」
「なるほど」
管理人さんはうなずいた。
ガリオ商会の男が口を挟む。
「しかし、何度も運ぶのは非効率です。当商会なら、一括で納品できます」
「全部そろってからですか」
「当然です」
「それでは、朝使う分が遅れます」
言えた。
男の眉がわずかに動く。
「一括納品は安心です」
「はい。でも、全部そろうまで待つより、必要なものから届く方が止まりません」
管理人さんの顔が変わった。
今の言葉は届いた気がした。
「全部そろうことと、止まらないことは違います。今日必要なものを今日入れます。明日でいいものは明日にします。予備は、使う前に届けばいいです」
「ずいぶん都合のいい言い方ですね」
「いいえ。都合ではなく、順番です」
クロードさんが、ぽつりと言った。
「悪くない」
「今ですか!」
「九割半」
「維持!」
管理人さんが少し笑った。
ガリオ商会の男は笑わなかった。
「では、朝分をお願いします」
「はい」
トマとエドが、荷台から桶と小樽を下ろした。
薬草用の桶。
修理済みの小樽。
管理人さんが確認し、わたしが帳簿に記録する。
クロードさんが小樽を少し動かした。
「置き場所が違う」
「え?」
「こっちは午後に使う。朝使うのは桶だ。小樽は奥でいい」
管理人さんがはっとした。
「そうですね。小樽は薬草を移したあとです」
「では、桶を作業台の近くへ。小樽は奥の棚へ」
わたしはすぐに書き足した。
品物だけでなく、置き場所も大事だった。
届いても、使う場所に届かなければ遅れる。
「細かいですね」
管理人さんが言った。
「細かくしないと、結局止まります」
「確かに」
ガリオ商会の男は黙っていた。
朝分の納品は終わった。
昼前。
桶職人の店へ寄ると、親方が差し替え小樽を作業台から下ろしていた。
「間に合ったぞ」
「ありがとうございます!」
「手間は増えたが、新品よりは安い」
「帳簿に書きます」
「そこまで嬉しそうに書くことか?」
「最近、書けるものは信用だと思ってきました」
親方は少し笑った。
「変な商会だな」
「よく言われます」
差し替え小樽を積み、昼に西区施療院へ戻る。
管理人さんは、わたしたちを見るなり息を吐いた。
「間に合いましたね」
「はい。午後の仕込みに使えますか」
「使えます」
クロードさんが小樽を見る。
「問題ない」
親方の仕事はきれいだった。
部品取りから移した底板は、古いがしっかりはまっている。
新品ではない。
でも、使える。
「これが修理品ですか」
ガリオ商会の男がまだいた。
本当に、まだいた。
「見た目は、やはり新品とは違いますね」
「見た目は違います」
わたしは言った。
「でも、これは保管用です。人前に出すものではありません。強度は桶職人さんが確認済みです」
「確認済み、ですか」
「はい。確認者、修理内容、用途を記録しています」
わたしは帳簿を軽く押さえた。
見せない。
でも、ある。
それだけで少し強い。
管理人さんが小樽を見て言った。
「問題ありません。これで午後分は回せます」
その言葉で、胸の奥が軽くなった。
全部ではない。
でも、必要なところは止まっていない。
夕方。
予備分は、一つだけ間に合わなかった。
以前なら、たぶん焦っていた。
でも、今日は違う。
予備は明朝でいい。
管理人さんにも確認済み。
帳簿にも書いた。
だから、わたしは落ち着いて言えた。
「夕方分の予備一つは、明朝に回します。今日の作業には影響ありません」
「わかりました」
管理人さんがうなずいた。
ガリオ商会の男は、もう何も言わなかった。
ベルカ商会に戻るころには、足が重かった。
でも、気分は悪くない。
「クロードさん」
「なんだ」
「三回運ぶの、疲れますね」
「疲れるな」
「でも、止まりませんでした」
「止まらなかった」
「これは勝ちですか」
「仕事だ」
「ですよね」
ベルカ商会では、ロイが待っていた。
「本日の納品は?」
「朝分、完了。昼分、完了。夕方予備一つは明朝へ。作業影響なしです」
ロイが帳簿に書く。
「運搬費は?」
「……増えます」
「請求しますか」
「します」
即答できた。
ロイが少しだけうなずいた。
「良い判断です」
「やりました?」
「やりました」
短い。
でも、効いた。
クロードさんが言った。
「九割半」
「今日は全部ください」
「明朝の予備が残っている」
「厳しい!」
トマが荷台の縄をほどきながら言った。
「でも商会主、今日の運び方、わかりやすかったです」
「本当ですか」
「朝はこれ、昼はこれ、夕方は予備って決まってたので」
それは少し嬉しかった。
わたしだけがわかるのでは足りない。
運ぶ人にもわかる。
使う人にもわかる。
帳簿にも残る。
それが、止まらない形なのかもしれない。
ロイが新しい欄を作った。
「では、明日から配送順も帳簿に入れます」
「また増えた!」
「必要ですので」
もう驚きすぎて、少し笑ってしまった。
全部を一度に届けることだけが、安心ではなかった。
必要な順に届くことも、安心だった。
ベルカ商会は、西区試験運用の三日目を、全部そろう前に届けることで止めずに済ませた。
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